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六話 正義の名のもとに

 それは、天災によく似ていた。


 北五条通りをまっすぐに進むそれは、鉄の軋む音を立て44口径の砲弾を撒き散らす。

 北国とは無縁な台風のように、そこにいる者の命を簡単に吹き飛ばす。


『同じ日本人同士で殺し合って、何が楽しいんですか!』


 それは、正義によく似ていた。


 悪意の塊である銃を構えた人間を、断罪するかのように次々と吹き飛ばす。


 同じ生物に銃口を向ける彼らの愚直な行為を否定するかのように、軍服の色の区別なく断罪していく。


『止めてください! 私だって、こんな事はしたくはないんです!』


 それは、天災などではない。


 少なくとも、吹雪だろうが火山だろうが、そこに人の意思はない。

 雄々しく砲身を突き立てるそれは、人の血の通った兵器だった。


 それは、正義などではない。


 何故なら、正義なんてものはそこにいる全ての兵隊が持ち合わせているからだ。

 人の正義を蹂躙し、自分の正義を押し通す。


 それは、紛う事なき悪意と偽善の塊だった。




 軍基地で指揮をとっていたエドワードは、深見の通信を聞き絶望した。アメリカ側を一気に倒せる千載一遇の機会に、こんな厄介な乱入者来るなんて。


「全軍、速やかにそこから撤退しろ! それはお前たち生身の人間のかなう相手ではない!」


 乱暴にマイクを掴み、全チャンネルを通信兵に開かせ彼は大声で怒鳴った。


「深見、白岡、聞こえているか! 二人は味方が逃げ切るまでアメ公の相手をしてやれ! お前らだって危ない、急ぐんだ!」


 最悪の事態だった。


 兵士の腰に取り付けられた無線機から送られてくる断末魔の悲鳴が、作戦室に反響する。大切な部下を、本国の特殊部隊に匹敵する戦闘力を持った彼らを、いとも簡単に失ってしまった。


「ひどい……」


横に座っている一人の通信兵が呟く。自分のミスだ。不測の事態の裏をかくのが、自分の仕事のはずだった。立派な階級と輝かしい戦役のおかげで、自分のすべきことを見失っていた。


「頼む……生きてくれ」


 震える手でマイクを掴みながら、彼は言う。

 命令ではない。一人の人間としての、心からの願いだった。




 旧百貨店の七階で、京也は風に棚引くその旗に目を奪われた。


 日章旗。


 日の丸から放射状に赤い線を引いたそれは、今となっては国粋主義者の旗だった。その旗は良く知っている。

 

 少年時代の自分に父が理想を語る時は、いつもそれは傍にあった。


 有り得ない。


 父は死んだ。

 その旗を掲げる蛮勇は、一人残らず死に絶えたはずだ。それなのに、忌々しい赤い旗は剥き出しの暴力を伴ってそこにある。


 九十式の砲身が、旧百貨店の七階に向けられる。


 その一瞬を、京也は見逃した。


 もう遅いと、自身の本能が告げて来た。

 だがその巨大な鉄の筒の矛先は直ぐに修正され、広場で戦闘を続ける集団に向けられた。

 銃を撃ちあう彼らに向けられた大砲が、轟音を伴って火を噴いた。


「何故だ!」


 京也は怒鳴った。

 殺されなかった事に怒りを覚えて。目の前で仲間が殺されることに。


 どうして俺は殺さない? どうして彼らは殺す? 同じ人殺しなのに、同じ人間なのに。


『少尉、援護をお願いします!』


 無線から聞こえる深見の悲痛な叫びで現実に引き戻された京也は、震える体でライフルを構えた。スコープ越しに見える敵兵に標準を合わせ、引き金を引く。急所を避け、彼らの手や銃を正確に打ち抜いていく。


 ああやっぱり、自分の意志では殺せない。


 仲間が逃げるように広場から消えてゆく。何とか砲弾の雨を切り抜けられたのは、多く見積もっても二十人はいそうにない。


 突然、砲弾の音が止む。


 無差別に人を殺しつつけるそれが停止したことに、誰もが安堵のため息を漏らした。


『良かった……皆さんわかってくれたんですね』


 戦車の拡声器越しに、優しそうな男の声が聞こえる。


 ふざけるな。何が良かった、わかってくれた、だ。


 そんなもので人の命を奪っておいて、どうしてそんな事が言える? 

 人が死んだ。敵も味方も区別なく。


 殺したかった。怒りに身を任せ、愚鈍な鉄の塊にありったけの銃弾を撃ち込んでしまいたかった。だが、そんな事は出来ない。


 そんな馬鹿な事をすれば、もっと多くの人が死ぬ。


『皆さん、私たちはただ、戦争なんて下らない事は止めて欲しいだけなんです』


 誰もが銃を下ろした。同じ人間に、同じ民族に向けられていた銃口は、今アスファルトの地面を捉えている。

 わかったからでも、納得したからでもない。


 ただ、その鉄の塊が怖かったのだ。




 それ以上の戦闘は無理だと判断した両軍は、停戦時間が終わる前に自軍に引き返していた。

 出撃したEU軍兵士三十四人中、生きて帰還できたのは十八人。そのうちの九人は五体満足ではいられなかった。


「失態だ」


 深見と京也を自室に呼んだエドワードは、二人に向かって真剣な口調で言った。彼にかける言葉を見つけられないままでいる二人は、その場に立ち彼の言葉の続きを待った。


「俺のミスで、十六人もの部下の命を失ってしまった」


 独白によく似た彼の言葉が淡々と紡がれていく。

 彼を責めている兵士は少なくともこのEU軍にはいない。あなたの責任ではないと、優しい言葉で彼の心を軽くしてあげたかった。


 しかし、それは許されない。


 なぜなら、どんな慰みも彼には重荷にしかならない事を皆解っているからだ。

 エドワード・グリーンはそういう男だと、誰もが知っていたからだ。


「少佐、AW50の使用許可を願います」


 耐えかねた京也が、神妙な顔つきのエドワードに対物狙撃銃の使用許可を求めた。その破壊力は京也が愛用しているL96とは比べ物にならず、人の腕など掠っただけで?ぎ取られる。

 戦車といえども、結局は人の造った物であるが故の弱点はある。


 装甲の薄い部分に何度も打ち続ければ、その動きは止められるかもしれない。人間離れした卓越した技能が必要だが、その技術を彼は持っていた。


「駄目だ」


 京也の申請を、エドワードは間髪入れず却下した。


「何故ですか! 自分の腕なら、あれの足を止めるぐらいは」

「足を止めるだけじゃ足りない、鉄屑にしてもまだ足りない。重要なのは、あんな物を持ち出す馬鹿な集団を根絶やしにすることだ」


 日章旗を掲げ、戦車を乗り回す大馬鹿者。

 京也にはそれに心当たりがあった。


「少尉、あれは何の旗を掲げていた? そもそも九十式は、どこの国の物だ?」

「日本です」


 日本軍。


 いや、日本軍の残党と言った方が良いだろう。


 父が何と名乗っていたかは思いだせなかったが、本質は変わりない。

 この国がEU軍とアメリカ軍との戦争に巻き込まれると決まった時に、誰よりも早く異を唱えた民衆の英雄。

 国連の指導により彼らはテロリストとして処分され武器も奪われたが、彼らを望む民衆の声は絶えない。


「そうだここだ、この国の物だ。奴らは只の暴徒じゃない、立派な大義名分を掲げるテロリストだ」


 エドワードは重い腰を上げ、机に手を付け言葉を続けた。


「暴力を手に入れた奴らが、次に何を求めるか知っているか?」

「政治、ですか?」


 深見がその質問に少しだけ頭をひねらせ答えた。


「おしいな曹長。答えは指導者だ。それも、絶対的なカリスマ性を持った。そして過去、彼らはそれを手にしていた」

「……はい」


 京也は目の前のイギリス人の言葉に神妙に頷いた。


 その男は、国と弱者の為に立ち上がり民衆の英雄となって死んだ。

 その男は、幼い京也に果てしない夢や理想を語ってくれた。


「だが白岡京次郎はもういない。その代りが必要だ。それが……お前だ、京也。だからお前が大砲を向けられた時、砲弾は発射されなかった」

「はい」

「待って下さい。どうして彼らはそこにいるスナイパーが白岡京也だと分かったのでしょう?」


 二人の会話に深見が口を挟む。EU軍の白鯨と言えばどんな戦場でも恐れられているが、彼がテロリストの息子であることまでは知られてはいない。


「簡単だ、誰かが教えたんだろう」


 彼女の疑問にエドワードがさも当然というように答えた。


「話が逸れたな。戦闘中、彼らの言っていた事を思い出して欲しい。『戦争なんて下らない事は止めて欲しい』だったな。つまり彼らは、本当は闘いたくないけど仕方なく俺達を殺しているというわけだ」


 自嘲気味に鼻で笑いながら、彼は日章旗のテロリストの思想を口にする。


「身勝手です。私たちが、どんな気持ちで戦っているかも知らないで……」


 それを聞いた深見が、拳を強く握り肩を震わせた。誰も殺したくないのなら、黙って部屋で寝ていればいい。


「感情論は後にしろ。俺達は奴らのその自分勝手な感情を逆手に取る。戦いたくないのなら、交渉してやればいいだけだ。そこで、殺す」


 是からの計画の概要を、エドワードは端的に告げた。

 あくまで落ち着いて、眉一つ動かさずに。


「俺達はどう動きますか?」

「焦るな、俺達は動かない。代わりに奴らが動いてくれる。何て言ったって、白岡京次郎の忘れ形見がいるんだからな」


 エドワードの青い二つの瞳が強張った顔をした京也を射抜く。京也は悟った。これは、この作戦だけは、自分にしかできないのだと。




 その日自分のマンションに戻った京也は、倒れこむようにベッドに寝転んだ。

 一日に色々な事がありすぎたせいで、思考がまとまらず取りとめのないことばかりを延々と考え続けてしまう。


 敵を殺せなかった事。

 父の事。

 戦車の事。

 日章旗の事。


 どれか一つでも彼の脳味噌を惑わせるには十分なのに、そんなものが四つも同時に重なってしまった。何か考えようとしたところで、複雑に絡み合ったそれらの出来事は解決の糸口さえ掴めそうにない。


 ああそれと、アンリの事も。


 見つけて欲しいと言った彼女の願いは、暫く叶えられそうにない。

 彼はそれ以上考えるのを止め、そのまま目を閉じ深い眠りについた。






 目覚まし時計は鳴らない。

 それもそのはず、今日が日曜日だからだ。


 日曜日は平和の日ではあるが、学校には行かなくていい。それに、そう決められているからと言って頭の中まで平和にする必要はない。

 だから彼はその日一日を自分の頭の中の整理に費やすことにした。一晩泥のように眠っていたおかげで、彼の頭はすっかり冴えていた。


 彼はまず、昨日の戦闘に乱入してきた、日章旗を掲げた戦車を思い出す。


 日本軍が嘗て採用していた九十式戦車。


 あれは何所から持ち出して来た物だ? 


 日本軍の武装は七年前の反乱の時に全て廃棄されたはずだ。

 彼らは独自の方法で兵器の確保に成功していたのか、それともそれ以外の手段があったのか?

 考えられない。

 それにあの日章旗、あんな物を掲げるなんて自分から的にして下さいと言っている様な物だ。国連の決定に反対した彼らは世界中の敵になり、日本人らしく謙虚に生きる事を強制された。

 より慎ましく、より穏やかに。

 古来の日本人がそうであったと教科書が言うように、日本軍も日本国民もそう生きねばならなかった。そうしなければ、待っているのは社会的な死だった。


 それでもなお、頑なに自分を曲げなかった人間がいた。


 父、白岡京次郎だ。


 旧日本軍の大佐だったあの男は、日本人としての誇りの為に生き、戦い、処刑された。

 自分の我が侭を貫き、さんざん周りを巻き込み、英雄と謳われた男の死に様を、俺は忘れない。

 信頼していた部下に簡単に裏切られ、頭蓋骨に風穴を開けられた男の無様な死に様を、忘れてはなるものか。


 父は語った。

 人とは何か、生きるとは何かと。人の尊厳は、どこにあるかを。


 父は死んだ。

 人に裏切られ、無様に死んだ。自らの尊厳を買収された部下に奪われた。


 彼が生きていた時は、皆等しく前を向いていた。

 戦うことに意義があると、本気で信じていた。

 しかし彼らは重要な事に気付いていなかった。


 そんな信念など、所詮他人に保障してもらって初めて持てるものだと。

 父の死後、俺を取り巻く世界は変わった。保障人がいなくなれば、彼らの目線はばらばらに別れた。

 父の亡霊を崇拝する者。父の墓に唾を吐きかける者。気力を無くし路頭に迷う者。国連や外国に媚を売り、上手に立ち回る者。


 俺はそのどれにもなりたくなかった。


 父の模倣なんて反吐が出る。あくまで自分の意志で、自分の為に生きていきたかった。

 だからこそ、俺はEU軍に入隊した。そして沢山の人を殺した。

 そうすれば、人を救おうとした父から離れられる気がしたから。


 止めよう。


 これ以上考えると、また昨日みたいに手が震え何もできなくなる。今の俺にできる事は、せいぜい彼らの素性を探るだけのはずだ。俺の父親が何者だろうと、EU軍の一兵卒の自分には関係ないはずだ。


 一度頭を冷やし、今度は自分が敵兵を殺せなくなっている事について考える。

 

 いや、これは考えるまでもないだろう。俺がついこの間まで平然とできていた事が出来なくなったという、ただそれだけのこと。忘れていた日常を、ただ思い出しただけということ。そんなもの、俺にはどうしようもない。


 俺がいくら涙を流しても死人は返ってこない。

 俺が頭の代わりに右腕を吹き飛ばしても、奪われた命は戻らない。

 わかっている、自分が下らない感傷に浸るせいで味方を危険に晒すことぐらい。それでも俺は、誰かの命を奪う気にはなれない。


 今はまだ、誰かを殺せそうにない。


 京也は部屋のソファーに腰をかけ、天井を仰ぎ見た。

 真っ白な天井が目に入るだけだった。外出も食事もできそうになかった彼は、そのまま体を横にした。

 考えるべき事ばかりある。自ら選ばなければならない問題は山積みだ。それでも、彼は眠りたかった。


 せめてこの平和な休日だけは、全てを忘れていたかった。

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