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三話 誰もいない教室で

「少尉の様子はどうだい?」


 エドワードは、搬送された白岡京也の容態について医務室から戻ってきた深見に尋ねた。


「はい、今は鎮静剤のおかげで何とか落ち着いていますが……」

「その言い方だと、なかなか芳しくないようだね。怪我はそうでもないんだろう?」

「体よりも……精神的な負担が大きいようです」


 深見は、私見ではあったが彼の状態を説明する。


「あの少尉が?」


 精神的な負担という言葉に白鯨としての彼を良く知るエドワードは大きな違和感を覚えた。彼の知る白岡京也は、どんな過酷な状況でも確実に敵兵を仕留め、そして平然とした顔で帰ってくる男だった。


「あの少尉がです」


 深見は医務室で謝罪の言葉を呟いていた彼を思い出す。

 

 白いベッドの上で横たわっていた男は、彼のいつもの振る舞いからは考えられない、どこにでもいるような弱気な子供に見えたが、実年齢に相応しい表情を浮かべていたようにも思えた。


「全く、どうしたことやら」


 そう言いながら、エドワードは目頭を押さえて頭を振った。




 京也は自分が殺した同級生の顔を思い浮かべていた。

 

 思い出に残る彼女の顔は、いつも怒っていた。

 遅刻ばかり繰り返す俺を、授業中寝ていた俺を、服装が乱れた俺を、いつもいつも叱ってくれた。

 

 だけど昨日は、笑ってくれた。

 

 太陽みたいに明るい笑顔で笑いかけてくれた。その笑顔を見る事は、二度とできない。


 夢なら良かった。

 

 これが悪い夢で、教室に入ればまた遅刻ギリギリに登校した俺を叱ってくれるなら俺は救われた。

 

 でもあの出来事が、今日そのものが、夢ではない事はもう解っていた。何かを夢だというなら、あのカレンダーが削り取られた日常こそが夢だった。


 得難い平和が、当たり前のようにある日常。それこそが、彼が命を賭けて守りたい物だった。


「少尉、よろしいですか?」


 薄い医務室の扉越しに、深見の声が聞こえてきた。


「どうぞ」


 京也はそれに生気の籠らない返事を返した。


「体の調子はどうですか? よろしければ何か飲み物を」


 ベッドの脇まで移動してきた深見が、彼の顔を覗き込む。

 彼の目からは、透明な涙が流れていた。


「……悲しい事が、あったんですね」


 深見はベッドに腰をかけ、優しく彼の髪を撫でた。彼女を見る彼の瞳は、白鯨と呼ばれるEU軍の少尉の物では無かった。

 

 厳しく冷静ないつもの彼の代わりに、優しい十七歳の少年がそこにはいた。


「先生、俺は……」

「私で良かったら、話を聞きますよ」


 先生と呼ばれた。

 いくら追いかけても追いつけない場所にいた彼に、そう呼ばれた。それはおかしな事だった。

 

 おかしい筈なのに、彼女はどんな違和感も覚えなかった。


「殺したんだ……桜井を、殺したんだ……」

「あなたは何も悪くない。敵が、あんな物を持ちだすから彼らは……」


 きっと、亡くしてしまった部下の事を嘆いているのだろう。そう思い、彼女はもう一度彼の髪の毛を撫でる。優しい彼の苦しみを、少しでも和らげてあげたかった。


「違う! そいつらじゃない、俺は、俺は桜井を……」


 そいつら、と呼んだ。

 

 彼は自分の部下をそう呼ぶ人間ではなかった。部下に厳しく接していたが、誰よりも彼らを信頼していた。

 

 そんな男が、だからこそ尊敬していた彼が、確かに部下をそう呼んだ。


「少尉?」


 だから彼女は聞き返した。様子がおかしいとは思っていた。別人のようにも思えた。

 

 だけどそこにいる彼は、本当に別人だった。


「先生だって知ってるだろ!? 桜井はいつも怒ってて……なんであいつがあんな所にいるんだよ! あんな物を持って、あんな服を着て……」


 深見には、彼が誰の死を悔やんでいるのかは見当もつかなかった。ただ彼女は直感した。

 

 白鯨はもう、死んだのだと。






そして次の日、彼は目を覚ました。

 目覚ましはまだ鳴っていない。時間を確認すると、まだ朝の六時だった。

 

 古めかしい二つの大きな鈴が付いた目覚まし時計のアラームを解除し、次に白熊を模った安っぽいプラスチック製の置時計に手を伸ばす。それをまじまじと見つめながら、彼は昨日の桜井の笑顔を思い出した。


「へへっ」


 自分でも気味が悪いと思ったが、彼女が昨日駅で見せてくれた笑顔を思い出すと笑わずにはいられなかった。


「昨日は……」


 昨日駅で、見せてくれた、その光景を思い出す。




 黄土色の軍服に身を包み無表情でMPIMを構えている。発射されたロケット砲が、次々と味方を殺していく。だから俺は殺す。彼女のか細い首にスコープの十字線を合わせ引き金を引く。L96の砲身から聞こえる空気の抜けた音とともに彼女の首が真っ赤な血を噴き出しながら吹き飛ぶ。だけど先程俺は殺し損ねていたから本当に胴体と頭が離れたかをわざわざ確認する。床に転がる兵士の頭にスコープを合わせる。綺麗に首と胴体が離れている。俺が吹き飛ばしたその首からは真っ赤な血が流れている。

その首は、桜井のものだ。




 頭をよぎった灰色の光景を、彼は質の悪い妄想だと振り切った。いくら彼女が俺に突っかかって来るといえども、こんな残酷な方法で死ななくてもいいだろう。

 どうせなら本当に豆腐の角に頭をぶつけて死ぬとか、おでこの眩しさで目がくらんだトラックドライバーが突っ込んで来たとか、そういう類の方法で。


 京也は下らない事を考えるのを止め、制服に着替えた。

 

 どうせだから学校に早く行って桜井のおでこにデコピンでもして遊んでやろう、なんて考えながら。


 まだ時間は六時十分。

 

 彼は久しぶりに豪勢な朝食とコーヒーを用意し、穏やかな朝の時間を楽しんだ。




 学校に着いたのは、七時半だった。


 校舎にいるのはせいぜい朝練で来ている部活動の生徒か学校の職員ぐらいで、いつものような活気は感じられなかった。彼は寄り道もせずに、真っ直ぐ教室に向かう。彼女に会えると思うとだんだんと機嫌も良くなってきた。

 

 彼は鼻歌を歌いながら、教室の扉を勢いよく開けた。


「委員長いるかー?」


 桜井を呼ぶが返事は返ってこない。

 教室を見回してみても、誰もいなかった。


 彼は小さくため息をついて鞄を自分の机の上に置いた。急に手持無沙汰になってしまった彼は、仕方がないので教室の掲示板を何気なく眺めた。掃除当番やクラス委員の割り当てが書かれた紙を見ると、桜井と田上の名前が黒く塗り潰されていた。

 

 田上はわかる。彼は転校したからだ。

 

 そう、彼は確かに徴兵されて転校したはずだ。最後に彼の顔を見たのは何時だっただろうかと、彼は頭を捻った。




 雄叫びを上げながら銃を乱射する大馬鹿者の頭に標準を合わせる。兵隊には最も不要で最も良く似合う醜い表情を浮かべたその男に俺は侮蔑の籠った同情をしながらも深く息を吸い込み引き金を絞る。駅前に響く人一倍うるさい音を立てていたM4の銃声が止む。スコープ越しに見えたアスファルトを転がりまわる血まみれの敵兵の顔は。


 クラスメイトの田上だった。




 色のついた生々しい光景が浮かぶ。

 

 グロテスクなその光景に京也は激しい眩暈と吐き気を覚えた。

 

 呼吸が荒くなり、全身の皮膚が粟立つ。肩で大きく息をしながら、彼は見覚えのない光景を次々と思い出していった。


 殺した。桜井も田上も俺が殺した。


 二人だけじゃない。

 

 殺してきた数は両手両足の指を使ったって足りない。三百八十七人。俺が殺してきた人の数だ。

 その全員の体を例外なく吹き飛ばしてきた。


 殺したくない。もう誰も、殺したくない。


 自分が奪って来たものは、簡単に吹き飛ばしていいほど軽い物ではない。それを痛感した今、人の頭を吹き飛ばすなど想像しただけで吐き気を催した。


 彼はその場に膝をついて、声を詰まらせて泣いた。

 

 奪って来た命の数を誇れた自分も、戦争を他人事と割り切っていた自分ももういない。今ここにいるのは、戦争の当事者として許されないほど膨大な人の命を奪って来た、滑稽な二重生活を送って来た自分だった。

 

 なぜ今まで一週間が四日間しかない事に違和感を感じてこなかったのか。なぜ中心街を覆われた塀に疑問を感じてこなかったのか。なぜ人を殺した次の日に平気な顔で学校に来られたのか。


 彼は何度も自問自答を繰り返す。

 昨日までの自分を責める。

 今日までの自分を責める。


 こんな所に来るまで、自分の罪を都合良く忘れていた自分を責める。


 それでも、桜井はもういない。


 罪の意識に苛まれ今更後悔を繰り返しても、その確かな事実は変わりはしない。そんな解りきった事が、また彼の心を苦しめた。


「白岡か? 何かあったのか?」


 職員会議が始まる前に教室の様子を見にきた深見が、掲示板の前で膝をついて泣いている京也の姿に驚き、彼に声を掛けた。

 京也は顔を上げ自分の横に立つ深見の顔を見た。彼女は心配そうな顔を浮かべ、しっかりと彼の目を見つめている。彼は涙を拭い泣くのを止め、呼吸を整えた。


「先生、昨日自分が何をしていたかって覚えてますか?」


 桜井の事でも戦争のことでもなく、彼は昨日の彼女の行動について尋ねた。彼女が戦争をしている事を自覚しているのかどうかが知りたかったからだ。


「何をって……昨日は学校が終わった後に家に帰って試験問題を作ってたな。覚えているぞ、それがどうした?」


 彼女の口から発せられた言葉の内容は、彼が知っていた昨日のそれとは違った。それは彼にしてみれば一昨日の出来事についての物だった。彼女はEU軍の兵隊としての自身を自覚していないという事が、その発言からはっきりと読み取れた。


「……覚えてないんですか?」


 やはり彼女は今、『夢』を見ていた。国連が見る事を義務付けた、作られた 『夢』。不可分な夢と現実の境界線を、彼女は守っていた。


「何の事をだ? 全く遅刻が終わったと思えば変な事を言い出すんだな」

「覚えてないのなら、それでいいです」


 しかしどういう訳か、彼は境界線を破った。


「……それにしても顔色が悪いな。体の調子が悪いのか?」


 深見が言うように、京也の顔は青白く、その眼は光を失い何も捉えてはいなかった。


「保健室行って来ます」


 その場から逃げ出すように、彼は俯いたまま深見に言った。


「そうか、無理はするなよ」


 背中を丸め教室を後にする京也に、彼女は精一杯優しい言葉を掛けた。

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