十五話 決闘
塀で囲まれた中心街に入るのは、案外簡単なことだった。
戦争の日に使っている通用口は、誰もが過去を忘れた今ならセキュリティなど無縁の言葉だった。学生服のスラックスのポケットにハンドガンとナイフを隠し、駅前の広場で立ち止まる。ギルベルトとアンリがいる場所は、もう目の前にあった。
ふと気を緩め、ビルを見上げようとした瞬間に、彼は人の気配を察知した。
そしてすぐに銃を構え手頃な柱に隠れる。強烈な爆発音が轟き、柱のコンクリートを削った。その威力と音に彼は覚えがあった。
マグナム弾が放たれた場所に、銃弾を二発発射する。一つはコンクリートに弾かれ、もう一つはビルのガラスを突き破る。
京也は身を乗り出し、動き続ける敵の姿を見た。
右腕を失ったゴーストが、そこに立っていた。
腕を失い、軍を失ってまでなお、彼はそこにいた。
解り合えた友人だった。
だから彼は言葉による解決を選びそうになった。
言葉に詰まる。喉から出かかけた言葉は、音にならずに消えていった。
京也は気付いてしまった。
語りあう言葉はない事を。違えた道は戻りはしない事を。
人は、解り合えない。
解り合えるのなら、初めから銃などいらない。
二人は銃を取る事を、戦う事を選んだでしまった。
もう戻れない道を選んでしまった。だから殺す。ただお互いが邪魔だから。
容赦のない銃撃が彼を襲う。
銃の反動で左手を仰け反らせながらも、射撃の正確性は失われていなかった。
マグナム弾が一瞬前まで京也がいた場所を打ち抜く。
彼は頭を下げ地面を強く蹴り、不格好に前に飛んだ。着地した先には、ゴーストの顔が目の前にある。ビスケスの舌打ちが聞こえてきた。
京也がビスケスの顔面をめがけて銃を打つ。
この至近距離だというのにビスケスはそれを顔を少し動かすだけで簡単に避けた。間髪入れずにデザートイーグルを構える左手にめがけて京也が隠していたナイフを切りつける。真っ赤な血が、彼の手首から噴き出す。
銃を握れなくなり、その場に落としてしまった。
空いた右手で京也が銃を構えると、ビスケスは丸太のような足で強烈な蹴りを放った。銃も拾い上げず、彼は京也の顔面に左フックを喰らわせる。
京也の視界が揺れ、口の中がズタズタに切れ、奥歯が折れる。咄嗟に彼は銃を乱射し、一発だけビスケスの足もとに当たった。バックステップで距離を取り、折れた奥歯ごと血を吐きだす。地面に赤い染みが広がった。
ビスケスに右手が無い分本来なら京也に分があるのだが、彼の身体能力は腕一本のハンデを感じさせないほど高かった。
また二人の十センチ程度の身長差はそれだけリーチの差になり、接近戦でのビスケスの優位性を高めていた。
化物がそこにいた。
右手を失い、見たところ治療は受けていない。食事もろくに取っていたとは思えない。それなのにゴーストは意志を曲げずにそこにいる。
まともに殺し合うには、強すぎる相手だった。
もう一度銃を構えビスケスに向けると、引き金を引くよりも早くビスケスのハイキックが銃を吹き飛ばし、追撃のボディーブローが京也の腹にめり込む。
あばら骨が折れる音がする。
京也は口から血が混じった唾を吐きながらも、ビスケスの左手をしっかりと右手で掴み、もう一度ナイフでさっき刺した場所を突いた。吹き出た血が京也の顔と学生服にかかる。ビスケスは痛みに顔をゆがませながらも、ひざ蹴りを京也に喰らわせた。ガードが間に合わず、半歩分の距離を吹き飛ばされる。
一進一退の攻防が続く。
埒が明かないな、と京也は思った。
銃は飛ばされ、近距離戦闘に優れるビスケスに勝つ方法は、左手に持ったナイフしかなかった。帰り血を拭い、ナイフを強く握り直す。
これで決める。握ったナイフに彼は誓った。
左腕のナイフによる傷と、右足に残る銃弾がビスケスの動きを鈍らせていた。
残された時間が少ない事をビスケスは悟った。
体は気力だけで動かされていたが、血液の量まではどうにもならない。左手を強く握る。傷が開き血が染み出るが、最早そんな事はどうでもよかった。これで終わらせる。
握った拳に彼は誓った。
京也は地面を蹴り、ビスケスとの距離を詰めた。
放った右ストレートは相手に致命傷を与えはしない。
ビスケスの左アッパーが、京也の顎に向かって真っすぐと突き上げられた。脳が揺られ、顔が無理やり上を向かされる。
だが京也の眼は確かに取られていた。逆手に持ったナイフを、無防備なビスケスの左胸に突き刺した。
ナイフの周りが赤く変色する。
根元まで刺さった刃は抜けば血が吹き出し、そのままでも生命活動を妨害する。
二人の戦いが今終わった。
京也は何とかその場に踏みとどまり、倒れたビスケスを見下ろした。胸は上下し、まだ息があった。学生服の袖で顔についた血を拭い、京也はその場に座った。
「よう、生きてるかビスケス」
殺そうとしていた相手にこんな事を聞いていいものかと思いながら、京也は彼に話しかけた。
「馬鹿野郎、俺は殺したって死なないんだよ」
口をゆがませ、ビスケスがそれに応える。声は細く、息は荒くなっていた。
「どうして……どうしてお前は、真咲を殺したんだ?」
息を絶え絶えにして、ビスケスは京也に尋ねた。
「邪魔だったから殺したんだ」
妙に落ち着いた声で京也は言った。
正義や信念という聞こえのいい言葉で固めても、殺人は殺人でしかない。
だからせめてその理由を誤魔化したくなかった。
真咲という人物が、京也は誰だかは知らない。
だから彼は、今まで殺していった人の顔を思い出した。スコープ越しに焼きついた自分の罪は、瞼の裏に焼き付いている。償える日は来ない。同じ数の命を救っても罪は消えない。
「そうか、俺と同じだな……」
ビスケスも復讐のために大勢の人間を殺していた。その理由など問われても上手く答えられない事に、彼は今更ながら気づいた。
「じゃあな京也、先に地獄で待っていてやるよ」
「行くところが違うだろうが。待ってる人がいるんだろう? だったらお前はそこに行けよ」
戦争なんて起きなければ、笑い合えた筈だった。
だからせめて最期ぐらい、この男に夢のある言葉を。
大切な人が待つ、かけがえのない日常を。
「ああ、そうだな。そうだったよ」
そうして彼は、息を引き取った。
京也は彼の瞼を多い、返り血で濡れた上着を脱いで顔の上に被せた。せめてもの墓標にすらなりそうもないが、そうせずにはいられなかった。
彼は銃を拾い上げ、ポケットにしまった。そしてギルベルトとアンリがいる場所へ向かった。
冷たい風が京也の襟もとに吹き込む。
冬の風は、シャツ一枚の彼には寒すぎた。