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十一話 帰り道

 昨日は忽然と姿を消していたアンリだったが、朝目を覚ませば平然と横で寝ていた。

 その後はおはようから今の今までアンリの相手をさせられ疲れ切ってしまった京也は、昼休みなのに食事もとらず机に伏していた。


 帰りたい。


 この言葉が、彼の頭をぐるぐると駆け巡っていた。

 当のアンリは、三時間目の終わりに買った色とりどりの菓子パンを楽しそうに眺めていた。


「ぱんぱかぱーん! ……って、聞いてる? 二人とも」


 そんな対照的な二人の元に、いつにも増してテンションの高い奈々方が割って入る。


「悪い、唐突すぎて何の事だか」

「なに、ファンファーレ?」


 二人の反応も見ての通りの対照的なものだが、間の抜けている事に関しては一致していた。


「本当にこの天然コンビは……僕の苦労もわかってほしいよ」

「用があるなら言ってくれよ、見ての通り疲れてるんだ」

「じゃあ聞くよ。白岡、昨日ちゃんとアンリちゃんに学校の中案内した?」

「してなーい!」


 奈々方の鋭い質問に、アンリが元気良く答えた。それだけで、彼の心はまた重くなった。


「だよね、そうだよね。僕はわかっていたよ、白岡がそんなこと一つ出来ない駄目な奴だって」

「随分と酷なことを言うなお前」

「そういうわけで、今日は改めて学校を紹介したいと思います!」


 京也の反抗的な態度を受け流し、奈々方はようやく本来の目的を口にした。


「おー!」

「おー」


 同じ言葉を二人は口にしたが、それの意味には天と地ほどの差が開いていた。


「さらに! 帰りには私達の良く遊ぶ場所も紹介したいと思います!」


 もったいぶったように、奈々方は人差し指をぴんと立て二つ目のイベントを発表した。アンリは期待に溢れる目線を彼女に送り、京也は自分の胃袋の辺りを穴が開くのじゃないかと心配そうな目を向けた。


「はいそこ、明らかにめんどうくさそうな顔しない。それじゃ、放課後教室でじっとしていてね」

「なあ、山内も誘っていいか?」

「いいよ、もちろん」


 奈々方が、京也の思いつきを二つ返事で了承する。


「何で僕まで?」


 窓際の席で詰まらなさそうに小説のページをめくる手を止め、山内は目を丸くして京也に尋ねた。


「道連れ」


 机に伏したまま、京也は自分勝手な理由を答えた。




 アンリの自由気ままな学校案内を終えた四人は、駅前のスーパーに来ていた。

 カラオケボックスに行くという案もあったが、京也は様々な理由をつけてそれを断った。一番の理由はアンリがマイクを手放さない光景が目に浮かんだ事で、二番目の理由は自分自身の歌唱力のなさを自覚していたからだった。


「ここをこうするとさ……」

「すごい、さすが日本の技術!」


 いつの間にか仲良くなった山内とアンリが、笑いながらおもちゃ売り場を次々と物色していた。外国人の彼女には、手の込んだ日本のおもちゃが新鮮に映るらしい。


「楽しそうだな、あいつら」


 そこから離れたベンチに京也と奈々方は腰をかけ、はしゃぐ二人を見ていた。


「あ、もしかしてアンリちゃんが奪われて寂しいんだ」


 遠い目をして二人を眺める京也の頬を、奈々方が人差し指で何度か突く。


「いや、山内最近元気なかっただろ? だから、元気そうで良かったなって」


 その度に京也は彼女の指を恥ずかしそうに手で払いながら、素直な言葉を口にした。


「へぇ、よく見てるんだね」

「友達だからな」


 そう、友達だから。


 奪ってしまったものは戻らないから、今ここにあるものは守りたい。

 山内も、アンリも、奈々方も。例え出会いが歪なものでも、皆大切な友人だ。


「じゃあさ、僕の事も良く見てくれてる?」

「正直、お前の顔は見飽きたよ」


 首を傾げ、それから少し顔を赤くして聞いてきた奈々方に、彼は軽いデコピンをお見舞いした。学校でも基地でも、彼女とはよく話す。顔を見ない日の方が少ないぐらいだ。


「いたっ。……もう、女の子に言う言葉じゃないよね、それ」

「男女差別はしない主義でね」

「よく言うよ、本当」


 奈々方は笑う。

 

 その笑顔が、少しだけ桜井とかぶってしまう。

 もしあの日撃たなければ、今横にいるのはあの笑顔ではなかったのだろうか。


「そういえば、どうなったんだよあれ。お前からじゃないと続きが聞けないから、結構気になるんだよ」


 だから彼は、追及を止めない。


 例え奈々方が忘れても、彼はいつまでも忘れない。奈々方がいつか話した漫画の話が、彼女自身の話だという事はとうにわかっている。


 確かに、奈々方は大切な友人だ。

 だけど桜井の死が、桜井の居場所が、奪われた事だけはまだ納得できていなかった。


「あの漫画ね。最近はちょっと急展開かな。なんとついに敵のアジトに侵入して……」

「どうした?」


 辛そうな顔をして話そうとする奈々方だったが、すぐに自身の言葉を途切らせる。


「本当はさ、気付いているんでしょ? そんな漫画どこにも無いって」

「なんだよ、急に」


 声を涙ぐませ俯きながら、彼女は吐き出すように喋り出した。


「いつもだよ。いつも僕がこの話をする時、白岡はいつも、すごく冷たくて、恐い顔をしてる。僕だって、君の事良く見てるんだよ?」

「……ばれちゃったか」


 京也は諦めたように頭を下げて呟いた。


「それで、僕にこんな作り話をさせて、白岡は何を知りたいの? 僕の事? それとも、僕も知らない、もっと別な事?」

「両方だよ。奈々方……お前は誰だ? 誰の命令でそんな事をしている? どうして俺の知っているお前とは、いつも話し方が違うんだ!?」


 声を荒げて、彼は俯いたまま奈々方に怒鳴る。感情の抑えきれずに、貯め込んでいた言葉を次々と吐き捨てていく。


「……わからないよ、全部。最近はさ、僕自身も自分が何なのかわからないんだ。ねえ白岡、知っているのなら教えてよ……」


 彼女の頬から、一筋の涙が零れていく。

 それでようやく、京也は自分の言葉の無責任さを知った。守りたいと、そう思えたはずなのに、傷つけてしまった。


「悪かった。今のは全部、忘れて欲しい」


 彼は奈々方の頭を撫でようとしたが、彼女はそれを払いのけ、真っ直ぐに彼の目を見つめた。


「教えてよ! 僕は誰!? 白岡の知ってる僕って、誰の事なの?」


 声にならない泣き声が、京也の耳に木霊する。言葉にならない罪悪感が胸を締め付ける。


「お前はお前だよ。鏡を見れば、それぐらいすぐにわかるだろ? だからさ、泣くなよ。別にお前を責めている訳じゃないんだ」


 京也は彼女に、笑って見せた。

 だけどその笑顔は、ひどく不格好な物だった。


「そうだね、ごめん。僕、変なこと聞いたね」


 涙を拭いながら、奈々方は謝罪の言葉を口にした。


「俺こそ、変なこと言って悪かった。謝るよ」

「もう、二人とも謝ったら、意味ないじゃん」


 奈々方も笑う。京也にも負けないぐらい、不格好な笑顔で。


「二人とも、アンリがおなか減ったって……どうしたの? 変な顔して」


 おもちゃ売り場から戻ってきた山内が、不思議そうに二人の顔を見比べる。


「んー……内緒だよ。な?」

「うん!」


 二人が笑う。

 今度こそ、心の底から可笑しくて。




 ラーメン翔のカウンター席に腰を下ろし、京也は頬杖をついて文句を口にした。


「んで、結局ここかよ」

「文句があるなら帰ってもいいんだぞ」


 小金色の麺を手際よく水切りしながら、ビスケスがまたいつもの減らず口を返す。


「随分機嫌が悪いな。何かあったのか」

「『何かあったのか』だと? ……こちとら一日中麺類と格闘してるって言うのに、テメェが久々に来たと思ったら前とは違う女引連れて来やがって! 俺のこと馬鹿にしてるのか!」


 器用に手と口を動かしながら、彼は思いの全てをぶちまけた。


「ねえ京也、この人面白いね」


 その姿をアンリは指さし笑う。その意見には、京也は全面的に同意した。日系人と言う事らしいが、そのギャグセンスはそこら辺のお笑い芸人よりは優れているようにさえ思えた。


「だろ? ただ突っ込みがいないとただの変な奴でな……そういえば店長は?」


 店内のどこを見回しても、あの口の悪い中年の親父はいなかった。


「ああ、墓参りに行ってるよ。今日は月命日なんだよ」

「命日……」


 やけに大人しくなったビスケスが、静かに言葉を続けていく。数秒前の明るさなど、とうに消えていた。京也たちも、彼の言葉の続きをじっと待つ。


「まさ……娘さんだよ。交通事故で去年な」


 暗くなってしまった店の雰囲気に気づいたビスケスが、慌てて笑い顔を作った。


「おいおい、そんな暗い顔すんなよ。そうだお前ら、今日は男が一人足りないんじゃねぇのか? ほら、あの調子のいい奴」

「誰の事だろ、委員長わかる?」


 岩原の事だと京也はすぐに分かったが、他の三人が気付くことはない。あれほど仲の良かった山内さえも。


「ごめん、よくわかんないや」


 奈々方も岩原の事を聞かれても、笑って誤魔化すだけだった。


「なあビスケス。あいつはもう……」



 死んだんだ、と言おうとして、京也は言葉を詰まらせた。

 どうしてビスケスだけが、岩原の事を覚えているのか。


「お、いらっしゃい」


 考えこもうとした京也の耳に、店の扉が立てるガラガラという音が届く。振り向けば、見知った顔がそこにあった。


「深見先生も、今帰りですか? どうですかこっちに」


 端の席に座ろうとする深見を、奈々方が立ちあがり手招きした。


「ああ、仕事が早く終わってな。まさか生徒とこんな所で会うとはな」


 クラスの生徒とたまたま会った事に一瞬目を丸くしたが、すぐに柔和な笑顔を浮かべ奈々方の横に座った。


「よく来るんですか? ここ」

「いや、初めて入るよ。こんな時間に帰れるのは本当、久しぶりだよ」


 彼女がコートを脱いで壁に掛けると、自分で水を用意し一気に飲み干す。


「すいません、醤油ラーメン一つ」


 出されたおしぼりで手を拭きながら、深見はメニューも見ずに注文した。


「あいよー」


 ビスケスの間延びした声が、店内に響いた。




「ねえ、今日は楽しかったね」

「そうだな、楽しかったけど……なあアンリ。ここ、俺のベッドなんだけど」


 時刻はまだ九時を回ったばかりだったが、京也は明日に備えいつもより早くベッドに入った。そこまでは良かったのだが、アンリの奇襲により寝るどころではなくなってしまった。

 同年代の女の子と布団を分け合っても動じない鋼の精神力は彼には無かった。


「今日も寒いね」

「話を逸らすな! 全く、少しは遠慮しろよな」


 出ていけ、と言ってしまおうかとも思ったが、今日奈々方を泣かせてしまった事を直ぐに思い出し、結局遠まわしに示唆する事を選んだ。


「もし床で寝て風邪引いたら、一日中遊んでくれる?」

「嫌だ。絶対嫌だ」

「でしょ? だからこうして、京也の為に布団に入ってるわけですよ

 アンリが頬を緩ませそう言う。もっとも背を向けている京也の眼に、その笑顔は写らないが。


「もう好きにしろよ……」


 ああ言えばこう言うアンリに、京也は諦めながらも白旗を上げた。一昨日ギルベルトが煙草を吸っていた理由が、少しだけわかった気がした。


「わーい、やったーっ!」


 降伏を宣言した敗者に、勝者の熱烈な支配が襲いかかる。両手両足を総動員して、アンリは彼に抱きついた。


「だ、誰が抱きついていいって言った!?」

「またまた、嬉しいくせに」


 耳元に、アンリの呼吸がかかる。それだけでもう、彼の顔は真っ赤になっていた。


「……少しは」


 一度負けを認めた以上、抵抗など意味がない。だから、彼は少し素直な気持ちでそう答えた。それだけで、体中を縛る緊張が緩んだ気がした。


「おー、おーっ!」


 京也の珍しい素直な言葉に、アンリが驚きと喜びが籠った声を上げる。


「うるせえなぁ……」


 鼻の頭を掻きながら、彼が不満の声を漏らす。もっともその顔は赤いままだったが。


「そうだ京也、ギルに会ったんだって? 不思議な子だね、って言ってたよ」

「大したこと話してないけどな……ってなんだよ、昨日はちゃんと話したのか」


 昨日、ほんの少しだけギルベルトと会話したが、アンリは側にいなかった。もし二人が本当に会っていたとするならば、彼の帰った先がアンリの居場所と言う事になる。


「うん、多分……」


 声の調子を落として、アンリが寂しそうに言う。


「何だそれ」

「えへへ、教えてあげなーい」


 今度は急に明るい声で、京也の体を一層強く抱きしめた。


「もう寝るから、いい加減放してくれ」


 アンリの頭を撫でながら、京也はできるだけ優しい声で呼びかけた。


「うん……おやすみ、京也」

「おやすみ」


 暫くすると、アンリの規則正しい寝息が聞こえてきた。




 真っ暗な部屋の中に、衣服のすり合う音だけが響く。

 さほど大きな音ではなかったが、彼の注意を惹きつけるには十分な大きさだった。


「……アンリ?」


 京也は彼女が横にいない事に気づくと、目だけを動かし部屋を見回した。

 するとベッドの脇に、一人の少女がコートを着て立っていた。


 そこにいるのは、アンリの筈だった。


 真っすぐと伸びる、空色の髪。いかにも女の子らしい、華奢な体。だけど、彼女のあの能天気な笑顔が、どこにも見当たらなかった。

 手を伸ばし、彼女の指を掴もうとする。


 届かない。届きはしない。

 あれほど笑い合えたのに、触れ合っていたのに。


 今の彼女には、指一本触れられなかった。

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