第2話 始まりの絶対領域
絶対領域の魅力を友達に話したら引かれたでござる
「な…………っ!?」
動けない。
否、動かないのだ。
足が、手が、首が。
玄汰の意思に拒むかのように、ピクリとも動かない。
舌が痺れる。
呼吸が辛くなる。
それだけ、彼女のそれが、素晴らしいものだったのだ。
いや……素晴らしいというチープな言葉では失礼かもしれない。
それはまるで、全てを優しく包み込み、見るもの全ての心が洗われる、まさに観音菩薩のような暖かみがあった。
自分の知らない領域。
見たことも、感じたこともない領域。
しかし、不思議と恐怖はない。
寧ろ、全てを預けられるかのような、全ての罪が赦されるかのような、そんな安らぎがある。
ジャリ……。
一歩。
玄汰の足が彼女に向かって、無意識に地面を踏みしめた。
彼女は、そんな玄汰の存在に気づいたのか、ゆっくりと、その白く長い髪を風に踊らせながら振り向く。
グオォォウ!!
「…………っ!!!」
風。
今まで吹いていた自然の風ではなく、彼女から発せられた、オーラとも言える黄金の風。
危うく吹き飛ばされそうになるのを、足に力を込め、なんとか踏みとどまる。
彼女から後光が差して見える。
思わず目を細めて、眉間にシワを寄せながら、彼女の姿を目視しようとする。
そのせいで、普段から悪い目つきが5割増しくらいで悪く見え、今なら目で人を殺せるかもしれない、という謎の自信が湧いてきた。
現に、いつもなら何も言わないヒナが、自分の表情を見た途端に「うわっ」と声引きつった風な声をあげた。
雪のように白く、卵のようにツルツルとした肌。
腰まで届く、枝毛の一つもない白銀のポニーテール。
豊満というわけではないが、小さすぎるというわけでもない、これまた美しい形のバスト。
シワや汚れの一つもない白セーラーは、見る人全てに清涼感を与えてくれる。
そして、雪女を彷彿とさせる程白い姿の中で、一際目立つ紅玉の瞳。
その紅い宝玉が、自分の目をジッと見据える。
凛々しいという言葉がピタリとハマる佇まいと目つきに、いつしか玄汰は圧倒されていた。
「ぐっ………うっ……!?」
今までヒナの、好奇心の詰まったクリクリの瞳を見慣れていたからだろうか、その瞳に心を射抜かれた様な気分になる。
そして何よりも驚いたのが、自分の目つきに驚くどころか、動揺の一つも見せないところだ。
それだけで理解できた。
この子は只者ではない。
それに極め付きは、白セーラーのスカートと白ニーソ、そしてその間に存在する僅かな雪肌が作り上げる絶対領域。
全てが真っ白な彼女は、おそらく心も清いのだろう。
やはりこの子は只者じゃない。
白く染め上げられた絶対領域。
それは、全てを惑わし迷わす白き迷宮。
かつて一度だけ、目にしたことがある絶対領域。
その名は、『暴雪領域』。
一説によると、雪女が発祥だとかなんとか。
「だけど……これっ……は……っ!」
見たことがあるからこそ分かる。
これはそれじゃない。
暴雪領域を持った者に出会った時の感じとは全く異なる、黄金の光と、同じく黄金の風。
迷わすというよりは、導く。
惑わすというよりは、惹きつける。
ジャリ。
また一歩、足が動いた。
……聞いたことがある。
顔も、髪の毛も、肌も、スタイルも、性格も、血も、肉も。
そしてニーソックスも。
全てが完璧な者に、神様から与えられるという、人間から見れば聖母や女神のような存在の絶対領域があると。
それはさながら、桃源郷のような、変態達にとっては理想ともいえるもの。
仲間内では必ず笑い話か、妄想する時に用いられる伝説上の絶対領域。
『夢想領域』
「これがっ……!」
右足が、彼女の御前へと下りる。
間近で見る彼女は、遠目で見た時よりも、息を飲むほど美しくそして、自分のような変態では一生お目にかかれない程に優雅で繊細な絶対領域を持っている。
これは……すごいな。
月並みだが、思わずそんな言葉が口から漏れそうになった。
人は本当に素晴らしいものと出会った時、小学生のように抽象的な言葉しか出て来ない。形容する言葉が、どれだけ頭に浮かんでいたとしてもまず最初に出てくるのはそういう言葉らしい。
どこかの誰かがそんなことを言っていた気がするが、自分は今まさにそんな気分だ。
スッ、と思わず片膝をつく。
ついで、もう片方の膝をつく。
それは無意識にとった行動だった。
自分の目線が下がったことにも気づかないほど彼女に見惚れていた。
だからかもしれない。
「ーーー俺に」
幼馴染のヒナにでさえ、こんなことを言ったことはなかったのに、名前も知らない美少女に、三つ指ついて、こんなことを望んだのは。
「俺にその絶対領域を………毎日拝ませてください!!」
「ブッ!?」
そこまで言って。
後方にいたヒナの、盛大に噴き出した音で、ハッと我に返る。
……しまった。やってしまった。
毎日味噌汁を作ってください、とか、毎日俺のパンツを洗ってくれ、だとかいう告白よりも、はるかに酷い告白だった。
いくら無意識な状態で口に出したとはいえ、これは下手をすれば警察沙汰だ。
くわえて、自分は目つきが極悪非道。
事情聴取なぞせずに、ブタ箱にぶち込まれる可能性が微レ存どころか、ハチャメチャに高い。
ブタ箱にぶち込まれた後、出所したはいいが、持ち前の目つきと前科で就職先は見つからず、近所からはヒソヒソと陰口を叩かれ、家に帰れば親の脛を囓る毎日。
はっきりと良くない未来のビジョンが見えてきだした。
林檎谷 玄汰、人生終了のお知らせ。
頭の中でサ○イが流れ始める。
幾人もの小さな自分が、頭の中で敬礼しているのが分かる。ついでに後ろのヒナも。
地面に頭を擦り付けたまま、涙を流す自分は、さぞかし滑稽な姿だろう。
ところが、目の前の美少女は、警察を呼ぶこともせず、いきなりこんなことをきいてきた。
「あなたが……林檎谷 玄汰さん、ですか?」
「へ……?」
なぜこの状況で自分の名前を?
というか、明らかに初対面の筈なのに、なぜ名前を知っているのか。
玄汰の頭の中には困惑と疑問が渦巻いていた。
「……どうなのですか?」
「え?あ、あぁ。俺は確かに、林檎谷 玄汰ですけど……」
顔を上げて返事をすると、眼前には彼女の顔が。
一瞬だけ顔を引いたが、チラリと下方を見ると、しゃがんでいる体勢のためか、その見事なまでの絶対領域を確認できた。
間近で見るのではやはり迫力が違う。思わず生唾を飲み込んでしまった。
「……そうですか」
納得したような声を出すと、彼女は地面についていた俺の手を取った。
突然触れられ、心臓が飛び出そうになったが、よくよく考えてみると手錠をかけられる可能性も拭いきれないので、直ぐにそのドキドキは危機感へと変化を遂げていった。
「分かりました」
「………………ゑ?」
思考が停止した。
彼女が何を言っているのか、一瞬理解ができなかった。
彼女は今なんと言った?
分かりました、と言ったか?
この自分の、変態の極みのような告白を、了承したというのか?
林檎谷 玄汰というだけで?
嬉しいという感情より、混乱の方が圧倒的に勝っているこの状況では、頭の整理も出来やしない。
「ただし、一つだけ条件があります」
「条……件……?」
頭の整理ができないまま、トントン拍子に話が進んでいく。
一体なんなのだろう。警察にお世話になるのが条件とか?あり得る。多いにあり得る。
だがしかし。
「はい、条件です」
玄汰のそんな、予想という枠を軽々とぶち壊す答えを、彼女は用意していた。
「林檎谷 玄汰さん」
「……はい」
「ーーー祓魔師に、なってください」
感想等々、頂けたら嬉しいなって