第一章4
はた、と目が覚めた。横腹と背中が痛む。目元を擦りながら起き上がって自身の身体を確認してみると、包帯が全身に巻かれていた。周りを見渡して部屋だとも認識する。きらきらと光る装飾品に少女は眉間に皺を刻んだ。
此処はどこだろうと思う前に、がちゃりと扉が開け放たれる音。少女は勢いよく振り向いた。
「……大将、起きられたようです」
穏やかそうで大人びた人相の男が誰かを呼ぶ。茶髪にくせっ毛がある男だった。
少女ははっと武器はないかと手当たり次第探す、が無い。否、まるで自分が凶器を探すと分かっていたかのように、なにも無いのだ。部屋には寝台と真隣にある棚。その上には花瓶があり、一輪桃色の花が生けられている。
「よお、嬢ちゃん。そこらに武器はねえぜ」
後ろから投げかけられた言葉に殺意を抱く。少女は前を向き、驚愕した。男は構わず自分に歩み寄ってくる。
――何故動ける?少女は目を見張った。
確か、自分が与えた傷は"普通の人間"ならば死に至ったはずなのに。よくよく目を凝らすと男の身体には傷一つ付いていない。身体を突き抜けたあの空洞もない。この男は人間ではないのだろうか。戸惑う少女の目の前で男が立ち止まった。
「な、嬢ちゃん。名前はなんだ?」
親鳥が雛に餌をやるときのように男が鼻先から迫り、腰に手を当てて少女の顔をまじまじと見つめる。むず痒く、身じろいをして逃げるかのように少女が身体を反らした。
「……人に名を尋ねる時まずは自分から名乗ることが常識なのでは」
目蓋を下げて口にすると男が瞳を丸くさせ、小さく吹き出す。
「ふはっ、随分と難しい言葉知ってんだな」
男の後ろに控えている側近らしき男からの威圧を感じた後に目の前の男から「偉いぞ」と頭に手が乗せられる。どこか懐かしく、少女はあえて抵抗せずにいた。男はにやりと口角を上げる。
「俺は白虎。四神の一人だ」
「…四神?」
「ああ。反乱軍っつー……あー、まあ、簡潔に言うと名称だな名称」
四神。少女は胸中で呟いた。どことなく聞いた覚えがあった。
「で? 嬢ちゃんの名前は?」
遠ざかった手のひらを名残惜しく思いながら少女は口火を切った。
「……あき」
恩人――陽からもらった名前だった。
陽は出会いは秋だったからにして少女に名を与えた。
「あき、か。漢字はどう書く? ああ、もしかして横文字か?」
難しい言葉が出てきた。あきと名乗った少女は首を傾げる。その様子に白虎はバツの悪い顔をした。
――そうか、この子は孤児だったのか。胸中で己を軽く罵倒し、白虎はぽん、と手を打つ。
「よし、俺が決めてやる」
一つ頷き、側近の男へと視線をやる。あきは困惑したまま二人の様子を見守った。
「おい、周防。筆と紙持ってこい」
「恐れながら……」
周防と呼ばれた側近の男は微かに眉間に皺を寄せ、恭しく項垂れる。
「何度も申し上げたように、その者は不法侵入者でございます。まさか、字を付けるおつもりで?」
淡々とした言葉の中には少々怒りが孕んでおり、垂れていた頭を持ち上げた。緑が掛かった炯眼にあきは息を呑む。
「ああ。悪いか?」
「……大将」
「責任は俺が取ると言った筈だ。命令と言えばお前は気が済むか」
威圧が肌に感じる。あきは少しだけ身震いをさせ、白虎を一瞥し、側近の周防という男を映す。怒りでなのか身体をぶるぶる震わせており、大人びて見える外見が初めて子供っぽく見えた瞬間だった。
「……御意」
そう言ってこの場を退出した周防。痛々しく握り締められた拳が垣間見え、どことなく寂しい気持ちに陥る。
立ち去った姿を確認し終えた白虎は鼻を鳴らして寝台に腰を下ろした。あきの身体が僅かに浮かぶ。
「あいつ、前まではあんなに堅苦しくなかったんだぜ?」
扉の向こうを顎でしゃくり、どこか自嘲地味た笑みを作って白虎があきの頭に再び手を乗せた。
「……貴方のことが、大切だから、」
「いいや、俺はそうは思わねえ」
かぶりを振り、溜め息を一つ。ふ、と視界に映りこんだ黄金の瞳はどこか遠い目をしていた。とても、遠い。それは懐かしむように、なにかを思い出しているようにも見えた。
「でも、そうじゃなきゃ、私をあんなに邪見しない」
あきはそう呟いて目蓋を閉じる。
「そうだな」
白虎は控えめに喉を鳴らしてあきの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。