Second Hit 「先生と生徒の危ない関係」
二十分後――
[バシュッ バシュバシュッ]
「ふん、ロリコンが……」
女子トイレの中。そこで頭に穴を開けられ、骸となった三人を冷たい目で見下ろしていた舞花がいた。手は銃に取り付けてあった消音機を取り外す。
……その後ろで、音も無く扉が開いた。
[チャッ]
「動くな」
男の声と同時に、舞花の首の後ろに冷たく硬い銃口が押し当てられていた。しかし、舞花の方も腕を伸ばし、後ろにいる男の左胸に銃口を押し付けている。
「ゆっくりこちらを向け」
赤いドレスのスカートを揺らして舞花は後ろに顔を向けた。途端にその目は見開かれる。
「お……お前は……」
「やはり……君は……」
大原の方も一度唾を飲み込んだ。そして、舞花の目を見ながら言う。
「俺の狙いはそこの橋口議員だ。君に用は無い。どうする?」
「私は目撃者を全て始末する」
大原の胸に突きつけられている銃に力がこもる。大原の方も引き金に力を入れた。しかし、大原の瞳はまるで迷いでもあるかのように揺らめく。
「……どうせ、明日も学校で顔を付き合わせるんだ。話はその時にしないか? 君も俺の事で知りたい事があるだろう?」
「学校……」
その言葉を聞いて、舞花の視線が落ちた。それを感じ取った大原は銃を懐に仕舞った。
「明日、俺を殺しに来い!」
そう言うと、大原は急いでトイレを出て行く。舞花もすぐに同じ方向へ走る。追った訳では無かった。プロ同士だからか、予定していた逃走ルートがまったく同じなのであった。
翌日、大原はまたけたたましい音を立てる原付バイクで何事も無く登校してきた。
教員用駐輪場に止めた大原は、職員室に向かう途中にかかってきた携帯電話を取る。
「どうかしたか?」
〈どうかしたではない! 茶葉の事だ! あれは本当にお前の仕事か?!〉
「スプーンの違いか?」
〈そうだ! 見つかった物は他チェーン店のスプーンによるものだった! 奪って使ったなら報告を…〉
「その件については報告書をまとめる。少し時間をくれ」
大原は一方的に電話を切った。そして、ダージリンの事など忘れたように鼻歌を歌いながら職員室に入った。
「……あれ? 主任はまだなんですか? 珍しい…」
「しっ!」
席に座ると、大原に向かって隣の横田先生が人差し指を口に当てて見せた。
[ガラッ!]
大原が黙って様子を伺っていると、勢い良く職員室の扉が開き、大怪獣のような足音を響かせて教諭主任である本田が入ってきた。その獲物を探すような目から、大原は身を伏せて隠れる。
「な……なんですか……あれ?」
「なんでも昨日の合コンで、電話している隙に若い子達が、本田主任を置いて皆逃げちゃったとか……?」
「ええっ! ……そんな有りそうで無さそうなパターンが、実際あったんだ……」
大原は、出席簿で顔を隠しながら職員室から自分の教室へと向かった。
「はい、出席を取ります」
大原が教室を見回すと、舞花も何事も無く登校してきているのが確認できた。
出席を取り終えた後、大原はその舞花を見て口を開く。
「高田さん、確か勉強で分からない事があるって言っていたね。前の学校と授業の進み具合が少し違うから仕方が無い。放課後、簡単に教えるから残ってね」
舞花は、大原から目を反らさず小さく頭を下げた。その二人の様子に違和感を持つ子供は誰もいなかった。
「さて、今日のホームルームは……」
そのまま、六時間目の授業までいつもの通りの一日だった。
放課後、大原の後ろについて歩いてきた舞花は、すんなりと生徒指導室に入った。
長机を挟んで向かい合い、二人は椅子に座る。自分を見る事以外何もしない舞花の前で、まず大原が口を開いた。
「さて……何から話そうか。とりあえず、先生は君の事をまだ誰にも言ってない」
驚く様子も無く、舞花も口を開く。
「私もだ」
「なら、お互いこのまま黙っておかないか?」
大原は、昨日の晩から考えていた事を伝えた。それを聞き、舞花の表情が僅かにだけ動く。大原は一度大きく息を吸うと、詳しく説明を始めた。
「どうせお互いの事情は話せない。分かっているのは目標が被っただけ。このまま秘密にすれば……もう少しだけ普通の生活を送れるかもしれない」
「ふざけるな。殺しの現場を見られたら、そいつも殺す。業界の鉄則だ」
「そこを曲げて頼む。俺は死ぬ訳にはいかない。さりとて、生徒を殺したくも無い」
「お前が私に勝てるとでも? 子供だからって舐め…」
「第一にっ!」
大原は舞花の話を遮って、人差し指を立てて見せる。
「……先生を殺せば、もう学校に来られなくなるよ?」
「だからなんだ? 小学生程度の学力ならすでに私にはある。ここに来る必要など…」
「赤いランドセル。……背負えなくなるよ?」
「……っ!」
舞花は口を閉じる。大原には分からないようにだが、下唇をうっすらと噛んでいた。少しの間そうしていた舞花だったが、再び口を開く。
「お前の背後は大体分かっている。フリーを気取るような迫力も無いしな」
「ほお……」
「恐らく、国家特殊部隊『GARD』の隊員だ。国が背後にいるからこそ、学校教員と言う肩書きも説明がつく」
「なら先生も一つ。橋口議員は死ぬに値する事をしていた。しかし、相当な恨みを買っていたとは言え、各方面から雇われた殺し屋が動くにはまだ早かった。つまり、正義の旗の下に動く腰の軽い組織が暗殺を遂行した。先生の知るところでは……、テロ組織『火の国』かな」
舞花の表情はまったく変わる事が無かった。十一歳にしてこのような訓練を受けた舞花に大原は少し驚いた。
「国からテロ組織と指定を受けている『火の国』だが、自分達は日本の正義を守る組織だと認識しているはずだ。そう言い返して来ると思ったが、そんな甘くないか……」
肩をすくめて見せる大原の目を、舞花の瞳は揺らぐ事無く真っ直ぐに見ていた。逆にそれが、舞花の背後組織が火の国だと大原に悟らせる。
舞花はその事に気がついたのか、独り言のように小さく言葉を出す。
「……国側の人間の言う事など信用できない。どうせ私を泳がせるだけだろう?」
「俺の背後に高田さんの言う組織があったとする。なら、アメリカで言うCIAの様な非合法の部署だ。そんな組織が敵の背後を知りたいなら、自白剤を使えば済む。……俺はそう思うなぁ」
舞花は大原から視線を外し、しばらく考えるような風であった。十数秒の沈黙の後、舞花は視線を戻して言う。
「ここで末端のお前を殺しても、事態は何も変わるものではない。全ては、昨日お前を即座に殺さなかった私のミスだ。……うかつだった」
舞花はそのまま、椅子から立ち上がって出入り口へと向かった。
「シャー」
ドアノブに手をかけた舞花だったが、大原の言葉を聞いてぴたりと動きを止めた。
「高田さんは先生の事をそう呼んだよね。『シャー』とは、ミャンマーの言葉で『先生』と言う意味だ。ミャンマーに言った事はあるのかい? あそこは軍事政権に対する反政府のテロ組織が…」
「ミャンマーでは無くっ! ビルマだっ!」
突然、舞花は振り返って感情的に叫んだ。大原はそれを見て、逆に冷静な口調で話をする。
「反政府のテロ組織に知り合いでもいるのかい? いないよね、テロ組織になんて…」
「テロでは無いっ! 現在の政府こそっ! 政権に牙を剥いたテロ組織だっ!」
『火の国』の事をそう呼ばれても眉一つ動かさなかった舞花だったが、ミャンマーの話になると突然感情をあらわにした。それにより、大原は舞花の育った環境について大体の検討がついたが、舞花の方からそれを話しはじめた。
「……私は元々、『ビルマの光』に所属していた兵士だった。物心つくかどうかの時に集められ、兵士としての英才教育を施された。……しかしっ! 夢かなわず、ビルマの光は力を失い解体され、この国の組織に拾われた。あいつさえ……あいつさえいなければ……」
「あいつ?」
聞いた大原に対して、舞花はゆっくりと頷く。
「六年前の事だ。当時、ビルマの光は政府を転覆させ得る力が備わっていたらしい。組織の最盛期と言える時期だ。しかし……組織の幹部はある一人の男に全て暗殺された。優秀な指揮官、兵士が消え、資金調達のルートも失った。残った者で組織を存続させていたが……今年に入り、消えた。殺ったのは恐らく政府に雇われたプロだろうが、奴さえいなければ……」
「高田さんは……そこで育てられた兵士だったのかい?」
「そうだ。子供同士で殺し合いをさせ、残った素質のあるものを一流の兵士にする『ティーンソルジャー』の生き残りだ」
そこで舞花は大原に一歩近づいて言った。
「お前は、日本国の諜報員だ。組織を潰したプロについて聞いた事が無いか?」
「ん~……先生だったりして?」
大原は、腕組みをしながら舞花に笑顔を送る。
「……ふっ。冗談はよせ。日本政府がビルマの軍事政府側にいくらなんでも味方する訳が無い」
「お! 笑った!」
大原に顔を指差された舞花は、背を少し仰け反らせた。
「ふん。お前の事などどうでも良くなった。元より、私は今の組織のためでは無く、ビルマの光を消した男を殺すために生き長らえている。……どうやら喋り過ぎた。まだ私も子供だな」
舞花はそのまま生徒指導室を出て行った。
一人になった大原は呟く。
「……はぁ。参ったなぁ」
大原は椅子を元のようにきちんと並べると、ぼさぼさの頭を掻きながら部屋の電気を消した。
それから半月ほど経過した。
師走に入り、次第に寒さは厳しくなってくる。
学校へ通う舞花は、皮のジャケットを身に着けていた。クラスメートに、どうしてそんな大人が着るような上着を着るのかと尋ねられると、防寒と防刃性能を考えると、皮が一番だと舞花は答える。そんな舞花の個性にもクラスの子供達は次第に慣れてきていた。
今日も舞花は赤いランドセルを揺らしながらアパートに戻ってきた。
すると、家の前に古めかしい原付が止まっており、ブロック塀の影からぼさぼさ頭の男が顔を出した。
「……何の用だ?」
舞花はランドセルを動かすのをぴたりとやめて、不快そうな顔で大原を見た。
「家庭訪問だよ。どんな暮らしをしているのか心配でね~。誰と住んでいるんだい?」
悪びれる様子も無く、嫌味を言う感じも無く、大原はごく自然に先生らしく聞いた。
「父は仕事だ。母は都合で実家に帰っている。……と、マニュアル染みた答えはお前には要らないだろう。私は一人暮らしだ」
「やっぱりそうだと思った。じゃあ、中を見せてくれよ。子供が一人で暮らすのは大変だろう? ご飯とかさ」
「食べるものなど、火を通すなど適切な処置をすれば良いだけだ。味付けなど必要ない」
あまり家には入れたく無かったのだろうが、アパートの入り口で押し問答など舞花は目立ちたく無かった。しぶしぶドアを開けて大原を家に入れた。
「ふーん、見事に何も無いね」
中に入った大原は、室内を見回して三秒で肩をすくめた。部屋には冷蔵庫、棚、テーブル、寝袋、それら以外何も無かった。もちろん棚には学校の教科書だけだ。服は部屋にハンガーで吊り下げられているシンプルな物しか無い。
「いつも……これで寝ているのかい?」
大原は寝袋を持ち上げて舞花に聞いてみた。
「もちろんだ」
「十一歳の女の子が真冬に寝袋……、頭が痛くなってきた……」
こめかみを押さえて頭を振る大原に舞花は言う。
「寝袋一つで睡眠をとるのは兵士の基本だ。お前には想像もつくまい」
「……まあ、寝袋があるだけましか」
なぜかそう言って笑う大原に舞花は首を傾げた。そんな舞花の様子には目もくれず、大原は台所に行ってみた。触りこそしないが、頭を動かして色んな隙間を覗き込む。
「……危険な物は部屋に置いているのかい?」
「言う必要は無い。それよりも、お前は教師と言う仕事に専念した方が良い。素人に毛が生えた程度で、プロである私に干渉してくるんじゃない。お前の腕ではこちらの世界では通用しないぞ」
「ひょっとして、この間ホテルで会った時、銃の持ち方で分かっちゃった? 俺のは我流だからね」
「我流……。サバイバルゲームで学んだ程度か? 今まで生きながらえたのは運が良かったな」
「サバイバルゲームか……。そりゃ、言いえて妙だ!」
なぜかそこで大原はお腹を抱えて笑い出した。舞花は先ほどからペースを崩されて、戸惑った様子を見せながら言う。
「と…とにかくだ。この間のホテルの件では、もしお前が一人で橋口議員を襲っていたなら、そのボディーガードに返り討ちにあったかもしれないぞ」
「お! 高田さん、心配してくれているのか?」
「だっ、誰がっ!」
「まあ、先生も近距離射撃が苦手なのはよく分かっている。だからあの時は遠距離射撃で…」
「狙撃? 嘘をつくな。私もそれが出来るならやっていた。しかし、あのホテルの周囲には狙撃に適した建物は無かった。故に私は、顔を見られるリスク、逃走の手間を抱えながら近距離射撃を行った」
「そうかい? 例えば……赤坂ヒルズの屋上とかは?」
「ろくに調べもせずに素人は言うものだな。あのホテルから赤坂ヒルズまでは直線で1キロは確実にある。そんな距離、狙って一発でしとめられる者など世界に数人だ。英才教育を受けた私でも、確実に眉間に打ち込める距離は六百メートルほどだ」
「お! なら先生の方がライフルは得意かもしれないな。今度教えてあげ…」
「分かったから、もう帰れ。二度と来るな」
舞花は付き合っていられないとばかりに大原の背中を押して、玄関へと連れて行く。すると、大原は慌てて言った。
「ちょっと待ってくれ! じゃあ本題を! もうすぐクリスマスだろ? 高田さんは家族がいないから、良かったらうちで質素なパーティーをするから来ないか?」
「クリスマス? 私はキリスト教徒ではない。早く出て行け」
更にぐいぐいと押し、舞花は大原を玄関ドアに押し付ける。
「日本では宗教に関係なく祝うんだよ! ケーキも食べられるぞ!」
大原はドアにべったりと体を付けながら、じたばたとしてまだ出て行く気配が無い。
「そんなもの食べたこと無いし、食べたいとも思わない。砂糖の塊など体に悪い」
「そう言うと思って、はいこれ!」
ずっと大事に持っていた紙袋を、その時になって大原は舞花に渡した。
「なんだこれは?」
「ショートケーキのプレゼント。本番ではホールで買うからなっ!」
「いい加減……出て行け! 撃ち殺すぞっ!」
とても小学生のセリフとは思えない言葉を投げかけられ、大原は部屋の外に追い出された。すぐに扉には鍵がかけられる。
「……まったく。世話焼きな男だ」
そう良いながら、舞花は手に持っていた紙袋に目をやる。中を覗き込むと、白く小さな箱が入っていた。
「ショートケーキ。ケーキにも種類があるのか? そんな知識、不必要だからか与えられなかったな……」
舞花が箱を開けてみると、真っ白にデコレートされた三角のケーキが現れた。もちろん、上にはイチゴが一つ乗っている。
「奴が……毒を入れて私を殺そうとしている可能性もあるか? いや、それならば飲み物などに混入した方が自然だ。こんな怪しい物には普通入れないか」
舞花は生クリームを指ですくって舐めてみた。
「あっ……まぁ~い……」
顔をしかめた舞花だが、すぐに目をぱっちりと開けて目を輝かせる。
「悪くないな」
そう良いながら、二口でケーキを平らげてしまった。
「クリスマスにはこれをホールで買うのか。……ホール? 文脈からすると、大きいと言う意味のはず。大きい……のか」
鼻にクリームをつけたままの舞花は、更に目をキラキラと輝かせた。
クリスマスを目前に控える某日、小学校にて二学期の終業式があった。
寒いのは子供達には問題は無い。これからクリスマス、お正月と、一年で一番嬉しいイベントの一位と二位がある冬休みと言う事で、子供達は浮かれ放題だった。
校長先生の長い話も気にならなかったようで、生徒達は元気一杯で教室に戻る。その中で、大原は舞花を呼び止めた。
「覚えているよな? また当日連絡するからな!」
「ふ……ふん! 別に……楽しみになんてしてないし、……死ぬほど暇だったら……考えてやる。しかし、私は忙しいからどうせ……ん?」
その時、携帯が振動する低い音が鳴った。大原と舞花は同時にそれぞれのポケットを探る。二人は自分の携帯の画面を見てしばし無言になっていた。