第6章 夜明け
朝を知らせる陽の光りが街を漂う朝もやに反射して、ローマの街は銀で彩られた粉が舞うような、なんとも目映い光りに包まれていた。
またローマと言えば“日の沈まない国”として知られる通り、手にした東西南北の領土が余りにも広大だった為に、どこかしらの国では必ずしも頭上に太陽が昇っていた。それは不滅のローマ帝国の夜の帳がおりるまでの間、そうこれから何百年と続くであろう巨大化したローマを称えた言葉でもあった。
夜が明けたのを告げる暁の女神アウローラが、カルロの元へとそっと降り立ったのはそれからして間もないことだった。
カルロの閉じた両の瞼には、うっすらと差し込むアウローラの微笑みが淡い光りとなり、カルロをくすぐり、目を覚まさせた。何か悪い夢でも見たのであろうか、カルロは寝汗でぐしょりと全身を濡らしており、たまらなくなって使用人の奴隷を呼んだ。
「どうしました〜 カルロ様?」
慌てて部屋に駆けつけてきたのは、カルロより幼い奴隷の少年だった。この少年の両親は、マーカントニオが農奴という役務の為に連れきた奴隷達であり、彼らは主人と衣食住を共にして生活した。この少年を含む多くの奴隷の子供達は、この土地で産声をあげここで一生を送る、外の世界をひと目見ることさへ滅多になかった。
「わぁ! びっしょりでないですか、悪夢でも見たんですか?」
扉を開けたその少年の眼に飛びこんできたものは、寝汗がまとわりついた衣を脱いでいるカルロの姿だった。
「悪夢なんて見たかな。覚えていないんだ……すぐ着替えをもってきてくれるかい?」
カルロはようやく、濡れて脱ぎにくくなった寝衣を体から剥ぎ取り、大きなため息をついた。すぐさま少年はカルロのそばに走りより状態を把握すると、部屋から飛び出し右隣の小部屋に置かれている青銅家具の中から、着替えを取り出しカルロの元へと運んだ。
「これをどうぞ〜」
「ありがとうグリエルモ。助かったよ、ってこれは?」
カルロの手に渡った衣と思われたそのものは、よく見ると衣ではなかった。
「あれれ?」
覗きこむグリエルモの表情が見る間に変化していった。
「わぁ、ごめんなさい、間違えて持ってきちゃいました!」
「だろうね。だってこれは……おしめだもの。まぁ、よりによってこれを選び出してくるなんてね。バルトロ様が聞いたら笑い転げて喜ぶよ、あの人が好きそうな冗談だもの」
グリエルモは急ぐあまりに、昔カルロが使っていたおしめを衣服と勘違いし、よく確かめもせずに持ってきたのだった。
「なにも慌てなくてよかったんだよ。昔からグリエルモはそうだ、気ばかりが急いて物事を理解していない」
カルロはグリエルモの前に立つと腰を下ろし、同じ目線に立って、決して叱咤することなくやんわりとグリエルモの間違いを諭した。
「本当に、ごめんなさい……」
グリエルモの小さな唇の端から漏れるようにこぼれ落ちていった言葉は、短いながらにも羞恥心と謝意を、まこと確かに表しているものだった。カルロはその言葉を聞き入れ頷くと、グリエルモの茶色の巻き毛の髪を、くしゃくしゃと撫でてやった。
カルロにとってこの奴隷の少年グリエルモは特別な存在だった。グリエルモだけが他の奴隷の子供達と違い、いつも笑みを浮かべ、己の立場を疎む姿を一度も見たことがなかった。
「ふふ、グリエルモは太陽に向かって真っ直ぐに伸びる向日葵みたいだな」
カルロの発した言葉が、何か重要な意味をなしているとグリエルモは気が付きはしたが、さっすることまでは出来やしなかった。困った表情を浮かべたグリエルモが、返す言葉を探っているとカルロが急に声をあらげた。
「おっと行けない、こんなにゆっくりしている時間は無かったんだった。約束した時間に遅れて行こうものならば、あの人がこれ見よがしの皮肉の数々を羅列するに決まっている」
「ええっ? こんな朝早くからどこかに発たれるんですか?」
珍しく慌てるカルロのその姿に、少々びっくりしながらグリエルモは問うたが、すぐに返事は返ってこなかった。
カルロは目線を逸らし暫くしてぽつりと言葉を吐いた。
「うん……ちょっとね。あそこに赴いたらきっと、今まで見たことのないような、そうだなまるで真っ赤な血の海を見ることになるんじゃないかな」
「血の海!?」
聞き捨てるにはあまりにも尋常ではないそのセリフに、グリエルモは驚きカルロのそばに歩み寄った。すると一瞬だがカルロの体が小刻みに震えていたように感じられた。
「あの、大丈夫ですか?カルロ様」
心配そうに覗きこむ両の眼に見つめられて、カルロは鍵のかかっっていた重い唇を開きグリエルモだけに本心を語り始めた。
久々の更新です。貴重な読者の方々に忘れられないようにできれば、定期的に更新していきたいんですが……。
それにしてもやはり話しが進みません。ダラダラと毎回長くてごめんなさいです。ご感想お待ちしております。