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バニラアイスと冬の空

作者: 時計

 とあるビルの屋上にとある男がいた。

 

 髪は耳や目にかかるほど長くやせた体をした女々しい男だ。

 とある男の名前は東。今年で十九歳の大学生だ。

 東は生粋の死にたがりでいつも死ぬことばかり考えて生きることを面倒くさがっている。

 大学に進学したのも単純に就職したくなかったからであった。

 東には将来の夢がない。

 趣味もない。

 特技もない。

 頭がこれといっていいわけでもない。

 運動神経もない。

 恋人もいなければ友達もいない。

 救いようもない。

 しかし不幸なわけでもない。

 毎日起きて、食べて、寝てを繰り返し欲求のうち二つだけを満たして生きている。

 東自身はもう一つの欲求も是非とも満たしたいと思っているが、そんな身の上ではないので我慢しているというのはどうでもいい話だ。

 波乱のない平坦な日々である。

 東はその自分の身の程を肚の底から理解しており、ならなんとかすればすればいいものを、彼はそれを嘆くだけ。

 それも仕方のないことである。

 東は努力が苦手なのだ。

 人としてどうかと思われる短所である。

 落ちこぼれとして磨きをかけている原因だろう。

 しかし東にとっては人として生まれてきたことがそもそも間違いなのかもしれないのだ。

 猫にでも生まれれば大成できたのかもしれないが、残念ながらヒト科に所属してしまったのだ。

 恨むなら親、ではなく神である。

 そんな彼も、今日いよいよ神に異動願を提出する気でいた。

 どちらかと言えば辞表であるが。

  キザな言い方をしたがただの自殺のことだ。

 東はそのためにこんな高いところに来たのだ。

 しかし関係者以外が立ち入ってよい手頃なビルの屋上がなかなか見つからず、いろいろ探してみたものの、アポとか入館証とかいろいろ要りそうだったし、あっても鍵がかかっていて結局入れなかったりして、たぶんアポとっても入館証くれないと踏んだ東は悩んだ末にデパートの屋上を選択するのであった。

 他にも病院の屋上が候補に挙がっていたが何かの間違いで生き残ったら即治療されてしまう危険性を考えて落選となった。

 なぜ東が屋上にこだわっているのかは全くの謎である。

 そういうわけで日曜日の午後一時に東は最寄り駅の近くにあるデパートの屋上へと訪れたのだった。

 簡易的な遊園地のあるその場所には一家団欒を楽しむ家族が入り乱れていた。休日の真昼間とあってなかなか人が多い。

 わざわざそんな時間にこの世を去る必要はないと思われるかもしれないが東はそれなりに忙しい男なのだ。

 これから死ぬつもりの男がなぜ忙しいのかと聞かれたらわからないと言うほかない。

 大学一年生の東はいろいろと受けなければいけない授業が多い。

 そのせいで平日は大して暇がなく、土曜日はその疲れからだいたい寝て過ごしている。なので東には日曜日しかないのである。

 これから死ぬつもりの男がなぜ大学での成績を気にしているのかなんてわかるはずがない。

 デパートの屋上で人ごみの中、悪いことばかりでもなく、自殺に役立つ状態なのだからよく考えればそれこそ改善すべきことなのだろうが、柵はそれなりに低かった。

  これなら飛び越えることができそうだ。

 東はいよいよ決行に取りかかる。

 飛び降りれそうな場所は二カ所ある。

 デパートの屋上は半分が駐車場、もう半分が簡易遊園地となっている。

 南側が駐車場でそこから北側に進むと簡易遊園地に行くことができる。

 簡易遊園地の東側(アズマ側ではなくヒガシ側)には小さな観覧車があり、そこからもっと北側に進むと東側(アズマ側ではなく以下略)にベンチと自販機が見える。その脇の柵からベンチを段差に飛び降りようと言うのだ。

 もう一カ所、遊園地の西側にもベンチを完備したうってつけの場所はあるようだが、そこはどうやら誰かが景色を眺めているようだったので消去法でこちらに決定した。

 別にいい景色なんて見えないのに暇な人だなと東は無駄なことを考えた。

 さて、いよいよである。

 ヒガシではなくアズマはこの世にさよならをしてスタート地点に着く。

 手をぶらぶら振って準備運動をする。

 そしてクラウチングスタートの格好をするのはさすがにまずいので心のクラウチング(意味不明)をとる。

 ゆっくりと心を落ち着かせ目を閉じる。

 これで終わりだ。

 長い人生でこそなかった。

 すばらしいとは言えない生き様だった。

 さようなら現世。

 僕は旅立つ。

 頭の中で運動会でよくある銃声がなった。

 よーいスタート。

 東は目を見開いて一気に走り出す。

 そして目の前を急に通った子供をよけるために身を思い切りよじって捻挫しかけた。

 何事かと周囲の人たちの注目を浴びる。

 案の定と言えば案の定である。

  やはり人が多すぎる。

 一直線に走れるタイミングがない。

 そもそも自殺日和ではない。

 ていうか足痛い。

 東はよろよろと自分の命の境目である柵によりかかる。

 皆、東を凝視している。

 なんとか誤摩化して一息つく。

 危うい危うい。

 それよりこれではもう走れないじゃないか。

 仕方ないので予定を変更して柵に立ち上がってそのまま倒れ込むように落ちていくことにした。

 そうして柵によじのぼろうとしてふと気づく。

 さっきはあまり考えずに駆け出してしまったが、このまま柵によじのぼったあとよじのぼったはいいが決心がついておらずに柵の上で佇んでしまう形になると、子供たちに興味を持たれるのはどうでもいいが大人たちの興味が放っておかないだろう。

 先ほどのこともあって屋上にはいらぬ緊張感が生まれている気もする。

 引き下ろされた挙げ句に善人面で説教などされたらたまったものではない。

 見ちゃいけませんと子供に目隠しする母親の姿が用意に想像できよう。

 望ましいことではない。

 回避すべきものである。

 東は未練がないかなどをよく考える。

 そうしている間に無駄なことをひとつ思いつく。

 どうせ死ぬのだからひとつ楽しいことをしてみよう。

 普通の人間なら貯金を全額パチンコに賭けてしまおうとかもしくは強盗や殺人といった取り返しのつかないことを思いついてしまうものだろうが東はやはりひと味違う。

 東はまず携帯を開く。

 着信やメールは入っていない。

 そんなことはいつものことだと東が開いたのは電話帳のページだった。 東は親友こそいないが形だけの友人はそれなりに多かった。

 初対面の相手にはなかなか東は口がうまく相手を楽しませることに長けていたのだ。

 みんな東の上っ面に騙され、最初は道化を楽しむ。

 そうして形だけの友達となった彼らは名刺交換としてメアド交換を行うのだ。

 八方美人という言葉がよく似合う男である。

 しかしそのあとがない。

 別に連絡する訳でもない。

 されても人付き合いの苦手な東はあまり返事をしない。

 東の芸はただのその場しのぎなのだ。

 東も彼らを大して気に入っている訳でもないので結果的に連絡先だけ知っている状態になる。

 東の人間関係には二度目がないのだ。

 そこで東はひとつ賭けを思いついたのだ。

 もし彼らが東のことを止めるようなことがあればそのときは考え直そう。

 東が友達だと思っていないだけで彼らは東を大切な友人として見ているのかもしれない。

 自分を思ってくれている人がいるのなら生きる価値があるだろう。

 それを確かめてみよう。

 なるほど、なかなか面白いことを思いついたと東はご満悦。

 早速電話をかけようと電話帳を物色しはじめるのだった。

 まずはあ行。

 一番上は相沢となっていた。

 確か高校時代の同級生だ。

 こいつでいいかと決定ボタンを押そうとした。

 が、止まった。

 なぜかというとこいつとの思い出が見当たらないからだ。

 なんでこいつとメールアドレスを交換したのかを思い出そうと試みる。

 高校時代、クラスは違ったはずだ。

 そうだ、芸術の選択授業で音楽を取っていてそのとき会ったんだ。 少しポッチャリとしていて眼鏡をかけていた。

 見た目はかなりイケてないやつだ。

 そうだ、話しかけてきたのはあいつからだ。

 バンドにでも誘ってくれんのかなとか間抜けな期待を考えていたことも思い出さなくていいのに脳裏に蘇った。

 思い出した。

 愛想笑いとともに話しかけてきた相沢の放った一言。

 モ○ゲーやってる?

 なんかポイントはいるからとか言われて某大手会社の会員にされたんだった。別に携帯ゲーム好きじゃないのに。

 それ以降の交流は1ミクロンもない。

 ないったらない。

 こいつは却下。

 電話帳の中で一番嫌いだ。

 次は誰だっけ。

 浅田と表示されている。

 こいつはあいつだ。

 確か中学の友人だ。

 道で偶然会って話題に困ってメアド交換しようぜってノリで別れたあいつだ。

 大して接点ないから却下。

 次、元カノ。

 そんな勇気はないから却下。

 次、某通販会社。

 ほしいものないから却下。

 次、却下。

 却下。

 却下。

 却下。

 却下………………

 …………

 結局理由を付けてかけない東はもう電話帳の後半にさしかかる。

 次、別府。

 誰この人。

 却下。

 次、三川。

 却………………

 三川。

 自然と指が止まった。

 三本線だけでできたこの名前は東にはそれなりに馴染みがあった。

 三川はこの電話帳の中で東の友達に一番近い存在だ。

 三川は大学に来て知り合った女だ。

 髪型はショートカットで眼鏡をかけていて小柄でまず遠くから見ると女に見えない。 最初連絡先を交換した時はどうせ連絡なんかよこさないだろうなと思っていたのに次の日急に電話がかかってきて遊びに行こうとか言われた記憶がある

 カラオケに行こうと誘ってきたので行った。それなりに楽しいものだった。

 三川は変わり者だった。

 いつも何かわけのわからないものをノートに書いていた覚えがある。

 見せてもらったらなんか変な何とも言えない猫とラクダを足して割った感じの絵を書いていた(ちょっと引いた)。

 友達いないんだろうな。東は他人事ながらそう思った。

 でもそれがよかったのだ。

 東にも友達がいなかったから。

 変わり者ではなく似た者同士と言ったほうがしっくりくる。

 東はそれがなんだかうれしかったのだ。

 東は三川のことを三川くんと呼んでいた。

 一番最初に会った時、男と勘違いしてそう呼んでしまったのだ。

 それに拗ねた三川はなにかと女々しい東のことを東ちゃんと呼ぶ。

 男として由々しき事態ではあるが改正の目処はたっていない。

 以来お互いをそう呼ぶ仲になっている。

 しかし誘われるのはたまになのでそこまで仲がいいわけでもないのかもしれない。

 大学でも一緒に授業を受けたりしている訳ではないのだ。

 それでも東は三川に電話をかけることに決めた。

 最近はあまり会っていなかったので久しぶりに話してみたい気持ちになったのだ。

 東は三川に発信しようと決定ボタンに親指を伸ばす。

 そのときである。

 東の携帯が震えた。

 無意味にマナーモードにしている携帯が震えている。 あまりにも久しぶりすぎて携帯だけ柵から飛び降りそうになったが、なんとか一命を取り留めさせた。

 なんだなんだ。誰だ誰だ。

 東は驚きを隠せない。

 発信源を確認する。

『三川』

 ………………

『三川』

 東は目をこすりもう一度見る。。

『三川』

 東はもう一度確認する。

『三川』

 電話をかけたのは、東ではなく確かに三川。東からかかってきたらそれはそれで驚くだろうけど。

 東は未だに目を疑う。

 これが奇跡か。

 東は急いで通話ボタンを押して耳にあてた。

 もしもし三川くん、と東ちゃんが応え、久しぶり東ちゃん、と三川くんが喋った。

 電話の相手は確かに三川である。

 どうかしたの?

 うん、ちょっとね。

 カラオケ?

 ううん、そうじゃなくて。

 じゃあどうしたの?

 三川が黙る。

 しばらくの沈黙。

 三川の声はいつもと変わらない調子だった。

 だからいつもと同じ会話になると東は思っていた。

 数秒の沈黙のあとまた三川が口を開いた。

 ねえ、私、死のうと思うの。

 …………………………………………

 ……………………

 …………

 えっ?なんて?

 だから、自殺しようと思うの。

 もっかいもっかい。

 だからもう天国でも地獄でもいいから行きたいの。

 わんもあわんもあ。

 死にたいのよ。

 パードン?

 ふざけてるよね。

 いったい何を言っているのだろう。

 なぜ僕の台詞を盗るのだろう。

 台詞を盗られて言うことがなくなってしまった。

 困ったことである。

 こうなったら東は何を言えばいいのか。

 会話はリズムが大切だ。 早く何か言わないと。

 あれ?もしかしてもともと主役が二人いたとか?

 今の学芸会は主役が複数でも珍しくないですもんね。モンスターは怖いですから。

 いやいやそうじゃない。

 今この状況の役者が増えて喜ぶ親御はいないし。

 それよりも大事なこと。

 東と同じ台詞を言う三川。

 つまり東と同じ状況。

 それの意味するところである。

 東の中にあるわけのない一つの結果が妄想される。

 ねえ、聞いてるの?

 受話器の向こうで三川が喋っている。

 本当に受話器の向こうならいいのだが。

 東は尋ねる。

 三川くん、今どこにいる?

 聞いてないし……デパートの屋上だけど。

 ………………

 偶然と偶然を足しあわせれば奇跡。

 では奇跡と奇跡なら何になるのだろう。

 グレート奇跡。かっこわる。

 東はおそるおそるさっき選ばなかった方の自殺スポットを振り返る。

 さきほど風景を眺めていた人が電話している。

 男だと思っていた。

 しかしよく思い出せば三川はあまり女らしい格好をしない。

 シャイな東が女の子と二人きりでも大して意識しなかったのはそのせいもある。

 いやいや、まさか、まさか。

 おそるおそる近寄る東。

 灰色のジーンズをはいて黒いパーカーを着てお洒落という俗世間の文化には興味を示さないスタイル。

 格好がほぼ東と同じである。

 ジーンズの色を青に変えたらもうほぼペアルックではないか。

  三川くん。

 なによ。

 ひょっとして後ろに鏡っぽいやついない?

 えっ?

 東の目の前の三川っぽいやつが振り向いた。

 目が合う東と三川っぽいやつ。

 苦笑する東。

 苦笑する三川っぽいやつ。

 似た者同士?

 もはや同一人物である。

 この真冬の寒い日にバニラアイスを頼むってどうなの。

 別にいいでしょ。バニラは年中好きなんだから。

 ふうん。文句はないけど。

 東ちゃんもさっさと頼みなさいよ。

 じゃあ同じの一つ。

 えっ。

 東は三川を今いるデパートの二階にあるカフェに連れて行った。

 話したいことがあるからだ。

 それはきっと三川も同じだろうと東は思った。

 とりあえず窓際の二人席に腰掛ける。

 それからすぐに店員が小さなカップに入ったバニラアイスをスプーンを添えて運んでくる。

 はたからみたら真冬にバニラアイスを食べる変わったカップル二人である。そこのお客さんジーンズとパーカーの色違いペアルックなんてここでしか見られませんよ。

 私たちの愛はこんなものじゃ冷めないわって見せつけてるのか殴るぞこのやろーと乗り込んでくるごろつきはいないようなので早速東が話しかけようとする。

 どうしてあなたがここにいるのよ。

 しかし一足先に唇を動かしたのは三川だった。

 三川は目を丸くしながら尋ねてきた。

 そういえばそうだった。

 すっかり忘れていた。

 三川はただ電話をかけて後ろから東に話しかけられただけなのだ。

 東の心中を御察しできるはずもない。

 状況を把握できているのはまだ東だけなのだ。

 もっとも少しタイミングが違えば立場は逆になっていたことだろう。 東はいろいろと三川に説明する。

 かくかくしかじか。

 というわけです。

 つまり東ちゃんも死のうと思ってたってこと?

 そういうわけです。

 なにそれ、おかしすぎない? あっはっは。

 あはは………………

 東はあまり笑えない。

 私さっき、思い切り走って柵飛び超えようとしたら横切った子供避けようとして足捻っちゃったのよー。

 あはは………………

 東は耳を塞ぎたい。

 心のクラウチングもちゃんととったのにおかしいねー。

 三川はそれはそれは楽しそうに喋っていた。

 口も目も歪みっぱなしで大して面白くない話にも自分で大笑いして東はそれをアイスをつつきながら聞き流していた。

 うん………ちょっと違う話しようか。

 東はそれとなく話題を振ろうとする。

 ああ、そうだね。そういえば昨日バイトでさ。

 バイトかよ。言わないけど。

 しかしその後も三川は相変わらず他愛もない話ばかりした。

 東はてっきり三川の方も東と同じことを気にかけていてそれを一目散に聞いてくるものだとも思っていたので、これには少し動揺するほかなかった。

 絶対触るなって言われてたのに案の定壊しちゃってさー。

 ドジだな君は。僕もだけど。

 楽しそうに話す三川を止める気にもなれずに東はただ話を聞いていた。

 だから壊したことは隠してその仕事は先輩に丸投げして帰ってきちゃった。

 最低だな君は。

 僕もだけど。

 三川は饒舌に最近始めたバイトの話から昨日見た夢の話まで、たまにアイスを口に放り込みながら、満面の笑みで東に語りかけるのだ。

 東はそれをアイスを溶かしながら見守る

  うちの経営学部の連中ってなんで黙って授業受けれないのかね。

 ほんと、僕もそう思うよ。

 そのうち東もどうでもよくなってしまって一緒に話しだした。

 こうなってはもう単純に屋上で待ち合わせてカフェで会合を開く男女へと成り下ってしまって、この場合は成り上がるのほうが表現としてはいいのだろうか、とにかくただのデートへと変貌していってしまったのである。

 それからも三川は、途中からは東も参加していたが、終止くだらない話題で時間を埋めていった。

 一時間くらい話したあと三川はバイトがあるからとかいって帰っていった。

 死ぬつもりだったんじゃないのかよとは、心の中では完全に思ったが、もちろん言わなかった。

 むしろ今日のことそのものがなかったことになっているような雰囲気であった。

 帰り際に三川が言った。

 ありがとね。

 残されたのは東と溶けたアイスクリーム、それから答えに逃げられた疑問。

 いや、もうその疑問はどうでもいい。

 その代わりにやってきた新しい疑問と東は向き合う。

 どうして三川はあんなに楽しそうだったのだろう。

 最初に屋上で会った時はこれから死ぬという雰囲気でもなかったが、なんというか暗いというか、生きている雰囲気もなかった。

 それがどういうわけか東と会って、それからカフェに入ってアイスクリームがでてきたあたりではもう今まで見たことのないような、なぜか女らしい三川がいたのだ。それが不思議でたまらないのだ。

 東はアイスクリームをスプーンで掬った。

 もうアイスの原型はほとんどない。 長い間アイスに埋まっていたせいで氷でできたスプーンをもっているようだった。

 バニラアイスは当たり前だが冷たくて一口たいらげるごとに体を芯の奥から冷やしていく。

 食べ終わる頃には体が震えだしていた。

 このまま外に出たら冗談抜きで凍えて死んでしまいそうだ。

 東は何か暖かいものを求めてメニューを眺める。

 三川はどうしてありがとうと言ったのだろう。

 別に自殺を引き止めた訳でもないのに。

 なかなかメニューは決まらなかった。

 そうしてまた最初の疑問がこみあがる。

 三川はどうして死のうと思ったのだろう。

 アイスコーヒーでいいか。いやアイス飲んでどうする。ホットコーヒーだ。

 わからない、東には何もわからない。

 それから東はメニューも決まったので店員を呼び止めようとした。

 が、やめた。

 急にこの寒さをもう少し感じていたい気持ちになった。

 お金を払ってカフェをでる。

 もちろん体は冷えたまま。

 東はそのまま凍えそうな体を引きずってデパートの一階から外に出た。

 もう涙が出そうになるほど寒かった。

 それでも東は歩き出す。

 この冬の空の下で凍える風に耐えながら歩いているのは一人ではないと思うと体が暖かくなった気がした。

 その帰り道、東は車に轢かれかけてドライバーに激昂した。




――死んだらどうする!




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