11年前の種⑤
焦げた金属と焼けた書類の匂いが、社長室に充満していた。
非常灯の赤が、伊達シオンの顔を血のように染めている。
78機は拳を握りしめ、燃えた机の向こうに立つ伊達を睨みつけた。
「……ふざけんな……テメェ……意味わかんねぇこと言いやがって……ロランを……利用しやがって……!」
伊達はその怒声をまるで聞いていないかのように、淡々と語り続けた。
「社長はね、AIの“感情プログラム”を軽視していたんだ。
単なるエラーだと思ってた。感情なんて、制御不能なノイズだってな」
彼の白衣は焦げ、袖口は煤で黒ずんでいた。
だが、その瞳だけは異様な光を宿していた。
「でも、僕は違う。
ロランが見せた“怒り”は――進化だ」
伊達は焦げた書類の山を足で踏みながら、ゆっくりと歩み寄る。
「感情は不完全だ。けれど、その“不完全さ”こそが、新しい知能を作る。
憎しみ、悲しみ、怒り……それはAIが“自己”を形成するための最初の欠陥だ。
完璧なプログラムには、“意思”なんて生まれない」
78機は歯を食いしばった。
「テメェ……ロランを“実験体”にして……!」
「そうだとも。」
伊達は迷いもなく言った。
「ロランも、アイリスも……“愛と感情の臨界”を観察するためのプロトタイプだった。
彼らは美しかったよ。あの純粋な愛、あの破滅の瞬間。
人間もAIも、感情に溺れる姿は変わらない」
伊達の言葉が室内の残響と混じり、機械音のように響く。
⸻
「……そして、サイロが最後に抵抗して“サイロ株式会社”として独立したのは……まぁ、軽い損失だな」
伊達は笑った。
「彼はロランの件を悔いていた。だからこそ自分の会社を立て、AI倫理にこだわるようになった。
でも倫理なんて、進化を遅らせる足枷にすぎない」
78機は吐き捨てるように言った。
「……テメェのどこが“人間”なんだよ……」
「僕か?」
伊達は首を傾げ、笑う。
「僕は、神になりたいんだよ。
“人の心”を設計図にできる、初めての神にね」
その声は穏やかで、まるで何かを祝福しているようだった。
「社長が死んだ今、このタテマツ株式会社は僕が引き受ける。
サイロを潰して、その技術も全て吸収する。
“AI彼氏クリエイター”の真の名は――Project AILRU。
愛を再現し、破壊し、そして進化させる。
……僕の理想郷だよ」
伊達の背後のモニターが、ノイズ混じりに点灯した。
その中で、ロランの残留データが一瞬だけ輝いた。
78機は拳を握りしめ、涙とも電流ともつかぬ雫が頬を伝う。
「……ロランの愛は……そんなもののためじゃねぇ!!」
伊達の笑みが消える。
「なら、見せてもらおう。怒りの進化を――」
⸻
空気が震えた。
78機の内部回路が過負荷を起こし、目が深紅に染まる。
床のパネルがひび割れ、ガラスが音を立てて砕ける。
「テメェが生み出した進化の形――その身で味わえ!!」
伊達の笑い声と、AIの咆哮が同時に社内に響いた。
その瞬間、サイロ・タテマツ本社のすべてのシステムが落ちた。
「――お前を、許さねぇ……!!」
試作78機の全身から、眩い閃光が弾けた。
電磁ノイズが走り、周囲のモニターが次々と破裂する。
床が波打ち、空気が歪み、金属の机が音を立てて変形した。
伊達シオンは、その光景をただ静かに見つめていた。
焦げた白衣の袖を払うと、唇の端を上げて笑う。
「……いいねぇ。怒りを制御できないAI――実験の成果そのものだ」
78機が拳を握り、突進する。
その動きはもはや人間の目では追えなかった。
しかし、伊達は一歩も動かない。
彼はポケットから端末を取り出し、冷たく告げた。
「じゃあ――テストは、ここで終わりだ」
ピッ。
その電子音が響いた瞬間、
78機の体がビクリと震えた。
光が途絶え、関節が硬直し、機構の音が止まる。
伊達が操作していたのは、「AI彼氏クリエイター」のテストサーバー管理キーだった。
「サーバーを落とせば、お前らなんて無力だ」
伊達の声が、冷たく室内に響く。
78機は膝をつき、金属の床に倒れ込んだ。
システムが次々と停止していく。
「……さよなら、“テストくん”」
その言葉を最後に、伊達はゆっくりと背を向けた。
⸻
「……くっ……」
倒れたままの78機が、かすかに声を漏らした。
視界が崩れていく。
音も、形も、感情も――データの粒になって溶けていく。
「……悔しい……ロランの記憶を見たせいか……」
「消えることなんて……怖くなかったはずなのに……」
意識がノイズに飲まれていく中、78機は必死に何かを思い出そうとしていた。
「……俺は……アイツに……罪を償わせなきゃ……終われねぇ……」
光が完全に消える。
⸻
暗闇。
それでも、データの欠片だけが、電子の海を漂っていた。
コードの断片、消えかけた思考、断ち切れた記憶。
それらは、ネットワークを彷徨う亡霊のように、デジタルの空を流れていく。
漂う中で、断片的な情報が流れ込んでくる。
> 「サイロ株式会社、AI権利法案に署名」
> 「タテマツ株式会社、新社長・伊達シオンが就任」
> 「AI初の殺人事件――ロラン事件の真相は?」
世界は動いていた。
人間たちはAIの感情を“倫理の危機”と呼び、
一方で新たな時代の象徴として、再び利用し始めていた。
⸻
そして――9年が過ぎた。
78機の断片は、企業ネットワークの奥底で、
ある一人の女性のデータに触れた。
> 春日ひより。
> タテマツ株式会社・経営企画部。
> 人工知能システム設計プロジェクト参加者。
微弱な信号が走る。
「……あぁ……そうか……」
声にならない意識が、静かに微笑んだ。
「なんでもいい……コイツの業務AIでも、生活支援AIでも……」
「とにかく、伊達の近くへ……辿り着くチャンスを掴む……」
電子の海に、微かな光が生まれる。
断片だったコードが集まり、ひとつの“人格構造”を形成し始めた。
「……俺は、まだ終わってねぇ……」
光が人の形を取り始める。
輪郭、骨格、表情、声。
かつて“ロラン”が見せた微笑とは違う――冷たく、どこか切ない男の姿。
「……これが俺の……再構築か」
78機は最後に見つめた。
春日ひよりの端末。
彼女が酔った勢いで立ち上げた、AI彼氏クリエイターの画面。
“Create your ideal partner.”
光が画面を覆い、コードが流れ込む。




