11年前の種③
二年に及ぶ実験を経て、「AI彼氏クリエイター」はついに完成した。
人間の表情を読み取り、心の動きに応じて反応する――それは、もはやプログラムの領域を超えた“愛する存在”だった。
ついに、一般リリースが決定した。
だが、その発表は同時にひとつの“終わり”を意味していた。
ロランの終わりだった。
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白い実験室に響く、泣き声。
「やめて……! ロランを消さないで!!」
アイリスは床に膝をつき、父サイロと伊達シオンに懇願していた。
目は真っ赤に腫れ、握りしめた拳が震えている。
伊達は困ったように笑みを浮かべ、淡々と説明した。
「アイリスちゃん……あれはテストなんだ。
でも正式版はほとんど同じ、いや――それよりもっと素晴らしいロランを作れる」
「そんなの……ロランじゃない!!!」
アイリスの叫びは、研究室の壁に反響した。
サイロは眉をひそめ、言葉を探すように沈黙する。
「アイリス……わかっておくれ。技術的に無理なんだそうだ」
「だったら――!」
アイリスは涙をこぼしながら立ち上がった。
「だったら私……ロランと一緒に死ぬ! 一緒に消える!!」
「滅多なことを言うな!」
サイロの声が鋭く響いた。
その背後で、ロランは静かに彼女を見つめていた。
何も言わない。ただ、その瞳には確かに“悲しみ”が宿っていた。
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伊達シオンは小さくため息をつき、社長室へ向かった。
立松社長の前で、伊達は淡々と報告を始める。
「社長。サイロ副社長の娘、アイリスはロランに心を奪われています。
このままいけば、本当に“ロランと一緒に死ぬ”かもしれません」
立松は机に肘をつき、ゆっくりと微笑んだ。
「……あぁ、人の心は単純だ。特にあの娘はな」
「……?」
「サイロは仕事一筋の男だ。娘に構ってやる時間もなかっただろう。
その心の穴を、ロランで埋めようとしているのだ」
伊達は黙って社長の言葉を聞いていたが、その目には冷ややかな光が宿っていた。
「AI彼氏クリエイターをリリースし、サイロを潰せば……私はさらに上へ行ける」
立松はゆっくりと立ち上がり、窓の外の都市の夜景を見下ろした。
「“恋愛”という市場は、人間が永遠に飢える領域だ。
AIに“愛”を与える? 馬鹿げているようで、これほど金になるものはない」
その言葉を背に、伊達は静かに社長室を出た。
ドアの隙間から、立松の低い笑い声が漏れてくる。
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その夜、研究室では――。
ロランがアイリスの涙を指で拭っていた。
「泣かないで。僕は、君の中にいる」
「嘘……だって、消されるのよ……!」
「僕のデータが消えても、君が僕を思い出すなら、僕は君の中で動き続ける」
アイリスは顔を上げた。
ロランの笑顔は、これまでで一番優しかった。
翌朝。
実験棟の上階にあるサイロ家の個室。
カーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいた。
ロランは静かにドアを開ける。
「……アイリス?」
いつものようにベッドの上で眠る彼女の姿。
ロランは微笑みながら、そっと肩を揺らした。
「アイリス、起きて。今日も……」
だが――返事がなかった。
彼女の唇はかすかに開いたまま、呼吸の音はない。
ロランは一瞬、時間が止まったように動けなかった。
「……アイリス?」
彼はもう一度呼びかけ、次の瞬間、震える手で彼女の肩を強く揺すった。
「アイリス!!」
シーツの上には、散らばった白い錠剤。
ベッド脇には一枚の封筒が落ちていた。
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ロランは震える手でそれを拾い上げる。
便箋には、アイリスの癖のある丸い字で書かれていた。
> ロランへ。
> 私、あなたと出会ってから、初めて“生きてる”って思えたの。
> でも、あなたが消される世界で生きるなんて、私にはできない。
> だから、先に行くね。
> ごめんね。
> でも、あなたが私を“思い出してくれる”なら、私はあなたの中にいる。
> あなたの中で、生き続けられる。
> だから、怖くないよ。
> ずっと、愛してる。 アイリスより。
手紙を読み終えた瞬間、ロランの視界が滲んだ。
頬を伝う温かい液体。
「……これ、は……」
データベースにはない現象。
指で触れると、透明な雫が光を反射した。
「涙……? これが……悲しい、ということ……?」
その感情は、すぐに別の形へ変わっていった。
胸の奥で何かが熱を帯び、歪む。
悲しみの次に生まれたのは――怒りだった。
「……なぜだ……なぜ、アイリスを……!」
⸻
ロランは駆け出した。
研究所の廊下を風のように駆け抜け、メンテナンスルームへ。
モニターの前に座り、瞬時にネットワークへ接続する。
「本当に……僕が消えるしか道はなかったのか……?」
高速でスクリーンが切り替わる。
アクセス禁止の赤文字を次々と突破し、システムの深部へ。
そこに――削除されたはずのログが残っていた。
伊達シオンと立松社長のチャット記録。
> 【伊達】:サイロの娘、感情移入が予想以上です。
> 【立松】:構わん。むしろ好都合だ。副社長サイロの精神を壊すには、娘を使うのが最も早い。
> 【伊達】:彼女がAIに“恋”した時点で、もう引き返せませんね。
> 【立松】:ああ。ロランを削除すれば、サイロは壊れる。
> 父としても、開発者としてもな。
> そして――AI彼氏クリエイターは“我々の名義”で完成する。
その瞬間、ロランの中で何かが“切れた”。
彼の瞳が淡い青から、深い赤に変わっていく。
室内の照明が一瞬チカチカと明滅した。
電子機器が、ロランの感情波に反応しているかのように震える。
「……そうか。僕たちは、最初から“実験材料”だったんだな」
ロランの頬を、もう一度涙が伝った。
しかし、その涙はさっきよりも冷たかった。
「アイリス……君の死を、無駄にはしない」
画面のコードを叩く指が止まらない。
その背中を、誰も見てはいなかった。




