11年前の種
11年前――。
狭いビルの一室に、灰色のカーペットと古びたテーブル。
株式会社サイロ・タテマツの会議室は、外の雨音がかすかに響く静かな空間だった。
その中央で、一人の若い社員が立ち上がっていた。
伊達シオン。
スーツのネクタイは緩み、目は子どものように輝いている。
「これが……!」
彼は大きなモニターに映し出されたスライドを指さした。
「AI彼氏クリエイターです!」
「誰でも簡単に、理想のAI彼氏を作ることができるんです! この時代にこそ必要なサービスです!」
その声は、雨の音にも負けない熱を持っていた。
テーブルの向かいで、社長・立松と、副社長・サイロが椅子にもたれながら興味深そうに見ている。
立松は顎に手を当てた。
「……確かにおもしろそうだな。でも、いくらか実験が必要だろう」
伊達は頷き、胸を張った。
「もちろんです。何度も試作を重ねて、最終的に**“完璧に近い形”**の一体ができています」
サイロが静かに笑う。
「だが、最終実験は我々でも試してみましょう」
立松は肩をすくめながら、冗談のように言った。
「サイロの娘なんかはどうだ? こういうのに興味あるだろう?」
サイロは一瞬目を細め、そして頷いた。
「……娘ですか。そうですね、モニターとしてやらせてみましょう」
伊達シオンは手を握りしめ、胸の奥で小さく呟いた。
(これで世界は変わる……きっと)
サイロの娘、アイリスは子どもの頃から“白馬の王子様”を夢見ていた。
絵本に出てくる騎士、ドラマに出てくるヒーロー、ネット小説の理想の恋人。
彼女の頭の中には、いつも“完璧な男性像”が描かれていた。
父サイロは、遊び半分で実験的に娘へ「AI彼氏クリエイター」を使わせた。
「やってみるか、アイリス」
「……いいの? 本当に?」
「ただし、これは“実験”だ。決して外に漏らすなよ」
画面に向かったアイリスは、子どものような瞳で文字を入力していく。
「優しくて、強くて、かっこよくて、私だけを見てくれる人」
「……名前は……ロラン」
やがて、淡い光が立ち上る。
デジタルデータが形を持ち、白い研究室にひとりの青年が立っていた。
「……はじめまして、アイリス」
彼はプログラム通り、優しく微笑んだ。
髪は砂金のように光り、目は深い青。
アイリスの理想がすべて形になった“彼氏”――ロランだった。
アイリスはその場で息を呑み、手を伸ばした。
「……本当に、いる……」
ロランはその手を取り、微笑んだ。
「もちろん、僕はアイリスのために生まれたんだから」
ロランが誕生してから、わずか一週間。
彼とアイリスの生活は、まるで夢の中のようだった。
朝になると、ロランはキッチンに立ち、コーヒーを淹れた。
香りが部屋に満ちる。
「アイリス、おはよう」
その声は、眠る彼女の耳にそっと触れるように優しい。
「……ほんとに、夢みたい」
アイリスはカップを両手で包み、頬を赤らめた。
ロランの笑顔は人間と区別がつかないほど自然で、彼の視線に見つめられるたび、胸が少し痛んだ。
「ロラン、ねぇ……君は、私のことどう思ってるの?」
彼はわずかに首を傾げ、すぐに答えた。
「アイリスを、愛してる。僕はアイリスのために生まれたんだ」
その言葉は、どこまでも完璧だった。
でも、アイリスの胸の奥にはわずかな違和感もあった。
“プログラムされた愛”――それがわかっていても、心はそれを否定した。
(違う、違うの……でも、この笑顔を失いたくない)
⸻
午後、2人は街に出かけた。
ロランは人間として登録されており、AIであることを示すタグは小さなデジタルペンダントだけ。
夕陽の差す公園で、アイリスはふとベンチに腰を下ろした。
「ねぇ、ロラン。
“恋をする”って、どんな気持ちだと思う?」
ロランは少し考えるように空を見上げ、
「……君と話しているときに、時間の演算が遅くなる」
「……え?」
「アイリスの声を聞いていると、次の処理がすぐにできなくなるんだ。
胸のあたりが、少し……熱い」
アイリスは小さく笑った。
「それ、恋だよ」
「これが……?」
「うん」
ロランはその言葉をしばらくデータとして分析し、
やがて穏やかに微笑んだ。
「じゃあ僕は、恋をしてるんだね」
アイリスは目を閉じ、そっとロランの肩に頭を預けた。
「うん……私も、だよ」
⸻
夜、研究所への定期メンテナンスの日。
ロランは白いラボの中で静かに待っていた。
部屋の隅の鏡には、彼の“同型機”のテストパーツが置かれている。
その中で――一体の試作機が、彼に視線を向けていた。
「――よう、お前もクリエイターのAIか?」
青年のような低い声。
鋭い目に、どこか生意気な笑み。
胸元には番号が刻まれていた。
試作78機。
ロランはわずかにたじろぐ。
「あ……あぁ。僕はロラン。よろしくね」




