決着と開戦
終業後のオフィス。
人がまばらになったフロアに、早瀬まりが一人、ひよりの机に歩み寄った。
薄い笑顔を貼りつけたまま、机に指を軽く置く。
「……ありがとね」
その声には、どこか乾いた響きがあった。
「でも、私、やっぱあなたのこと……きらい」
ひよりは顔を上げ、元気のない笑みを返す。
「……私も……まりさんのこと、きらいだよ」
互いの視線が短く交わり、そして離れた。
まりは踵を返し、足音も立てずにフロアを去っていった。
ひよりはしばらく立ち尽くし、肩を落として息を吐いた。
⸻
その後、ひよりは藍流のもとへ向かった。
「藍流、ありがとね。疑いを晴らしてくれたことも、犯人を言うのを我慢してくれたことも」
藍流はソファに深く座り、鼻を鳴らした。
「ふん。別に、俺は一応ここでアドバイザーやることになったからな。そのためだよ」
ひよりが小さく笑う。
「それでも、ありがと」
藍流は口元を歪め、そっぽを向いた。
「……まぁ、感謝してんならよ、今日は飯おごれ!」
「AIなのに、人一倍食べるからなぁ」ひよりが笑って返す。
「うるせー! お好み焼き行くぞ!」藍流が立ち上がる。
⸻
その時、背後から声がした。
「……春日さん……!」
ひよりが振り向くと、そこには薬師寺二郎が立っていた。
目の下には濃いクマができ、トートバッグには大量の紙が詰め込まれている。
髪は少し乱れ、シャツの袖口はくしゃりと折れていた。
「薬師寺くん……?」ひよりが目を丸くする。
薬師寺は息を整え、声を震わせながら言った。
「俺……春日さんが……あんなことするわけないって……調べてたんです……。調べてた途中だったんです」
ひよりの胸がちくりと痛む。
(……この子、ずっと……)
薬師寺はひよりから藍流へ、鋭い視線を向けた。
「なのに……AIの人……あなたは……なんなんですか!?」
声はいつになく強く、抑えきれない悔しさがにじんでいた。
藍流は片眉を上げ、口元にうっすら笑みを浮かべた。
(……面白いじゃねぇか、このガキ……)
ひよりは咄嗟に一歩前へ出た。
「薬師寺くん……待って……」
部屋の空気が一瞬にして緊張に変わる。
藍流と薬師寺――二人の視線が、火花を散らすようにぶつかっていた。
藍流の目がぎらりと光る。
「……なんだ? 何が気にくわねぇんだ? お前……こいつのこと、好きなのか?」
挑発するような言葉に、薬師寺は顔を真っ赤にした。
「こいつなんて言わないでください! ……春日さんです!」
藍流は鼻で笑い、肩をすくめる。
「へぇ……あっそ。好きなら付き合えよ。俺には関係ねぇから」
その軽い言葉に、薬師寺の胸が大きく揺れた。
「関係ない!? ならなんでこんなことするんだ! なんで春日さんの家にいるんですか!? 関係ないなら、離れてくださいよ!」
藍流の目が細くなる。
「……お前、喧嘩売ってんのか? 死にてぇの?」
拳をぎゅっと握りしめ、藍流は一歩前に出た。
その圧に、薬師寺は足をすくませながらも、決して目を逸らさなかった。
怯えながらも――彼は引かない。
⸻
「ちょ、ちょっと!! 藍流!」
ひよりが慌てて二人の間に割り込む。
「やめてよ! 薬師寺くんも……今は離れて! 危ないから!」
それでも藍流は拳を緩めようとしない。
(まずい……! 本気で殴る気だ……!)
ひよりは必死に頭を回転させた。
そして、ふと思い出す。
藍流が――こっそりネット注文していた、あの壊滅的にダサい服を。
「……藍流! 早く来ないと――アンタがこっそりネット注文してたダサい服、全部まとめて雑巾にしてやるからね!」
その言葉に、藍流の顔が一瞬で変わった。
「――!?!? な、なんでそれを知ってんだ!!」
振り返った藍流の声が裏返る。
「お、おい! 待て! ってか、あれはダサくねぇ!! イカしてんだよ!!」
場の空気が、一気に崩壊した。
拳を振り上げていた藍流は、結局そのまま両手をわたわたと振り、必死に言い訳を始める。
薬師寺は呆然と立ち尽くしていた。




