表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/29

疑念

藍流は背中で腕を組み、ひよりを見下ろした。

 「……さぁ、言えよ」

 その声は妙に楽しげだ。

 「“私は下です、教えてください、藍流様”ってよ」


 ひよりは眉をひそめ、モニターから目を離さずに息を吸った。


 「……バカにされて、コケにされて、頭下げるわけないでしょ! バカじゃないの!」


 藍流は口の端をつり上げる。

 「ッチ。AIには頭下げたくねーってか」


 ひよりは椅子を回転させて藍流を睨んだ。

 「違う! アンタに頭下げたくないの!」


 その一言に、藍流の笑みが一瞬だけ止まった。

 「……じゃあ勝手にしろ。俺は絶対に手伝わねーからな!」


 言い捨ててソファにどっかり座り込む藍流。

 ひよりは再びモニターに向かい、キーボードを叩き続けた。

 エラーコードが流れ、ファイルが崩れたまま、修復は進まない。


 (どうして……なんで直らないの……?)

 (もう……わからない……)



 藍流は目を細めてひよりを見た。

 「AIじゃなくて、俺自身に頭を下げたくない……か」

 口の中で小さく呟く。

 「コイツは、AIを下に見てるってわけじゃないんだな……」


 その声はひよりには届かなかった。



 「ふぐぅ〜〜〜!!」

 ひよりは椅子の上で頭を抱え、ぐるぐる転げ回った。

 「わからん〜! もうわからん〜!」


 その拍子に伸びた足が、勢いよく藍流の顔面に直撃した。


 「ゴッ!」


 「……あ、ごめん」

 ひよりは息を呑み、そろそろと足を引っ込める。


 藍流は眉間を押さえながら、顔を真っ赤にして立ち上がった。

 「あ、ごめんじゃねーんだよ! この女ぁ!!」


 ひよりは頭を下げるどころか、さらにぐるぐる椅子を回した。

 「だってわからないんだもん!」


 藍流はその姿を呆れ顔で見つめながらも、どこか笑いそうになるのをこらえていた。

「……ったく、しょうがねぇな」

 藍流が頭をかきながらソファから立ち上がった。

 「じゃあ特別に、ヒントだ!」


 ひよりは驚いた顔で藍流を見上げる。

 「ヒント?」


 藍流は得意げに腕を組み、顎をしゃくった。

 「お前のファイル、壊れてるのは内部じゃねぇ。外から“触られた”形跡がある。

  それも“中途半端に”だ。わざと痕跡を隠そうとしたけど、下手な仕事だな。

  ……ほら、ここを見てみろよ」


 藍流が指先で空中にホログラムを弾くと、パソコンのコード画面がひよりの前に浮かび上がる。


 ひよりは息を呑み、目を凝らした。

 「……これ、外部スクリプトの断片?」


 「そうだ。解析してみろ、すぐわかる」

 藍流の声は、試すように低く響いた。


 ひよりは素早くキーボードを叩き、プログラムの断片を展開していく。

 数列の奥に、ひときわ目立つ英文字が浮かび上がった。


 “shojo_love”


 ひよりの指先が止まった。

 画面のその文字を見つめ、頭の奥で記憶がひらめく。


 (……この名前……どこかで……)


 思い出す。

 昼休みの給湯室、早瀬が薬師寺くんに楽しそうに話していた、あの少女漫画のタイトル。

 「最近ハマってるんです〜“ショジョラブ”っていうんですけどね」――その笑顔が、ありありと浮かぶ。


 ひよりは小さく息を呑んだ。

 「……これって……」


 モニターに映る“shojo_love”の文字列が、静かに、しかし確実に、早瀬まりの姿と重なっていった。

ひよりは画面の「shojo_love」を見つめながら、ふっと早瀬の顔を思い浮かべた。

だが、すぐに冷静になって首を振る。


――これだけで、早瀬さんが犯人だなんて断定できるだろうか?


答えは、否だ。

証拠には「匂い」があるが、匂いは決して確定にはならない。しかも仕込みは下手くそだが、それが故意なのか偶然の重なりなのか――まだわからない。勘に頼るのはプロとして愚かだ。


「今は犯人探しより資料の再構築だ」

ひよりは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。明日のやり直しプレゼンを完璧にすれば、目の前の危機は一番簡単に潰せる。足元を固めるのが先だ。


デスクの背もたれに寄りかかり、ひよりはふっと力を抜いて笑った。顔には疲れが滲んでいるが、目はすこしだけ光を帯びている。


「藍流、助かったよ。ありがとね。数少ないいいところあるじゃん」


言い終わるや否や、ひよりはつい勢いで藍流の背中をバチン叩いた。

感謝と安堵が混じった、ちょっとだけ無邪気な仕草だった。


藍流はその手を受け、よろめき、しばし無表情で固まった――と思ったら、胸を張って頭を僅かに傾け、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。


「て……テメェ……殺す。」


言葉は低く、しかし妙にコミカルな角度で放たれた。

ひよりは一瞬手を止めて、振り返る。藍流の瞳がいつもの得意げな色をしているのを見て、思わず吹き出しそうになる。


「……今の、冗談だよね?」ひよりが尋ねると、藍流はわずかに肩をすくめた。

「冗談じゃねぇ、が、まぁ許してやる」


ひよりは腹の底からホッと息をついた。疲れが少しだけ和らぐ。

苦笑しつつ、彼女はモニターに向き直る。


――まずはやり直しだ。薬師寺くんに頼んで最終チェックを手伝ってもらおう。J3にはクライアント対応の文面を整理させて、多田さんにはバグ潰しを任せる。私が全部をひとりで抱え込む必要はない。


そして、ひよりは静かにキーボードを打ち始めた。背後で藍流がぽつりと呟く。


「ふむ……“shojo_love”か。雑だが、良い手掛かりだ。面白くなってきやがったな」


その声には、どこか予想外の興味が混じっていた。

ひよりはその声を背に、画面の文字列を再構築していく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ