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手のひらに星の欠片を

※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

※複製禁止・転載禁止・改変禁止。

※Do not repost, Do not reproduce, Reposting is prohibited.

※本作は他小説投稿サイト(クロスフォリオ)にも重複投稿しております。

 緩やかな風が彼女に春を運び、夜と昼の残りの光が混ざり合う空を見上げる。花村千景は仕事終わりに上機嫌に公園の脇を歩いていた。季節は花見の頃であったが、ここは繁華街からも住宅地からも離れ穴場だった。就職してから三年、職場以外の趣味の友人も出来て、仕事は苦労もあるが順調、あとは煩型の親が「恋人を連れて来い」とやいやい言ってくるのが悩みの種だった。

 公園に着くと誰も居ない。据えられた年季の入ったベンチに座る。街燈の照明はあるものの薄暗い。だが、今年も見事な桜が咲き誇って幻想的な光景をそこに存在させていた。区画整理があるならば一瞬で消えてしまいそうだな、と千景は思った。

 一人暮らしのマンションには一年前から飼い始めた猫のクロ太郎が居る。最近、脱走している事を知ってしまい厳重に部屋に閉じ込めている為か常に不機嫌だ。

「にゃーお」

「えっ」

 聞き慣れた鳴声が千景の足下から聞こえた。そこには部屋に居る筈の愛猫のクロ太郎が居る。漆黒の黒猫、赤い首環に迷子防止のタグ、金色の瞳がこちらを見つめている。額には一枚の桜の花弁が貼り付いていた。

「クロ太郎! どうしたの、また逃げたの」

 驚く千景を余所にクロ太郎はベンチに飛び乗りまるで人間のように腰掛けて前足で額の花弁を払う。

『千景、その〝太郎〟はやめてくれ。締まりが悪い。仲間内じゃ揶揄われてるんだ』

 千景が呆然とする。猫が喋った。しかも、低音のダンディーと呼べるような声で。

「くっ、くろたろ、くろ??? 今、喋ったぁ?」

 クロ太郎、もといクロは呆れたように深く溜息をついた。

『いや、今日は特別さ。何とか仲間に部屋から出して貰って集会に来たら千景がここに居たから思い切ってな』

「え、ええ……猫って、喋るの……?」

『ああ、地球の猫は喋らんよ。彼らは原始猫とも呼べる。俺たちも通訳なしじゃ……』

「地球の猫!?」

 クロの言葉に千景はますます訳が解らなくなった。クロが再び溜息をつき説明する。

『俺は遠い宇宙から来た猫型の知的生命体さ。言うなれば猫宇宙人だ』

 千景は突然の展開に完全に言葉を失った。遠い宇宙、猫型の知的生命体、猫宇宙人……夢かも知れない。

「宇宙人、猫宇宙人、じゃ、じゃあ、いつも一緒に抱き締めて寝たりしてるのって」

『ああ、あれは我々の流儀でもあるし千景の裸に発情する事はないぞ』

「え、ええー……」

 その時、公園の奥の路地から猫の鳴き声が聞こえてきた。クロの耳がぴくりと動く。

『おっ、そろそろ時間か』

「じ、じかんってなに」

『花見の集会だ。猫型宇宙人同士のな。ついでだからお前も紹介しよう、気のいい奴らだからな』

 千景は膝から崩れ落ちそうになっていたが、クロはベンチから降りて二本足ですたすたと歩いて行った。路地と公園の間のフェンスには穴が開いており何匹も猫が潜って来たかと思うとクロと同様に二本足で立って桜の下へと歩いて行った。

 茣蓙を担いだ猫、一升瓶を担いだ猫、茣蓙を広げ輪になって器用に座り談笑を始めた。三毛猫が酒を器や御猪口に移し配っていく。その内に陽気な笑い声が響いたり、熱心に何かを話し込んだり、踊りを始める猫も現れた。

『こっちへ来い、千景。隊長を紹介しよう』

 猫の輪の中心のクロが千景を招く。夢見心地の千景は素直に間に座る。猫たちはしげしげと見つめて笑っている。すると、一匹の白猫が近付いてきた。丁寧に頭を下げてクロと同じように人間の言葉を話す。

『ようこそ、猫型宇宙人の花見集会へ』

 千景は相変わらず呆然としているが、白猫は続ける。

『驚かれるのは無理もございません。ワタクシたち宇宙人は長年この惑星に棲み、密かに文化交流を続けておるのですよ。勿論、先進国の首脳や政府機関とは別の部門が窓口になっておりますがね』

 白猫はそう言って千景に御猪口を手渡す。脇に置いた徳利から酒を注ぐ。戸惑いながらも千景はそれを見つめてゆっくりと呑み干した。冷やではあったがじんわりと強張った身体を解すようであった。

「おいしい……」

『それは良かった』

 花見の集会は滞りなく進み、千景は遠い彼方の宇宙の高度な文明がこの惑星の文化や歴史に深く関わって来た事を知った。クロも多くの同胞に慕われているようで千景は何処か誇らしくなった。

 ふと、千景は輪から離れて独りで呑んでいる灰色の猫に眼を奪われた。わざわざ誂えたべく杯のようなもので酒を呷り静かに桜を見上げている。オス、いや男の猫宇宙人ならかなりの美形であり、少し憂いを帯びていて妙に惹きつけられる魅力があった。

 千景がクロに灰色猫に尋ねる。

「ねえ、あの人……あの猫さんは?」

『ああ、あれか。アイツはギンジ。少し猫見知りでな。ちょうどいい、千景が相手をしてやってくれ』

 灰色猫――ギンジに千景が近付く。

「こ、今晩は」

 ギンジが驚いたように千景を振り返る。その瞳は深く碧く吸い込まれそうに美しかった。

『人間の方ですね。今晩は』

 ギンジの声はまるで女性のように高く澄んだものだった。

「はい、私は花村千景と言います。クロの……えっと、飼い主、です」

『ふふ、気にしないで下さい。人間の世話になる者は居ます。ボクはギンジ。クロ……本当の名前は明かしてはならないので、クロの幼馴染です』

「この星での名前……ギンジ、くん、さん、ちゃん……」

『呼び捨てで結構ですよ』

「ギンジさん……で」

 二人は静かに桜を見上げる。時折、千景はギンジの横顔を覗き見る。寂しげな顔の中にある涼し気な佇まいにいつしか見惚れてしまうようであった。その内に猫たちががやがやと挨拶を交わし散り散りになっていった。二本足からいつもの見慣れた四本足に戻ったクロが近付いてきた。

『千景、そろそろ帰ろうぜ』

「えっ、うん……」

『千景さん、それじゃあまた、いつか』

 ギンジが闇の中へと消えるように去っていった。千景がしゃがんでクロを撫でる。その反応はいつもの飼い猫のクロ太郎もといクロそのものだった。しかし、喋る。

『そろそろ、人間の言葉は喋らん方が良いか。お前だって変人にみられるだろう』

「待ってクロ、ギンジさんについて教えて」

『良いぜ』

「ギンジさんって、いつも……独りなの?」

『いや、アイツも飼い猫さ。ただ、その前は違う人間に飼われていたがその時にとある出来事があって少し暗いんだよ』

「そう……」

 その時、ざあっと風が吹いた。桜を散らし始める春の風。


   ◇   ◇   ◇


 桜も終わり葉桜の季節、千景はクロに無理を言ってギンジと再び会う約束を取り付けた。

『高級マグロ猫缶とはお前もアイツにぞっこんだな』

 部屋の中でクロはそう言いながら猫缶をぺろりと平らげてごろごろしながら千景を見つめて笑った。

 あの公園、同じ夜、違うのは今日が休日であり桜は散った事。ベンチに座る千景は腕時計をしきりに気にしていた。

『……千景さん、お待たせ』

 振り返るとそこにはギンジが四本足で座っていた。ゆっくりと二本足で立ち上がり千景の横に座る。

「ごめんなさい、時間取らせちゃって」

『良いんですよ、猫の宇宙人でも結局はきまぐれな猫ですから』

「これ……おやつ、というか猫……ちゃんでも食べられるケーキ、です。クロから聞いて」

『わあ! ありがとうございます』

 小さなカップケーキを両の前足で持ったギンジがかぶり付く。それを見た千景が笑う。

 二人は無言で雑居ビルの谷間と葉桜が掛かった都会の夜空を見上げる。

「ギンジさん、何か……あなたにしてあげられる事ってないかな。まだお互いの事は何も知らないけど」

『千景さん、ボクの過去をクロからききましたね』

「ごめんなさい……」

『いいんですよ。隠す事じゃありませんから。ただ、昔の飼い主の女の子が病気で早く亡くなってしまったんです。ボクたち宇宙猫は姿を変えられます。子猫であっても老猫であっても年齢は一定、一生を地球の猫と同様に過ごす者も居ます。ボクはこの惑星の自然調査員でしたが一時任務から外れ自由に過ごしていました。宇宙猫と接触を持つ人間から〝知り合いの子供の家の猫にならないか〟と誘われるまで……それが彼女でした』

「……」

 千景はギンジの独白を黙って聞いている。ギンジが続ける。

「可愛い子でしたよ。身体は弱かったけど一緒に遊んで色んな所に連れて行ってくれた。でも、別れはやって来た。どうする事も出来なかった……」

「ごめ、ごめんな、さあああい……」

『どうして千景さんが泣くんですか』

「だってぇ……さびしいし、かなしすぎるよぉ……」

 千景はぽろぽろと涙を流していた。ひとしきり泣いて落ち着いた千景の手の甲にギンジが前足を置いた。

『千景さん、あなたがやさしい人間という事は解りました。ボクの悲しみや胸の苦しみを共有しようとしてくれる。ありがとう』

「うん……」

『さあ、そろそろ夜も遅いですよ。クロだってあなたを待っているでしょう』

 ギンジがベンチから飛び降りて闇へ消えようとする。

「待って! また、また……逢えるよね」

『……また、会いましょう』

 声は闇へと消えた。


   ◇   ◇   ◇


 すこし暑くなりつつある初夏、夜はまだ熱帯夜ではないので特有の湿った不快感はないが空気は揺らいでいるように感じる。

 あれから千景はギンジには会えていない。クロはたまに人間の言葉で喋るが。あの公園にも足が遠退いてしまっていたが、今日は訪れた。

 そこには猫が居たが見知った愛猫であった。

「クロ、また脱走したの?」

『猫聞きが悪いな、お前の話で仲間内は大盛り上がりだぞ』

「私の話?」

『猫に恋する人間さ』

「もう!」

 呆れた千景がベンチに座る。クロが千景の膝に飛び乗り甘える。撫でながら千景が辺りを見渡す。

「ギンジさん、会いたいな……」

『やっぱり恋する女だな』

「ばか……」

『まあ、アイツだって毎日のようにここに来ているんだがな』

「えっ」

 その時、葉桜の木陰から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

『千景さん……』

 そこにはギンジがおそるおそるこちらを見つめて二本足で立っていた。薄暗い街燈の光に照らされた灰色の毛並みは闇に溶けるようでいて碧い瞳がいつもより潤んでいるように見えた。

『俺は先に帰ってるぜ』

 クロがそのまま飛び降りて立ち去っていった。ギンジはゆっくりと千景に近付いてその瞳を見つめた。

「逢いたかった、ごめんなさい。毎日来ていたって」

『いいんです、今夜逢えたから……』

 二人の間には言葉は必要なかった。沈黙が互いの存在を確認するように熱を帯びて心を満足感で満たしていく。

『今日は逢えた喜びと、別れの悲しみを伝えにきました。ボクはまた調査員に任命されたんです。今度は違う惑星の……』

「それは……もう逢えないの?」

『千景さんがおばあさんになる頃にまた逢える可能性があるかな、というものなので殆ど永遠の別れです』

「そんなぁ……」

『千景さん、あなたと出逢えた事は奇蹟です。あなたの傍にずっと居たい。でもそれは叶いません』

 千景の瞳からは涙が溢れて止まらなかった。言葉もなく、ただただ息を吐いて泣いた。

『あなたに渡したいものがあります』

「わたしたい、もの……」

 ギンジが千景の手を開かせて握る。そこには小さな光る石があった。

『これは故郷の星の衛星の石の欠片、祈りを託すと永遠に輝く〝希望の星〟と呼ばれるものです。あなたが辛い時、苦しい時、これを見て下さい。ボクはいつでもあなたの傍に居ます』

「うん……うん……」

 いつしか千景は泣きながらギンジを抱き締めていた。ギンジも千景を抱き締め二人だけの夜が、終わった。

 やがて、クロから『失恋しても次があるぜ』と言われ愛猫との静かな日々を送っていた。休日、パソコンに向かい趣味の小説を書いているとクロが覗き込んでここに誤字があると添削をし始めた。千景の机の上には瓶に入った光る石がある。時折、握りしめると不思議とあたたかくいつまでも輝いている。

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