第五章 遥かなる彼女
"「ガキの頃から、周りの人間からは、冷たい子供だって、よく言われてた。叱られても、泣きわめいたりせず、ただ、じっと、相手を見てるだけだったから。そんな、8つ上の姉さんだけが、優しくしてくれたんだ」
少年は、懐かしむような表情で、静かに語る。
「姉さんは、病気だと思って、神父様のところへ、連れて行ってくれた。でも、神父様から、目の中に悪魔が棲んでいると言われて、追い返されたんだ」
ユアンが顔を上げ、彼女と視線を合わせる。その時、コンリンは、初めて気づいた。少年が、この世界では珍しい、黒い瞳をしていることに。静かな時は、波一つない、深い淵のようで、見ているだけで、心が、ざわつくほどの、静けさだ。
「姉さんは、もちろん、神父様の言葉なんて、信じなかった。でも、その噂は、あっという間に、町中に広まって、みんなから、避けられるようになった」
「両親は?」
「母さんは、早くに亡くなって、親父は売り飛ばそうとしてた。姉さんだけが、泣いて、親父に頼んでくれて……毎晩、言い争う声が、聞こえてた」
少年は、一呼吸おく。
「そんなある日、大勢の人間が、家に来たんだ」
「大勢?」
「町の貴族とか、中央教会の偉い人とか、あと、レスリー先生も」
少年は続ける。
「親父に、万人に1人の選ばれし子で、世界を護る定めにある、とか言われて……大金と引き換えに、聖地へ連れて行かれた」
少女は、彼が、微かに、悲しげな表情を浮かべるのを見る。
「家を離れるのが、嫌だったの?」
少年は、かぶりを振る。
「まだ3つだったから、なんで、いきなり、こんな知らない場所に、連れてこられたのか、分からなかった。レスリー先生は、すごく厳しい人で、どんなに泣きわめいても、相手にしてくれなかった。ただ、冷たく、『勇者の継承を受けるまで、ここにいなければならない』って、言うだけだった。でも、勇者になんて、なりたくなかった。ただ、帰りたかった。姉さんと約束したんだ。必ず、待っていてくれるって。どんなに、長くても、どこにいても」
「あたし、一人っ子だから、そういうの、よく分かんないけど」
少女は、頬杖をつき、彼を見つめる。
「でも、そんな、お姉さんがいて、羨ましいわね。なるほど、それで、ロリには興味ないってわけか」
「うん、ルイズ姉さんは、本当に、優しくて、いい人なんだ」
出会ってから、初めて、少年も、はにかむように、笑みを浮かべた。
「でも、レスリー先生は、その言葉を聞いて、引っ叩いた。『女を言い訳にして、責任を放棄するのは、臆病者のすることだ。力を得た者には、責任が伴う』って」
「厳しい、おじいちゃんだこと」
コンリンは、ぺろり、と舌を出す。
少年は頷く。
「でも、あの頃の、自分に、どんな責任があるのか、さっぱり分からなかった。先生は、『お前は、神に選ばれし、世界を救う勇者だ。それが、お前の責任だ』って言う。だから、聞き返したんだ。『世界って何ですか? なんで、それを救わなきゃいけないんですか?』って。先生は、見て、長い間、黙ってた。そして、最後に、こう言ったんだ。『世界とは、たくさんの、生きている人間たちのことだ。今は、知らなくとも、将来、嫌いになる奴も、いるだろう。だが、好きになる奴も、いるはずだ』って」
「なんか、哲学者みたいね、その、おじいちゃん」
少年の顔が、気づかれぬほど、微かに、赤らむ。
「あの時、先生にも、聞き返されたんだ。『お前は、姉さんのことが、とても好きか?』って。無意識に頷いた。そしたら、先生は、自分の槍を渡して、こう言った。『お前の姉さんも、この世界の一部だ。彼女を護りたければ、まず、この世界を護れ。それが、理由だ!』って」
「まるで、教科書に載ってるような、シスコン黒歴史発言じゃない! あのおじいちゃん、分かってるわねぇ!」
少女は、顔を覆う。
「で、その、お姉さんは、どうなったの?」
「それは、また今度だ。次は、君の番だよ」
少年は、静かに、彼女を見つめる。
錫の容器を抱え、ご機嫌で話を聞いていた少女は、思わず、ごぼっ、と、水を吹き出しそうになる。
「え……え、これで、おしまい?」
コンリンは、顔を真っ赤にして、咳き込む。
「ちょっと、あんた、あたしの故郷で、そんな打ち切り方する小説家だったら、袋叩きにされて、路地裏でのびてるわよ?」
「君の番だ、魔王」
少年は、彼女の、ごまかしを、意に介さず、真剣な眼差しを向ける。
「君の黒歴史を、聞きたい」
彼は、そう言った。
少女は、思わず、顔を覆う。真面目腐った顔で、そんなこと言われると、こっちが、恥ずかしくて、死にそうだ。
(この、中二病の、バカ勇者、まさか、黒歴史って、本音トークとか、秘密の告白、みたいな意味だと、思ってるんじゃないでしょうね? 『君の本音が知りたい』? ……なんか、そう考えると、急に、安っぽい、恋愛小説みたいになってきたんだけど)
「あたし、昔、ロリコンだったの!」
彼女は、小声で言った。
「隣の家の、ちっちゃい子を、ストーキングしてたら、捕まっちゃって。それで、中二病は卒業したの」
ユアンは、きょとん、とする。
「おしまい」
コンリンは、俯いて、再び、朝食との、格闘を再開する。
少年は、何かを、考えるように、彼女を見つめている。墨色の翡翠のような、純黒の瞳。その、静かな眼差しに、見つめられ、コンリンは、なんだか、居心地が悪くなり、負けじと、睨み返す。
「言ったでしょ、あんたの、中二病な、バカげた問いには、答えないって。それに、黒歴史にも、長いのと、短いのがあるのよ。ロリをストーキングしたのも、立派な黒歴史なんだから!」
少年は、それでも、静かに、彼女を見つめている。その眼差しには、まるで、柔らかな、水のような色が、湛えられているようだ。少女は、目を、まん丸く見開き、必死に、彼を睨み返す。負けるものか、と、唇を、尖らせて。なぜ、こんなに、ムキになっているのか、自分でも、分からない。まるで、相手を騙したことに、後ろめたさを、感じているかのように。
少年が、ふっ、と笑った。
「分かった。魔王は、昔、ロリコンで、隣の家の、女の子を、ストーキングしていた。この黒歴史、覚えておくよ」
コンリンは、また、水を吹き出しそうになる。
「ちょっと、何よ、それ! 脅迫!?」
「脅迫?」
少年は、不思議そうな顔をする。
少女は、頭が、痛くなってきた。もう、黒歴史の、本当の意味を、教えてやるべきかもしれない……。
「分かった、分かったわよ、もう! あんたには、かなわないわ」
彼女は、精一杯、凶悪な表情を、作ってみせる。
「答えを、教えてあげる。でも、あたしの黒歴史、誰にも、言わないでよね!」
少年は、なんだか、おかしくなってきた。目の前の少女は、まるで、元気な、ウサギのようだ。ぴょんぴょん、跳ね回って、何を言いたいのか、さっぱり分からないけれど、それでも、心の、どこかが、くすぐったい。
「答えなら、あんた自身が、もう、言ってるじゃない」
彼女は、眉を、つり上げる。
「答え?」
「自分が、何を好きで、何を護りたいか。それが、あんたの正義ってことでしょ。世界は広いし、人生なんて、短いんだから。理由が、1つでも見つかったら、それで、中二病は、卒業なのよ」
コンリンは、彼を、じろり、と睨む。
「あたしが、どんな理由を見つけたか、なんて、聞くんじゃないわよ」
「何を好きで、何を護りたいか。それが、正義……」
彼は、少女の言葉を、繰り返す。
「ありがとう」
少年は、静かに微笑む。
「でも、実は、もう、分かっていたんだ」
「分かってた?」
コンリンが、眉をひそめる。
「ルイズ姉さんは、最初の柄だった。姉さんのために、世界を護ろうとした。でも、もういない」
彼は、静かに告げる。
「教会の正義は、2番目の柄だ。でも、今は、それさえ、見えなくなってしまった。……もう、剣を振るうことなど、できないのかもしれない」
少年は立ち上がり、彼女に、一礼する。
「ありがとう、アミル。また、朝食を、持ってくるよ」
記憶の中で、彼が、自分の名を呼んだのは、それが、初めてだった。微かな、温もりと、親しみを帯びた、その声は、記憶の彼方にある、誰かの姿と、重なって見えた。
・
・
・
**城外**
**南営 ハイランド軍駐屯地**
「何だと!?」
物憂げな顔の男が、寝台から、がばっ、と飛び起き、相手の首根っこを、掴み上げる。
「もう一度、言え!」
近衛兵は、エドワードの、突然の剣幕に、度肝を抜かれたように、どもりながら、口を開く。
「か、カール様より、殿下に、ご報告せよと。今朝、ロートベル軍が、陣をたたみ、撤退の準備を、始めたとのことで」
「奴ら、どこへ、引き上げるつもりだ!?」
男は、眉間に、深い皺を寄せ、問い詰める。
「そ、それは、分かりかねます。カール様が、現在、調査中で、間もなく、お戻りになるかと」
「誰か、馬の用意を!」
男は、天幕を、ばっ、と、はねのけ、大喝する。
「槍騎兵第三大隊! 続け! ロートベルの駐屯地へ向かう!」
・
教会の、一部の聖職者、将軍、及び、親衛隊を除き、連合軍の、大部分は、城外に駐屯し、南北二つの陣営に、分かれていた。これは、兵士たちの、習慣や、風俗に配慮したもので、政治的な意図は、特にない。
ロートベルの駐屯地は、城外の、断崖の前にあり、青梓の木と、華燁の林が、鬱蒼と茂り、陣営全体を、覆い隠している。視界の良い日には、南の崖から、ブラチェノ川の両岸を、見渡すことさえできる。あの、豪猪のような、北の武人が、こんな場所を、選んだとは、少々、意外だ。
真紅の騎馬隊が、林の手前で、停止する。若い指揮官が1人、林の中へと、案内する。
「カール、状況は?」
若い副官が、頭を下げ、礼をする。
「ロートベルは、今朝、捕虜を、すべて城外へ移送し、現在、南に集結させております。駐屯地には、100人足らずの奴隷が残り、昨日の戦死者と、重傷で、亡くなった兵士を、埋葬しております。それが終わり次第、出発するものと」
「レスリー大主教は、このことを?」
「ベータウィス将軍は、特に、使者を送ってはいないようです。ですが、すでに、情報は広まっておりますゆえ、レスリー様も、間もなく、対応されるかと」
「くそっ、あの、バカ、本当に、ただの猪か」
常に、余裕綽々だった皇子も、思わず、舌打ちする。
「カール、直ちに、教会へ、使いをやれ。あの、脳筋ヤマアラシに、会ってくる」
「はっ!」
・
魁偉な北の武人は、輜重車の上に、どっかりと、腰を下ろしていた。長時間、脱いでいない戦鎧は、土埃に、塗れている。
極北の地、ロートベルで生まれた戦士は、馬に乗る習慣がなく、代わりに、野戦能力に、極めて、長けている。ロートベル軍全体で、輜重部隊に、少数の馬がいる他は、主将である彼でさえ、馬に乗ることはない。蛮族の戦士にとって、先陣を切り、死を恐れぬことこそが、誉れ。飾り立てた馬に乗り、安全な後方に、控えるなど、臆病者の、することだ。
だから、金細工の鎧を纏い、白馬を、颯爽と、駆る男の姿を見た時、彼の眉間には、深い、深い、皺が刻まれた。
「エドワード殿下か」
武人は、冷たく言い放つ。
「朝早くから、我がロートベルの陣に、何か、ご指南でも?」
「閣下が、帰国の途に就かれると聞き、見送りに参った次第だ」
男は、慇懃に馬を下り、大陸共通の、騎士の礼をとる。
武人は、軍隊式の礼で返すが、その顔の、険しさは、和らがない。
「もし、殿下が、ここに残れと、説得しに来られたのなら、お引き取り願おう。ロートベルの人間は、利口ではないかもしれんが、二度も、他人の手先として使われるほど、愚かでもない」
エドワードは、はっ、とした。
(このヤマアラシ、少しは、利口になったか?)
教会が、他の四国を、懐柔するために、ロートベルを犠牲にしたことを恨み、撤退するのだとばかり、思っていた。まさか、自分の、来訪の意図まで、見抜かれていたとは。
(誰か、裏で、知恵をつけているな……一体、誰が)
男は、声もなく、ふっ、と笑う。
「ベータウィス閣下が、そこまで、明け透けに仰るのであれば、回りくどい真似は、よそう。少し、人払いを、願えるか」
武人は、眉をひそめる。黙って、目の前の男を、睨みつける。刃のような、鋭い視線が、相手の全身を、舐め回す。だが、エドワードは、ただ、平然と、その視線を、受け止めている。
武人が、手を振ると、護衛の兵士たちは、心得たとばかりに、林の中へと、下がっていく。その場には、2人だけが、残された。
「魔王は、殺してはならぬ」
エドワードが、不意に、口を開く。その眼光は、刃のように、鋭い。
「もし、殺すなら、この場で、殺さねばならぬ。さもなくば、たとえ、閣下が、今、国へ退いたとしても、いずれ、ロートベル全土が、教会の、軍門に降ることになるぞ」
武人は、唖然として、彼を見る。そして、かあっ、と怒りを露わにする。
「ロートベルは、狼神の故郷! 教会の、属国ではない!」
「ベータウィス閣下、教会が、この遠征を、企てた目的を、ご存知か?」
男が、相手の言葉を遮る。
武人は、怪訝な顔で、彼を見る。しばし、沈黙した後、答えた。
「土地の開拓、富の略奪、魔族の、打倒……?」
「中央教会は、3000年、聖地グレーサを守り、外へ、版図を広げたことは、一度もない。奴らが、土地など、欲しがると思うか?」
エドワードは、かぶりを振る。
「富というなら、この上大陸広しといえど、教皇聖下ほどの、金持ちは、おりますまい」
「土地でも、金でもないなら、一体、何のために、戦を?」
武人が、眉をひそめる。
「まさか、本気で、大陸の平和のため、とでも?」
「人心と、信仰のためだ」
「人心と、信仰?」
「たとえ、ここで、魔王を殺したとて、魔族が、降伏するはずもない。教会も、我々が、魔界の、3分の1の領土を、占領できたのが、限界であることは、承知の上だ」
エドワードは、しばし、沈黙する。
「ゆえに、奴らは、十三人議会が、差し出した、『オリーブの枝』を、受け取ったのだ」
「オリーブの枝、だと?」
「あの、小娘のことさ」
エドワードは、不意に、武人の耳元に、顔を寄せ、声を潜める。
「昨年より、魔族の将軍たちは、勇者の、斬首作戦を恐れ、己の、所在を、隠すことに、躍起になっていた。にも関わらず、この、肝心な時に、最も、重要な、魔王の居場所だけが、教会に、知られていたとは、実に、興味深い話ではないか。しかも、魔王を、生け捕りにした途端、レスリー閣下は、3日後の、連合軍、出立を、決定された。これは、恐らく……」
エドワードは、言葉を切り、意味ありげに、武人を、一瞥すると、続けた。
「恐らく、魔族とは、裏で、停戦協定が、交わされている。そうでなければ、カイルモハンの、あの性格で、易々と、勇者を、渡河させるはずがない。……ただ、昨日、命を落とした、ロートベルの、数千の兵たちが、一体、誰の名声のために、犠牲になったのか、ということですな」
武人は、驚愕し、普段は、怠惰な男が、滔々と、語るのを、見つめている。不意に、何か、巨大なものが、胸を、圧迫し、息が、詰まるような、感覚に襲われた。
「教会と、魔族が、裏で、繋がっている、だと? 証拠は、あるのか!?」
「無論、ない」
その時、男は、また、いつもの、気のない、怠惰な笑みに戻っていた。
「だが、証拠など、必要ないこともある。考えてもみられよ。もし、レスリーが、この、『オリーブの枝』を、聖地へ持ち帰り、裁きにかければ、教会と勇者は、3000年来、未曾有の、名声を得ることになる。その時、この上大陸において、熱狂的な信者たちの、布教を、妨げることのできる者は、誰一人、いなくなる。たとえ、諸国の王でさえも、だ。その時、狼神の故郷は、天の父の、属国と、名を変えることになるでしょうな」
男は、冷静に、魁偉な、蛮族の武人が、がばっ、と立ち上がり、その、虎のような目に、獰猛な光を、宿すのを、見つめている。
だが、その、獰猛さは、一瞬のことだった。武人は、また、どすん、と、その場に、座り込んでしまう。
「それでも、なお、閣下は、撤退されるおつもりか?」
エドワードは、苦渋の表情を浮かべる武人を、じっ、と見据える。
ベータウィスは、重々しく、ため息をついた。何も言わず、ただ、甲冑の中から、1枚の、書状を取り出す。それは、各国の王室が、伝令に用いる、玉紙だった。
「昨夜、届いた……」
武人が、嘆息する。
エドワードは、怪訝な顔で、それを受け取る。だが、一目、見た瞬間、彼は、凍りついたように、動かなくなった。男の体が、微かに、震え、書状を、握りしめていた手が、力なく、垂れ下がる。
「そうか……そういうこと、だったのか……」
エドワードは、長く、息を吐く。
「俺は、レスリーには、及ばない、か」
彼は、それ以上、何も言わず、書状を、武人に返す。ベータウィスが、引き止め、何か、言おうとするが、男は、ただ、手を振ると、馬に跨り、二度と、振り返ることはなかった。
同じ頃、1羽の、火の鳥が、矢のように、青空を切り裂き、南へと、飛び去っていった。"




