第三章 邂逅(二)
"月は中天に差し掛かり、祖廟の正殿では――。
「ハイランド皇子、エドワード・グラント殿下、ご到着!」
扉を開けて入ってきた男は、慇懃に一礼する。華美な金細工の鎧を纏い、その表情は、どこか気怠げで、余裕たっぷりだ。
そして、例の、魔族の王とやらは、広間の真ん中で、三重の『非天結界』なるもので強化された鎖に、がんじがらめに囚われていた。傍らには、銀の鎧に剣を佩いた少年――勇者ユアンが、控えている。監視しているようでもあり、どこか、庇っているようにも見える、そんな立ち位置だ。漆黒の外套に、すっぽりと包まれているせいで、魔王の素顔を窺い知ることはできないが、そのシルエットは、どう見ても、幼い子供のそれだった。
男の視線が、魔王の姿を、ねめつけるように辿る。眉が、微かに、ぴくり、と動いた。ユアンが、警戒の色も露わに、男を睨み返す。
エドワードは、やれやれ、と肩をすくめると、ぐるり、と並べられた6脚の椅子を見回した。中央の、教会のために空けられた席を除き、すでに全員が着席している。
ハイランド、フレティア、ロートベル、ローランス、ラガット。上大陸で最も強大な5つの国の代表が、今、魔族の王と、一堂に会している。まったく、世の中ってのは、奇妙奇天烈、何が起こるか分かったもんじゃない。
「レスリー様は、まだお見えにならないのか?」
魔法付与されたミスリルの軽鎧を纏った、ローランスの将軍が、重々しく口を開く。
「教会の、あの、ふんぞり返った態度、今に始まったこっちゃねえだろ」
例の、ヤマアラシみたいな北の武人、ベータウィスが、憎々しげに口を挟む。
その言葉に含まれた、ぷん、と匂う火薬の臭いに、居並ぶ将軍たちは、一斉に眉をひそめた。
「ベータウィス閣下、どうか、お言葉を慎まれますよう」
空席である主座の傍らに立つ神官長が、腰を折り、静かに、だが、はっきりと告げる。
武人は、ふん、と鼻で笑うだけだ。
「まあまあ、落ち着きなされ。確かに、先ほどは一敗地に塗れたが、その代わり、もっとデカい獲物を、っ捕まえたわけだ。差し引きすれば、そう損でもないでしょうが」
ラガットの将軍、ブルータス公爵が、パン、と手を叩き、場を和ませるように言う。南国風の、ゆったりとした長衣を纏ったその姿には、軍人らしい殺気など微塵もなく、まるで、人の好さそうな、金持ちの商人にしか見えない。
その時、次席に座っていた中年の男が、静かに口を開いた。上位者特有の、優雅で、落ち着いた物腰。だが、その言葉には、血の通わぬ冷たさが滲んでいる。
「レスリー閣下を待つまでもあるまい。どうせ、この獲物を、どう料理するか、話し合うだけのことだ。わしに言わせれば、さっさと一刀両断にしてしまえばよかろう。聞けば、魔王は、『継承の印』とやらで、魔族に号令をかけるという。ならば、その魔王の首と印を、十三氏族に送りつけてやるのだ。それでもなお、我らに刃向かおうという一族が、どれだけいるか、見物ではないか」
「そう、あっさり殺してしまうのは、少々、勿体ない気もしますがね」
エドワードが、にこり、と笑う。
「公爵殿下」
「エドワード殿下には、何か、名案でもおありかな?」
中年の男が、眉をひそめる。
エドワードは、2、3歩、進み出ると、魔王の傍らに立った。そして、皆が、あっけにとられる中、不意に手を伸ばし、外套の頭巾を、ばさっ、と払いのけたのだ。
銀色の長髪が、さらり、と流れ落ちた瞬間、誰もが、極北の風雪を思わせる、凛とした、冷たい香りを感じ取る。
少女が、はっ、と顔を上げた。銀髪の下、小さな耳が、微かに、ぴくぴく、と震えている。まるで、驚いた子猫のように。
その場の誰もが、目の前の光景に、息を呑んだ。魔族の王といえば、獰猛で、恐ろしい竜人でなくとも、せめて、狡猾な半獣族だろうと、誰もが思っていた。まさか、こんな、か弱く、美しい少女だったとは。
白磁のような、汚れのない顔。銀色の髪に包まれた、華奢な体。まるで、精巧な陶器の人形だ。思わず触れたくなるが、うっかりすると、粉々に砕けてしまいそうな、そんな儚さ。
「どういうことだ、こりゃあ!?」
北の武人が、椅子の肘掛けを、ガンッ、と叩きつける。
「教会は、適当な小娘を捕まえて、魔王の替え玉に仕立て上げ、俺たちを、コケにするつもりか!」
「まあ、落ち着いてください、ベータウィス閣下」
エドワードは、かぶりを振り、相手を宥める。
「公爵殿下が、先ほど仰ったでしょう。魔王には、古来より伝わる継承の印があり、他の魔族に号令をかけられる、と。教会が、そう簡単に偽造できるものでもありませんよ」
男は、コンリンの、うろたえた様子を面白そうに見つめながら、まるで、小さな女の子をからかうように、そっと耳元で囁く。
「そんなんじゃ、誰も君を助けられないぞ?」
(なんなの、こいつ? 只者じゃないわね。あたしの考え、全部お見通しってわけ?)
コンリンは、ぐっ、と歯を食いしばる。もう、可哀想なフリは、通用しない。彼女は、エドワードを、きっ、と睨みつけると、前髪をかき上げ、あの、精巧な紋様を晒した。
瞬間、凄まじい魔力の波動が、広間全体を、ぶわり、と駆け巡る。ユアンは、はっ、として、腰の聖剣に手をかけた。だが、その波動は、瞬く間に、跡形もなく消え去った。
「これが……魔王の印、か」
その場にいた全員の胸が、ざわり、と粟立つ。何か、恐ろしいものに、じっ、と見られているような、気味の悪い感覚が、拭い去れない。
「どうやら、本物の魔王陛下で、間違いなさそうだ」
エドワードは、興味深げに、その様子を眺め、意味ありげに、にやり、と笑う。
「聞くところによると、一昨年あたりから、魔族の捕虜が、上大陸の奴隷市場に、流れ込んでいるとか。奴隷商人の手に掛かれば、教育の行き届いた貴族の少女が、どれほどの値で売れるか、諸侯方はご存知のはずだ」
アレクサンダー殿下、と呼ばれた中年の男が、眉をひそめる。
「エドワード殿下、回りくどい言い方は、よしたまえ」
「ハイランド北方の都市1つと引き換えに、教会から、この捕虜を譲り受けたい」
男は、居並ぶ面々を、ぐるり、と見回す。その眼光は、鋭い。
「どのみち、皆が欲しいのは、魔王を討ち取ったという名目だけだろう? 本当に殺したかどうか、なんて、魔王が二度と姿を現さなければ、大した問題じゃないはずだ」
「殿下、なりませぬ!」
副官が、信じられない、といった表情で、主の、とんでもない発言に、声を上げる。
エドワードは、唇に指を当て、シーッ、と部下を制する。そして、ようやく、焦りの色を見せ始めたコンリンに向き直り、にこり、と笑いかけた。その視線は、最終的に、いつの間にか広間に入り、主座に腰を下ろしていた老人の前で、止まる。
「いかがでしょうか、レスリー大主教閣下」
老人の、枯れ木のような右手が、椅子の肘掛けを、とん、とん、と規則的に叩いている。その顔からは、一切の感情を読み取ることはできない。
ユアンは、少女が、悔しそうに、唇を、きゅっ、と噛みしめるのを見て、そっと、ため息をつく。そして、進み出ると、再び、彼女の頭に、頭巾を被せてやった。
「その件は、後回しだ」
老人が手を振ると、背後に控えていた神官が、1つの包みを捧げ持ってくる。ごくありふれた布の包みだが、今は、どろり、とした鮮血に塗れている。布越しに、ぼんやりと、人の顔のようなものが、浮かび上がっていた。
――まさか、人間の、首?
「ベータウィス閣下。まずは、これについて、説明していただけるかな?」
老人の声は、あくまで、淡々としている。30分前、ロートベルの使者が、これを、彼のもとへ届けてきたのだ。
「レスリー様、この一戦で、どれだけの者が死んだか、ご存知か?」
魁偉な北の武人が、ゆっくりと立ち上がる。その声は、低く、地を這うようだ。
「戦死者、2300。負傷者は、およそ3000、といったところか」
老人の傍らの神官長が、静かに答える。
「我らロートベルには、しきたりがある。戦に出て、帰らぬ者があれば、同郷の者が、その体の一部を、故郷へ持ち帰り、弔うのだ。だが、この戦では……首を持ち帰れるだけでも、まだマシな方だ。多くの兵は、骨の一片すら、見つかってはおらん」
老人が、眉をひそめる。
「大主教様にお伺いしたい。我が軍が、南岸を確保していたにも関わらず、なぜ、撤退命令を下されたのか、と」
ローランスの将軍が、眉を、ぴくり、と動かす。
「ベータウィス閣下、我々の、今回の目的は、そもそも、渡河してカイルモハンを奇襲することではなく、勇者殿の渡河を、援護することにあったはずだ」
「貴様らの、あの、愚かな躊躇がなければ、我が部隊は、とっくに、あのダークエルフどもを、地獄へ送り返していただろうよ!」
武人が、冷たく吐き捨てる。
「カイルモハンが、何者か、お忘れか。ダークエルフ一族の聖子が、貴殿に、易々と首を獲らせるような、隙を見せるとでも?」
アレクサンダーが、かぶりを振る。
「失礼ながら、たとえ、閣下の兵が、倍いたとしても、無駄死にを増やすだけだったでしょうな」
「貴様らが、絶好の渡河の機会を逃し、寒霜騎士団を、先に渡河させ、隊列を整えさせていれば! 万全の態勢で迎え撃てていれば、あの3000の兵が、易々とカイルモハンに、食い破られることなど、なかったのだ!」
「絶好の、機会、ですと?」
アレクサンダーは、呆れたように笑い、もはや、議論する気も失せたようだ。
「ならば、次回は、ベータウィス閣下に、前線指揮をお任せいたそう。ブルータス公の寒霜騎士団と、よくよくご相談なされ。我らは、閣下の、凱旋の報を、お待ちしておりますぞ」
「そこまでだ」
老人が、ようやく手を上げ、言い争いを制した。
武人は、なおも何か言いたげだったが、レスリーが、ゆっくりと、視線を向けた。老人の眼差しに、威圧的な殺気はない。だが、そこには、声なき威厳が、重く、のしかかっていた。
「各国の主君より、連合軍の指揮を一任されておる。軍令は山のごとし。一度下された命は、絶対だ。ベータウィス閣下、もし、従えぬと仰せなら、兵を率いて帰国されよ。ロートベル国王陛下には、書状にて、事の次第を、ご説明する」
魁偉な武人の顔が、怒りのために、青黒く歪む。だが、老人の視線とぶつかった瞬間、ぞくり、と、全身に悪寒が走るのを、禁じ得なかった。その刹那、穏やかで、老獪なだけの老人が、まるで、別人のように、威厳と、厳粛さを纏い、何人たりとも、逆らうことを許さぬ、絶対者と化していた。
武人は、ふんっ、と、忌々しげに鼻を鳴らすと、乱暴に背を向け、その場を後にした。
・
しばしの沈黙の後、老人は、席についている、気怠げなハイランド皇子を見上げた。
「エドワード殿下」
「大主教様、何なりと」
男は、恭しく立ち上がり、完璧な騎士の礼で応える。
「此度の、魔族の王、生け捕りは、ここに居並ぶ諸侯方の力があってこそ。教会のみの功績ではない。ゆえに、殿下の、捕虜交換の申し出は、承諾いたしかねる」
老人が、静かに告げる。
男は、声もなく、ふっ、と笑みを漏らす。
「若輩者の、浅はかな考えで、大主教閣下を困らせてしまいましたな」
「ご理解いただけたのなら、何よりだ」
老人は頷き、厳格な眼差しを向ける。
「本来なら、激戦の直後、こうして、夜更けに、皆様をお呼び立てするなど、非礼の極み。だが、魔王の件は、一大事。皆で協議しなければ、諸侯方も、心が安まらぬであろう」
一同が、微かに頷く。そして、すべての視線が、再び、広間の中央にいる少女へと注がれた。
「では、無駄話で、皆様の時間を、これ以上、煩わせることはすまい」
老人は言った。
「魔族の王の命を、生かし、別の用途に使うか。あるいは、この場で処刑し、十三氏族への、見せしめとするか。挙手による、採決を」
同じく、その場に立っていた少年は、思わず、息を呑む。広間は、しん、と静まり返り、ただ、夜風の、ひゅう、という音だけが聞こえる。ユアンは、思わず、少女に目をやった。コンリンは、こてん、と首を傾げ、彼の、一瞬の、気遣わしげな視線に気づくと、唇の端に、微かな笑みを、ちらり、と浮かべてみせた。
老人が、気づかれぬほど、小さく、ため息をつく。
「魔王を生かすことに、賛成の者は、挙手を」
余裕の表情のエドワードが、真っ先に手を挙げる。ゆったりとした長衣のブルータス公爵も、一瞬、ためらった後、右手を挙げた。
老人は頷く。
「では、この場での処刑に、賛成の者は、挙手を」
次席の中年の男と、ローランスの将軍が、同時に手を挙げた。
少年は、驚き、その成り行きを見守る。その場にいた全員の目に、当惑の色が浮かんだ。
2票対2票?
死のような沈黙が、しばらく続いた。やがて、老人が、その沈黙を破り、ゆっくりと告げる。
「ならば、最後の一票を投じるとしよう」
「ユアン」
老人は、己の弟子を見つめ、しばし、黙考する。
「魔王を連れて、下がり、収監せよ」
少年は、驚いて、師を見返す。その瞳に、微かな、安堵の色が浮かぶ。
「3日の後、聖地へ護送する」
老人の声には、一切の感情が、込められていなかった。
「――衆人環視の中、処刑せよ」
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「殿下! 殿下!」
若い副官が、焦った様子で、前を行く男を追いかける。エドワードは、広間を、さっさと後にすると、ひらり、と馬に跨った。
2騎の馬が、祖廟を駆け出し、城外の、ハイランド軍駐屯地へと、一直線に向かう。
「殿下!」
副官は、馬を飛ばし、男の前に回り込む。
「殿下、どうか、お気を確かに! たかが女1人のために、教皇庁を敵に回すなど、断じて、なりませぬぞ!」
だが、先ほどまで、怒りを露わにしていたはずの男は、今や、いつもの、飄々とした、余裕の表情に戻っていた。
馬上のエドワードは、気怠げに、だが、楽しそうに笑っている。まるで、何不自由ない、お気楽な、お坊ちゃまのように。
「落ち着く必要があるのは、お前の方じゃないか、カール」
「殿下、あなたは……?」
副官は、あっという間に、表情を変えた皇子を、呆然と見つめる。
「ハイランドの第一皇子は、女好きで軽薄、使い物にならない愚か者。世間の誰もが、そう思ってる。俺はただ、噂に合わせて、それらしく振舞ってやっただけさ」
エドワードは、副官を、ちらり、と見る。
「まさか、本気で、俺が、あんな毛も生え揃っちゃいない小娘に、気があるとでも思ったのか?」
副官は、ばつが悪そうに笑うが、その目には、まだ、疑いの色が、残っている。
「おいおい、お前の主は、そんな奴に見えるか? 長年ついてきて、俺が巨乳好きだってことくらい、知ってるだろ」
男は、照れくさそうに頭を掻き、はぁ、とため息をつく。
「さっきのは、レスリーの腹を探るための、ちょっとした芝居さ」
「なぜ、レスリー様を?」
副官が、驚いて尋ねる。
「カール、この上大陸は広いが、我がハイランドに匹敵する国が、いくつあると思う?」
副官は、少し考え、声を潜めて答える。
「我が国は、水運に恵まれ、物産も豊か。加えて、ランデル陛下と国会の長老方は、賢明かつ、仁徳にあふれ、百年近く、善政を敷かれております。国力のみで論ずれば、フレティアを除き、ロートベル、ローランス、ラガットも、侮りがたいとはいえ、我が国には、一歩、譲るかと」
「教科書通りの答えだな」
男は、くっ、と笑う。
「暗記は得意なようだが、教科書には書いてないこともあるんだぞ」
副官は、恥ずかしそうに俯き、教えを乞う姿勢を見せる。
「さっき、ハイランドに匹敵する国はいくつあるか、と聞いたが。お前、1つ、数え忘れてないか?」
副官は、怪訝な顔で彼を見る。だが、次の瞬間、ある、恐ろしい考えが、その胸中に、閃いた。
「きょ、教会……」
「しーっ。分かればいい、口に出すな」
男は、苦笑交じりに、声を潜める。
「諸王は、目先の土地を巡って、血で血を洗う争いを繰り返し、何万もの屍を積み上げている。だが、自分たちの国そのものが、奪われかけていることに、気づいちゃいない」
余裕綽々だった男の顔に、初めて、厳粛な色が浮かぶ。
「カール、覚えておけ。土地は、決して国の根幹ではない。人こそが、国の礎だ。あの小娘が背負っているのは、魔王という肩書だけじゃない。人の心、そのものなんだよ」
副官は、静かに頷くが、その目は、まだ、どこか、戸惑っている。
男は、軽く笑った。
「いい子だ。ベータウィスの、あのバカが、お前の半分でも、物分かりが良ければな。あのバカが、まさか本当に、面と向かってレスリーに盾突くとはな。おかげで、阻止する絶好の機会を、みすみす逃しちまったじゃないか」
「では、我々は、これから、どうすれば?」
副官が、声を潜めて問う。
「今、何時だ?」
「殿下、もうじき、夜明けです」
「バカだな。決まってるだろ、まずは帰って寝るのさ」
男は、若い副官の頭を、ぽん、と叩き、笑った。"




