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第九章 意地悪な神様

"「何ですか、それ?」

 ユアンは、コンリンが右手を上げ、その指先に、錦の布で作られた小さな袋をぶら下げているのを、物珍しそうに見つめる。

「狐族に伝わる、お守りよ。なんでも先祖の誰かが、友達を見送る時に渡したのが、始まりなんだって」

 彼女は言う。

「あんたに、あげる」

「僕に?」

 ユアンは、きょとん、として、それを受け取った。それは、上等な青絹と鮫綃で包まれた、小ぶりで、精巧な香袋。珊瑚色の紐が通され、少年の手のひらに、ちょこん、と乗っている。

 素材は、極上品だが、その、なんとも不格好な縫い目を見て、彼は、ふと、ぞっとするような考えが頭をよぎった。

「これ、まさか、あなたが……」

「死にたいなら、言ってみれば?」

 女の子は、ギロリ、と彼を睨みつける。

 少年は、一瞬、固まり、顔に、それと気づかれぬほどの、赤みが差した。彼は、慌てて、話題を変える。

「どうして、これを僕に?」

「あんた、シャオイエを助けてあげたじゃない。その、お礼」

「でも……」

 彼は、少し、ためらった。

「僕たちは、敵同士、じゃ……?」

「だから、『お礼』だって言ってるでしょ、『プレゼント』じゃなくて。これなら、あんたも、思想が揺らいだとか、魔王から賄賂を受け取ったとか、誰かにチクられる心配もないじゃない」

 女の子は、わざとらしく、彼を、じろり、と見ると、唇を尖らせた。

「勘違いしないでよね。これ、元々は、ユーフィにあげるつもりだったんだから。どうせ、あたしもあんたたちに首を刎ねられるんだし。死んだら、おしまい。誰かにあげなきゃ、せっかく作った時間が、無駄になるだけだもの」

 ――やっぱり、これ、彼女が作ったんだ……。

「ごめん……」

 少年は、申し訳なさそうに、そして、少し、恥ずかしそうに、目を伏せ、呟いた。

「こういう時は、『ありがとう』って言うもんでしょ?」

「ありがとう」

「あんたのこと、お人好しだとは思ってたけど、今日は、なんだか、特別、素直ねぇ」

 コンリンは、退屈そうに、相手を、ちらり、と見る。

「まるで、新婚の奥さんみたいじゃない。ところで、このお守りの使い方、知ってる?」

「身につけるもの、ですよね?」

 少年は、顔を赤らめながら、頷く。

「本で読んだことがあります。北方の国々にも、似たような風習があって、出征前に、女性が、身につけていた装飾品に、十字の紋章を刺繍して、恋人に贈り、天の父のご加護を祈る、とか」

「どこの世界にも、カップルが見せつけてくる風習ってあるのね……って、なんで、あんたが赤くなってんのよ! 勘違いするなって言ったでしょ、この純情童貞勇者様!」

 コンリンは、彼を睨みつけ、それから、はぁ、とため息をつき、説明する。

「これは、愛の証とか、そういうんじゃないの。狐族が、『秋の祭』の時に、願い事をするためのもの」

「願い事?」

「『言の葉』に、願い事を書いて、この中に入れて、『里木』に吊るすの。そうすれば、秋の祭の時に、先祖の霊が、願いを叶えてくれるって」

 彼女は、少し、懐かしそうな顔をした。

「里木っていうのは、城の真ん中、泉の傍にある、一番大きな青梓の木のこと。この、雲の上の城をお造りになった、仁祖陛下がお植えになったものだって言われてる。言の葉は、その里木の葉っぱ。例年なら、この時期、みんなで集まって、収穫祭の準備をしたり、香袋を吊るして、来年の平安を祈ったり、『雲上観潮』っていう、絶景を見たりするんだけど……今年は、この有様じゃ、無理そうね」

 女の子は、ふと、顔を上げた。

「ところで、城のみんなは、どうしてる?」

 ユアンは、一瞬、きょとん、としたが、コンリンが、城の狐族のことを尋ねているのだと、すぐに気づいた。

「レスリー先生が、全域に戒厳令を布告されました。昼夜を問わず、です。朝と夕方、四半刻だけ、泉水広場へ水を汲みに行くことが許される以外、狐族が、単独で城内を歩き回ることは、一切、禁じられています。もし、見つかれば、その場で処刑されることに」

「まるで、強制収容所ね……今年の秋の祭は、あたしが死ぬ前に見ることは、できなさそう」

 女の子は、眉をひそめ、ため息をつく。

「それにしても、あの、おじいちゃん、随分と、抜け目ないのに、どうして、あんたみたいな、お人好しな生徒を育てちゃったのかしらね」

「僕は、レスリー先生の期待に応えられなかったんです」

 少年は、俯き、その瞳に、陰が差す。

「先生は、15年、僕に教え、勇者となり、教会を率いて、この戦を終わらせることを望んでおられました。なのに、僕は、一番、大事な時に、『道を見失ってしまった』」

「『道を見失う』って、つまり、あんたたちの、天の父とやらが、あんたが、その意思に背いたって判断して、勇者の誓約の力を奪っちゃったってこと?」

 少年は、怪訝な顔で彼女を見て、頷いた。

「あなたも、勇者のことを知っているんですか?」

「昔、ある魔王陛下が、その時代の、女勇者のことを、それはそれは気に入ってね。勇者にまつわる、ありとあらゆる逸話や伝説を調べ上げ、一冊の日記にまとめて、魔王宮の宝物庫に保管したのよ」

 コンリンは説明する。

「だから、最初に言ったでしょ? 本で読んだって。歴代の勇者は、みんな、お人好しで、神の、絶対的な正義と慈悲の象徴、とか、なんとか」

「ま、魔王が、勇者を好きになるなんて!?」

 19歳の少年は、まるで、価値観を根底から揺さぶられたかのように、突然、どもり始めた。

「ど……どうして、僕は、そんな歴史を知らないんですか? そ、その魔王陛下は、最後、どうなったんです?」

 ――このバカ、魔王に「陛下」なんてつけてるし。

 女の子は、目の前で、あからさまに動揺している少年を見て、内心、おかしくなる。あんたたちの神様、勇者の中に裏切り者が出たと思って、あんたから誓約の力を奪ったんじゃないでしょうね?

「ちょっとは、頭、使いなさいよ、この童貞バカ勇者様」

 コンリンは、呆れたように、彼を見る。

「あんたが、その歴史を知らないってことは、つまり、あんたたちの教会が、それを公にしたがらなかったってことでしょ。結末なんて、簡単に想像つくじゃない」

「つまり、その魔王は……」

 ユアンは、長い間、逡巡し、ようやく、口を開いた。

「その魔王陛下は、勇者を、打ち負かした……?」

 女の子は、思わず、顔を覆った。

「もう、あんたって本当に……純情すぎない? 勇者くん。いい大人なんだから、もっとストレートに言えばいいじゃない。何が『打ち負かす』よ。今風に言えば『攻略』、真面目に言えば『付き合う』、古臭く言えば『ゲットした』でしょ。その『打ち負かす』って、どういう意味よ」

「じゃあ……」

 少年は、ためらいながら、言った。

「その魔王陛下は、勇者と、付き合ったんですか?」

「そんなこと、あたしが知るわけないでしょ」

 女の子は、ふん、と鼻を鳴らす。

「魔族は、あんたたちとは違うの。史官なんて、いないし。それに、次の魔王が、前の魔王を倒して即位するなんて、日常茶飯事なんだから。よほど、偉大な王でもない限り、魔王の歴史なんて、ほとんど残らないのよ」

「そう、ですか」

 少年は、なぜか、ほっ、と息をついた。

「でも、あたしは、あんたを『攻略』したいかも」

 女の子は、不意に、こてん、と首を傾げ、彼を見て笑う。銀色の長い髪が、さらり、と流れ落ち、絹のように、足元に広がる。髪の根元に隠れた耳が、ぴょこん、と立ち、その笑顔は、まるで、悪戯っぽい猫のようだ。

「――もし、あんたが女勇者だったら、の話だけどね」

 彼女は、そう言った。


 ・

 ・


**夕刻 雲上絶域城**


 エドワードは、退屈そうに、あの、恰幅の良い公爵殿が、欠伸をしながら、しきりに、後殿の扉を気にしているのを眺めていた。

 連合軍が、この雲上の城を陥落させて以来、祖廟の前殿は、連合軍の議事堂となり、後殿は、レスリー大主教の居室として使われている。

 昨夜、カイルモハンは、3日の約定を残し、軍を率いて渡河し、引き揚げていった。それが、攪乱のための、見せかけなのか、本当に、3日後に城を攻めるつもりなのかは、分からない。そして、連合軍の長であるレスリー大主教は、戻ってからというもの、誰とも会おうとしない。今、この場にいる将軍たちは、ただ、互いに顔を見合わせるばかりで、どうしたものかと途方に暮れている。

 午前中に、城を出た寒霜騎士団と十字近衛軍の騎馬隊も、続々と帰還した。彼らの報告によれば、ロートベルの野営地は、見るも無残な有様だった、と。まるで、地獄絵図。カイルモハンは、数人の間者を、わざと逃がした以外、ほとんど生存者を残さず、死体まで山積みにされ、焼かれていた。あの、ヤマアラシのような北の蛮族の武人の首は、わざと、死体の山の上に置かれていたという。まるで、無言の警告のように。

 最終的に、教会の神官たちが、ベータウィスの遺体を持ち帰った。覚悟はしていたものの、連合軍の将軍たちは、その、無念の形相の首を見て、背筋が寒くなるのを禁じ得なかった。勇者の力という、後ろ盾があった、これまでの、楽な勝利とは違う。今度こそ、自分たちは、魔族最強部隊の一角との、本当の戦に直面するのだ。

「レスリー様は、まだ誰とも会われぬのか?」

 ローランスの将軍が、眉をひそめる。

 神官長が、恭しく一礼する。

「大主教様は、連日のご心労に加え、昨夜、塔楼で夜風に当たられ、現在、静養中でございます」

 ローランスの将軍は、ため息をつき、他の3人に向き直った。

「諸侯方、いかがお考えか? カイルモハンが、このまま引き下がるとは、到底、思えぬ。もし、3日後、奴が、本当に軍を率いて攻め寄せてきたら、どうする?」

「カール、現在、城内には、総勢、どれだけの兵がいる?」

 エドワードが、静かに尋ねる。

「殿下に申し上げます。四カ国連合軍、総計5万1400。加えて、教会十字近衛軍、5000余。その他、商人及び後方支援要員、数は不明。戦闘可能な人員は、およそ5万8000かと」

「5万8000対3万。しかも、こっちは籠城だ」

 エドワードは、ローランスの将軍を見て、両手を広げてみせる。

「閣下は、どうすべきだと? ま、俺には、俺たちが負ける理由なんて、これっぽっちも思いつかないがね」

「エドワード殿下の仰ることは、ごもっとも。だが、どうにも、胸騒ぎがしてならぬ」

 ミスリルの鎧を纏ったローランスの将軍は、首を横に振った。

「カイルモハンは、決して、侮れる敵ではない。勝機が、全くないのであれば、奴が、あのような目をするはずがないのだ」

 あの、ぎらつく闘志と殺意に満ちた紅い瞳。あの夜、それを見た誰もが、心臓を鷲掴みにされ、まるで火傷でも負ったかのような、戦慄を覚えたのだ。

 一座は、しばし、沈黙に包まれた。

 恰幅の良い公爵が、手元の茶を一口、啜り、困り顔で言った。

「それにしても、あのカイルモハン、一体、なぜ、これほどまでに、城攻めに拘るのだ? 奴は、ダークエルフの聖子であろう? いつから、狐族と、そんなに親しくなった? この城を落としたところで、奴に、何の得があるというのだ」

「それは、カイルモハン本人に聞くしかないな。もしかしたら、ここの狐族の娘でも見初めて、熱を上げてるのかもしれないぜ?」

 エドワードは、肩をすくめ、ふっ、と笑った。

「実のところ、カイルモハンに、全く勝機がないわけでもない」

「王城禁衛軍、か」

 帝国公爵アレクサンダーが、低い声で言った。

 エドワードは頷く。

「ここからグァングリンまでは、早馬で、1日余り。もし、カイルモハンが、あの軍の助力を得られれば、あるいは、万に一つ、くらいの可能性は、あるかもしれん、というだけだがな」

「だが、あれは、歴代魔王の親衛隊であろう?」

 ローランスの将軍が、眉をひそめる。

「カイルモハンは、ダークエルフの聖子に過ぎぬ。全魔族の聖子ではない。現に、魔王は、すでに勇者殿下に捕らえられている。奴に、あの軍を動かすことなど、できようはずが」

「ならば、全く勝機はない。我々は、枕を高くして眠れる、というわけだ」

 エドワードは立ち上がり、慇懃に、完璧な騎士の礼をとった。

「レスリー様が、ご不調とあらば、これ以上、議論したところで、結論は出ますまい。若輩ながら、これにて、失礼仕る」

 彼は、その場の者たちの反応も見ず、踵を返し、扉を開けて、出て行った。同行の副官が、慌てて、ぺこぺこ、と頭を下げ、その後を、小走りで追いかけていく。


 ・


「おい、カール」

 男は、振り返り、自分の副官を見た。相手が、何か考え込んでいる様子なのを見て、馬を止める。

「何、考えてんだ?」

「あ、申し訳ありません、殿下」

 副官は、慌てて謝罪する。

「何か、ご用でしょうか?」

「今夜の夕食は、何かって聞いてるんだよ」

 男は、怪訝そうに彼を見る。

「そんなに、ぼーっとして、何を考えてた?」

「今夜の献立は、キャッサバと紅薺、それに馬肉です。季節風が近づいている影響で、最近、補給が遅れ気味でして」

 少年は、ふと、口ごもり、その視線が、道端に並ぶ、木造家屋の廃墟を捉えた。連合軍が入城したことで、6万人を超える狐族が、自分たちの住処を追われた。行き場を失った老若男女は、魔族は、みだりに歩き回ってはならぬという禁令のため、自分たちの住居の近くの、片隅に、身を寄せ合い、恐怖と怒りの目で、人間軍に、自分たちの所有物を奪われるのを見ていた。

「殿下、申し上げにくいことなのですが」

「ん?」

 エドワードは、笑いながら、相手の頭を撫でる。

「ユアン殿下が『道を見失われた』のは、我々の戦に加担されたからではないかと……私は思います」

 副官が、声を潜めて言った。

「ほう、どうして、そう思う?」

 男は、驚いたように、彼を見た。

 副官は、少し、ためらってから、言った。

「本には、勇者殿下は、神の、絶対的な正義と慈悲の象徴であると書かれていました。殿下は、我々が今、行っていることは、正義だと思われますか……?」

 男は、苦笑しながら、頭を、がりがり、と掻いた。

「そう言われると、確かに、一理あるな。だが、戦争なんてものに、元々、正義なんてありはしない。あるのは、立場の違いだけだ。もし、人間の都市が魔族に占領されたとしたら、奴らだって、俺たちに正義や慈悲なんて説きはしないさ」

「では、なぜ神は、勇者殿下に、絶対正義の象徴たる誓約をお与えになったのでしょう」

「馬鹿だな、お前は。人間に、神の御心など、分かりはしないさ」

 エドワードは、少し黙り込み、ため息をつき、そして、また、笑った。

「案外、もともと、ただの意地悪な神様ってだけ、なのかもしれないけどな」

 若い副官は、分かったような、分からないような顔で、俯いた。

 2頭の白馬が、閑散とした石畳の道を、並んで歩いていく。夕陽の下、街全体が、古めかしく、荒涼とした雰囲気に包まれている。一陣の秋風が、南の海の、潮の香りを運んでくるかのようだ。あと数日もすれば、碧瀾海の季節風の向きが変わり、下大陸は、また、一年の、深い秋を迎える。

 黄昏色の陽光が、巨大な枝葉に遮られ、細やかな金色に砕けている。エドワードは、ふと、顔を上げ、頭上に広がる、天を衝くような、緑の樹冠を見た。それは、びっしりと、空全体を覆い尽くしているかのようだ。

「でかい木だな。これも、青梓か?」

 男は、感嘆の声を漏らす。

 同行の副官が、頷いた。

「この城と同時に植えられたものだと聞いております。里木と呼ばれ、狐族が祭祀に用いる、神木だとか」

 銀色の甲冑を纏った少年が、遠くの泉の傍らに立っているのが見えた。広場を守る兵士と、何か交渉しているようだ。しばらくして、兵士たちも、ようやく納得したのか、頷き、道を空け、少年を、その巨大な木の前に通した。

「あれ、教会のチビ勇者じゃないか?」

 エドワードは、遠目に、その姿を認め、驚いたように言った。

 少年は、つま先立ちになり、木から、一枚の若葉を摘み取り、丁寧に、何かを書き記し、その葉を、美しい布の袋に入れ、大事そうに、木の、節くれだった枝に吊るしている。

「あいつ、何をしてるんだ?」

 エドワードは、眉をひそめた。

 副官も、一瞬、きょとん、とし、しばらく考え込んでから、説明した。

「あれは……狐族の儀式のようです。願い事を木に吊るせば、先祖の加護が得られる、と」

「教会の勇者が、なぜ魔族の先祖に加護を願うんだ?」

 エドワードは、唖然とする。

 副官は、少し考え、低い声で、呟いた。

「……あるいは、殿下が仰るように、教会の神様が、あまりに意地悪だと、思われたのかもしれません……」"


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