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悪役令嬢の娘の母親という、圧倒的モブポジションに転生したけど、夫はクズで娘は陰でいじめられ、息子は影に隠れた天才児で、何もかも最悪なので、全員まとめて幸せにしてみせます

作者: 結城斎太郎

「お前の娘には、貴族としての資質がない。学園には、娼婦の子を入れる。金は俺が出す」


夫がそう言い放ったとき、私は全身が凍りついた。


ああ、これが“その時”か。


私は、異世界転生者だ。元の世界では中小企業の経理課で働く三十路OLだった。気づけば、乙女ゲームの悪役令嬢ルートの中で、悪名高い“悪役令嬢の母”に転生していたのだ。名前すら登場しない、ただのモブ中のモブ。


だが、現実のこの世界は、ゲームとは違う。私は、娘と、そして――誰にも知られていないもうひとりの子、息子を守らなければならない。


モブ? 上等だ。


私は、すべてを覆す。


 


◆ ◆ ◆


 


「エルナ、文字の読み書きはどこまで覚えた?」


「えっと……『ア』は、こう……で、こっちは……?」


イザベル――娼婦の娘とされている少女は、たしかに最初は読み書きすらままならなかった。だが、数週間の学習で、ひらがなに相当する文字はすでに五割を超えていた。


「えらい、すごいわエルナ。あなたは私の自慢の娘よ」


「……本当?」


「ええ、何度だって言うわ。あなたは大事な、私の子」


本当は、彼女は私の“娘”ではない。夫が外で作った子で、正妻の私に押し付けられた存在だ。


けれど、私にはわかる。彼女がどれほど純粋で、どれだけ努力しているか。


この子を、あの男に潰させてたまるか。


 


◆ ◆ ◆


 


「母上。エルナ、泣いてた」


「えっ……!? どこで!? 何があったの?」


「学園。昼休み。王太子の取り巻きにからかわれた。『娼婦の子が王子を見つめるとは』って」


言葉を発したのは、私の息子――ルイス。まだ八歳だが、聡明で、優しく、エルナを実の妹のように慕っている。


私は拳を握りしめた。


「よく見てたね。教えてくれてありがとう」


「母上……僕、エルナ、守りたい」


「ルイス……」


私は、この子に守らせてはいけない。守るのは、母親である私の役目だ。


 


◆ ◆ ◆


 


貴族学院の昼下がり。


私は職員室の扉を開け、毅然とした足取りで学院長の前に立った。


「失礼いたします。娘のことで、報告と申し出がございます」


「……どうぞ」


私は、イザベルの成績、態度、努力、そして何より、周囲からの不当な扱いについて詳細に説明し、こう続けた。


「つきましては、家庭教師の雇用を申請したく存じます。王都より有力な教育者を招いております。すでに費用も私が負担いたします」


学院長は目を丸くしたが、すぐに表情を引き締めた。


「……前例はありませんが、特例として許可しましょう。ただし、彼女がそれに応える成績を見せることが前提です」


「ええ。必ずや、娘はそれを証明してくれるでしょう」


私は一礼し、胸の奥で小さく拳を握る。


――負けない。


 


◆ ◆ ◆


 


それから数週間。


エルナは一心不乱に学んだ。家庭教師のマリア先生は優しく、だが厳しかった。


そして――


「母さまっ、私、算術の小テストで百点取ったの!」


「まあ……! 本当に? 見せて見せて!」


「うんっ!」


満面の笑顔で答案用紙を差し出す娘を、私はぎゅっと抱きしめた。


 


◆ ◆ ◆


 


夜、私の部屋にルイスがそっと入ってきた。


「母上、僕……騎士になりたい」


「え?」


「エルナを守れるように。母上も、守る」


「あら……ルイス、ありがとう。でも、あなたはあなたの夢を持っていいのよ?」


「でも……僕、みんなが笑ってるの、ずっと見ていたい。だから、強くなる」


幼いその言葉に、私は涙が出そうになった。


「……そうね。なら、お母さまもがんばらないとね」


 


◆ ◆ ◆


 


やがて、夫が王都から帰ってきた。


「娘が学院で目立ち始めたらしいな。面倒なことにならなきゃいいがな」


「心配しなくても結構よ。私の娘は、あなたの予想よりずっと優秀よ」


「ほう? 勝手に出しゃばってないだろうな?」


「勝手に娼婦の娘を押しつけた男に言われる筋合いはないわね」


睨み返す私に、夫は舌打ちし、部屋を出ていった。


――上等。逃げられると思うなよ。


私はすでに、離縁の準備も進めている。


この家に、私たち親子が縛られる理由はない。


 


◆ ◆ ◆


 


それから数ヶ月――


春の終わり、学院から一通の手紙が届いた。


【イザベル嬢を、次期特待生候補として推薦します】


私は娘とルイスを抱き寄せ、声を震わせながら言った。


「おめでとう、エルナ。本当に……本当に、すごいわ……!」


「ううん、母さまがずっといてくれたから。ルイスも、ありがとう」


「えへへ、当然」


私は、泣いた。


この涙は、後悔でも悲しみでもない。


やっと手にした――希望のしずく。


 


◆ ◆ ◆


 


いつか、“悪役令嬢の母”と蔑まれ、名も与えられなかった私。


けれど今――私はこの子たちに名前で呼ばれている。


“母さま”と。


この世界の片隅で、私はたしかに生きている。


私は、もうモブなんかじゃない。


私たちは、自分たちの手で、未来を切り開くのだから。


 


ーーー



「――閣下、この件、詳しくご説明をお願いできますか?」


王都経済審議局の査問室。その冷たい声に、夫はわずかに顔を引きつらせた。


「な、何のことだ。私は王都の財務管理を長年――」


「その“長年の功績”の中に、五年にわたる領地資金の流用が含まれていたと聞いています」


「ば、馬鹿なっ……!」


だが、その場にいる貴族たちは、冷ややかな目を彼に向けていた。


 


◆ ◆ ◆


 


事の発端は、ある“会食”だった。


王都の侯爵夫人に招かれ、私は春の社交界の集まりに顔を出した。


「まあ、あの時の助言で娘さん、特待生になられたのね。本当に見事だわ」


「ありがとうございます。おかげさまで、毎日幸せです」


紅茶を啜りながら私は静かに告げた。


「……ところで、夫のことですが、近頃王都と領地を頻繁に往復しているようで。随分と多忙らしくて」


「ふふ、それは“大変”ですわね。でも、偶然この前、見かけたのよ。夜会で若い愛人を連れていたわ。あなたのご主人って、やっぱり“あの”人だったのね」


私は小さく微笑んだ。


「ええ、どうか他言なさらぬよう……ただ、証拠があれば、少し楽になるのですが」


「それなら、私が“証拠”を手配して差し上げるわ」


そして、そこから全てが始まった。


 


◆ ◆ ◆


 


まずは、情報収集。


・王都と地方の間を頻繁に行き来する夫

・その度に領地の予算が減る

・未成年の愛人を“養女”に偽装し、費用を経費処理

・更に複数の不動産を愛人名義で購入


私はすべてを記録にまとめ、匿名で経済審議局へ提出した。


そして――1ヶ月後、夫は“呼び出された”。


 


◆ ◆ ◆


 


「お前、私を嵌めたな……!」


夫が夜の寝室に怒鳴り込んできた。


「貴様が裏切ったんだろう! 私の名誉をどうしてくれる!?」


「名誉? あなたが捨てたでしょう?」


私は冷ややかに答えた。


「娘を蔑み、私に愛人の子を押し付け、資金を勝手に流用したのは誰?」


「うるさいっ! 貴族の男にとって愛人くらい――」


「だから滅ぶのよ。あなたみたいな“古い男”は」


夫は顔を真っ赤にして出て行ったが、その時すでに、彼の運命は決まっていた。


 


◆ ◆ ◆


 


――そして翌月。


査問会議にて、夫は公式に財務局から告発される。


王都と領地間での公金流用、虚偽報告、さらには“未成年への性的経済支配”の容疑まで浮上した。


 


「……弁明の余地は?」


「わ、私は……無実だ! 嵌められた! 妻が、妻がやったんだ!」


「その“妻”は、本日この件には関係していないと記録されています。むしろ、領地財政を立て直し、特待生を輩出した功績があると」


「バ、バカな……!!」


 


もはや誰も、彼を擁護しなかった。


そして――


「領地管理権の剥奪、爵位の停止、王都出入り禁止処分を下します」


その言葉が、彼の貴族としての生涯を終わらせた。


 


◆ ◆ ◆


 


「母上……あの人、もう戻ってこないの?」


「ええ、ルイス。二度と」


私は静かに頷いた。


「私たちはもう、あの人の影に怯える必要はないの」


 


その日、私たちは三人で新しい家に引っ越した。


王都に近い場所で、子供たちが学び、成長できる環境。


広くはないけれど、光が差し込む温かな家。


「ねぇ、母さま! 今日はルイスとお菓子作るって約束したの!」


「そうだね。手伝おうか?」


「うんっ!」


エルナがキラキラと笑い、ルイスが照れながらも頷く。


――これが、幸せ。


 


◆ ◆ ◆


 


数週間後。


元夫は、王都を出た後、再婚相手とされた女に逃げられ、資産も凍結されたと聞いた。


流浪の身となり、かつて自分が見下していた“平民”にさえ頭を下げるしかない日々。


だが、私はもう、彼に何の感情も抱かない。


憐れでも、怒りでもない。


ただ――


「これで、やっと“私たちの物語”を始められる」


私は空を見上げ、深く息を吸い込んだ。


 


◆ ◆ ◆


 


もう私はモブなんかじゃない。


娘の努力、息子の優しさ、そして私の選択が、この未来をつくった。


 


次は、娘が堂々と“主役”として舞台に立つ日だ。


その日まで、私は母として、そしてひとりの人間として、胸を張って生きていく。


 

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