タイトル:「降りる」
買ったのは、靴だった。
安物だけど、クッション性があって、立ち仕事には悪くない。
デパートの屋上は風が強くて、袋が指に食い込むたび、なぜか無性に会社のことを思い出した。
佐久間課長の顔。
口元のシワ。
あの、含み笑いのあとに来る——
「で、君の言い訳は?」
あの一言が、脳からこびりついて離れない。
エレベーターは混んでいたから、エスカレーターを選んだ。
靴の袋を握り直し、ゆっくりと下りに乗る。
手すりに軽く触れながら、足元を見つめる。
——ボーッとしていた。
壁のガラスに映った自分は、意外と猫背で、
何かを「やり過ごすための姿勢」になっていた。
ふと、気づく。
まだ、エスカレーターの上にいる。
何段も、何段も、降りているはずなのに。
通路が見えない。
地下階が来ない。
下を見ると、さらに深く、延々と続いている。
視界の先には照明があり、そのまた下に、さらに光がある。
構造としておかしい。
こんなに深い地下、あるはずがない。
なのに、足元は確かに動いている。
音もする。
ゴォオオ……という、空調と鉄の機械音。
このエスカレーターは、まだ“正常に”動いているらしい。
振り返ると、上にもまだ人がいるように見えたが、顔は見えない。
全員、うつむいている。
もしくは、ただの影か。
そして、自分も……
まだ下を見ている。
「これは夢か?」
そんな言葉すら浮かばない。
これは、「まだ会社に戻っていない」という事実の延長にすぎないのではないか。
「地下駐車場」——そう、それだけのはずだった。
なのに今、
俺の足は、どこに向かって降りている?
袋が、風に揺れる。
風——?
エスカレーターの途中で、風が吹くなんて、おかしい。
“まだ降り続けている”という事実だけが、確かだった。