タイトル:「帰路」
朝になると、身体が勝手に動く。
目覚ましが鳴るわけでもないし、日差しが差し込む部屋もない。
けれど、目を覚ました瞬間にわかるのだ。
“今日も出なければ”と。
同僚たちは無言だ。
いつも、言葉を交わすわけじゃない。
でも、すれ違いざまのちょっとした仕草や空気の動きで、だいたいのことは伝わる。
挨拶も報告も、簡素で済ませるのがこの職場の流儀だ。
街に出ると、景色は毎日少しずつ変わっている。
アスファルトは割れたり盛り上がったりしているし、
昨日あった匂いが今日は消えていることもある。
そんな中で、俺は“情報”を探す。
目立たないように。だけど、目的ははっきりしている。
手がかりが見つかれば、それを“本部”に持ち帰らなければならない。
それが俺の役割だ。
そう教えられたわけじゃない。
ただ、気がついたときにはそうしていた。
今日はいい調子だった。
狭い通路の先で、ほとんどの人が見落としそうな断片に気づいた。
ほんのかけら。けれど、質量がある。
ちゃんと重い。意味がある。
それを背中にのせて、俺は歩く。
来た道を戻るのは得意だ。
地面の微妙な傾き。空気のわずかな変化。
俺は“道”を身体で覚えている。
帰る途中で一瞬、立ち止まった。
ふと、こんなことを思った。
——自分はどこから来たのか?
——自分はいつまでこうしているのか?
でも、すぐにその思考は消えた。
そんなことを考えていても仕方がない。
仕事はまだ終わっていない。
誰かが待っている。
長い一日が終わり、薄暗い入口に戻ってきた。
何人かが目を向けてきたが、言葉はない。
その代わりに、短く触れ合うだけで、俺が「戻った」ことは伝わる。
持ち帰ったものを渡すと、彼らはすぐに奥へと運んでいく。
それを見届けた俺は、静かに通路の奥へと歩いていった。
今日も、やるべきことは終えた。
そして、明日もまた、きっと同じように始まる。
ただ、時々ふと思う。
人間だったらよかったのに、と。
体長:8.2ミリメートル。
職種:搬送班営業セクション/収集個体112号。
分類:Formica japonica(働きアリ)。