悲劇と歓喜と
「ドーハの悲劇」 「ジョホールバルの歓喜」 など、サッカーの歴史を紐解くと、少々大げさな見出しの過去の記事を扱うニュースが上がる。
サッカーワールドカップ常連が当たり前、決勝トーナメントベスト8の壁を破るのに苦心するレベルに文句をつける。それが当たり前の景色になって来た今の若い世代には、サッカーに興味がなければ何のことやらわからないだろう。
「ドーハの悲劇」 は簡潔にいうと、ワールドカップ出場権を逃す事になった試合だ。今の海外でも活躍する選手ばかりの日本代表を見て来ている人々には、ワールドカップ出場が大変だった代表の姿はきっと想像もつかないはずだ。
1993年の最終予選。「ドーハの悲劇」 では、一点のリードを守りきれば念願のワールドカップに出場出来る状況で後半のロスタイム──今で言うアディショナルタイムの時間にイラク代表に同点ゴールを許してしまった。
勝ちきれば文句なく出場出来た試合。日本は最終予選首位から、3位に転落。ワールドカップ出場を逃す事になった。たったの一点。それまでの四年間の苦労があの数分で終わってしまった。
勝っていた試合でリードを保ち、あと数分でワールドカップの舞台に立つ日本代表の姿が見られる‥‥そう思った方も多かったそうだ。
期待が高まった瞬間だけに、悲嘆は大きい。それが「ドーハの悲劇」 と呼ばれ、いまだワールドカップの最終予選で引き合いに出される理由だろう。
1997年‥‥「ジョホールバルの歓喜」 は「ドーハの悲劇」 とは逆だ。ワールドカップ出場を果たした試合になる。枠が増えた恩恵もあるのかもしれない。ただし勝たなければならないプレッシャーは「ドーハの悲劇」 を上回るかもしれない。当時、日本での「日韓ワールドカップ共同開催」 が決まっていたからだ。
自力でワールドカップ出場を果たすことと、開催国だから出場出来た────その後のモチベーションを保つのに、「ジョホールバルの歓喜」 の一点の重みがどれだけ大きかったのか。
ワールドカップ出場をかけた戦い。ゴールデンゴール方式の延長後半、岡野選手が待望のゴールを決めた。その一点が「ドーハの悲劇」 を飲み込み、日本サッカー界の歴史の転換点となった。対戦相手のイランの選手の足が完全に止まり、足の速さが持ち味の岡野の独壇場だったものの、決定機を外しまくり、ようやく決めたゴール。その一点にかかる重みが、力みを生んだのだと思う。だからこそ決めてくれてありがとう、そうした思いとともに「ジョホールバルの歓喜」 が語られるのだろう。
「ジョホールバルの歓喜」 から、サッカー日本代表はワールドカップ出場常連国へ変わってゆく────。
アジアの強豪国の仲間入りを果たしたサッカー界における分水嶺をあげるのなら、自分達の力でワールドカップ出場を果たした「ジョホールバルの歓喜」 の一点にあると思う。「ドーハの悲劇」 は敗者としての教訓だ。
そしてサッカー日本代表はいつからワールドカップ優勝を、現実的な目標に置くようになったのだろうか。Jリーグの発足や漫画などで夢を掲げた時だろうか。
あげるとするのならば、おそらく2018年ロシアW杯ベルギー戦「ロストフの悲劇」 が、その最初に現実味を帯びた瞬間だったのではないだろうか。ワールドカップに出場する事から、決勝トーナメントにベスト16へいけるようになった事で、意識が優勝するためには‥‥そう変わっていった瞬間がこの「ロストフの悲劇」だと思う。
それまでも優勝を豪語する選手はいた。ヨーロッパを舞台に活躍する選手を中心に、世界との差を、実戦経験を積み重ねた中で埋めて来た者が増えたためだろう。
悲劇があるとするならば、メディアを始め「ドーハの悲劇」 や「ジョホールバルの歓喜」を知る世代が夢物語と笑う。思い上がるなと、負けるたびに叩きさえする。
「ロストフの悲劇」 は、一発勝負下での、強豪国の底力を思い知らされた瞬間だろう。勝てると思った時に、夢中な時には気づかなかった疲れに気づく。身体が重くなる。集中力が切れて、どことなく雑になる。
そこを狙って動くことの出来る体力と気力の配分と、勝利への執念としたたかさ。
世界の壁は高いのではなく厚いのだという事を知れた。確かにあの瞬間届いた……だが、登っただけ。完全に越えてゆくのに足りないものを、私達は知る事が出来た。
2022年、ワールドカップ優勝経験国であるドイツ、スペインから勝ち点を奪い決勝トーナメントに進出する。選手達は勝てると信じて戦い、勝ってみせた。そこにはもう驚きはない。しかしトーナメント初戦の相手、クロアチアとの激戦の末に、惜しくもPKで敗れた。
勝ちきれなかった、9位という結果。ベスト8は果たして高い壁だったのだろうか。私はそうは思わなかった。
いくつもの悲劇と歓喜を経て、強豪国と渡り合い、普通に勝ち負けに一喜一憂している状況を、三十年前に想像出来ただろうか。
勝つことに必死だった当時と違って、勝って当たり前になったからと必死さが足りないなどと口さがない者達が言う。本当にそうなのだろうか。
世界の壁は分厚い舞台であり、まだその舞台に戦いに踊り出ただけで、何も栄誉を得ていない。
先人達が積み上げ、作り上げて来た舞台に立つ選手達。皆が夢見たトロフィーが手に届くかもしれない所にいるというのに、現状に満足しているはずがないだろう。
チームとして団結し絆を高めながらも────誰もが貪欲にその最初の栄誉を手にしたいと口にしている。
十年前は優勝を公言するとビッグマウスと笑われたと言うのに。いまは誰も笑わない。誰もがその可能性に気づいているからだ。決勝常連の強豪国ですら達成困難なのは変わらない事実としてある。だが‥‥夢が実現する瞬間を見られるかもしれない────。
歴史ジャンル、分水嶺というテーマを見た時に、ワールドカップ最終予選が始まった。なんとなくサッカー日本代表の分水嶺は、どの時点だったのだろうと思い至った。
Jリーグの発足は、サッカーワールドカップに本気で挑むための土台づくりであり、分水嶺というよりも、サッカー界の新たな歴史の始まりと思う。
夢の舞台へ挑むために、サッカーのプロリーグを起ち上げた事が夢の始まり‥‥分水嶺というのならば、その舞台づくりに尽力した人々の決断こそ日本サッカー界の変わり目だった──そう言えるかもしれない。
だが歴史は勝者がつくるもの。私は先程述べたように「ジョホールバルの歓喜」 のあの得点、勝つ事で新たな世界を切り開いた一点こそ、その後の命運を分けた分岐点として上げたいと思う。
そして────サッカー日本代表がワールドカップの栄冠を手にしたのは、あのゴールが決め手だった‥‥そう後の世に語られるような瞬間が訪れる事を願って、応援していきたい。
お読みいただきありがとうございます。
秋の歴史、企画作品となります。
歴史ジャンルとして、スポーツにも焦点を当ててみました。この作品を書いていた時点で、最終予選二勝。まだまだ先はわかりませんが、サッカー日本代表を応援しております。