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「婚約者は私が罵倒すると今夜くしゃって笑うんだ、こんや、くしゃって」「帰れ」

「何度もくだらない問答を繰り返させるな、エルザ」


 エルザの婚約者であるクラウスは、端正ながら冷たい顔立ちを歪め、対峙するエルザに吐き捨てた。

 クラウスのすぐ隣には少女がいる。彼女の名前はヴァネッサ。エルザにとって、唯一無二の親友であった。


 今日はエルザの誕生会。

 仲の良い同性の友人数名、加えてエルザの婚約者とその友人だけを招いた内々の集まりで、エルザはこの日が来るのをずっと前から楽しみにしており、張り切って早くから準備をしていた。

 親族や知人を集めた公的な誕生会とは別なものであり、完全に仲間内だけの会となるため、大掛かりな式場もいらず、学園内の庭園の一角を貸し切るだけで事足りた。


 本番当日。天候にも恵まれて、彼らはお高い茶菓子を手に談笑を楽しんでいた。

 しかし、数刻前まで賑わっていたその場は、今、しんと静まり返っている。

 その理由は、たった一つ。


「お前ごときが、私の行動に異議を申し立てる権利があると思っているのか?思い上がるなよ」

「…ですが、クラウス様。私は貴方の婚約者として、努力をしてきたつもりです。共に並び立ち、貴方の隣で」

「私の隣?」


 クラウスは柳眉を上げ、馬鹿にするように鼻で笑った。


「騎士団に身を置き、国家の仇敵を討ち取る戦いに参加し、英雄の一人として凱旋したこの私の隣だと?」


 クラウスは孤児だった。幼い頃にある男に拾われ、騎士団で見習いとして生活をしてきた。十二にして初陣、以後四年間は、国家間の絶えぬ戦いの中で過ごしてきた。

 そうしてついに平和を手にしたのが一年前。長らく血で血を洗う争いが、敵国本陣の制圧を成功させた騎士団の活躍によって終結した。

 帰還した騎士団の面々は英雄と称えられ、国民から畏敬を集めるようになった。


「その私に、ただ生まれが優れていたというだけで何不自由なく暮らしていた凡庸な女が?釣り合う?」


 エルザは侯爵令嬢だった。寛容な父親と、優しい母親、しっかり者の弟を家族に持ち、争いの及ばぬ王都で悠々自適に生きてきた。

 クラウスに婚約を申し込んだのは彼らが凱旋してまもなくの時だった。不都合なく受諾され、それから一年近く、特例としてエルザは自身が所属していた学園にクラウスと、付属されたもう一人を招き入れ、時間を共にしていた。


「自惚れるのもいい加減にしろよ。女のくせに私に指図するな。お前はその喧しい口を閉じて縮こまっていればいい」


 眉間に皺を寄せ、低い美声で淡々と紡ぐクラウスの言葉に、エルザが唇を引き結んだ。緑の目を見開き、頬を真っ赤にして震えている。傍にいるエルザの友人達もまた同様に、目を剥いてぷるぷると微かに揺れ出した。

 その様子を見て、クラウスの隣にいたヴァネッサが叫び始める。


「そうよぉエルザ!残念だけどねえ、私とクラウス様はもうとっくにあつぅい夜を過ごして」

「黙れ。お前を選んだのはちょうど近くにいたからだ。己が特別などと勘違いするな、鬱陶しい。失せろ」

「ウッ」


 クラウスから冷酷な視線で見下され、ヴァネッサは呻き声を漏らして俯いた後、すぐに自身の顔を叩いて気合を入れ直すと台詞を続けた。


「で、でもね。クラウス様が私とあーんなことをしたのは事実であり、エルザより距離が狭まったのは事実なの。それに、クラスの女子も皆」

「お、クラウスとクラスをかけているのか?ナイスジョーク!」


 空気が凍った。

 その発言をしたのは、エルザではなく、もちろんヴァネッサでもなく、はたまたクラウスの友人として誕生会に出席しこの失言に「バァカ」と呟いた青年でもなく。


「…あ」


 先ほどまでエルザを険しい表情で追い詰めていたクラウス本人である。

 彼は、自分が段取りをぶち壊したことに気付き、冷徹な面持ちはどこへやら、両手を振って情けなく眉を下げた。


「す、すまない!いや、ヴァネッサさんが面白いこと言うからつい」

「私何も面白いこと言ったつもりないんだけれど」

「ご、ごめん…。エルザ。せっかく要望してくれたのに、私は失敗してしまった」


 無言のエルザに近寄り、クラウスは端麗な面立ちを焦りで崩して再度謝罪をする。

 固まっていたエルザはやがてふうっと深い息を吐き、


「…いいのです。最高でしたわ。十分堪能させていただきました」

「ほ、本当か?それなら良かったー。しかし、大丈夫か?酷い言葉ばかりで言ってる最中こっちが頭痛くなってきてしまって。傷ついてないか?あれで本当に満足なのか?」

「もちろん!満足ですわ。ねえ皆さん!」


 固唾を飲んで見守っていた令嬢方は力強く頷き、同士の賛成を受けてエルザは優雅に微笑む。その頬は興奮から未だ赤みを帯びている。

 ヴァネッサには「今日ほど私と親友で良かったと思ったことはないでしょう、ヴァネッサ」「ええ、役得だったわエルザ」とガッチリ固い握手を交わした。


 クラウスはそれらに「どうにか喜んでもらえたようだ」とほっと胸を撫で下ろし、ずっと力を込めていて疲れた眉間をマッサージした。

 クラウスの友人にして騎士団員、共に学園にやってきた青年アロイスは、一部始終を見届け嘆息する。


「…しかし、クラウス。よくもまあ台本通りスラスラ罵倒できたもんだ。お前暗記得意だっけ」

「む。アロイス。いくら私でも半年前から台本を渡されれば覚えられるぞ」

「半年前から計画してたのかよ!?」


 驚愕してエルザを見遣る。彼女は当然といった様子で腕を組み、しみじみと首を縦に動かした。


「この会を私がどれだけ楽しみにしていたことか!言ってほしい言葉ランキングを決めて選定するのも大変でしたし、どれだけ臨場感を持って台本に落とし込めるかも苦悩いたしましたわ。それも全てこの時のため。クラウス様の演技は素晴らしかった。けれど…」


 エルザは満面の笑みで語っていたが、やがて寂しげな感情を晒す。


「…最後まで台本通り進んでいたら、私が言ってもらいたい言葉堂々の一位が聞けていたのですけれどね」

「うっ、すまない。私が余計な一言を漏らしたせいで…」

「でしたら今からお聞かせ願いたいですわね。もう寸劇はいりませんから、台詞だけでも!」

「ええ!?今から!?」

「はい!」


 その依頼に、エルザだけでなくヴァネッサを筆頭とした友人達がクラウスとの距離を一気に詰めてきた。どの娘もキラキラと目を輝かせ、期待に満ちた眼差しでクラウスを見つめている。


「うう…ご、ごほん」


 落ち度もあり断れないクラウスはまぶたを閉じ、咳払いして、表情をリセットした。もし順調に寸劇が進行していたら、自分が言わねばならなかった台詞を思い出し、舌に乗せる。


「…そもそも、この私と同じ空気を吸っているということにお前達は感謝すべきではないのか?」

「キャー!」

「女が私の道を阻むな。馴れ馴れしく近寄るな。この私と婚約できたことを一生涯光栄に思って退いていろ」

「キャァー!」

「誰が泣いて良いと許可した?己の精神すらもコントロールできぬ愚鈍が。幼児からやり直した方が良いのではないか?」

「キャアアア!」

「とっとと消えろ豚!目障りだ!」

「ギャアアアアア」


 あ、酷いこと言い過ぎて泣きそうになってる、と、演技に徹しながらも長年の付き合いゆえ微妙に本心が透けて見えるクラウスを心配しつつ、アロイスは「貴族の性癖って皆こんな捻くれてんのかよ…」と頭を掻いた。






 アロイスがクラウスと共に学園に来訪した理由として、団長から打診されたという点が大きかった。


 ようやく終わった戦い。盛大な歓迎でもてなしてくれた国民。雲の上の存在だった王から英雄なんていう称号すら与えられた自分達。

 歓喜に酔いしれる中、その一報は伝えられた。


 特に戦争の支援をするでもなかった侯爵家が、騎士団員クラウスを婿にもらいたがっている。


 騎士とは名ばかりの野卑な戦闘集団の中で、一際見目が優れ凱旋中も注目を集めていたのがクラウスだった。

 十六歳ながら高身長ですらりと伸びた手足。戦い続けの戦士とは思えぬ陶器のような肌。陽光に照らされると宝石がごとく輝く銀髪。氷のように冷たい切れ長の碧眼。やや低いがよく響き澄み渡る声。人を寄せ付けぬ、静謐な面差し。


 間違いなく容姿端麗であるが、彼の戦士としての才能はそれに比例せず、突出してはいなかったので、先の戦争においても目ぼしい働きをしたわけではなかった。

 そもそも働き盛りの二、三十代が中心となる騎士団で、十代の少年が主戦力となるはずもない。


 それが、見た目が良いというだけで、人々から関心を寄せられ、団長と同じほどの知名度を誇っている。

 普通なら、嫉妬の対象である。

 若造がちょっと色男だからって調子に乗りやがって、と団員から妬まれるのも頷ける話である。

 だが、そうはならなかった。


 クラウスがその容姿から受ける印象通り、冷淡で、人を遠ざけ、血も涙もない男だったなら今頃先輩達から「生意気だ」とボコボコにされていただろう。

 しかし、クラウスはお人好しだったし、血も涙もあったし、ユーモアも(自称だが)あった。先輩から可愛がられるくらいには明朗だった。


 つまり、氷の美しさを持ち、大衆に勝手に「綺麗過ぎて近寄りがたい」、「高飛車っぽい」、「人を人とも思ってなさそう」と噂される相貌の彼の中身は、その全く反対だったのである。


 そして、その彼の実態も知らず「是非うちの娘の旦那に」と申し込んできたのが侯爵家だった。


「つーわけでお前、婿入りしてこいや」

「団長の指示なら従いますけど、そうなると私貴族になるんですか?やだなあ、怖そう」


 侯爵家とは何の接点もない。それなのに何故団長は許諾したのか。疑問には思いつつ反抗などさらさら頭にないクラウスは「大丈夫かなあ」と首を傾げた。


「ついでに今応じれば学園生活で青春もエンジョイできるらしいぞ、お得だな」

「それはお得ですね。でも炎上しなければいいけど、エンジョイだけに」

「この機会を逃したら他に足掛かりもねえだろうし気張れよ」


 笑いどころを丸切り無視し団長は言い募る。

 相手は自分と同じ十六歳の令嬢らしい。人生で同年代の娘と全く関わりがなかったわけではないが、貴族となるとどう接していけばいいのか予想もつかない。クラウスはううんと唸る。


「で、何で俺も同行するんすか」

「お目付役」

「ええ…俺貴族とか嫌いなんだけど。文句ばっかつけてくるくせに金も物資もよこさねえ奴らがほとんどでさ」


 そもそも自分はどういう立ち位置で相手方に同行を許可されたのか。アロイスは訝しんだ。


「気持ちは分かるが態度に出すなよ。イチャモンつけられて処刑されんぞ。それと女にも気を付けろ。ちょっと一緒にいたら間男認定されてボロクソに叩かれる」

「こっわ!貴族こっわ!やっぱ俺行きたくねえっすよクラウスお前一人で行けや」

「私は構わないが…」


 「バァカ」と団長はアロイスを引き寄せ、その耳元に囁く。


「いいか?クラウスはあの冷酷非道そうな見た目のくせに人間関係においてアホだ。貴族どもにいいように扱われるのが目に見えてる」

「まあ想像できるっすね」

「もしクラウスが騙くらかされたらお前がその場面を押さえろ。こちとら英雄だ。証拠を揃えて訴えれば世間様も味方につく。散々いびられてきた貴族のバカどもの弱みを握るチャンスだぜ?」

「な、なるほど…さすが団長!大らかそうな見た目のくせに性格陰険なだけはある!」

「ハハハ、ぶち殺すぞ」


 そういうわけで、アロイスはクラウスと共にお貴族様の学園にやってきたのである。


 アロイスが想像していたよりは、貴族のお子様たちは非道ではなかった。

 特に、婚約者エルザは、クラウスに対し至極丁寧に対応していた。

 「この度は私との婚約を承諾してくださりありがとうございます。誠心誠意、役目を務めさせていただきますわ」と、深々と頭を下げた後で、何かを期待するような目でクラウスを見上げた。


 それに対して、クラウスは。


「ああいえいえ、こちらこそ。この度はどうもありがとうございました。まだお互いのこと何も知らないし、これから仲良くやっていきましょうね。とはいえ流石に最初は驚きましたよ。貴族と婚約なんて。驚き桃の木モミの木ってね!ふふ!」


 場が凍りついた。

 アロイスは耐えられずに逃げ出した。


 以来、クラウスとエルザが遭遇しそうになると相棒を見捨てて逃げるのが通例になったが、どうやらエルザはめちゃくちゃ頑張ってお人好しクラウスに自分の欲求を受け入れさせることに成功したようである。


「お、お前なんて大嫌いだ」

「感情がこもってない!やり直しです!」

「鬱陶しい、失せろ」

「本当にそう思ってるならそんな優しい目をしないはずです!!」

「お前と同じ空気も吸い…うっ、うう」

「泣くなああああ!」


 大変そうだな…どっちも。

 ちょくちょく地獄の特訓を目撃し、アロイスはほろりとしつつも必要以上に近づかず退散する。

 まあ自分には関係ないし。

 頑張れクラウス。お前の受難は一生だ。


 そうして、貴族の下世話な話を小耳に挟み、着実に貴族の弱みらしき噂を収集しつつも。

 美味しいものを食べたり綺麗な女の子と知り合ったり剣が好きな男どもと手合わせしたり、アロイスは学園生活を満喫している真っ最中である。


「アロイス一人楽しそうでずるい!」

「クラウス様、その台詞を酷に変換してみると!?」

「貴様、私を差し置いて随分良い思いをしているようだな。この雄豚がッ!」

「やればできるじゃないですか!!」

「やったぁ!エルザに褒められた!」


 …結構染まってきたなあ、あいつも。

 苦笑いするアロイスを横目に、クラウスはエルザと手を取り合い喜び合うのであった。

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[一言] こういうノリ嫌いじゃないね笑 平和で良き良き 楽しく読ませて頂きました。(*´罒`*)
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