84.怪物の襲撃
「スティア! オークのランクは!?」
「Dですわ! ただ、もし鎧を装備しているオークがいたらご注意を! ランクCのオークウォリアーですので!」
ランクCと言うと、セントベル近くにいたワイルドベア相当になる。それなら確かに楽な相手とは言いがたいな。
まずは雑魚の掃討を優先したほうがよさそうだ。
「分かった! まずは普通のオークを始末する! ウォリアーがいたらバドが足止めしてくれ!」
『了解!』
「なるべく顔を見られないようにな! それじゃ行くぞ!」
掛け声と共に更に強く土を蹴り、急速に戦陣へと突っ込んで行く。
刹那。オークの姿が目前まで迫ると、スティアのミスリルナイフが白銀の輝きを放った。
「ゴアァ?」
目の前の騎士にと振り上げられた腕は、胴と泣き別れとなり宙を舞う。ズンと鈍い音を立て棍棒が地へと転がった。
あまりにも鋭い一撃に、前腕を切り離されたオーガは痛みすら感じなかったのか困惑の声を上げる。
「遅せぇな!」
そこへ間をおかず、俺はダンメルから受け取ったロングソードを横薙ぎに一閃した。振るわれた魔剣は手に抵抗を感じさせることも無く、その鋼のような筋肉を易々と切り裂いた。
(――! こいつぁ凄ぇ!)
まるで刀を彷彿とさせる切れ味に、背筋がゾクリと泡立つのを感じた。
これが魔剣! 初めて振るったが、正にその名に偽りなしということか!
その鋭さに俺は思わず息を呑んだ。
一方オークはやっとこちらを認識したようで、腕と胴から黒い霧を噴出させながらも、いら立たしげにこちらへ顔を向け足を踏み出した。
俺も見るのは初めてだが、なかなか凶悪な顔つきをしている。その目は虹彩が無く、小さな瞳孔しかない四白眼。
そして上を向く鼻先に、下顎から上へと伸びる二本の長い牙。子供が見たら途端に泣き出しそうな凶悪な顔面が、いびつに膨張した筋肉の塊の上に鎮座していた。
豚野郎なんて言う奴もいるが、そんな可愛いもんじゃない。鼻が上を向いている以外豚との共通点は無く、人間を筋肉でパンパンに膨張させたような、正しく怪物と言っていい風体だった。
目の前のオークはその顔を怒りによってか醜くくしゃりと歪ませ、咆哮をあげんと口を大きく開く。かと思えば、
「そりゃ!」
ホシはそんな顔面へ、遠慮の欠片もなしにメイスを叩きつけた。
「ブゴォァー……」
ぐしゃりとヘコんだ顔面からブシュゥと黒い霧を噴出しながら、オークは弱々しく鳴きその膝を折った。そしてその姿は黒い霧となり、その場に黒くいびつな石――魔石だ――を残してその姿をかき消した。
これは怪物の最たる特徴の一つ。奴らには血というものが流れておらず、切っても叩いても噴き出さない。
変わりに出てくるのはあの黒い霧だ。そして力尽きるときは、あの黒い霧となって姿を消し魔石を残すのだ。
その不思議な生態については謎が多い。あの黒い霧は何なのか。なぜ血を流さないのか。どうして死ぬときに魔石を残すのか。謎は尽きない。
判明している生態は本当にわずかでしかない。だがその中で、人間にとって非常に厄介な特徴がある。
それは、怪物以外の生物を執拗に襲うと言うことだ。例えそれが自分達より強い相手であろうと、多勢に無勢だろうと、己が瀕死だろうと。
どんな状態でどんな状況だろうと問答無用で襲い掛かってくる。恐らく今回の襲撃もそんな理由からなのだろう。
「お、お前達は……」
霧の残渣さえもかき消えた頃、急に現れた俺達に戸惑いながらもそばの騎士が声をかけてきた。
「冒険者だ! 加勢する!」
「――! 助かる! 見ての通りオークの群れに襲われている! すまんがオーク達を頼む! 私は馬車を守りに行く!」
騎士はそれだけ言うと、ガシャガシャと音を立てながら横転している馬車の元へと駆けて行った。きっとまだ中に人――守るべき主がいるのだろう。
俺はチラリと馬車の様子を横目で伺う。横転しているためここからは紋章が見えないが、あの馬車の装飾や状況を見る限り、中にいるのは間違いなく貴族だろう。
そう思うと、つい眉の間に皺が寄ってしまった。
顔見知りが多いのもあるが、何よりああ言う特権階級の連中は面倒臭いのが多いのだ。あまり関わりたくないというのが本音だが、かと言って見捨てるわけにも行かない。
こちらからも一人割いた方が安全か。
「バド! お前も馬車の周囲を頼む!」
周囲の喧騒に負けないよう声を張り上げる。だがそれが気に障ったのか、周囲にいたオークのうち一匹がぐりんとこちらへ顔を向けた。
「グアァァッ!」
そのオークは棍棒を振り上げ襲い掛かってくる。この場はもう乱戦だ。目に映るだけで六匹以上のオークがいるのが見える。
さらに騎士達も一匹相手がやっとなのかオークと交戦を続けている。そう悠長に構えてもいられないようだ。
「皆、散開してオークを倒すぞ! アレはバドに任せた!」
『了解!』
駆けて来るオークをバドに任せ、俺達は四散し確固撃破に向かう。
目の前のオークを任せられたバドは、あの出で立ちからは想像できないほどの素早さで相手の前に壁盾を構えて突っ込んでいく。
「グオォッ!」
バドは振り下ろされた棍棒の一撃をいとも簡単に受け流すと、その脳天にロングソードを振り下ろした。
その流れるような動きにオークはピクリとも反応することも出来ず、真っ二つにされた頭から勢い良く黒い霧を噴き出し、その姿を消した。
それを見届けてすぐ、バドは背を向けて先ほどの騎士と同じく馬車へとズシズシと駆けて行った。まったく頼りになる奴だ。彼が行ったからには、馬車に万が一のことも無いだろう。
――さて、こちらは雑魚の掃討を急ごう。
「グアァァッ!」
「さっきからうるせぇな!」
走ってきた俺を見てオークが唸り声を張り上げる。うるさい、とは挑発ではない。本当にうるさいのだ。
一々耳が痛くなるから止めて欲しい。まあ怪物にそんなことを言っても通じないだろうが。
オークは俺に狙いを定め棍棒を振り上げる。だがその動きはあまりにも遅かった。
俺はその肘関節を切って飛ばすと、返す剣でその首に斬りつけた。
俺としてはいつもの感覚で急所を狙ったに過ぎなかった。だがその一撃はオークの首を寸断し、胴体と泣き別れにしてしまった。
ゴトリと地に落ちた首と目が当い、俺はヒュゥと口笛を漏らした。
魔剣のことは話には聞いていたが、こりゃ誰もが喉から手が出るほど欲しいわけだな。
さらに精技もあるわけだが、それと合わせたらどこまで切れ味が増すのだろうか。ぶっつけ本番は流石にちょっと怖いな。あとで試すことにしよう。うん。
「グオォォッ!」
「――っと、いかん」
すぐに後ろからオークが殴りかかってくる。あまりの切れ味に一瞬呆けてしまったが、だからと言ってそんな大振りが当たるはずも無い。
それをひょいと避けると、その踏み出された足に素早く剣先を飛ばし足首を切り裂く。
バランスを崩したオークは膝を突き泥水を跳ね上げる。俺はその顔面に蹴りを叩き込むと、仰け反り露になったその喉に剣を突き刺した。
剣はまるで抵抗を感じさせず、うなじまで突き通しオークを絶命させる。
ランクDと言うとやっぱりこんなものか。軍にも元ランクD冒険者がかなりいたが、皆実力は正直いまいちで、一から鍛え直してやったくらいだったものな。
これなら俺でも問題なく対処できる。息を吐きながら周囲の様子を見渡すと、スティアとホシもかなり余裕で相手をしているようだ。いつの間にか既に、オークの姿も殆ど見られなくなっていた。
ふむ。対処できる、でなく、対処できた、が正解だったかな。
あまりにも早かった幕引きに苦笑していると、最後の一匹の眉間に短剣を突き刺し、顔を上げたスティアと目が合った。手を上げると、向こうもふりふりと手を振り返してくる。
「終わったみたいだな」
「オークしかいませんでしたわね」
「こっちももういなーい」
スティアへと近づくと、ホシもちょこちょこと近寄ってきた。うん、まだフードをちゃんと被っているな。偉いぞ。ガシガシと頭をなでてやる。
しかしいつもなら歯を見せて笑うところだが、まだへそが曲がったままなようで、煩わしそうにペシリと手を叩かれてしまった。うーん、やっぱりまだ駄目か。困ったもんだ。
手をさすりながらバドのほうはどうなったかと目を向ける。すると、彼も手を上げながらこちらへと歩いてくるところだった。
「おっ、そっちも終わったか」
「ばどちんー」
俺とホシも手を上げそれに応える。悠々と歩いてくる様子を見ると、どうやら彼の方も何事もなく事を終えたようだ。
彼の後ろを見れば、馬車の周りに騎士達が集まり、掛け声を上げながら横転した馬車を懸命に持ち上げようとしている。そして馬車から少し離れたところには、ローブを着ている女の姿もあった。
恐らく中にいた貴族だろう。ローブの上からでもドレスを着ているのが分かる。
こんな雨の中難儀なことだ。さぞかし恐ろしかったことだろう。
フードからわずかに覗いた美しいプラチナブロンドが妙に痛々しく映った。
「貴方様、これからいかがしましょう?」
彼らの様子を見ていると、隣にいたスティアから声をかけられる。面倒事を避けるためこのままひっそりと消えてしまいたいが、流石に声をかけずに退散したら不審極まりない。
「そうだな、話すこと話してさっさとずらかると――」
馬車から視線を外さずそこまで言って、俺は言葉を飲み込んだ。
丁度今、騎士達が力を振り絞り馬車を起こしたのだが、そのおかげで馬車に刻まれた紋章が目に飛び込んできたのだ。
「……やべぇな、ハルツハイム侯爵の紋章だ」
「あら、本当ですわ」
今は伯爵ですけれど、とスティアが呟くがそこは今どうでもいい。シュレンツィアが近いため可能性があるとは思っていたが、本当にそうなるとはここに来て運がない。
ついと馬車から視線を外すと、不機嫌そうなホシと目が合う。彼女のふくれっ面が「それ見たことか」とでも言っているかのようで、つい視線をそらしてしまった。
俺達がぼそぼそと話をしていると、騎士達の中から一人が歩み出て来る。正直騎士と言うものにあまり良いイメージの無い俺は、ああして堂々と歩いてこられると腰が引けてしまう。
それは俺が元山賊であることにも由来するが、そればかりではない。軍に入ってからも、なかなか騎士とは良い関係を築けた試しが無いからだ。
と言うか悪い関係しか築けてない。そのため非常に強い苦手意識が俺にはあった。
まあそれはさて置くとしても、これからどうするか。このままではきっと、助けられたため是非お礼をしたい、とか、最悪侯爵家まで来て欲しいとか言われることになるだろう。
そして連中は、助けて貰ったのに礼を返さないのは貴族のプライドが許さないとか、わけの分からない理屈でこちらの拒否を許さないのだ。
非常に面倒臭い。理解不能である。おっぺけぷー。
更に都合の悪いことに、実は俺とハルツハイム侯爵は顔見知りだった。いい関係を築いていればまだよかったのだろうが、逆だ。
俺自身は含むところはない。だが少なくとも、向こうはこちらに良い感情を持っていなかった。
だからこそ、現状からも感情からも、彼との面会を避けようと言う事が俺の中で結論が出てしまっていた。
――適当に誤魔化してとんずらしよう。それがいい。
「すまない、助かった。お前達はシュレンツィアの冒険者か?」
「ンペ ア ムアイ アーロハ」
「は?」
俺は共通語が喋れない人間のふりをして適当に誤魔化す。ちらりとスティアを見ると、彼女も意図を察したようだ。適当な言葉で俺に話しかけてくる。
「フ イワズ ヒ ムアイア」
「ムトム イア。プッラー シャ」
スティアと怪しげな言葉で話しながら、騎士に身振り手振りで、「困ったらお互い様だよねー」「お礼なんていらないよー」と伝える。
目の前の騎士は目が点になっているが、今がチャンスかもしれない。
「クーウィ トスク ネー ユーシ!」
「あ? え、ちょっと!?」
軽く手を振り、騎士に背を向けて走り出す。後ろでなにやら言っているがもう知らん。
俺は体内の精を練り活性化させると、その足で地面を蹴った。ぐんぐんと速度を増し、騎士達の姿はあっという間に見えなくなる。
「良かったんですの?」
「関わっていいことなんて無いから、いいんだよ」
「それはそうですが……」
なにやら言いにくそうにスティアがもごもごと口ごもる。どうしたのかと俺が口を開いた瞬間、
「アレより先に町に着かないと、門のところで絶対捕まるよねー」
「あ」
ホシの責めるような台詞が耳に届いた。
しまった。そこまで考えてなかった。
確かに彼らより先にシュレンツィアに入らないと、俺達の人相のお触れを出されて強制連行されるかも知れない。
バドなんかどうやっても誤魔化せないだろう。黒塗りのプレートアーマーなんて他に見たことが無いもの。
「……しょうがない。このまま町まで走ろう」
「承知しましたわ」
「えーちゃんが助けようとか言うから!」
「まあまあ、それもまた仕方の無いことですわ」
「ぶー!」
フード越しに頭をかきながら言えば、ホシがぶー垂れ、それをスティアが諌める。なんだか皆いつもの調子に戻ってきたようだ。
しかしあんな戦闘の後に調子が戻ってくるなんておかしなものだ。そう思い、ふっと自然と笑みがこぼれた。
もう雨の様子は本降りに近い。しかも空は更に崩れる予兆をゴロゴロと響かせ、雨脚を徐々に激しいものへと変えて行く。
「こりゃ急いだほうが良さそうだ」
この中で一番足が遅いのは俺だ。あのバドすら俺より早く、そして長く走れるのだ。これは気合を入れなければな。
俺は更に精を練り上げると、強く地面を蹴る。ばしゃりと水しぶきが上がる音を立てながら、俺達は町へと急いだのだった。