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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第三章 落涙の勇者と赫熱の令嬢
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83.不慮の遭遇

 昨日の曇天に続き、今日もまた朝から灰色の厚い絨毯が空を覆っている。

 見渡す限りの曇り空に気持ちなど高まりようがない。心なしか皆の口数がいつもより少ないように感じるが、それも気のせいでは無いだろう。


 そんな普段よりも重い空気の中、先ほどから吹き始めた風が顔をぶわりとなでていく。

 こう言うとき髪の長いスティアは大変だ。風が吹く度に、面倒くさそうに乱れを直しながら歩いていた。

 その点バドは完璧な防御だ。フルフェイスヘルムは風除けにも効果覿面(てきめん)である。向かい風も何のその、気にする様子もなくズンズンと歩調を崩さず歩いていた。

 ……いや、まあ風除けのためにわざわざフルフェイスヘルムをかぶる馬鹿はいないだろうが。皆がそうだったら絵面が怖すぎる。


 さて。とは言えさしたる支障もなく、道行きは順調だった。このまま進めば夕方にはシュレンツィアの門をくぐれるはずだろう。そう思いながら俺は空を仰ぐ。

 想像通りに行くかどうかは、後は空との相談だ。雨宿りが必要なほど降られてしまえば、話が変わってくるからだ。

 だが町の目前まで来ているのなら、ベッドで寝たいというのが人情というもの。とにもかくにも、今日中にたどり着きたいところだと、俺は胸の中で一人呟いていた。


 だというのにだ。


「……なんか雨の匂いがする―」


 そんな俺の思いも空しく、目の前をちょこちょこと歩いていたホシが急に足を止め空を見上げた。

 風にあおられ、街道沿いに続く木々がざわざわと不穏な音を立てる。こういう時ホシの言うことは大体当たる。もう少しで町だというのに、いやはや参った。


「ちょっと急ぐか」

「そうですわね」

「スティア、お前もローブを着ておけ。カッパにするには勿体無いが、あのローブなら水も通さないから打って付けだろ」


 シャドウが気を利かせて影の中からローブを出してくる。例の、セントベルで仕立ててもらったアクアサーペントの高級ローブだ。

 俺はシャドウからそれを受け取りスティアへと手渡す。だがなぜか、スティアの眉尻がへなりと下がってしまった。


「どうした?」

「なんでもありませんわぁ……」


 急にがっくりと肩を落としたスティア。声をかけてみるが、彼女は何も言わずにふるふると頭を振ると、力なくそれを受け取った。


 セントベルに向かう途中に倒した、アクアサーペントの革で作った純白のローブ。革をローブにするということ事態スティアの発案であり、彼女が非常に欲しがっていたのは間違いない。

 だが一体全体どうしたというのか、このローブの話となると聞こえてくるのはスティアの悩ましそうな嘆息ばかり。全くもって嬉しそうな顔をしないのだ。

 何度かそれとなく理由を聞いてはみたが、今のところ彼女からは何でもないの言葉しか聞くことが出来ておらず、何も分からないままだった。


 今ものろのろとローブに袖を通すスティアを前に、何となく居たたまれなくなった俺は、後ろにいるバドに何気なく視線を向ける。だがなぜ彼が分かろうか。彼も首をふるふると横に振る。

 まあそうだろう。バドはセントベルにいる時はパン屋クルティーヌに住み込んでいて、俺達とは別行動だった。心当たりなど無くて当然だ。


 結局、しおしおとローブを着ているスティアに微妙な顔を向けながら、立ち尽くすしかないのであった。


「ねぇ! あたしにも出して!」

「ん? ……おお。あ、シャドウ悪い」


 そうしていると、すぐ近くで甲高い声が上がった。ふと見ると、いつの間に移動して来たのだろう。ホシがすぐ傍に立ち、口をとんがらせながら小さな手を俺に伸ばしていた。


 意識がスティアに向いたままだった俺は、ホシのその手が意図するところをすぐに理解できずに生返事をしてしまった。だがその間に、再び俺の影からにゅっと真っ黒な手が出てきて、ホシにローブを手渡してくれた。

 ホシは遅いとでも言うようにパッとそれを取る。そして緩慢な動きのスティアを尻目にササッと着ると、わずらわしそうにフードをバサリとまくり上げた。


 それとほぼ同時だった。


「――雨だ」


 俺の頬にポツリと冷たいものが当たった。反射的に上を見上げると、また一つポツリと頬を塗らした。

 どうやら間一髪と言うところだったらしい。


「ほらかぶっとけ」

「ぶーっ……」


 フードをかぶせ直してやると、ホシは不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。いつものことだが、ホシはあまり体を覆うものを身に着けたがらない。常にショートパンツにだぼっとしたシャツのみだ。

 前衛にも関わらず防具もつけないのは俺としては心配であるが、本人が頑なに嫌がり、無理やり着せてもいつの間にか脱ぎ捨てているためどうしようもない。

 そう、背負っていた赤ちゃんが気づいたら靴下を引っ張ってベロンベロンにしていたとか、脱ぎ捨てていたとか、あんな感じだ。もう言って聞かせてどうにかなるもんじゃない。


 フードをかぶせられたせいで、頬をぱんぱんに膨ませるホシ。気が紛れるかと思いフード越しにがしがしと頭をなでてやるも、そっけなくぷいとそっぽを向かれてしまった。

 まあ即座に脱がないだけでも成長したものだ。昔ならきっとローブも嫌がって着なかっただろう。自主的に着るようになっただけでも十分だと思おう。


「少し急ごう。出来れば今日中に町に着きたいからな」


 まだ小降りだが、本降りになれば完全に足止めされることになる。さっさと急ぐことにしよう。


「そうですわねぇ……久々にベッドで寝たいですわねぇ……。そ、そうしたら貴方様と相部屋で取って……! ぐふ、ぐふふふ!」


 皆に声をかけると、落ち込んでいたはずのスティアが妙な声を上げ始めた。

 ……何だか知らんが、元気が戻ったのなら良しとしよう。


 いつものことと深く考え無いことにした俺は、足早に町へと続く街道を進むことにしたのだった。



 ------------------



 街道を急ぐことしばし。雨脚が徐々に強くなり、野宿のため森へ入ろうかどうしようかと悩み始めた頃、不意にスティアがぴたりとその足を止めた。


「どうした?」


 振り返ると、スティアの目線は俺達を超えて、街道が伸びるずっと先を見つめていた。顔を見れば、形のいい眉の間に皺が寄っている。これは何やらあった様子だ。

 彼女は眉をひそめながらその目を細めている。まるで遠くの光景をその目に映そうとしているかのようだ。


「もう少し先で何か……うぅん……?」

「揉め事か?」

「ええ、何やら騒がしいですわね。人の声と――これは、もしかして……怪物(モンスター)?」


 唐突に放たれたスティアの言葉に俺も眉をひそめる。真偽を問うように彼女を見つめていると、彼女もまた遠くの出来事にわずかの間集中していたが、すぐにその体勢を解きこちらをじっと見つめてきた。


 正確な距離や精度までは把握していないが、今までこうして伝えられた情報に間違いがあったことは俺の記憶には無い。その彼女が言うのだからその情報は正確なものなのだろう。

 ただ、流石に怪物(モンスター)がいると聞いては耳を疑うというものだ。ここは森沿いとは言え人が往来する街道。魔物ならともかく、このような場所にいることがそもそもの話おかしい。


「こんなところに怪物(モンスター)……? 確かにシュレンツィアには魔窟(ダンジョン)があるけどな、でも――ん?」


 その事実をいぶかしんでいると、不意にローブがぐいと引っ張られる。反射的に向いた視線の先にいたのは、不機嫌そうな顔をして立っているホシだった。

 ああ、そうか。考えるのは後にしろと言いたいんだな。確かにその通りだった。誰かが襲われているかも知れないのだから、考えるよりも動くほうが先だ。


「いや、そうだな、言ってる場合じゃないか。誰か襲われてるんだな?」

「馬のいななきと数人の怒声……。あと、何かの咆哮が聞こえますわね。恐らくは」


 俺の疑問に、スティアはあまり抑揚の感じられない口調で淡々と返答した。若干人事のように聞こえるのは、まあ、スティアは人族嫌いであるからしてだな。うん。これは仕方が無いのだ。

 一応弁明しておくと、人族でも友人や知り合いとなればこの限りでは無いんだが。


 と、まあ今は言っても詮無いことだ。それは置いておこう。

 俺は皆の顔をぐるりと見回す。


「急ごう。そうだと分かっていて見ぬフリをするのも寝覚めが悪い。ただ皆、顔を見られないよう気をつけろよ。場合によってはすぐ離脱するからそのつもりでな」

「はい」

「……ほーい」


 スティアの淡白な返事に、やる気の無さそうなホシの声が続く。バドも返事の変わりにこくりと力強く頷いた。



 ------------------



 街道を駆け始めて数分後、鋭い咆哮が空気を震わせながら耳に飛び込んできた。


「こいつか?」


 誰に言うともなく呟く。答える者はいなかったが十中八九そうだろう。

 それがいると分かれば、否応もなく緊張感が高まるというものだ。

 戦闘の前触れを受け高揚する気持ちを抑えながら、俺達は脇目も振らず街道をただひた走った。


 そうして走り続けるとすぐに、先ほど聞こえた咆哮の原因が遠くに見えてくる。

 まず目に飛び込んできたのは横転する馬車。雨の降る中無残にも横たわっている姿が痛々しく映る。

 そして次に目に映るのは、それを囲むように布陣し組み合ういくつもの姿。


 近づくにつれ、剣戟と鋭い気合の声が徐々に明瞭に聞こえてくる。そしてそれに対抗するように響く、空気を引き裂くような咆哮が俺の鼓膜を痛いほど震わせた。


 どうやら戦闘の真っ只中のようだ。この距離からではぱっと見て人間同士が戦っているようにも見えるが――


「あれはオークですわ!」


 スティアが鋭く言い放つ。遠目では確かに二足歩行でシルエットも人間に近いが、近づくにつれその差異がはっきりと分かるようになっていく。


 周囲の人間達よりも頭一つ以上大きな巨躯。手には人工物とは言い難い、非常に無骨な棍棒が握られている。

 そして何より特徴的なのが、鋼のような筋肉に覆われた深緑色の体だ。筋肉で大きく隆起した体は、ここから見ても相当な威圧感がある。普通の人間では力比べなど到底出来ないだろう。


 ……だが妙に既視感があるのは気のせいだろうか。肌の色こそ違うが、俺の後ろにいる男を彷彿とさせるんだが。


「貴方様! どうなさいますか!?」


 おっと。変な方向に思考がそれてしまった。前を走るスティアから鋭く言葉が投げかけられ、前方へとまた注意を戻す。

 見ればオークと戦っているのはどこぞの騎士団のようだ。プレートアーマーにロングソードと大盾を装備した、騎士としてはオーソドックスなスタイルを取っている。


 見た限り一方的にやられている感じではないが、手を貸したほうがいいだろう。

 俺は腰に差したロングソードを鞘から抜き放った。

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