幕間.鍛冶師の真意
カン! カン! カン!
小気味良い音が部屋に響く。他に聞こえる音は、わずかに聞こえるゴウゴウと猛る炎の音、それのみ。
どこか荘厳な雰囲気すら感じるその空間は異様な熱気に包まれており、まるで部外者の立ち入りを拒む結界のように部屋を満たしていた。
そんな空間の真っ只中に座り込む初老の男。彼――ダンメルは、手に持つ槌を目の前の剣へと一心不乱に振り下ろしていた。
その額には玉の汗が浮かび、顔は真っ赤に染まっている。彼の様子を見れば、この部屋の熱さが尋常でないことは明らかだった。
カン! カン! カン!
その一振り一振りに、彼は全神経を集中させる。槌を振るうごとに額の汗はつうと顔を流れ、首を伝い、そして服をしっとりと濡らす。
だが当の本人はそんなことを気にする様子は微塵も見せない。彼の視線は、金床の上に置かれた剣から瞬きの間すらもそれることはなかった。
彼は鋳造が主流である武器の加工法において、昔から鍛造こそが最高の武器を作る手法だと考え、それにこだわってきた男だった。
型に金属を流し込み作る量産性のある鋳造に比べ、自分の手で一つ一つを理想に近づけることのできる鍛造は、確かに彼の目指すものを作り出す可能性に満ち溢れていただろう。
しかし遠い昔から今日に至るまで、人間が良く使う武器は剣である。そしてそれは切れ味よりも頑丈さを求められるものであって、その条件を満たすには鋳造で十分事足りていた。
そんな理由から、更に機能性を追加するなど蛇足だと、同業者からの視線は冷ややかなものばかりだった。
だが彼はそんな冷笑には目もくれなかった。ただただ自分の目指すものを追い求め、最高の武器とは何かというその答えを、ひたすらに探り続けてきた。
自分の武器を手にする人間達の一挙手一投足までつぶさに確認することも珍しくなく、変人とまで揶揄されることもあった。
しかしそれでもなお、彼は求めることを躊躇いはしなかった。
その結果、ダンメルは一つの答えへとたどり着く。それは人を観察し続けた果ての答え。人間一人一人に異なる最高の剣が一振り一振りあるのではないか、と言うものであった。
人間は皆、身長も体重も性格も全く異なる。さらに言えば男と女までいるのだ。
それなら例え神剣と謳われるような武器ですら、最高とは言えない人間がいるかもしれないのではないか。
人を観察することでその考えに至った彼は、鍛造を更に突き詰め、オーダーメイドの武器作りを始めていく。これは量産性に優れる鋳造とは全く別方向に特化した形であった。
その結果、さらに変人の名を欲しいままにすることになったが、進むべき道を見つけた彼にとって、もはや周囲の目など、もうどうでもよくなっていた。
そうして腕を振るっていた、ある時のことだ。彼にとって予想外のことが起こり始めた。
噂を耳聡く聞きつけた冒険者らが、次第に店を訪れるようになったのだ。
大口の顧客――傭兵団や、貴族の私兵団だ――が主な取引相手であった彼や同業者達にとって、意識の外にいた相手である冒険者。鍛冶屋達にとって彼らは、余ったり、少し出来が良くなかった武器を置いておくと買っていくことがある、という認識でしかない客だった。
しかし冒険者という者達には、命あっての物種と言う言葉があるように、命を預けるのであればより良い武器を、と言う定石があった。
以前彼が試しに打ったミスリルの剣。それは彼にとってはただの試作品だったが、王国ではとりわけ質の高い仕上がりとなっていた。それが目を引いたらしい。
鋳造では右ならえとなりがちな拵えが、オンリーワンであったことも功を奏したのだろう。
品質に目をつけた者が次第に足を運ぶようになり、店は賑わいを見せるようになる。そしていつしか”腕に自慢のある者はダンメルの店へ”、と言うのが冒険者の間で広まり、セントベルには多くの冒険者が足を運ぶようになっていった。
需要があれば供給も求められると言うもの。こうしてダンメルの思想は波紋のように徐々に同業者へと浸透していく。
彼の志は、現在ほぼ主流となっている、鋳造と鍛造をあわせる手法が生まれる切っ掛けとなった。そうして製法が見直され始めた一方で、立役者のダンメルの心にも、変化が生まれていた。
自分の手で最高の武器を仕立てることに意義を見出すその姿勢は、次第に自分の武器を手にする人間達自身へと移っていたのだ。
自分が仕上げた武器を手に取り顔が綻ぶ様子を見ると、不思議と自分の顔もつられて綻ぶようになった。
彼の店から武器を手に出て行った者の名が遠く離れた地から聞こえてくると、口元が緩むのを押さえ切れず、息子に気持ち悪いと苦笑いされながら言われ、顔が熱くなることもあった。
最高の武器を仕上げることを目標にしていた男は、いつしか最高の武器を手にした人間の笑顔を見ることに意義を見出すように変わっていたのだった。
最高の武器を求め始めてから、優に三十年。それは彼の人生の大半を占めていた。
しかし己の貫いてきた道が間違いでなかったと認められ、新たな境地を開拓した今、彼は最高に満ち足りていた。
そのはずだった。
五年前、あのセントベルの大虐殺が起きるまでは。
エイク達は覚えていなかったが、ダンメルは確かに覚えていた。王国軍がセントベルを奪還する、あの日のことを。
ある日の夜、ベッドに横たわっていたダンメルが何者かの気配を感じ身を起こすと、いつの間に侵入していたのか、ローブを目深にかぶり顔を隠した男が部屋の真ん中に立っていた。
思わず声を上げようとしたダンメルだったが、彼にすばやく口を手で塞がれてしまう。
何事か分からず混乱するダンメルに、その男は人差し指を口に当て、
「俺は王国軍、第三師団の者だ。怪しい者じゃない。話を聞いてくれ」
と、静かにするよう告げてきたのだ。
それは魔族に侵略されて以来何度願ったかも分からない、国からの救援であった。
明日の朝、王国軍がセントベルを奪還する計画があると男は告げた。
長い間願っていた救援。待ち望んでいた地獄からの解放。
しかしダンメルは王国軍が魔族に勝てるのか、魔族達によって心に刷り込まれた恐怖のせいで、信じることが出来ないでいた。
いつも眠りが浅く睡眠不足気味だというのに、不安と緊張で、その話を聞いた夜は全く眠ることが出来なかったほどだった。
だがそんなことを考えたところで軍が止まるはずもない。その日の翌朝、男の言った通りに王国軍が町中になだれ込み、町中で激しい戦闘が始まることとなった。
昨夜ダンメルの元へ訪れた男は、彼とともに店に残っていた。男の役目は、町民に計画を伝えると共に、人質となっている町民が盾にされることを防ぐためだったからだ。
しかしダンメルは恐ろしかった。本当に魔族と戦いになったのなら、目の前の男だって殺されてしまうのではないか、と。
戦闘は徐々に激しさを増していく。ダンメルの脳裏には、息子の死にざまが鮮烈に蘇っていた。
だが。そんな彼の心配をよそに、店に押し入ろうとした魔族達を、男は見事に店から叩き出してしまった。それも一度や二度ではなく、幾度もだ。
そんな彼の姿に希望を見出し、不安一色だったダンメルの胸に、その時になってやっと安堵が浮かび上がり始めるのだが。
しかしそんな時、男が焦ったように振り返り、ダンメルの腕を荒々しく掴んだ。
「火をつけられたようだ! 外に出るぞ!」
店にいぶすような臭いが充満し始めたのだ。「俺から離れるなよ!」と口調を荒げる彼に腕を引かれ、ダンメルは転がるように店から飛び出ることになった。
男は店から離れようと駆ける。しかしダンメルは足を止め、慌てて振り返り。そして目を大きく見開いた。
そこにあったのは、黒煙を噴き出す自分の店の姿だった。
「あ――」
パチパチと火が爆ぜる音を立てる炎。黒い煙が勢いよく吹き出し、それを喜ぶように赤い舌がちろちろと揺らめいていた。
彼の店はそう大きなものではない。儲けも多くは無く、弟子も息子しかいなかったため、こじんまりとしたものだった。特別な造りでもなく目立ったところは何も無い、本当に特記する所も無い普通の店だった。
しかし彼にとっては、そんな店も世界の中心であり、己の人生そのものだった。三十年もの間、彼はそこで己の信念と向き合い腕を磨いてきたのだ。
変人などと揶揄され鼻で笑われたことも、同業者から爪弾きにあったこともある。悔しさに歯噛みしたことも一度や二度ではない。
だがそんな暗く冷たい記憶だけでなく、温かい思い出もこの店には数え切れないほどあった。先立たれた妻や、自分の思いを継ぐと言ってくれた息子の残り香が沢山残されていたのだ。
そしてその想い出が、魔族達にむごい扱いを受け続ける彼に、生き抜く気力を与えてくれてもいたのだ。
その店は、一人残されようとも、ダンメルが生き抜く理由と言ってもいいものだった。
生きていく、数少ない希望の欠片だった。
しかし今、それが失われてしまう。そしてそう分かっていても、自分は何も出来ないのだ。
どうしようもない無力感と喪失感を感じながら、ダンメルはただ一人、音も映像も何も無い真っ白な世界に呆然と立ち尽くしていた。
そんな時――
「水の精霊ウンディーネよ、我が呼び声に応じ、清浄なる水の癒しを。飢え渇く者達に一時の安らぎを。今、その輝きを消失せんとする生命へ、救済の御手を差し伸べ賜え……”救済の天泣”」
彼の耳に、まるで詩を朗読するかのような朗々とした言葉が届いたのだ。
途端、雲ひとつ無い青空からポツリポツリと雫が振り始め、石畳に斑点を作っていく。あっという間にその場は土砂降りになり、周囲を雨で覆い尽くした。
まるで奇跡のような状況にダンメルは言葉を失う。しかしそれが現実であることを示すように、店が噴出していた黒煙も徐々に白く染まっていった。
「姐さんっ!」
ダンメルがあっけに取られていると、彼の腕を取っていた男が後ろを向いて嬉しそうな声を上げた。
その視線に釣られてダンメルもそちらへと顔を向けると、いつの間に来たのだろうか、もう一人フードの人物がそこには立っていた。
「いつまでそうしているつもりだ。さっさと行け!」
「はっ! ほらダンメルさん、行くぞ!」
その声色は険こそあったものの、女性のものだった。彼に引っ張られながらもその女性から目を離すことが出来ずにいると、それを不審に思ったのか、彼女もダンメルへと顔を向ける。
それを見てダンメルは息を呑んだ。フードに隠されてはいたが、そこから覗くのは宝石のように輝く赤い瞳と、美しく輝く銀色の髪。
加えて背景は青く澄み渡る空に降り注ぐ雨だ。まるで絵画のような光景に、彼の意識は一瞬で飲まれてしまった。
目が合ったのはたったの一瞬で、すぐにそらされたが、だがその光景はダンメルの脳裏に鮮烈な印象として残ることになった。
腕を引かれてその場を去ったが、ダンメルの目は彼女の姿をずっと捉えたままだった。
翌朝。ダンメルは居ても立ってもいられず店へ走っていた。
店がどうなったか気になっていたこともある。しかし、雨を降らせたのがその女性だったのだろうということに、避難した後でやっと気づいたからだ。
だが、町の安全を確保できていないからと、昨日は避難所からの外出許可が王国軍からでなかった。
結局日が変わってから店へと向かうことになってしまい、焦りから、ダンメルの足は徐々に速度を増していった。
息を弾ませながら、まるで子供のように走るダンメル。しかし店の姿が見えてくると昨日に引き続き、またもや彼は目を丸くし立ち尽くすことになった。
「おーい! そっち誰か頼まぁ!」
『へーい!』
「そこ足元弱くなってるぞー! 気をつけろよー!」
『へーい!』
ダンメルの店の屋根に数人の男達――まるで盗賊のようだが、服から辛うじて軍人だと分かる――が取り付き、金槌片手に修繕を行っていたのだから。
「お前らしっかりやっとけよ!」
『へーい頭ぁ!!』
「頭じゃねぇっての!」
『へーい師団長様ぁ!』
理解不能な状況にしばし呆然としていたダンメル。そんな彼の耳にひときわ大きい声が届いた。
(――師団長? まさか)
男達が発した言葉にハッとしそちらへと視線を向けると、少し離れたところに並んでいる二人の人物が、ダンメルの目に飛び込んできた。
一人は鈍色の髪をした鋭い目つきの男。見事な胴体鎧を身にまとっている上、腰には意匠をこらした剣を帯びており、その立場の高さを伺うことができる。
そしてもう一人はフードをかぶっていたが、恐らく店に雨を降らせて消火した女だろう。その銀髪が僅かにフードから零れていた。
「あいつらはまともに返事ができねぇのか……ったく」
「だが、貴様も変にかしこまられては居心地が悪いのだろう?」
「はは、違いない」
「それに……その出で立ちも、な。私は悪くないと思うぞ? うん。馬子にも衣装と言うか。その、な?」
「だよな。こんな格好動きづらくて仕方ねぇし、早く脱いでしまうか」
「な、なんて事を言うのだ貴様は……! あ、も、もうちょっとそのままでいても――!」
二人は何やら話をしていたが、男がマントをひるがえし背を向けると女が慌ててそれに続き、その場から立ち去っていく。
少し呆けていたダンメルだったが、小さくなっていくその背中に当初の予定を思い出し、彼らへと足を踏み出そうとする。
だが彼を呼び止める声がその足を止めさせた。
「おーい! ダンメルさん!」
その声は屋根の上に上がっている一人の男から発せられたものだった。
彼はブンブンと手を振ったかと思うと、屋根からひょいと降りてくる。
普通の人間ならそんなことをすれば大怪我になるのは必至なのだが、まるで軽業師のような身のこなしで、その男はひょいひょいと降りてくると、当然のように彼の目の前にスタンと着地しダンメルを驚かせた。
「悪ぃな! 屋根に穴は開いてるし店の中もずぶ濡れだったもんだから、補修だけだがさせてもらってるぜ! 事前に話すべきだったかも知れんが……」
親し気に声をかけてくる男。しかし彼の顔に見覚えが無いダンメルは突然のことで返事が上手く出なかった。
男はそんな反応を、不味いことだったかと思ったらしい。眉尻を下げて表情を曇らせた。
「あ、も、もしかして不味かったか……?」
「い、いや。そりゃありがたいが。あ……! あんた、もしかしてうちの店を守ってくれた人、か?」
「あ、そうか、顔見せるのは初めてだったな! 悪ぃ悪ぃ」
彼の表情に慌たダンメルは、唯一の心当たりを訊ねてみる。顔についてはずっとフードを目深にかぶっていたため良く分からなかったのだが、声には聞き覚えがあったのだ。
幸いにも当たっていたらしい。相手もたった今それに思い当たったらしく、右手をこめかみの辺りに当て苦笑いを返していた。
暫く照れたように笑っていた男。だがはたと気づいた様子で真剣な顔つきに戻ると、ダンメルへなぜここに来たのか理由を聞いてきた。
彼が言うには、確かに今は軍が駐留しているが、この町はまだ安全とも言い切れない。不用意に出歩くのは控えて欲しいとのことだった。
ダンメルもそれは承知していた。だが、どうしても店の火を消し止めた彼女に礼が言いたかったのだと食い下がると、男も合点がいったようだった。
「ああ、姐さんか。さっきまで頭と一緒にいたんだがなぁ……」
「やっぱりあの人がそうだったんだな。よし、今から追いかけて――」
「ちょっ、ちょっと待った待った!」
駆けだそうといたダンメルを、その男は焦った様子で押し留める。
「いや、実は姐さんはコミュしょ――い、いや、その、あれだ。そう! 第一部隊の隊長でな! 何かと忙しいんだよ! 礼なら俺から伝えておくから。な?」
変に慌てながら説明を始める男。彼の慌てぶりからして怪しさはあったが、彼の言うことが本当なら、恩人に迷惑をかけるのはダンメルも本意では無い。
彼女に礼を言って欲しいと、そう男に伝える。同時に、そう言えば彼にも礼を言っていなかったなと今更ながら気づいたダンメルは、彼に対しても、この一年近くの間で白髪がかなり増えてしまった頭を深々と下げた。
すると、彼は歯を見せて笑いながら言ったのだ。
「なら、頭――じゃねぇ。師団長様にもそう伝えておくわ」
「え?」
「いやな、元々俺達第三師団はこの作戦に参加する予定じゃなかったんだ。だがうちの師団長と第二師団長殿がそろって、セントベルの町民がこれ以上何かを失うなんてのは、どんなに小さい可能性だったとしても看過できねぇだろが! ……っつって、第一師団の団長に掛け合ってねじ込ませたんだよ」
だからあんたのその気持ちは師団長にも伝えておく。そう言って彼はからからと笑った。
手をひらひらと振ってまた店に戻っていく彼の背中を見ながら、ダンメルは胸に熱く込み上げるものを感じ、無意識に先ほどの二人が去って行った方向を向く。
だがもうそこには誰の姿も無く、荒廃した町の様子を映し出すのみだった。
「よし、こんなもんか」
ダンメルは仕上げも終わった剣の柄に革を丁寧に巻きつけると、ためつ眇めつ眺めて頷く。気づけばもう、窓から差し込む陽光に朱が混じり始めていた。
魔族に侵略されたあの日から、つい最近まで、鉄を打つことにこんなにも集中し、時間を忘れることは無かった。
彼は額の汗をぐいと拭いながらその切っ掛けになった出来事を思い出すと、にやりと口角を上げた。
「町中からミスリルをかき集めたからな。借金は山ほどある。まだまだ……鍛冶は止めらんねぇぞ、ダンメル。しっかりやれよ」
自分を追い込むようにそう言う彼の顔には、ただただ満足そうな笑みがあった。