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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第二_五章 二人の姫

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幕間.父の教え、娘の意思

 セントベルの中央よりやや東に位置する、繁華街から南西に離れた場所。そこにはセントベル住民の多くが居を構える、居住区と呼ばれる一区画がある。


 整然と並んだ家々と、それと調和を合わせるように施工された石畳が嫌味のない清潔感を生み出しており、ここに居を構えるセントベル町民の中には、鼻が高く感じていた者も多かったことだろう。


 そんなセントベルが誇った美しい町並みは今、悲しいかな、見る影も無いほどに寂れてしまっていた。

 出歩く人は殆どおらず、人の囁きすら聞こえない。家屋も石畳も数年間雨風に曝されていたかのようにボロボロで、その有様はゴーストタウンさながらだった。


 しかしそんな状態になってもなお、まだ住み続けている者は多くいた。


 一番多いのはどこかへと行く気力すら無くなった者達で、その半数以上を占めていた。

 まるで死人のように部屋に引き籠っていることが大半で、人知れず亡くなっていることも少なくない。

 平時なら異様な出来事だろう。だが、今のセントベルでは珍しくもなかった。


 戦争を生き残ったとはいえ心に受けた傷はあまりにも大きく、未だにセントベルの町民達を苦しめ続けている。

 だがそれを癒す(すべ)を持つ者はすでにこの世にはいない。生きるためには自分で立ち上がるより他なかった。


 次に多いのが、この町の復興のため入ってきた男達を相手に仕事を始めた者だ。

 いくら絶望の淵に居たとしても、金が無ければ生きていくことは出来ない。夜に生きる道を見出し第二の人生を歩むことは、そう珍しくもないことだった。


 三番目に多いのが今までの商売を継続している者達だ。

 セントベルが魔族から解放されてすぐは、人口が少なくなった上出歩く人も殆どおらずまったく売上が無いことも多かったが、今は復興作業に従事する多くの男達がこの町を拠点にしており消費者も増えた。町が正常に機能し始めるにつれ、彼らの商いは徐々に軌道に乗り始めていた。


 そして最後。一番少ないのが、行く当てが無くどこへも行けなかった者達だ。そして、そんな者たちの殆どが、親を失った孤児達だった。


 社会経験に乏しく、金の稼ぎ方を知らない少女達は、安易に冒険者や人足になるという選択をする者が大半だった。

 しかし今まで荒事などこなした事の無い少女達にとって、その日暮らしの重労働は肉体的にも精神的にも非常に厳しく、体を壊したり、最悪の場合命を落とすようなことも多くあった。


 さらに、盗賊団に捕まり奴隷として売られてしまうなどという不幸な出来事もあった。

 本来なら戦災孤児として、代官などが救い上げるべきだったのだろう。しかしそんな未来は訪れることもなく。

 少女達は不幸にも今、町から徐々に姿を消し、減少の一途を辿っていた。


 エイク達に助けられた少女、カリンもまたそんな少女達の中の一人であった。


 当初は姉妹三人でも、何とか暮らしていけると思っていた。

 しかし盗賊団に妹がさらわれ、姉と二人でその片棒を担がされることになって初めて、今のセントベルは自分達のような力の無い者が安全に生きていけるような場所ではない、ということを実感させられてしまった。


 運良くエイク達と知り合えたことで命を拾えたものの、そうでなければまだ盗賊団に妹を捕らえられたままだったろう。そして、死ぬか衛兵に捕まるまで、盗賊団に使われ続けていたはずだ。


 カリンは一人静かな部屋の中で椅子に座り、ぼんやりとしながらずっと考えていた。

 自分の命が今あるのはただの幸運であったこと。そしてせっかく取り戻した日常を盗賊団に捕まる前の生活に戻すだけでは、きっとまた同じような危険な目に遭うだろうということ。


 妹の泣き叫ぶ姿や、姉が自分に聞こえないようベッドの中で声を殺して泣いていたことを思い出すと、ズキリと胸が痛み視界が滲む。

 もう二度と姉や妹にあんな目に遭ってもらいたくは無い。そう心の内で強く願っていた。


 では自分は一体どうしたらいいのか。カリンはそう考えながら自分の手に視線を落とす。

 実は、その答えはもう殆ど自分の中では決まっていた。だがそれを実行することも口に出すことも出来ないまま、カリンは悶々とした気持ちを抱え続けたままだった。


「ただいまー」


 思考の渦に飲まれていたカリンが我に帰ったのは、もう日が落ち切る寸前の黄昏時だった。

 家に帰ってきた姉、アリーサの声ではっと顔を上げる。そんな自分に呆れたような顔を向ける姉が、開いたドアの所に立っているのが見えた。


「何ボーっとしてるのよ? らしく無いなぁ」

「う、うん。ごめん。ちょっと考え事」

「ふーん? まあ、そうよねぇ。あれからまだ一週間しか経っていないものねぇ」


 エイク達がこの町から出発して、すでに一週間が経っていた。アリーサはこの一週間の間うじうじとし続けているカリンと違い、早々と仕事先を見つけると、すぐにそこで精力的に働き出していた。


 アリーサは手に持っていたバスケットをカリンに見せ付けるように軽く揺らし、


「じゃーん! 貰ってきちゃった! 一緒に食べよ?」


 そう言いながらにやりと笑う。


「また試作? シェルトさんあんなに忙しいのに、まだ働くんだ……」

「まだまだ試したいことが沢山あるんだって! 凄いよねぇ」


 カリンは呆れと驚きが混じった声を上げるが、アリーサはそれに素直に感嘆を返した。


「今日は小麦粉を使ってないパンなんだって。小麦粉を使わないなんて、不思議よねぇ」


 そう呟きながら、アリーサはバスケットをテーブルに置き、台所へと歩いて行く。その後姿をぼんやりと見送っていたカリンだったが、姉の姿が見えなくなってからやっと妹の姿がどこにも無いことに気づいて、はっと目を大きく開いた。


「ねぇ! セレナは!?」

「セレナはねぇ、クルティーヌに泊まるって言うから置いてきちゃった」


 焦ったような声を出すカリンに、戻ってきたアリーサは茶目っ気たっぷりにぺろりと舌を出す。

 その顔を見たカリンは安堵し息を吐く。そして、ここでやっと自分が立ち上がっていたことに気づき、気恥ずかしさを感じながらのろのろとまた腰を下ろした。


 妹のセレナは長い間二人の人質として盗賊団に捕らえられており、つい最近助け出されたばかりだ。そのためカリンは、妹の姿が見えなくなることに未だ強い抵抗感があった。


 アリーサや姉の勤め先であるパン屋クルティーヌの店主シェルト、そしてその娘のユーリが一緒だと思えば安心できるようにはなったものの、この不安を掻き立てられるような焦燥感はそう簡単に癒えるものではない。

 落ち着くまでにもう少し時間が必要になるのは誰の目にも明らかで、時が癒してくれるのを待つしかなかった。


 だが仕方がないこととは言っても、カリンが気恥ずかしさを抱くのも当然のことで。妹のことで度々まくし立てるように姉やシェルトへ詰め寄ってしまう自分に、カリンは顔の火照りを感じて縮こまってしまう。


 そしてそんな妹を慰めるように、気にするなとアリーサがくすくすと笑って流すのはもういつもの光景になっていた。


「これが試作のパンで。あとこれ! 美味しそうだと思わない? 確か卵の白身を……えーっと、何だっけ? ……メントレ? にして焼くんだって。スフレって言うらしいよ!」

「ふーん……」


 落ち込む妹を元気付けるように明るく喋るアリーサ。カリンはそんな姉の明るさに今までもずっと助けられてきた。だからこそ、もうあんな目に姉を遭わせたくないと強く願わずにいられなかった。

 なおメントレではなくメレンゲである。アリーサは料理に関してはとても壊滅的であった。


「あ、ふわふわで美味しい……」

「本っ当! 美味しいわねぇ!」


 姉が持ってきてくれたスフレを口に運ぶと、パンとはまた違うふわふわとした食感で、思わずカリンは目を丸くする。

 そんな妹の表情に、アリーサの顔も自然と綻む。二人の会話は目の前の不思議な食べ物のことで面白いように弾んだ。

 だが姉の楽しそうな声に相槌を打ちながらも、その行動力が羨ましいと、カリンは頭の中でそんなことも考えていた。


 アリーサは一週間ほど前、青龍族のリリとクルティーヌで一緒に食事をしたその日に、シェルトに頼み込んでそこでの仕事を決めてしまっていた。

 殆ど食事につられる形だったのだろう。しかし、思い立ったらすぐ行動という姉の姿勢は、カリンには到底真似ができないものだった。


 カリンは小さい頃、いつも姉の後ろにくっついて歩く子供だった。だからか、いつも他人の意見を聞いてからしか自分の意見を言わないし、すぐに何かを決めて一人で行動するなんてことも苦手だった。

 しかしだからか、カリンは誰かの行動を観察することには長けていて、物事を冷静に判断して行動できる長所があった。


 そもそもカリンがなぜ姉の後ろについて歩いていたのかと言うと、お姉ちゃんっ子だったとか引っ込み思案だったとか、そういう子供っぽい話ではない。単に姉の突飛な行動が心配だったからであった。

 そんなことを子供だてらに長年やってきた彼女は、まず相手がどういう行動をしそうか観察する癖がつき、成長するにつれ次第に行動が慎重になっていったのだった。


 行動派の姉と慎重派の妹。結果的に非常にバランスが取れる組み合わせになった姉妹は、自他共に認める仲良し姉妹ではあった。

 しかし隣の芝生は青いと言う言葉がある通り、自分に無いものを持っている姉を時に羨ましいと思ってしまうのは人間として致し方のないことであろう。


 この明るくて行動派の姉の頭の中は一体どうなっているんだろう。少しその楽天的なところを分けてもらえないだろうか。などとぐるぐると考えながら食事をしていたカリンは、いつの間にかテーブルに二人分のカップしか乗っていないことに気づいた。

 手に持っていたパンはいつの間にかなくなっていて、お腹もくちくなっている。どうやらもう食事は終わっていたらしい。

 目の前のアリーサも二人のカップにお茶を入れると、おいしそうに口に含み、満足そうに息を吐いていた。


 ランプの明かりはあのギルドの宿舎で使っていた魔法石よりも頼りなく、ぼんやりと部屋を照らしている。

 あの魔法石が姉なら、このランプの火は自分だな、などと思いながら、カリンはランプの中で揺らめく小さい火をぼーっと眺めていた。


「……で、何か言いたいことがあるんじゃない?」

「え?」


 そんな時のことだ。急にアリーサが核心を突く言葉をかけてきた。

 カリンはうろたえるが、しかしアリーサにはお見通しだったらしい。


「あのね、あんた分かりやすいのよ。そんなにぼーっとして。何か言いたいことがあるんじゃないの?」


 そう言いながらテーブルの上で腕を組み、完全に話を聞く体制に入ってしまった。


 姉の言う通り、カリンの胸には確かに、誰かに聞いて貰いたい思いがくすぶっていた。

 しかし心のどこかで自分には無理だと言う気持ちもあり、自信が持てず、踏ん切りがつけられないでいた。


 どうしようかと悩むカリンに、アリーサは何を言うでもなくじっと待ち続ける。

 言おうか、言うまいか。カリンは悩みながら視線を泳がせる。だが姉の眼差しは自分を捉えて離さなかった。


 戦争が終わってからというもの、悩む間もなく決断を迫られることばかりだった。自分のタイミングなど関係なく、事態は目の前にいつも立ちはだかった。

 戦後間もない時も。今も。そしてつい最近起きた出来事もまたそうだった。


 そうしてカリンは思い出す。未だに夢のようにも感じるあの日の出来事のことを。


 颯爽と現れて、あっという間に絶望的な出来事を解決し、風のように去って行ったあの人達。出会いが最悪だっただけに、最初はまったく信じられなかった。だから、なぜ助けてくれるのかと疑問を抱くのは当然だった。

 だから聞いてみたのだ。本当に助けてくれるつもりなのかと。盗賊団を相手に戦うつもりなのかと。


 だが彼らはそれに何と言うことはないと、全く気負いも見せずに答えたのだ。当たり前だろうと。

 その時返された言葉を思い出す頃には、カリンの胸にぐるぐると渦巻いていた迷いや躊躇(とまど)いは、その胸の熱さの中にゆっくりと溶けて消えてしまっていた。


「……私、衛兵になろうと思うの」


 カリンはポツリと呟く。アリーサは何も言わず、俯き加減の妹を見つめ続けた。


「もうすぐ十五だから、希望すれば入団試験を受けられるし……。そうしたら受けてみたいの」

「どうして?」

「え?」

「どうして衛兵なの? 確かに衛兵がもっとちゃんとしてれば今回みたいなことは無かったと私も思うわ。頼りないのは分かるけど……。でも危ないじゃない。わざわざカリンがやる必要なんてないと思う。そもそも、そういうのは男の人に任せたら良いでしょ?」


 今のセントベルはお世辞にも治安が良いとは言えない。そんな中衛兵になど志願すれば、苦労するのは想像にたやすい。

 しかも十五の少女が志願するなど、普通の感覚ではありえないだろう。アリーサの言うことは全くの正論だった。


「違う。違うの。そうじゃないの」


 しかし、ぶんぶんと首を振ってカリンはそれを否定した。


「私がやりたいの。誰かに任せるんじゃなくて、私が。自分の生まれた町だもん。このままじゃ……悔しいよ。お父さんだって、きっとそう思ってる」

「カリン……」


 顔を上げた妹の顔をアリーサは見つめる。そこには先ほどまで彼女が抱いていた迷いは全く見られなかった。

 その真っ直ぐな眼差しに、ふぅと一つため息を返すと、アリーサは仕方がないなぁとでも言うように力なく笑った。


 カリンとアリーサの父は、この町を長年守ってきた衛兵だった。

 早くに妻を亡くしながらも、男手一つでなんとか三人姉妹を育ててきた。苦労もあっただろうがそんなことはおくびに出さず、いつも快活に歯を見せて笑う偉丈夫だった。


 そんな父に一番懐いていたのは次女のカリンだった。

 非番の日にはよく父が鍛錬をしていたが、それをそばでじっと見つめていたかと思えば、しまいには父の短剣を持ち出し、見よう見真似で振り回して父を情けないくらいに慌てさせたものだった。


「私も衛兵になる! ……あんたの口癖だったわねぇ」

「え?」

「覚えてない? あんたがそう言うと、いっつもお父さん困ったような顔してさ。でも最後にはちょっとにやけてて。……嬉しかったんだろうね。自分の仕事をそう言ってもらえてさ」


 アリーサは苦笑いを浮かべながら昔を懐かしむように目を細める。


「困っている人がいたら助けてあげなさいって。……ふふっ、こっちはお父さんの口癖だったわねぇ」


 そう独り言ちたアリーサにカリンは目を見開く。

 それは偶然だったのだろうか。

 あの日聞いた言葉。カリンを救ってくれた言葉。父の教えは、それと全く同じ響きを持っていた。


 それはただの偶然だったのだろう。しかし。

 カリンの胸の熱さは父の思いも取り込んで、さらに赤々と燃え出した。


「私も……。私も、そんなふうになりたい。だから、衛兵になる。うん。もう決めた!」


 辛気臭い表情から一転、妙に真剣な顔つきになった妹に目を瞬かせるアリーサ。

 そしてすぐにくすくすと笑い出した。


「そう。なんとなく、そう言い出すんじゃないかと思ってた。でもね。約束して?」

「約束?」

「中途半端で投げ出さないって。だって、お父さんに怒られちゃうもの」

「――うん。分かった」


 二人は笑い合いながら手を伸ばすと、お互いの小指を絡ませた。


 あの日。魔族にこの町が蹂躙された日。強面で厳しくも、娘には穏やかな表情を見せる父は二度と帰って来なかった。


 外をうろつく魔族達に怯えながら、幼い少女三人は部屋で身を寄せあい震える日々を長い間過ごした。

 三人で支え合い、なんとかその恐怖を耐えしのいだが、今度は同族であるはずの人間の悪意にさらされ、犯罪の片棒を担ぐ羽目になった。


 絶望に心が染め上げられ、生きる気力を失いつつあったあの日々。そんな彼女を救ったのは、なぜ救ってくれるのかという自分の問いに返された、たったの一言だった。


 ――何でって。そりゃ困ってる奴がいて、それを助けられるんだったら、普通助けるだろが。


 どこか懐かしい気持ちを思い出させる男が口にした、胸に希望を灯してくれた言葉。

 助けられたことで、感謝の気持ちと、そしてそれ以上に自分もこんなふうになってみたいと憧憬の念を抱いた。


 魔族によって断たれてしまった安穏な未来。失った大切な父。支え合うことのできる者も無い荒廃した町。同じ人間からの非情な悪意。

 もう絶望しかないとカリンの心は擦り切れてしまっていた。しかし父の温もりだけはまだ失うことなく、カリンの心の奥底に残っていた。


 暗い心に染め上げられ、忘れていた教え。だがその言葉を、カリンはもう二度と忘れないよう心に刻み込む。

 そんな妹の顔を見て、アリーサはもう大丈夫だろうと柔らかい笑みを浮かべていた。


 深い絶望から希望へと向かって歩き出したカリン。

 その新しい門出を祝福するように。その幸せを確かめるように。

 二人は指切りを交わしながら、優しく笑い合っていた。

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