80.白龍姫との会談
「……で、戻ってきたと。そう言うことですか」
セントベルへ向かう途中に青龍姫リリュールと出合ったオディロンは、彼女を護衛しながら王城へと戻って来ていた。
リリを王城へと招いた彼は、彼女が白龍姫と面会出来るよう取り計らうと、すぐに彼の上司である騎士団長、イーノの元へと赴き現状の報告を行っていた。
イーノはまるで成果を上げずに戻ってきた部下に頭痛を覚え、無意識に額に手を当てる。だがすぐに軽く頭を振って切り替えると、目の前の、まるで悪いことをしたと思ってもいないだろう部下へとまた視線を向けた。
「ご苦労様でした。では明日の朝、また出発して下さい」
「だ、団長殿。少し休みを頂くわけには――」
「駄目です。それとも今すぐに出発しますか? 私はそのほうが好ましいのですが」
ささやかな抵抗を示すも、ぴしゃりとはねつけられオディロンは閉口する。
「貴方が王都を発ってからもう二十日を過ぎています。だと言うのにセントベルにも着かずに戻ってくるのは……一体全体どういうことですか?」
「し、しかし団長殿。先ほども報告した通りチサ村ではアクアサーペントが――」
「それは冒険者が来た時点で任せれば良かったのです。彼らには彼らの仕事がある。そして貴方には貴方の仕事がある。違いますか?」
彼のもっともな指摘にオディロンは黙り込む。完全に沈黙した部下にイーノはため息を一つつくと、じろりと見た。
「その正義感は結構。しかし何を優先すれば良いのか判断がつかないのは困ります。貴方が足を止めることなくセントベルに辿り着いていれば、エイク殿を捕まえることができたかもしれかったというのに……」
イーノは先日届いた報告を思い出していた。
それはセントベル代官、サロモン・タスキネンが盗賊と癒着し、その果てに殺害されたというものだ。
彼の寝室には彼の遺体と共に盗賊の死体もあり、恐らく命を狙われた子爵と盗賊が相打ちになったのだと衛兵隊から報告があった。
しかし。イーノはそれに違和感を覚えていた。
セントベルに送った代官は、完全に文官よりの貴族だったはずだ。そんな人間が盗賊に武器を向けられて、果たしてまともに相対できるだろうか、と。
だからだろう。その報告を聞いて、イーノは思い出していた。
”貴族殺し”と多くの貴族達から忌み嫌われていた、自分達が追う男のことを。
「え? そ、それは――」
「どうやら貴方はこの件の重要性を全く理解していませんね。いいですか?」
イーノの言葉に疑問を抱くオディロン。問いかけるも被せられた言葉に遮られ、更に次に続いた言葉にオディロンは目を見開き言葉を失った。
「第三師団が長の名誉を貶めたとストライキを起こしています。第三師団は人族以外の種族が多く所属する師団……。このままではせっかく築いた良い関係が水泡に帰します。エイク殿にはどうしても戻って貰わなければなりません。この国の未来のためにも」
他にもイーノは、ストライキの収拾のために王子が寝る間もなく奔走しているなど色々と説明していたが、真っ白になったオディロンの頭には早く出発しなければという思いしかなく、何も入って来はしなかった。
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一方王城へとたどり着いたリリは、念願叶って白龍姫ヴェヌスとの面会に臨んでいた。
どうやって白龍姫に会おうかと考えていたリリは、偶然出会った近衛騎士と軍人の二人組に渡りに船と同行を申し出た。
一応警戒し少し威圧もしてみたが、彼らは逃げ出すことも護衛の申し出を撤回することも無かった。そのためリリも彼らの言うことを信じる気になり、護衛として案内して貰う事にしたのだ。
それが功を奏して、王都に着いた後すぐに入城を許され、そして今、こうしてヴェヌスの真向かいに座り笑顔を交わしているところであった。
「始めまして白龍姫様。私は当代の青龍族の巫女、リリュール・セレネ・シェンティッツェと申します」
「わざわざ遠いところご足労頂きまして、ありがたく存じます、リリュール様。わたくしはヴェヌス・ラト・イル・シェンティッド。ヴェヌスとお呼び下さいまし」
「それでは、私のことはリリュールと」
「かしこまりました、リリュール様」
ふわりとたおやかに笑うヴェヌスにリリもつられて笑顔になる。
これは案外上手く行きそうだ。そうリリの頭を過ぎるが――
「それで、何をしにいらっしゃいましたの?」
次の瞬間、まるで冷や水を浴びせるような口調で声がかけられた。
驚いて目の前のヴェヌスを目を見ると、リリを射抜くような鋭い光をたたえる双眸がそこにあった。
(爺の言っていた通り、私達が王都にいたのはばれていたみたい……)
穏やかな気質ではあるものの、リリも紛うことなく龍人族である。
しかも同格の龍族の姫だ。第二師団長のジェナスすら硬直させたヴェヌスの龍眼も、リリを威圧するほどの効果はなかった。
しかし、その鋭い眼差しには背筋がぞくりとさせられる。先ほどの自分の考えが甘いものであったと、その眼差しを真正面から受け止めたリリは、すぐに考えを改めることになった。
穏健な青龍族に対して白龍族はどうかと言えば、その対極で、かなり過激な部類だった。その主義は龍人族が持つものと同様ではあるものの、青龍族よりも更に苛烈であった。
信頼を裏切った者に対しては、その命をもって償わせる。その強硬さによって、白龍族は強い団結を保っていた。そしてそれは白龍族に対してのみならず、仲間として認めた誰にでも向けられるものでもあった。
その苛烈さ故、信頼を失ったとするのなら、青龍族と白龍族は全面戦争に陥る懸念すらあるだろう。
リリもその危うさを十分理解している。だからこそ、ヴェヌスのこの眼差しが何を意味するのかも正しく理解をしていた。
(お前達は敵なのか。それとも違うのか。そう言うことですね……)
リリは改めて、この会談の向かう方向によって、そんな未来もありうると唾をのみ込む。そして理解したからこそ、そらすことは許されないと、その冷たい眼差しを真正面からしっかりと受け止めた。
「白龍族がこの度の戦に勝利したとお聞きしましたので、青龍族を代表し、私から祝辞を述べさせて頂きたく参りました」
「……それは、ありがとうございます」
射抜くような視線を遠慮せずに浴びせるヴェヌス。しかしそれに反してリリはにこりと笑った。
予想外の反応にヴェヌスはぴくりと眉を動かす。しかしそれ以上反応を見せなかった。
魔族との戦時中、部下から青龍族が王都に現れたと聞いていたヴェヌスは、その動向に気を配りながらも具体的な行動を取らず、注視するに留めていた。
彼女達白龍族は青龍族とは違って、龍人族だから仲間だ同胞だ、という安直な意識は特に持っていない。ただ同属としての親近感を感じているだけに留まっていた。
突然王都に現れ何かを嗅ぎまわる青龍族。その行動が何を意味するのかを、魔族との関連性も視野に入れながら、静観しつつも危機感を持って監視を続けていた白龍族。
しかし結局何も行動を起こすことはなく、戦後にこうして青龍姫を向かわせたのは一体どういう心算なのか。
白龍族の長、白龍姫として、その理由によっては同属だとしても敵対することも辞さない。そうヴェヌスは考えていた。しかし――
「つきましては、我々青龍族からお祝いの品を進呈させて頂きます。どうぞお受け取り下さい」
「こ、これは――っ!」
リリが差し出した包みを鷹揚に開き、現れた箱を目の前で開けた瞬間。ヴェヌスの意識はそれに釘付けとなってしまった。
「ホ、ホワイトオパールッ! この大きさ! それにこの遊色! 何て素晴らしい……っ!」
「お気に召したようで何よりです」
虹色の光彩を放つ、幾つもの大粒の乳白色の宝石。そこにあった輝きに目を奪われたヴェヌスはそれで頭が一杯になり、危機感も猜疑心も何もかも見事に吹っ飛んでしまった。
一まとめに龍人族と言われる彼らだが、大別すれば、白龍族、青龍族、黄龍族、赤龍族、黒龍族、そして緑龍族の六種族が存在する。
その名が示す通り、白龍族なら白い鱗、青龍族なら青い鱗を体のどこかに持つのが特徴で、ヴェヌスなら両腕、リリなら首筋にそれを持っている。
種族だけでなく身体的な特徴にもあることから、その色というのは、龍人族にとって非常に重要な意味を持っていた。
各龍族の長もその影響を大いに受けており、その名に古代龍言語で色を示す言葉を入れることが、代々受け継がれる慣わしとなっているほどだ。
ちなみにヴェヌスであれば、シェンティッド、リリであればシェンティッツェがそれに該当する。
古代龍言語でシェンは龍、ティーが巫女、そしてイッドが白、イッツェが青を指す。つまり、白龍の巫女をシェンティーイッド、青龍の巫女をシェンティーイッツェと呼んでいたのが徐々に訛り、そのまま名前として定着していったのだ。
そんな歴史もある龍人族だからこそ、どれだけ自分達の色を重要視しているかが分かるだろう。
なお、昔はその種族において最も魔力のある女性のことを巫女と称し、最高位の者として崇めていた。
だがそれも時が流れるに連れて次第に変化して行き、今では白龍族では最も武力の優れた女性を、青龍族では最も魔法に優れたものを一族の姫、つまり旧称の巫女として扱うようになっていった。
リリが自分を姫ではなく、もう廃れてしまった巫女という呼称を使うのも、まだ青龍族が魔力を指針としていることに起因しており、意味としては巫女も姫も全く同じものである。
さてそんな龍人族にとって、自分と同じ色であり、かつ価値があるものを保有するということがどういうことか。
それは自分の力を誇示するもの。俗にいうステータスだった。
実はリリがヴェヌスに面会した際、ヴェヌスはリリの着ているローブが非常に価値の高いものであることをいち早く見抜いていた。
美しい純白のローブは白龍族にとってはまさに垂涎物だ。そのため、近くに寄らずとも分かるその純白の価値に、白龍姫ヴェヌスは少し嫉妬を覚えていた。
ヴェヌスがリリに対して威圧的だったのも、実のところこれが大半の理由だった。
喉から手が出るほど欲しいが、そんなことを口にはできない。
なので何しに来たと少し威圧しつつ、友好の証とか何とか上手いことを言って、そのローブと白龍族の持つ何かを交換して貰えないかと強請る――いや、交渉するつもりだったのだ。
だがそんな考えは、目の前に置かれた乳白色の宝石によって勢い良く霧散する。それほどまでに、リリの持参したオパールはヴェヌスにとって素晴らしいものとして目に映ったのだった。
「こ、ここここれを頂戴しても、ほほほ本当に宜しいんですの!?」
「ええ、お祝いの品ですから、是非」
「も、もう絶対に返しませんわよ!?」
「だ、大丈夫です。ヴェヌス様。落ち着いてください。誰もそんなことは申しませんから」
凛々しくも美しかったヴェヌスの様子がガラガラと音を立てて崩れ、どこか残念さをかもし出し始める。だがリリはそれには言及せず、何とかにこやかな笑みを保ち続けた。どうやら上手く言ったようだと、人知れず胸を撫で下ろしながらではあったが。
宝石として価値の高いオパール。だがここだけの話、青龍族には何の価値もない石ころ同然のものだった。
青龍族の故郷である洞窟の奥深く。そこには希少なオパールの鉱脈があった。
なのでこのホワイトオパールもよく採掘されていたのだ。
しかしブルーオパールならいざ知らず、他の色のオパールでは商いもしていない青龍族には石ころ程度の価値しかない。なのでその辺の足元にごろごろと転がしておく始末だった。
その、まるで邪魔者のように扱われている物の中から目ぼしい物を見繕い、いつものように子供達に研磨を任せたものが、今ヴェヌスに渡したホワイトオパールだった。
もし石ころ同然の扱いを受けていると白竜族に知られれば、大激怒の末全面戦争待った無しだっただろう。
しかしそんなことはリリも十分理解している。どんなに口が滑ろうとも絶対に口外しないよう爺に言い含められていたし、逆の立場であれば自分も憤慨しただろう。
それが分かるからこそ、口外できるはずも無かった。
ホワイトオパールを渡した効果はてき面に働いた。
最初の冷たい雰囲気はあっという間に離散し、ヴェヌスは好意的な空気をまとい始める。
それを感じたリリも、ヴェヌスが青龍族の不義理を水に流してくれたものと理解し、役割を果たせたことにほっと息をついた。
お互いの間に漂っていた緊張感は無事になくなり、その後の会話は穏やかな空気の中、興じられることになった。
戦時中に取った青龍族の行動やその思いについて、リリが謝辞を交えながら説明すれば、青龍族ののん気さに呆れながらも、白龍族の身を案じてくれた青龍族のことをヴェヌスは快く許し、そこからはさらに柔らかい空気が二人の間に流れ、会話が弾んだ。
ヴェヌスはリリよりも長く人族と暮らしていたが、その生活は殆ど戦争の渦中にあり、人族の平時の暮らしと言うものに殆ど触れることが無かった。
そのため、村々を渡り歩いてきたリリの話を聞きたがり、リリも人族の暮らしには並々ならぬ興味を抱いていたため、雑談に花が咲いた。
特に食事が美味しいという点で二人の意見は合致し、その頃にはヴェヌスもリリも頬を緩め、ころころと良く笑うようになっていた。
そして、リリの旅の中で一番濃い出来事だったセントベルでの話へと二人の会話は自然に移って行ったのだが。
「なるほど、そのローブもその方達に譲って頂いたのですね」
「はい。本当にいい方達でした。できるならまた会いたいですね。お礼も言えないまま別れる事になってしまいましたし……」
「そうですわね。ですが、ちょっとその方達は人がよすぎますわ。お人好しと言うか……ふふっ」
「ヴェヌス様?」
「ああ……失礼。何でもありませんわ」
何かを懐かしむように口元を緩めつつも、ふぅと悩ましいため息を吐くヴェヌスにリリは首をかしげる。だが、なんでもないと首を振られるとそれ以上聞くこともできなかった。 わずかな間瞑目していたヴェヌス。だがまたリリに目を向けると、たおやかに微笑んだ。
「そう言えば、その方達とパーティを組んでいたそうですわね」
「はい。格好良いパーティ名で。そうそう! このローブにも刺繍がされているんですよ」
「あら、それは洒落ておりますわね。どんな名前なんです?」
「はい。”エイク様親衛隊”です! エイク様という方には会えませんでしたけど……でもきっと素敵な人なんでしょうね」
リリはどうだと言わんばかりに嬉しそうな声を上げる。
このローブは彼らとの信頼の証であって、リリにとっては思い入れのある一品だ。自慢したいという気が少しばかり湧いたとしても仕方がないことだろう。
しかし。ヴェヌスの反応はリリが考えているものとはまったく違うものだった。
少し腰を浮かせ口をぱくぱくと開くだけで何も言わないという、良く分からないものだったのだ。
リリはその反応を不思議に思い首をかしげる。そして、
「その方達は今どこですのぉぉぉぉおおッ!」
「わわわわっ!?」
急に猛々しい雄叫びを上げたヴェヌスに度肝を抜かれることになったのだった。