79.邂逅
「もう~……。オディロンさんのせいでこんなに遅くなったじゃないですか~」
「仕方が無いだろう? 村人があんなにも困っているのだ。放って置けるものか」
「冒険者が来たんですから、後は任せれば良かったのに……」
二人の男が遠くに見えるセントベルを目指し、肩を並べて歩いている。
一人は王都から旅立った近衛騎士オディロン。そしてもう一人は、白龍族の魔の手が迫っていることを秘密裏にエイクへと知らせるため、第二師団より遣わされたカークだった。
二人はエイク達を追う道すがら、チサ村へと立ち寄っていた。そして、そこで村が抱えている問題を耳にすることになった。
事のあらましを聞いたオディロンは、これを放置することはできないと主張した。そして任務をないがしろにして、渋るカークを無理やりに説き伏せ、二人で調査を行っていたのだった。
その後すぐにギルドの依頼で来た冒険者達とかち合い、一悶着あったものの、報酬の一切を放棄するとオディロンが伝えると、冒険者の態度は一変した。それはもう実に、分かりやすい程に快くオディロン達を迎え入れたのだ。
なお冒険者が来た時点で、カークは冒険者に任せて先に進もうと進言したが、しかしそれは黙殺されてしまう。
さらに、アクアサーペントの幼態――と言ってもランクCの手強い魔物だ――が見つかるなどのアクシデントもあって、結局セントベルへ向かうのがかなり遅れてしまった。
カークが文句を言うのも当然のことだった。
「もう済んだことだろう。そろそろ許してくれカーク君。今後は自重することを約束する」
「そんなこと言って! 反省して下さいよ! 十日も遅れたんですから! 十日ですよ!?」
「分かったと言っているだろう!?」
「分かってないから言ってるんです!」
チサ村からセントベルにかけての三日間、カークは常にこの調子だった。一応反省はしているものの、オディロンもこの小言にはもう辟易としており、その態度がまたカークの虫の居所を悪くした。
うんざりとした様子のオディロンに、目を三角にしてカークがまた口を開こうとした、そんな折のこと。
彼の方を見ず前を向いていたオディロンが、何やら気づいたようで声を上げた。
「む、カーク君。前を見てみろ」
「ちょっと、話をずらそうったってそうは行きませんよ!」
「いやいや、本当だ。見てみるんだカーク君」
大真面目な顔をしてオディロンが指を前へ向けるため、仕方なくカークもそちらへと顔を向ける。すると確かに誰かが一人、この街道を自分達とは逆方向へと歩いて来る姿が見えた。
平時であればそう気にもしない光景なのだが、これにはカークも眉をひそめた。
戦争が終わったとは言え、王国の国力は大幅に低下しており、治安を維持するための力も当然落ちている。
むしろ各地へ光らせる目が減ってしまったため、戦前よりも無法者の活動が活発になっていた。今国内はとても安全とは言えない状況にあったのだ。
たった一人で道を行く目の前の人間に注意を払ってしまうのも、国防を担う彼らにとってはごく自然な行為であった。
カークの観察した限り、見たところ商人などではない。しかしそれでいて冒険者にも見えなかった。
恐らく女性だろう。純白のローブを着込み歩いてくる姿が、冒険者に似つかわしくない気品を感じさせた。
どうやらオディロンも同様に感じたようで、カークの前に出るように一歩踏み出すと、その人間の行く手を阻むように立ち塞がった。
オディロンが立ち塞がるのを見たその人物は、警戒したのか身構えながら距離を取る。
相手は魔法使いだったらしく、手に持つ杖を油断なく二人へと向けた。
ただ、腰に不似合いな剣を帯びていることを目ざとく確認したカークは、あの人物がただの魔法使いでは無いのだろうと、気を引き締めながらその動向に注意を払っていた。
「失礼。私達は怪しい者ではない。私は神聖アインシュバルツ王国の王宮守護騎士団、近衛隊に所属している騎士、オディロン・メイノスと言う。少々伺いたいのだが宜しいか?」
そんなカークの気も知らないで、オディロンが丁寧に自己紹介を始める。するとその人物は若干警戒を緩め、こちらに探るような視線を向けた。
まだ警戒を解いて貰えていないことを知ると、オディロンは携えた剣を鞘ごと取り外し、その人物に見えるように突き出した。
「この鞘に刻まれた紋章がその証。嘘ではない。この剣と主神フォーヴァンに誓う!」
オディロンの言葉を受け、その人物は突き出された鞘をまじまじと見ていた。
この剣というのは、騎士になったときに国王より下賜される、まさしく忠誠の証である。騎士にとって剣に誓うというのは、それ故に王家に対しての宣誓に等しいものだった。
だが目の前の女性は、意味が良く飲み込めなかったのか反応が鈍かった。
それもそのはず。その行為の意味を知るのは騎士や貴族など、それに少しでも関係する者であり、そんな事情に疎い一般人には全く馴染みが無いことだったのだから。
何となく騎士っぽい立ち振る舞いに、ははぁ~! と空気を読んで頭を下げる一般人も多いが、大抵はよく意味が分かっていないのだ。
しかしそんなことを知らないオディロンは、この言葉の意味が分かるだろうと胸を張って声を張り上げており、その後ろではカークが、何をやっているのかとでも言うように、こめかみに手を当てていた。
鞘に目を向けていたその女性は、その振る舞いについては取りあえず置いておこうと判断したのだろう。次にオディロンの後ろにいるカークへと視線を向けた。
「僕はカーク。王国軍第二師団、第四中隊所属の軍人です。今、僕とこのオディロンさんはセントベルへ向かっていたんですが、お一人で旅をしている貴方が気になって声をかけさせてもらいました」
人好きのする笑みを浮かべながら説明すると、目の前の人物の警戒がさらに薄れるのをカークは感じた。
冒険者をやっていたときから折衝役に駆り出されていた彼は、表情や口調、身振り手振りが相手の感情に非常に影響を及ぼすと言うことを、強く認識していた。
堅物のオディロンにはこの目の前の人物の警戒を解くのは難しいだろう。そう考え、カークはさらに努めて柔らかい口調で説明を続けた。
「今は戦争が終わったばかりで治安が良くありません。お一人では危険ですよ。冒険者を雇うか、王都に向かう護衛つきの商人と一緒に向かうことをお勧めしますが――?」
「いえ、私は冒険者です。この通り」
カークの言葉にその人物は初めて口を開き、首にかけられたドッグタグを指でつまんで見せた。元冒険者のカークはその赤銅色に輝く証を見て反射的に呟く。
「ランクEですか」
冒険者であったことと同時に、その声色にカークは少し驚いた。その声は透き通るような音色で、このところ堅物のオディロンや粗野な冒険者の声しか聞いていない耳には非常に心地良く響いた。
目の前の姿とその声色から、あの人物は少女なのだと分かる。冒険者という荒事を専門とする危険な職業に少女が携わっているという事実に、カークは少し戸惑ってしまった。
「はい。ですからお気になさらず」
彼女はそう言い軽く頭を下げると、二人を避けて通ろうとする。しかし、
「いえ、そうは行きません」
オディロンは引き下がらなかった。フードでよく分からないが、きっと迷惑そうな顔をしているのだろうな、とカークは思った。そしてオディロンが余計な事を言い出すのだろうということもまた、カークは確信していた。
再び警戒されまいと笑顔を保ったのは、カークの研鑽の賜物であろう。
「危険な道と知って女性を一人で行かせるなど騎士の名折れ。お嬢さん、宜しければ道中、我々が護衛しましょう」
「え? でも――」
「何、遠慮はいりません。民を守るのもまた騎士の務め。さ、参りましょう!」
女性は戸惑いを見せるが、オディロンはまるで気にした様子もない。これにはカークも仰天した。
「ちょっとちょっと、オディロンさん! 何勝手に話を進めてるんですか!」
「カーク君、君も軍人なら聞き分けたまえ」
「何を!?」
急にわけの分からないことを言い出すオディロンに声を上げるカーク。しかし軍の人間としては、確かに女性一人をこのまま行かせるわけにはいかないのも事実だ。
きっとこの女性はこのままだと一人で行ってしまうだろう。そしてオディロンもまた着いていく気が満々だ。
どうしようもない状況に天を仰ぐカーク。そして、もうどうにでもなれと諦め、女性に向き直った。
「……と、言うわけですので、どうしてもお一人で行くということでしたら僕達が護衛をさせて貰います。流石に見過ごすわけにも行きませんので」
「え……」
「本当に怪しい者じゃないんです。すみません。信じてもらえないかも知れませんが……。あ、そうそう。もし王都に向かうのでしたら、色々とご案内できますよ。どうです? 王城とか、見てみたくないですか? この人、これでも一応騎士なんで、もしかしたら中に入れるかもしれませんよ?」
「カーク君! 一応とはなんだ一応とは!? 失礼だぞ!?」
若干引き気味の女性に何とか信用してもらおうとカークは説得する。すると、何が気を引いたのか彼女は急に考える素振りを始めだす。
そして、こんなことを言い出した。
「それでしたら、王城までご案内をお願いしても宜しいですか?」
自分で言いだしたことだったが、悪びれる様子もなく王城に案内しろという女性。
これにはカークも目を丸くした。
「え? 王城?」
「はい」
女性はにこりと微笑むとそのフードを取った。その顔が露になり、輝くような空色の髪がカークの目に飛び込んでくる。
「私はリリュール。当代の青龍族の巫女、リリュール・セレネ・シェンティッツェと申します。白龍姫様にお目通りをお願いしたく参りました。是非とも案内をお願い致します」
慇懃にそう言うと、リリは丁寧にお辞儀をして見せてから、二人の顔をしっかりと見据えた。
縦に細長い二つの瞳が二人を捉えて離さない。彼らは試されているかのような感覚を覚え、無意識にごくりと唾を飲み込んだ。