78.お互いの思い
翌朝。出立の準備を終えドアの前まで足を進めると、リリは振り向き部屋を眺めた。
短い間だったが楽しかった思い出が脳裏に蘇る。いつの間にか顔には笑みが浮かんでいた。
(また会えるかな? ……ううん、会えるよね)
薬草を摘んだり、魔物と戦ったり、盗賊に襲われたり逆に襲い返したり。危険な目にも沢山あったが、それでもまた機会があればリリは喜んで一緒に行動するだろう。
不思議な魅力がある人達だった。リリは軽く息を吐くと、部屋から視線を外してドアへと手を伸ばした。
「――皆さんいますか!?」
「ぷげっ!?」
が、開こうとした扉が勝手に開き、勢い良く顔面を殴打した。
「皆さ――あっ! リリさん!」
「痛たたた……っ!」
「あ、ああっ! すみません! すみません!」
入ってきたのはカリンだった。顔を抑えながらうずくまっていたリリは、ノックも無しに入ってきたカリンに文句の一つも言いたかったが、顔を上げた途端ずいと距離を詰め寄られ、その言葉を飲み込んだ。
「皆さんは? もしかしてもう行っちゃいました?」
「え? え、ええ。昨日のうちに」
「昨日!? あ~……そうですか。行っちゃいましたかぁ~……」
リリの言葉にカリンは表情を曇らせる。一体何が、とリリが思う間もなく、カリンの後ろからもまた声が聞こえる。
「ホシちゃん行っちゃったの?」
「タヌキのカーテニア様も? そんなぁ……」
一人は小さい女の子。そしてもう一人はカリンより大人びている少女だった。
リリは知らないが、一人は盗賊団に捕まっていた妹のセレナだ。そしてもう一人はカリンと共に盗賊達に脅されていた姉のアリーサだった。
「姉のアリーサと、妹のセレナです」
不思議そうに目をやったリリにカリンが紹介する。
「助けて貰ったお礼をしたかったんですけど、さっきそこで会った衛兵の隊長さんに、皆さんがすぐに町を出るって聞いた、と教えてもらって、急いで来たんです。でもそれって昨日の話だったんですね……」
「ウシのバド様もキツネのウィンディアお姉さまもいないのね……。一度会ってみたかったんだけど、残念ねー……」
「ホシちゃんともっとお話したかったなー……」
がっくりと肩を落とすカリン。後ろの姉妹二人も残念そうに眉尻を下げた。そんな様子を見ながらリリは、ホシってアンソニーさんのことかな? などと一人で納得していた。
セレナは盗賊のアジトにいるときに、ユーリとホシの三人で仲良く喋っていた。ユーリが普通にホシのことを名前で呼んでいたので、本名を知っていたのだ。
エイク達三人もそれを知ってはいたが、流石に十歳にも満たない少女達相手に偽名云々と大人の事情を押し付けるのも無理があるだろうと、その様子を黙認していたため、セレナは逆に偽名の方を知らなかった。
「皆さんはもう出歩いても大丈夫なんですか?」
目当ての人物がいないことが分かり会話がぷっつりと途切れる。その隙にと、リリは気になっていたことを聞いてみた。
盗賊団に関して、リリは殆ど関与していない。エイク達も慌しく去って行ってしまったため、結局かいつまんでしか聞いていなかったのだ。
リリの疑問にカリンは頷き、もう問題ないと笑顔を見せる。
残党は一昨日の夜から早朝にかけて十人ほどアジトに戻ってきたため全員捕縛している。さらに衛兵隊が行ったあぶり出しでは八人の衛兵がつり出され、こちらも全員捕縛された。
結局盗賊団は三十四人、衛兵隊から八人。計四十二人が投獄されることになったのだが、これにはリリも絶句するしかなかった。
そんなリリの様子を見てアリーサは、
「私も盗賊に見張られていたんですけど、やっと解放されて……ありがとうございました」
そう礼を言いながら、深々と頭を下げた。
アリーサもカリン同様、盗賊達と一緒に行動させられていたらしい。そんな折、いつもなら朝から接触してくる盗賊がいつまでも顔を見せず困惑していたところ、カリンがセレナを連れて帰ってきて、それはもう驚いたそうだ。
カリン曰く、アリーサは「ぎょぇぇえーッ!!」と目を剥きながら叫んだらしい。だが、カリンが説明している最中、その頭にアリーサに手刀を振り下ろされて悶絶することになり、真偽の程は不明に終わった。
昨日カリン達が家に戻ってきたのはもう日が暮れてからだったようで、半年ぶりに姉妹三人で夜を過ごしてお互いの無事を喜んだそうだ。
それから今日朝早く起きた三人は、助けてもらったお礼を言いに来たと言う状況らしかった。
だが時は既に遅し。当人達はすでにおらず、唯一残ったリリももう出発する所だった。
「実は、私もこれから王都へ行こうと思っていたんです」
「えーっ! リリさんも行っちゃうんですか!?」
「あらら……」
リリの言葉にカリンが仰天して声を上げる。アリーサも心なしか残念そうだ。
「お姉ちゃんも行っちゃうの?」
「ごめんね。それで、今日はクルティーヌにお呼ばれているから、これから行くところなの」
姉二人が上げた声に何の気なしに口を挟んだセレナだったが、クルティーヌの話題が出ると、途端に目を輝かせ始めた。
「クルティーヌ……ユーリちゃんのところ?」
「そうですよ」
「なら私も行く! ねぇ、良いよね!?」
セレナは期待のこもった眼差しで姉二人を見上げる。たったの一晩だったが、あの特殊な状況で過ごした夜は、少女達の絆の形成に一役買ったようだ。
昨日の内に何度も、「ユーリちゃんは一番の友達なの!」と言ってはばからない妹に慈しむような視線を向けていた姉二人は、この申し出に首を横に振れよう筈もなかった。
「リリさん、クルティーヌまでご一緒しても良いですか?」
「え? ええ、私は構いませんよ」
「やったあ! 早く! 早く行こう!?」
待ちきれないようにアリーサの手を引くセレナに、リリの頬もついつい緩む。セレナがアリーサを引っ張って行ってしまったため、カリンもリリを気にしながらそれに続いて部屋から出て行った。
思わぬ珍客に戸惑いながらも、リリも続いて扉を通り抜ける。そして思い直したように一度振り返ると、表情を緩めながらそのドアを閉めた。
つい先日まで賑やかだった部屋は落ち着いた雰囲気を取り戻している。テーブルの上に置かれたランプが久方ぶりの客を見送るように、差し込む陽光を浴びてキラキラと輝いていた。
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「美味しい!」
「わ、本当。美味しい……!」
リリが三姉妹を伴いクルティーヌを訪れると、彼女を待っていたシェルトにすぐに店の中へと通された。
有無を言わさずテーブルへと座らされると、注文してもいないのに、メニューがどんどんとテーブルへと運ばれてくる。
初めはその様子に困惑を見せていた四人だったが、一口食べるとそんな考えはあっという間に引っ込んだ。
今はリリと三姉妹、そして一緒にテーブルについたユーリの五人で、わいわいと喋りながら食事を口へと運んでいた。
クルティーヌは基本的にパン屋である。朝はパンを売っているだけで食事は無く、店で食べたいのであれば昼と夕方に行くしかない。
エイク達が朝食をクルティーヌで食べていたのは、店の客ではなく、シェルト達家族の恩人であったからだ。今のリリ達もそれと同様で、リリが王都へ行くと聞いてのもてなしだった。
「カーテニア様ってどんな方なんです?」
会話の途中でアリーサは思い出したようにリリへと顔を向ける。
(様……?)
なぜか様付けされていることに首をかしげるリリだったが、きっと助けられたからだろうと納得し、その質問に答える。
なお、リリのその予想は半分だけ正解している。もう半分は、アリーサがミーハー気質であることからきていたが、その事実を知るのは彼女の姉妹である二人のみであった。
「そうですね……。明るくて気配りが上手い人です。一緒にいて疲れないと言うか」
「あ、それ分かります。普段は凄く大らかですよね。最初は盗賊団の元締めかと思いましたけど……」
脅されたときのことを言っているのだろう。カリンの言葉にリリは苦笑いで返すしかなかった。
確かにあのとき見せた一面は、リリも怯えそうになったほどだった。しかし後で理由を聞くと、はぐらかすことなくちゃんと答えてくれたし、自分達の身を守るのに必要なのだと聞かされ非常に納得したのだ。
なお元々山賊団の元締めであるため、カリンの言う事は何一つ間違っていなかった。
「盗賊相手だったらあれだけやらなきゃ駄目だって、そう言ってましたよ。カリンさんにはお気の毒でしたけど」
「ど、毒……。は、はは、そうですね……」
引きつった笑いを浮かべるカリン。どうやら軽いトラウマになっているようだ。
姉妹二人は不思議そうに顔を見合わせるが、その理由を知る者はここにはリリしかいない。だがそのリリも良いフォローの仕方が分からず、曖昧に宥めるしかなかった。
「盗賊団に乗り込んで助けてくれたんだから、良い人なんだろうけど。もうちょっとこう、グッ! ……とくるエピソードが欲しいかなぁ~」
アリーサは、なぜかは知らないが不満そうだ。何が聞きたいのか分からずリリが途惑っていると、美味しそうにパンを頬張っていたセレナが、急に高い声を上げた。
「ユーリちゃんがお父さんみたいだって言ってたよ!」
「セ、セレナちゃん! 駄目っ!」
暴露されたユーリは顔を真っ赤にして慌てるが、もう後の祭り。二人の少女がわちゃわちゃと戯れる様子を、皆が温かい視線で眺めていた。
ユーリにとっては、クルティーヌ、ひいては彼女の母シェルトや自分を助けるために手を貸してくれた四人のまとめ役であるエイクが、非常に頼もしく目に映っていた。
それに加え、羨ましそうに見ていたユーリを優しく呼んで髪を梳かしてくれたり、頭をよくなでてくれたりと、その温もりが非常に暖かく心に残っていた。
彼女は物心つく前に父親を亡くしている。無意識に男親の温かさに飢えていたため、ついポロッと溢してしまったのだ。
なおクルティーヌ再興の立役者であるバドに関しては、頼もしく思いながらもカッコイイ寡黙なお兄ちゃんといった印象で、残念ながらパパ候補からは外れていた。
「あ~……お父さんねぇ。なるほどなるほどぉ?」
真っ赤に顔を染めたユーリを尻目に、アリーサだけはどこか満足そうに目を閉じてこくこくと頷いていた。
望んでいた回答が得られたのだろうか。何がなるほどかは知らないが、納得がいったような顔をしている。
だがそれを見て、リリもふとエイクのことを思い出した。
(……ああ、本当だ)
そして、妙に納得してしまった。それがしっくりときてしまうことに。
リリの父はかつて青龍族の戦士を束ねる猛者として、故郷を守っていた戦士だった。その実力は青龍族随一と言われており、人望も厚い人格者であった。
ただし、それには全て”らしい”がつく。と言うのも、リリが生まれる前のこと。故郷の近くにスノウタイガーが住み着き、それを危険視した青龍族は討伐隊を送ったのだが、その隊長だった父だけが帰って来れなかったのだ。
スノウタイガーはその名の通り雪山でしか生息しない魔物である。体躯は全長三メートルほどとそう大きくないが、生態は獰猛で、自分以外の生物なら何でも襲うため非常に危険な魔物だった。
だがその脅威を大きく底上げしているのが、気配の断ち方だ。得物の臭いを感知すると直ぐに雪の中へと潜み、土魔法を使いそのまま足の下を移動し襲い掛かるのだ。
土の中を進む音は雪で吸収され聞こえず、全身が白一色であるスノウタイガーは視覚でもすぐに捉えにくい。
魔力の揺らぎを敏感に感じることが出来なければ、熟練の冒険者だろうと生きて帰る事が出来ない。その厄介さから、冒険者ギルドの討伐難度もランクAと、非常に高いものとなっていた。
リリの父親は以前ランクA相当の魔物を単独で討伐したこともある強者だった。そのためスノウタイガーも仲間を伴っていれば問題なく退治できると思われていた。
しかし運が悪いことに、そのスノウタイガーがそこに住み着いたのは子供を育てるためであり、つがいだったのだ。
青龍族の住む場所まで気づかないうちに寄り付かれては危険だと、リリの父は出産を控えた妻を残し、後ろ髪を引かれる思いで出立して行った。しかし結局、そのつがいを相打ちで退治するような形となり、故郷へ二度と戻ることは無かった。
また悪いことは重なるもので、故郷にいる母親もその後を追うように死んでしまうことになる。
青龍族の住む場所は、ドゥルガ山中腹にぽっかりと口を開いた洞窟の中にある。深い雪の中にあるため気温も低く、衛生状況も良いとは言えない。
子供を生む環境としては全く適しておらず、母子共に非常に負担がかかる土地だった。
そんな中で出産を控えたリリの母親。彼女は元々体があまり丈夫なほうではなかったため、さらに状況が悪かった。
もちろん両親はそれを理解したうえで出産に臨んでいたため、想定の内ではあった。十分留意した上で、厳しい環境の中、それでも万全の体制を敷いて出産に望んだ。
しかし、出産の際想定外の事態が起こった。逆子だったのだ。
相当な難産ではあったが無事生まれたリリ。しかし母親の体はボロボロだった。
数日の間意識が朦朧としていたが、そのまま回復することは無く息を引き取ってしまう。
奇しくも父親が亡くなったと言われた日の翌日だった。
生まれてすぐにも関わらず、リリは孤児になる。だが不幸中の幸いと言って良いのか、青龍族は同じような立場の子供も少なくなく、青龍族全員で孤児の面倒を見ていたため、リリは寂しさを感じるようなことが少なかった。
むろん両親のことを考えることもあったが、青龍族全員が家族のようなものだったため、深く考えることは無かった。しかし――
(お父さんがいたら、あんな感じだったのかな?)
エイクと共にいて、どこか感じていた気持ちが胸にすとんと落ちる。青龍族達と共にいるようで何か違う温かさに戸惑いを感じていたが、あれがそうだったのかなと、リリは妙に納得してしまっていた。
決して二枚目ではなく、むしろころころと変わる表情は三枚目と言ってもいい。
しかし時折見せる温かみのある表情がリリの脳裏にふっと蘇ると、彼女の口元をくすりと自然と緩ませた。
「おう! ここにいたかっ!」
そんな時、不意に店の入り口から声が轟く。皆の視線を集めたその声の主は、店にずかずかと入ってくると、リリの目の前で立ち止まった。
「ダンメルさん?」
声の主は武具屋のダンメルだった。なぜかその額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
彼の様子に何事かと目を丸くするリリ。だがそれに対して、ダンメルは額の汗をぐいと乱暴に拭うとニヤリと笑った。
「ギルドに行ってもいやしねぇし、もう出て行っちまったかと焦ったぜ。ふぅ……全く、ギリギリの仕事入れやがって」
「ど、どうしたんですか? 急に――」
「これを預かっててな。受け取りな」
そう言い、彼はリリにあるものを差し出す。
それはリリも見たことがある純白。あの日、はしたなくも欲しいと言う言葉が喉元まで出かかってしまった、至高の一品だった。
「アクアサーペントのローブだ。急にサイズを変更しろって言うもんでな、仕立て屋共は徹夜だったみたいだが、ついさっきやっと仕上がってな。何とか間に合ったぜ」
「こ、これ……どうして? 私に?」
「ふ……見てみな。裏に刺繍がしてあるからよ」
不敵に笑うダンメルから震える手でローブを受け取ると、リリは恐る恐るローブを確認する。
そこにはこう刺繍がされてあった。
――エイク様親衛隊 No15 リリへ
パーティを抜けることになったリリの冒険者証からは、すでに”エイク様親衛隊”の文字は無い。すでに仲間では無いと言われている様で、そこにリリは寂しさを覚えずにいられなかった。
しかし、今目の前にはその文字が刻まれている。その刺繍から彼らの気持ちがはっきりとリリに伝わってくる。
胸にじんわりと込み上げるものを押さえきれず、リリはたまらずローブを胸に掻き抱いた。