8.チサ村
「やっと着いたー!」
スティア、バド、そしてホシと一緒に行くことを決めてから二日目。歩き詰めではあったものの、俺達は森にほぼ隣接している小さな村に辿り着いていた。
自分達以外に人の姿を見ることができるのは、正直ほっとする。ホシも同じ気持ちなのだろうか、村を指差したかと思うと、わーいと明るい声を上げながらパタパタと走って行ってしまった。
追っ手を警戒して、かなり速いペースで歩いて来た俺達。そのかいあってか、道中誰かに遭うということも無く、ここまでは無事に来ることができた。
強行軍だったため俺は大分疲れていたが、他の三人はというと、まだ随分と余裕があるように見えた。
バドなんかは全身を覆うプレートアーマー姿で、見ているだけでこっちまで疲れそうな恰好だというのに、その足取りは非常に軽やかだ。
背負う壁盾も一メートルを超えるサイズだが、これを軽々と扱うし、体のつくりからして俺とは違うと思い知らされる。
道中、せがまれて何度もホシを肩車して歩いていたが、きっとバドにとっては重りにもならなかったことだろう。
「宿屋があるといいけどな。ま、まずは誰かに聞いてみるとするか」
「かしこまりました。ですが、何か物々しくありません? 村の入り口に誰もいないのも、何か変ですわ」
村を目指して歩を進める俺達。しかし村の様子を見渡したスティアが、少し警戒したように小声で話しかけてきた。
彼女の言った通り、確かに村の入り口であろう門――と言っても柵の延長のような簡易的なものだ――には誰も立っていない。
普通、門はそれを守る人とセットだ。ではどうしてこの村の門は、こんな状態なんだろうか。
普通こういった村というのは、剣呑な雰囲気に疎遠であるものだ。しかし目の前の村からは確かに、少しピリピリとした空気が伝わってくる。
それでいて、俺達がこうして近くまで来ているというのに、見咎めて誰かが向かってくる様子もない。
結局門の前まで来たはいいが、どうしたものかと、俺達は足を止めてしまった。
無人、というわけではない。村の中からこちらを見ている村人も、ぽつぽつとだが、いるにはいるのだ。
だが皆見るだけで、すぐに去っていく。こちらへ来ようとする気配はみられなかった。
今も弓を持って歩いていた青年がいたが、こちらに顔を向けたかと思うと、慌てたような様子で村の奥へと駆け出し、遠くに行ってしまった。
ただならない雰囲気に、どうしようかと俺達は顔を見合わせた。
「おじゃましまーす!」
「あっ、こらホシ!」
しかし戸惑う俺達を尻目に、ホシが勝手に門を開けて中へと入って行ってしまった。呼び止めても聞きゃしねぇ。
しょうがない。ここで立ち往生しても仕方がないし、入ってみるか。
「確かに何か様子がおかしいな。何も無いといいが……。少し注意して行こう」
俺がそう言うとスティアとバドも静かに頷いた。
道中誰にも追い越されなかったため、ここに王都からの追っ手がいるということは無いはずだ。しかしその線も含めて、色々と気をつけたほうがよさそうだ。
気を引き締めつつ、俺達は村へと足を踏み入れる。
周囲を伺いながら村の中央へと足を進めると、何人かの男が先ほどの青年と同様に弓を持って歩いているのが見えてきた。
ただ気にかかるのは、それ以外に女や子供の姿が不自然なほど見当たらないことだ。普通なら子供の一人二人くらいは外で遊んでいそうなものだが、一体全体どうしたことだろう。
いぶかしく思うも、まずは情報が必要だ。
俺は一番近くの男に向かって軽く手をあげ挨拶し、まず敵意が無いことを示した。
彼もそれに気がついたようで、こちらに足を踏み出そうとする――が、バドを見るとギョッとした顔をして、硬直してしまった。
これは仕方ない。想像してみて欲しい。真っ黒のプレートアーマーを装備した二メートル超えの人間が、直立不動で立っている様を。威圧感が半端ない。
知らない人間だったら俺だって怖いもの。だからバド、落ち込むんじゃあない。
完全に硬直してしまった男。仕方がないため、こちらから声をかけつつ、刺激しないようにゆっくりと近づくことにした。
「こんにちは。旅の者なんだが、この村に一泊したいんだ。宿屋があれば場所を教えて貰いたいんだが」
「あ、ああ、旅の方か。ようこそチサ村へ」
声をかけると、彼は先ほどまでの緊張した雰囲気を消し、ほっとした様子で言葉を返してくれた。
そんな彼の様子を見て、こちらも少し安心する。村の雰囲気を感じて気になっていたが、よそ者を警戒するという類の排他的な村ではないらしい。
柔らかくこちらに返事をしてくれた男。だが彼は、その後すぐに困ったような表情を見せた。
「すまないが、この村には宿屋はないんだ。この村に客人が来たときは村長に泊めてもらってるんだが、今はちょっと都合が悪くてなぁ……」
「何かあったのですか?」
スティアがそう聞くと、彼の頬がぱっと赤くなった。
うん、分かるよ。スティアは美人だもんな。黙ってさえいれば。
それにスティアは彼の視線を気にして、俺の背に半身を隠し、顔を伏せがちにしている。美人にいきなり上目遣いで話しかけられたら動揺しても仕方が無い。
彼は顔を赤くし、少ししどろもどろになったが、しかし色々と教えてくれた。
「じ、実はな、最近狩りで森に入ったときに、変なもん見たって騒ぎ出した奴がいてな。まいってるんだ」
「変なもの? 魔物か?」
「いや、なんか犬顔の人間とか言ってな。村長が魔族なんじゃねぇかって騒ぎ出しちまって……」
その言葉を聞いて、俺達は顔を見合わせた。
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俺達は彼に村長の家の場所を聞いた後、チョロチョロしていたホシを回収し、まずそこへと向かった。
ドアをノックすると、老人にさしかかろうかといった風貌の男が顔を出す。
彼は俺達を眺めると、後ろを見上げてギョッとした顔をしたが、先ほどの男と同様に挨拶をすると安堵した様子を見せ、狭い家ですがどうぞと家の中へ招いてくれた。
彼がチサ村の村長だろう。俺達は彼の言葉に甘え、お邪魔することにした。
家に入ると村長の他に、一人の女――年齢的に村長の奥さんだろう――が中にいた。
彼女もまたこちらを見てギョッとした顔をしたものの、困惑した表情ながらいらっしゃいと頭を下げてくれた。
軽く頭を下げて返す俺達に村長ももう一度頭を下げる。そして申し訳なさそうに頭をかいた。
「すまんことです。普段はこんな雰囲気ではないんですが……。こんな時にお客人を招くことになってしまって」
「いえ、どうかお気になさらず。こちらが勝手に来てしまっただけですし」
「そう言って頂けるとありがたいですわ。今何か飲み物をご用意しますから、どうか寛いでください」
「ありがとうございます。どうかお構いなく」
挨拶をすませると、奥さんはいそいそと奥に引っ込んで行った。
俺達は村長の言葉に甘えて椅子へ座る。しかしバドだけは適当な場所を見繕い、床に胡坐を組んで座り込んだ。
この椅子ではバドには小さすぎるし、座れたところであの装備じゃ、重すぎて椅子を潰してしまう。
村長もそれを察したのだろう。座ろうと引いた椅子に腰掛けるのを止め、まいったなあという様子で頭をつるりとなでた。
癖なのだろうか、彼の頭の様子もあってちょっと気になる。しかしあまり見るのも失礼かと、視線を逸らした。
「ありゃ、そちらの方は確かにちょっと椅子には座れんなぁ。待って下さい、何か敷くものを持ってきますんで」
「重ね重ね申し訳ない」
幸い俺の視線には気づかなかったようで、村長はそう言って、奥さんとは別の部屋へ引っ込んで行った。かと思えばすぐに戻ってきて、藁で編んだ座布団をバドに手渡した。
バドは一礼してそれを受け取り、その上に改めて座り込む。村長は椅子に座りながらその様子を見ていた。
「随分と大きな方ですなあ。鎧も立派なもんのようですし……。冒険者の方々ですかな?」
「いえ、ただの旅の者です。今までしていた仕事が無くなってしまったので、仕事を探しにセントベルへ行こうかと思いまして」
「ははあ、セントベルに。今はまだ人の行き来もないようですから道中は危険でしょうが、皆さんお強そうですもんなぁ」
村長がにっこり笑いながらそう言ったところで、奥さんが部屋に戻ってきた。
彼女は陶器のカップを俺達の目の前にトントンと置いていく。
「どうぞ。お口に合えばいいんですがねぇ」
奥さんはそう言うが、目の前の飲み物がくゆらす湯気からは、非常に香ばしい匂いがする。
真っ先にパッと手を伸ばしたホシも、ふーふーと息をかけこくりと少し口に含んだ後、嬉しそうに声を上げた。
「ん! おいしい! おばちゃん、これ何?」
「あらまあ、可愛いお嬢ちゃんだねぇ。これは村の近くで取れた薬草を乾燥させて、煎じたお茶なのよ」
「ふーん。今まで飲んだことない味だけど、あたしこれ好き!」
「あら嬉しい! おかわりもあるからね、欲しかったら言って頂戴ね」
奥さんはホシが足をパタパタさせながら飲む様子を見てにっこり笑うと、テーブルの真ん中に小さめのやかんをトンと置いた。
俺も飲んでみたが、薬草というと青臭いというか変な臭いや後味があるものも多い中、これはくせが無くて飲みやすかった。
俺もこれ好き! とにこやかにホシの顔を見る。すると変なものを見るような目で見られてしまった。まったく失礼な奴だ。
「そちらの方も遠慮せずどうぞ」
俺達が出された茶を飲んでいると、一人だけ飲んでいないバドに気づいたのか村長が薦めてきた。
しかしバドはいらないとジェスチャーしながら頭をぺこりと下げる。
確かにここでマスクを外すとまずい。彼がダークエルフだと分かると、恐らく良い顔をされないだろう。
「申し訳ない。あいつは先の戦争で顔に酷い怪我をしまして。まだ治りかけですし、あいつ自身もあまり顔を見られたくないようなんで」
「ありゃ! こりゃ魔王を倒した英雄さん達でしたかね! いや、通りでお強そうなはずだ!」
俺はバドをフォローする。すると途端に、村長は感嘆した様子で目を見開いた。
確かに間違ってはいない。しかしだからと言ってあまりこの話をすると、ボロが出てこちらの素性がばれかねない。
適当に話を切り上げるため、俺は曖昧に笑って言葉を濁す。
「英雄なんて大したものじゃないですよ」
「いや、魔王に立ち向かったってだけでも大したもんです。我々じゃ想像もつかんですよ、あんな恐ろしいのと戦うなんてのは。この国を守るために戦った方なら皆英雄さんだ。感謝しとります」
そう言って村長夫妻は深々と頭を下げる。
確かに魔王と戦ったのは確かだが、こんな風に礼を言われるのは正直むず痒い。
「いえ、はあ、そ、そうですかね? ありがとうございます」
俺はなんだか気恥ずかしくなり、彼らに軽く頭を下げて返す。だが俺の隣に座るスティアは、なぜかそれを満足そうな顔で見ていた。