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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第二章 再興の町と空色の少女
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75.後始末

 その日の夜。しんと静まり返った廊下を、サロモン・タスキネン子爵はフラフラとおぼつかない足取りで歩いていた。


 夕食後に出された酒に安物だなどと文句を言いながらも、深夜まで浴びるように飲み続けたサロモン。散々文句を言った割に、彼は今、酔いの回った赤い顔に喜色を浮かべていた。


 サロモンは元々、王宮にて文官を務める宮廷貴族だった。

 宮廷貴族とは、領地を持たず、官僚として働くことで俸給を得る貴族の事だ。そして、継ぐ領地のない貴族の子息達に羨望の眼で見られる職であった。

 その理由としてはいくつかあるが、国の政治に関わることができるということや、職としての安定性、そして高い俸給などがあげられるだろう。


 王国の将来に貢献すべく、宮廷貴族になろうと学業に励む若者は非常に多かった。しかしその一方で、高位貴族からのコネなどでねじ込まれる者もまた多かった。

 そのため、宮廷貴族には有能な官僚が多くいる一方で、無能な官僚もまた多くおり、それが王国の大きな問題となっていた。


 さて、そうした観点で見た時に、このサロモンと言う男はどちらか。

 答えは、完全に後者の人間であった。


 サロモンは、今回の采配についてはすこぶる不満だった。

 セントベルの復興を任命され代官に就任したことで、町の税収のいくらかを得る権利を持つこととなった。そのため減俸となったが、サロモンは税を重くすれば、不足分以上の益が転がり込むだろうと算盤を弾いていた。

 しかし赴任してみればだ。セントベル復興までの五年の間、一切の税を免じる政策が打たれていたのだ。


 その政策は、彼が任命される前に打たれたもの。なので、もし彼が熱心な官僚であれば、そんなことは事前に分かっていたはずだった。

 完全に自業自得だった。しかし彼はそれを認めず、俸給を減じられただけの事実上の左遷だと、そう受け取ったのだ。


 不機嫌を顔に隠さず、復興を部下に放り投げ、昼間から酒を飲み、使用人に当たり散らす。不満を(あらわ)に毎日を過ごす。それが彼の日常だった。


 しかし数か月前のことだ。彼の機嫌に変化が見られるようになった。

 いら立たし気な表情は笑みに変わり、使用人に当たることも少なくなったのだ。

 皆はそれをいぶかしがったが、しかし触らぬ神に祟りなしと深く追及もせず、そのまま放置をしてしまう。

 その決断がどんな影響を町に及ぼすのか、まったく想像もせずに。


 サロモンが行く廊下はランプの光で仄かに照らされている。寝室へと続くその明かりを頼りに、彼は千鳥足で足を進めていた。


 そして、寝室のドアを乱暴に開いたのだが。


「――ひっ!?」


 部屋の中央にいたローブの人物に驚き、サロモンは小さく悲鳴を上げた。


 ぼんやりと薄明るい部屋に立つ不気味な男。急に目の前に現れた不審者に、サロモンは反射的に身を強張らせた。

 だがすぐに頭に血が昇り、怒りが驚きを押し流した。

 酔いの勢いもあったのだろう。だが、その男に心当たりがあった事が、一番の理由だった。


「貴様っ! こんなところまで入り込むとは、どういう了見だっ! ここは私の寝室だぞ、全く! これだから盗賊などという下賤(げせん)な連中は信用できん!」


 酔いに任せてまくしたてると、サロモンはその男を押しのけて部屋の中へと入っていく。そして肩を怒らせて奥へと進み、椅子にドカリと腰かけた。


「何だ、今日の要件は! この間言った取り分の話なら変えんぞ! 奴隷商を商人共に紛れ込ませるのにも苦労しているのだ! お前達が売りたいと言うから私が手配してやっていることを忘れるな!」


 ベラベラと一人でしゃべりだすサロモン。対して男は彼の言葉を、ただただ黙して聞いていた。

 男の表情はフードによって隠され、伺い知ることはできない。ただ静かに、その場に立っていた。


 サロモンは先ほどからずっと、同じような事を怒鳴りながら、くどくどと口から放っている。しかし目の前の男が何も言ってこない事を、一通り文句を言った後にやっと気付いたらしい。


「何だ、貴様は。要件は何だと言っている」


 そう言いつつ、不信感を隠さない表情で、男の顔を覗き込むように身を乗り出した。

 サロモンがようやく黙ったからだろうか。その時、男が初めて口を開いた。


「この町の代官が奴隷の売買に関わっていると聞いていたが、本人からベラベラと証言があるとはな。想像以上の馬鹿だったらしい」


 男の冷淡な声に交じる(あざけ)りに、サロモンの顔はさらに赤みを増す。こめかみにむくりと青筋が立った。


「き、貴様っ! この私を誰だと思っている! 私はこの町の代官、サロモン・タスキネン子爵だぞ! 貴様のような盗賊風情に、そのような口を利かれる覚えはないわッ!」


 彼は椅子を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がり、男に指を突きつける。


「目こぼしをしてやれば付け上がりおって! 貴様は縛り首にした上広場に晒してくれるわ! 今更謝っても遅いぞ! これは決定事項だっ!」


 サロモンは唾を飛ばしてまくしたて、一方的に断じた後、男をギロリとにらみ付けた。


「せめて名前くらいは聞いておいてやろう。私は誇り高き王侯貴族のタスキネン子爵だからな。盗賊風情だろうと情けをかける度量はあるのだ。感謝しろっ」


 そして、話は終わりだとばかりにフンと鼻から息を吐いた。


 それに対して男は動揺したようなそぶりもなく、おもむろに自分のフードに手をかける。そして迷いなく脱ぎ去った。

 現れた顔をランプの明かりが仄かに照らし出す。その顔は、サロモンには見覚えのないものだった。


 ――盗賊ではなかったのか?

 そう疑問を浮かべた子爵の顔は、次の瞬間色を失った。


「王国軍、第三師団団長、エイク。それが俺の名前だ。よく覚えておきな、タスキネン子爵よ」


 盗賊だと思っていた人間が、まさかの王国軍。思ってもいなかった事態に、子爵の時間が止まった。

 目の前の男が本当に師団長かどうか、子爵には分からない。だがもしそれが本当だとしたら、王国軍に自分の所業が露見したことになってしまう。


 己の保身に関する事のみが頭を埋め尽くす。

 そのためエイクが最後にポツリと言った、「まあ、元だがな」という台詞は、代官の耳には入らなかった。


 完全に硬直してしまった子爵。そんな彼の様子には構わず、エイクは腰に手をやる。そしてスラリと短剣を抜いた。


「誇り高い貴族なら、人身売買が違法なのは知ってるはずだな。その責任の取り方を……お前の二枚舌がどう弁明するか聞いてみたいもんだ」


 エイクは足を一歩踏み出す。それにサロモンは目を見開き、弾かれたように動いた。

 彼が飛びついた先は寝室に置かれていたキャビネット。その一段目を開くと、彼はそこから護身用の短剣を取り出した。


「だ、誰かっ! 誰か来いっ! 不審者が入り込んでいるぞっ! 私を助けろぉっ!」


 そしてあらん限りの声を上げる。だが、エイクはニヤリと笑みを浮かべた。


「悪いが屋敷の人間には眠って貰った。ここには俺とお前、二人だけだ。野暮な真似はよそうぜ」


 エイクはもう一歩踏み出す。焦ったサロモンはそれを片手で制止し、早口でまくし立てた。


「ま、待てっ! わ、私が奴隷を売ったという証拠はあるのか!? あるなら出して見ろ! 無いはずだっ! そうだろう!?」


 エイクの足が止まったのに気を良くして、子爵はさらに続ける。


「誰の証言か知らないが、それが本当だと言う証拠はあるまい! もし、万が一、仮にそれが事実だとしてもだ! そもそも貴様が私を裁く権利などありはしないのだっ! 大体、王国軍の師団長がこんなところに一人でいるわけがない! それだけじゃない! 貴様が兵士かどうかすら怪しいのだ! そんな輩が王侯貴族である私を裁くだと!? 図に乗るな下民がっ!」


 息を荒くしてがなる子爵を、エイクは冷たい目で静かに見ていた。

 サロモンは自分の言ったことが間違いだとは全く思っていない。貴族の言うことには、下賤(げせん)の民は黙って頭を垂れるものだと、そう思っていた。信じていた。


 だからなぜ、エイクが肩を揺らして静かに笑っているのか理解ができなかった。


「おいおい。その王侯貴族様がさっき言ったばかりだろうが?」


 口元は確かに弧を描いている。

 しかしサロモンは見た。その目はゾッとするほどに冷え切っていた。


「バレなきゃ何やってもいいんだってな」


 突然、サロモンの全身を冷たいものが走った。

 殺気をその身に浴び、石像のように硬直するサロモン。殺意を叩きつけられた経験のない彼は、顔を青くしてガタガタと震えだす。


 本来であれば動くこともできなかったはずだ。だが、エイクがぽつりと何やら呟くと、すぐにサロモンの心に変化が起きた。

 恐怖、焦燥、動揺。そんな気持ちを押し流してしまうほどの強い殺意が、彼の内に芽生え始めたのだ。その殺意は彼の心を満たし、体を無意識に動かした。


 サロモンは床を思い切り蹴り、エイクに飛び掛かっていく。

 考えての行動ではなかった。まるで獣のように、本能に突き動かされた行動だった。


 サロモンは体ごと突っ込んで、短剣をエイクの胸に突き立てた。その剣身は吸い込まれるようにエイクの胸に沈んでいく。まるで何の抵抗もない様に、ズブズブと沈んでいった。


「なっ――!?」


 だが、まるで水を切ったような手ごたえのなさに違和感を覚えたサロモンは、短剣を突き立てた場所に視線を向け、そして見てしまった。

 エイクの体は短剣どころか、それを握る彼の右手をもズブズブと飲み込んでいったのだ。

 あり得ない事態に驚愕に目を見開くサロモン。そんな彼にエイクは素早く手を伸ばした。


「ガッ――」


 左手でサロモンの口を掴んだエイクは、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく右手の短剣を彼の胸に突き立てた。

 勢いよく飛んだ血飛沫が二人を赤く染め上げる。エイクが短剣を引き抜き、手を離すと、サロモンは膝から崩れ落ちた。


 静かな部屋にドサリと倒れる音が響く。続いて、エイクが放り投げた短剣がカランと乾いた音を立てた。

 横倒しになったサロモンは、もう指一つ動かすことすらできなかった。


 もはや死を待つ以外にできることはなくなったサロモン。そんな彼の目に、最後に信じられない光景が映った。

 彼が短剣を突き立てたはずのエイクの胸から、男の頭がずるりと出てきたのだ。


 いや、頭だけではない。肩、胴体、腰と続き、足まで出てくると、その人間もサロモンのようにドサリと床に倒れた。

 男はサロモンと向かい合うように横倒しになっている。見ればその人間の左胸には、先ほどサロモンが突き立てたはずの短剣が深々と刺さっていた。


 その男はアドル。サロモンも見覚えがある、盗賊団の一員だった男だった。

 すでにアドルは絶命していた。驚愕に目を見開くと言う表情で。


 その死相を見てサロモンは思う。なぜこんな事になったのかと。

 これは夢なのではないのかと。


「し、死にたく、ない……。た、助け――」


 誰ともなしにサロモンは呟く。既に部屋からエイクの姿は消えていた。

 二人の胸から溢れる血が、カーペットを徐々に赤く染め上げる。

 サロモンの呟きは徐々に力を失い、最後には静寂に掻き消された。


 誰にも知られずに息を引き取ったサロモンとアドル。

 二人の死を、夜の闇が優しく包み込んでいた。

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