74.ガザの告白
「ガザ様……」
ロナが心配そうに声を出す。
事情を知っているのだろうか、その声は彼の心情を気遣うような響きを含んでいた。
それに対してガザは、しばらくその口を閉ざしていた。
黙秘しようというのではなく、どう説明しようか悩んでいる様子だ。彼にとっては複雑な事情があるのだろう。
察した俺は、彼が口を開くまで黙ってその姿を見ていることにした。
「エイク様、あの……≪感覚共有≫を切って頂くことは――」
「ロナ。いい」
あまり聞かれたくない話なのか、ロナが提案を口にする。だがガザ自信が即座にそれを断った。
まあそう言われたところで俺も切るつもりは全く無かった。今回、結果だけを見れば問題なく済んだものの、ガザは皆に大いに迷惑をかけた形になる。彼にはその行動の意味を説明する義務があった。
俺は≪感覚共有≫をそのままに、彼が口を開くのを待ち続けた。
「俺は――」
数分程経っただろうか。彼は意を決したようにその声を振り絞り、その心の内を吐露し始めた。
「俺は、元々第一師団、第五大隊の隊長だった。第一師団は人族の根絶を画策する急先鋒を集めた部隊であり……。俺もまた、その内の一人だったんだ……」
ガザは静かに、ぽつりぽつりと話し出す。
だが、どことなく自嘲気味であるところに俺は引っかかりを感じていた。
「三百年前……人族との戦に敗れた後、俺達は枯れた大地に住むことを余儀なくされた。草も生えず、獣もいない。水も流れず、風も吹かない。そんな地に、俺たちは三百年もの間住み続けたんだ。命を繋ぐため、それこそ石にもかじりつく思いで。仲間が飢餓に倒れようと……幼い子供が衰弱し命を散らそうと……俺たちはずっとずっと耐えてきた。西に広がる肥沃な大地をこの手に勝ち取るために」
王国の東部には、土が枯れ、農作物が非常に育ちにくい地方が広がっている。
魔物も少なく、木々も葉を付けない痩せ細った大地。ただ、それでも何とか……本当に何とかではあるが、貧困に喘ぎながらも人間が暮らしていた。
ガザの言う枯れた大地というのはその更に東、俺達が”不毛の大地”と呼ぶ地のことだろう。
王国の人間だったら、誰も行ったことなどない場所だ。そんなところに魔族が住んでいたのかと内心驚いていた。
俺は魔王を封じた地が魔族の住処だと思っていたが、どうやら見当違いだったようだ。
道理で魔王が封じられた場所を捜索しても、魔族の痕跡が殆ど見られなかったわけだ。
だがガザの言うことを信じれば、王国の東端よりももっと状況が悪いように聞こえる。一体どうやって生活していたのか気になるところだ。
「そんな時だ。ディムヌス様が帰還され、俺達は沸き立った。人族への復讐の時だと。奴らに、俺達がかみ締めてきた三百年分の恨みを叩き付ける時だと。今まで俺達の感情をせき止めて来た枷は、ディムヌス様降臨による熱狂と積年の恨みからくる激情によって消え去り……。その流れは激流となって、人族の済む町へと流れ込んで行ったんだ……」
ガザはそこまで言うと、何か思うところがあるのかそこで言葉を区切った。
魔王ディムヌスが王都から封印を解き、抜け出したのは十年ほど前と言われているが、正確にいつというのは実は分かっていない。
ガザに聞けば正確に分かりそうだが、今は置いておこう。
わずかな間黙っていたガザは、一つ息を吐くとまた言葉を紡いでいく。
「俺達が初めて攻め込んだのはセントベルだった。ディムヌス様の御業によって転移された俺たち第一師団は、最も近い場所にあったその町に、昂ぶった勢いそのままになだれ込んだんだ。今思えば……今までの鬱屈した感情を全て解き放ち、好き放題に発散できることに、狂気に陥っていたんだろう。だが、そのときの俺はそんなことなど気にもしなかった。目に付く人間、抗う人間は全て殺してまわったさ。高揚すらしていた。この地を俺達の手中に収められると……耐え続けた日々に終止符を打てると……それだけを考えていたんだ……」
ガザは苦々しい顔をして歯を食いしばる。転移なんて眉唾だが、今の話を聞く限りでは、彼がそんな顔をする理由は全く分からない。
ただ、その感情がどす黒く渦巻いており、彼が自分自身に対して激しい憤りを感じていることだけは理解することが出来た。
「その後セントベルを掌握した俺たちは、師団長から一つの命令が下り、それを実行することになる。それが――」
「セントベルの大虐殺か」
「っ……そうだ。そこで……そこで俺は……っ」
ガザはぎゅっと目を閉じる。まるで何かを恐れているように、手を固く握り締めぶるりと震える。
「人族が完全に反抗する意思を無くすように、男を全て皆殺しにするという決定がなされた。俺は何の疑問も持たずに歓喜の声をあげ、町を駆け、そして一つの家に入り込んだんだ。頭には……何にもなかった。人族を力でねじ伏せ、恨みをぶつけ……目の前に広がる希望に向かって、ただただ走り続けていたんだ。だが……嬉々としてドアを蹴破り乗り込んだそこで、俺が見たのは……。子供を隠すようにその腕に抱く女と、その女を守るように立つ一人の男の姿だった……」
俺はガザの黒い感情が、その言葉を吐き出すに従ってどんどんと膨れ上がって行くのを確かに感じた。
「男は全身を恐怖で震わせながら、その手に持ったナイフを俺に向けて……そして飛び掛ってきた。まるで絶叫のような声をあげて、涙を流しながら俺に向かってきたんだ。家族を守るために……恐怖を必死にこらえながら……俺に向かってきたんだよ……」
ガザは片手を目元にあて、苦しそうに喘ぐ。呼吸を荒くしながらも、ガザは自分に言い聞かせるように感情を吐き出す。
「あのときの光景が今でも忘れられない! 死を覚悟しながら、家族を守るために果敢に向かってきた父親の顔を! 恐怖に怯えながら子供を守るように必死に抱きかかえる母親の姿を! 俺はっ! 俺は、俺達の未来のために決起したんだ! だと言うのに、俺達のしたことは……! 俺はッ! 俺はただの……! ただのッ!!」
振り絞るように言葉を重ねるガザ。全身はぶるぶると震え、自分への激しい憤りがはっきりと目にも映った。
しばらく怒りを堪えるように震えていたガザだったが、今度は憑き物が落ちたように落胆したような声を出した。
「……気づけば俺は、第一師団から第二師団へと異動になっていた。いつなったのか、なぜそうなったのかは、覚えていない。だが……。だが俺は、もう……」
その言葉を皮切りに、彼の感情はさざ波のように引いて行った。顔に当てていた手をだらんと下げ力なくガクリと俯く。ガザの吐露する感情を響かせていた部屋は、途端に静寂に包み込まれた。
話し尽くしたのか、ガザはそれ以降口を開かなかった。これ以上話をする気は無いらしい。むっつりと黙り込んだガザを見かねてか、代わりにロナが口を開いた。
「ガザ様にはお子様がいるんです。まだ姉が身篭った状態でしたが……。でも、だからガザ様は――」
「止めろロナッ!」
ロナはガザの義理の妹だ。ロナの姉を除けば、彼の心情を一番理解しているのはロナだろう。
彼の気持を代弁するつもりだったロナ。だがガザから即座に叱責されてしまい、彼女は悲しそうに顔を伏せた。
しかしそこまで言われれば嫌でも分かる。俺は事情を察し、彼から少し視線をそらした。
彼は罪滅ぼしのつもりだったのだろうか。それとも自分が許せなかったのだろうか。
流石に感情だけでは、俺もそこまで知ることは出来ない。だが彼の胸の内に渦巻く感情を読めば、彼がどういった思いから単独でここに乗り込んだかは十分に理解できた。
しかし。
ユーリちゃんが父親を亡くしたのは、間違いなく彼らの蛮行が原因だ。
クルティーヌが潰れそうだったのも、シェルトさんが悲嘆に暮れていたのも、このセントベルに盗賊団がのさばる事になったのも何もかも。間違いなく魔族達のせいだった。
そう。間違いなく彼らのせいなのだ。そして目の前のこの男は、それを理解し、自分の過去に激しく憤り、悔い、自責の念を抱えている。
今回ユーリちゃんを助けに走ったのも、そんな気持ちが抑えられなかったのだろうと俺は分かっている。
だが、言わずにはいられなかった。
「随分自分勝手なもんだな。お前たちのやったことは、何をどうしようと、もう戻らない。取り返しなんてつかないんだよ」
彼らに向け、俺は怒気を露に吐き捨てる。
耳には届いているはずだが、それでもガザもロナも、何も言わなかった。
自分達の都合で勝手に壊しておいて、それを何とかしようだなんて、思い上がりが過ぎるだろう。
頭を下げて済むような問題じゃない。改心すれば済むような問題じゃない。
この大虐殺でどれだけの人が死んだか。片親の子が増えたか。未亡人が増えたか。孤児が増えたか。数えることもはばられる。
こんな自分勝手な理屈は、実際に被害を受けたシェルトさん達には間違っても聞かせられなかった。
(だが――)
同時に、俺には思うことがあった。
俺の住んでいた故郷は、王国の東端に近い場所だった。大地が痩せ、作物もろくに育たず、獣も少ないため肉も食べられず。皆がいつも腹をすかせているような、そんな貧困極まる場所だった。
だから彼の苦しさが俺にも良く分かってしまった。
共感が、できてしまった。
口減らしのために捨てられる子供なんて珍しく無かった。人買いに自分や子供を売るなんて日常の光景だった。
現状に不満を持つ者ばかりで秩序は無く、犯罪行為が横行していた。しかし生きていくためには犯罪すら正当化される。規律を守る騎士でさえ無気力で、それに慣れきってしまっていた。
正しさなんてものは何の意味を持たず、生きるためには手段を選べない。そんな場所だった。
聞くところによれば、反乱軍なんてものも水面下で活動していたようだ。しかし食料もなく武器も調達できないことを考えれば、現状をなげき傷を舐めあうだけの烏合の衆だったことだろう。
だが例え烏合の衆であろうとも、わずかでも切っ掛けがあれば一斉蜂起していたはずだ。
暴力によって現状を打破しようというその一点だけに関して言えば。
魔族と人族には何の違いもなかったのではないか。
ガザの告白を聞き、貧困に日々喘ぎ、幽鬼のように町を徘徊する人々の姿を思い出した俺は、人族も行きつく先は同じだったのかもしれないと、そう思えてならなかった。
何の関係もない一般人を虐殺したことは絶対に許せん。
しかし、彼ら魔族達にも俺達が知りえない理由があり、そして、俺達はそれを知らなさ過ぎたのかもしれない。
もし彼らが対話でもってこちらに働きかけていたら。逆に人族が魔族に働きかけていたら。
ここまでの事態にはなっていなかった可能性もあったのではないか。
俺はガザとロナを見る。確かに、見た目は俺達人族とは全然違う。
頭は獣、尻尾もあるし、腕や足も毛皮に覆われている。動物が二足歩行している姿そのものだ。
だが、俺達とちゃんと意思の疎通は出来るし、お互いの考えを理解することが出来る。
多少の文化は違うようだが、人間を殺すのが存在理由だ! とか、一日に一度血を見ないと発狂するぞ! とか、理解不能な生態はしていない。
共存が不可能だとは、二週間程度共に過ごしていた俺には、とても思えなかった。
何よりも。彼らのような人間を見るのは、俺にとってこれが初めてではなかった。
他人事だと切り捨てることは、心情的に到底できなかった。
「……まあ、理由は分かった」
俺の呟きに、ガザとロナは躊躇いがちに顔を上げる。
「次からは気をつけろよ。俺達だって、悪人でもない限り助けを求める人を見捨てるようなことはしないさ」
「……いいのか?」
「まあ無事に済んだからな。だが今回だけだぞ。次はないからな」
「いや、そちらではなく……」
ガザが何か言い憎そうに口ごもる。
だが。
「お前の子供が待ってるんだろ?」
「え?」
「親の罪は親のもんだ。子供にゃ罪は無い。……俺はそう思うがね」
俺は彼にニヤリと笑って返す。
ガザは何を言われているのか分からず固まってしまっている。
「子供に顔ぐらい見せてやれ。親の義務だ。そうだろ?」
俺はロナにも視線を向ける。彼女はなんだか泣きそうな顔をしながらも、少しだけ笑みを見せた。
対するガザは。
彼はうな垂れてしまい、その表情は見えなかった。だがその感情から、彼が今何を思うのかはっきりと分かってしまった。
魔族らに刻み込まれた傷は、どうしたって消えようがない。簡単に許すなんて言えるはずがない。
でも。
ガザの青さを、どうしても俺は嫌いにはなれなかった。