71.公と私
「お断りしますわ」
神剣からの出し抜けな誘い。
それをスティアは迷いなく、きっぱりと断った。
《……即答かの》
「ええ。わたくし、勇者には興味ありませんもの」
《むぅ。残念じゃのう……》
本当に残念そうに呟く神剣。まるで人間ががっくりと膝を折るように、ガクンと浮いている位置を下げながら少し前のめりになる。
意図してやっているのか知らないがコミカルな奴だ。
「いいのか?」
「ええ。わたくしは勇者にはなりませんわ。だって……」
「だって?」
スティアはその先の言葉は言わず、俺の顔をみてにこりと微笑んだ。
「ふふ、内緒ですわ」
「……そうかい」
スティアはそう言いながら、俺の目をじっと見つめていた。何かを伝えるかのようなその熱い眼差しと、少し朱に染まった頬に小っ恥ずかしくなり、俺は頭を掻いた。
勇者って奴には、先ほど目の前の神剣も言った通り、使命というものがある。その力は己のためでなく、誰かのためのもの。そしてその誰かというのは、殆どが見知らぬ人になるだろう。
スティアはそれには興味がないと言った。彼女の場合、人族に対していい感情を持っていないから、というのもあるだろうが。
だがスティアの表情を見れば、感情なんて読まなくても胸の内が分かってしまう。だからこそ俺はその顔を見ていられなかった。
「ん? ホシの奴、寝てるな」
「あら、本当ですわね」
気恥ずかしさにそらした視線に、ホシが映る。が、そこでやっと彼女が船をこいでいるのに気づいた。なるほど、道理で静かだと思った。
ホシは俺のローブを掴みながら、器用にも立ったままこくりこくりと頭を揺らしていた。見ていられず膝を折り背中を差し出すと、すぐにその小さな体を預けてくる。
こいつは昔からずっと変わらないな。食う、寝る、遊ぶ。興味のあることには全力全開だが、興味の無いことにはとんと無関心だ。
剣が喋る、ということには興味があったが、その後に続いた勇者だのマリウスだのという話は、ホシにはつまらなかったようだ。
「それじゃ戻るか」
「ええ。参りましょう」
そのまま寝ぼけ眼のホシを背負う。こうしていると、昔ホシを山で拾ったときのことを思い出す。
あの時は全身傷だらけ土まみれでボロボロ、痩せこけて言葉も通じないホシ相手に悪戦苦闘したものだ。
背中の温かさに昔を思い出しながら、俺達はバドの元へと踵を返した。
《儂の存在を忘れておらんか?》
「まだいたのかお前」
《さっきからおるんじゃが……》
が、帰ろうとするとまだ用事があるのか剣が話しかけてきた。
なんだよ、まだ何か用があるのか? もう向こうの用は終わったと思うんだが。
《そのお嬢ちゃんが勇者にならんのは分かった。これ以上ない素養の持ち主なんじゃが……残念じゃが諦めるわい。それでじゃな、それなら頼みがあるんじゃが、儂もお主らと一緒に連れて行ってくれんかのぅ》
「お断り致します」
《き、急に丁寧に断られると結構きついの……》
俺は即答で却下する。なんだか剣がへこんでいるが知ったことではない。
勇者の神剣を持っていたら勇者関連のごたごたに巻きこまれるだろうが。
今は騒ぎとは無縁でいたいのだ。それだけは御免だった。
《儂の念話はな。実は誰にでも聞こえるわけじゃなく、風の勇者の素養がある者にしか聞こえんようになっておるんじゃ。じゃがこの会話、お主にも聞こえておるじゃろ? 儂にはよく分からんが、お主何かしておるな? お主の体から糸のように細い、微量の魔力があちこちに伸びておるのが見えよる。随分器用なことをするもんじゃのぅ》
だがそんなこととは知らず、楽しそうな声を出しながら、感心したように剣は言う。
俺はその言葉に目を見開いた。
目の前のこいつは当たり前のように言ったが、普通魔力なんてものは目で見ることはできない。魔力が濃いとか薄いとかは感じ取ることが出来るが、そんな程度。気温が高いとか低いなんていう、そんな感覚に近いものであり、目で見て分かるようなものではないのだ。
俺の≪感覚共有≫をこんな形で看破されたのは初めてだったため、非常に驚いてしまった。
だが、それと同時に良いことも聞いた。俺は本来こいつの声を聞くことが出来ないが、勇者の素質があるスティアは聞くことが出来る。だから≪感覚共有≫を介してこの剣の声を俺も聞くことができているんだな。
……つまり、≪感覚共有≫を切ってしまえば俺には聞こえなくなるわけか。ふむ。
「貴方様?」
「何でもないです」
俺の腕をスティアががっしと掴んだ。その笑顔の中に重厚な圧力を感じる。
大丈夫だ。スティアに丸投げしようとか考えてないから落ち着くんだ。
《今まで風の勇者としか喋れんかったからのぅ。こんな機会もない。今は風の勇者候補も他におらんし、是非頼みたいんじゃが、どうじゃろ? なんならお主にも力を貸しても良いぞ》
剣はさらに交渉を持ちかけてくる。神剣自体には全く興味はないが、力を貸すという言い方が気になった。ただ剣として振り回されるだけじゃない、と言うことだろうか。
「力を貸すって、具体的に何をどうするんだ?」
《何、勇者の素養がないお主には勇者の力を授けることはできんが、短時間であれば、一時的にそれに準じた力を与えることはできるぞ。勇者よりは劣るがな。うーむ、そうじゃな。具体的には――身体能力の強化、戦闘技術の向上、魔法制御の緩和と、魔法の代理詠唱、魔力の譲渡。後は――》
ぺらぺらと喋りだす剣。だがその内容はもう閉口するしかなかった。
身体能力の向上はまあ、精の身体能力の活性化みたいなもんだろう。ただ、戦闘技術の向上って何だ? 急に剣や槍が扱えるようになったりするのか?
魔法制御の緩和? 代理詠唱って何? 譲渡って、お前から魔力が貰えるの? 短縮詠唱で無限に魔法をバンバン撃てるようになるとか? もしかして無詠唱もできちゃう?
何、他にもあるって? スゲーな、サービス満点じゃねぇか! やったぜ!
――って怖すぎるわ! ただの戦闘用人間型殺戮兵器じゃねぇか!
「滅茶苦茶ですわね。勇者がどういうものか、よく分かった気がしますわ……」
スティアが小声で呆れたように呟く。俺も全く同感だ。
まったく。勇者ってのは想像以上の化物だぜ。
《――と、こんなもんかの》
「あ、そっすか」
《……なんじゃ、反応がつれないの。もっと驚かんかい》
もう驚きを通り越してるんだよ。気づけ。
《ああ、そうじゃ。これも言っておかんとの》
「まだあるのか……」
《流石に凡人に勇者に準じる力を与えると反動があっての。そうそう使えんのじゃ》
「それを先に言え!」
「ま、まさか、体液をまき散らしながら爆破四散するとか……!?」
ガタガタと震えながらスティアが言うが、表現が怖すぎるわ!
反動じゃなくて代償だろそれ!
《さ、流石にその発想は無かった……! 恐るべきは風の勇者の素養か……!》
感心するところかそこ!? 風の勇者ってグロ耐性が必須なのか!?
《まあ、命を取るようなものじゃないわい。安心せい》
その言葉にほっとする。流石に強くなる代償に死にます、じゃ使い物にならない。
しかし、だとするのならその代償――じゃなくて反動とは、いったい全体これ如何に?
《腹を壊しての。下痢が三日間止まらなくなるだけじゃ》
「お前やっぱり屁ー出るブリっとだわ」
「下品ですわ。金輪際近づかないで下さいまし」
《な、なぜじゃぁぁっ!?》
奴は《胃腸が悪くなるくらい大したことなかろう!?》とか《この素晴らしさがなぜ理解できん!?》とか言っていたが、そういう問題じゃない。
強くなる反動で三日間トイレ生活なんて情けなさ過ぎるだろう。やっぱり反動じゃなくて代償だったわ。使えねぇ。
「さぁて帰るべ帰るべ」
「疲れましたわねぇ」
《待たんかぁっ!》
「うるせぇなぁ……」
「うるさいですわねぇ……」
感想が被った。いやもうなんなのこいつ。しつこいわぁ。
「分かった分かった。だが、連れて行くことは出来ねぇぞ。そんな物騒な能力はいらん」
《なんとまぁ……。古今無双の力が手に入ると言うのに、無欲な連中じゃわい》
剣は呆れたようにそう言うが、そんな力手に入れても使い道がないからな。
勇者の力なんて言えば確かに聞こえはいいが、使い方を誤れば取り返しのつかないことにもなりかねない危険なものだ。
過ぎたるは及ばざるが如しとも言う言葉もある。何にせよ、そんな扱いに難しそうで手に余るものは必要ない。
「まぁ、ここから出してやるくらいは面倒みてやるか……」
《おお、そうか! それでもいいわい!》
「面倒な爺さんですわねぇ」
俺の言葉に浮かれる剣。まあ置いていこうとか色々と言ったが、実際問題として、今回の一件は看過できないとは思っている。
またマリウスのような奴に力を貸されたらたまらないし、できれば王都にでも行って然るべき所に渡しておきたいところだ。
問題は俺達が王都へ戻るわけにはいかないと言うところだが、どうするか。リリにでも頼めればいいんだが。
「それじゃあ……。どうやって運んだらいいんだ?」
剣を取ろうと手を伸ばしたところで、はたと気づいて手を止める。その姿は抜き身の剣そのもの。つまり鞘がないのだ。
流石に抜き身の剣を手に歩くのは不味いだろう。ただの不審者だ。
《おお! ちょっと待っとれよ……》
だが俺の心配をよそにして、神剣はパァと光り輝くと、いつの間にか鞘に収まった状態でそこに浮かんでいた。
「一体どうなってるんですの?」
《これぞ神の御業、と言うわけじゃ。さ、持ってゆけ》
「……なんか気持ち悪ぃな」
《な、なんてことを言うんじゃ! この罰当たりもんが!》
「あ、す、すまん」
意味不明な現象にぽろっと気持ちが口から漏れてしまい、剣に憤慨されてしまった。うん、誰だって気持ち悪いとか言われたら怒るわな。すまんかった。
だが、こういう理解不能な奴って気持ち悪くないか? こう、剣を手に取ったら精神を乗っ取られたーとか。精気を吸い取られて死んだーとか。……ありそうで怖い。
チラリと隣を見ると、すぐに目をそらされてしまった。やっぱりスティアも触りたくないようだ。
しゃーない。やっぱり俺が持とう。
「そ、それじゃ持つぞ」
《うむ。……あ、こら、普通に持つんじゃ。そう撫でるな。うひゃひゃ! くすぐったいわ!》
恐る恐る鞘に触れると、くすぐったそうに剣が反応する。
これ、喋らないほうが良くないか? 神剣のセーフティだと言っていたが、それなら意思や感情を持たせる必要があったように思えないんだが。
まあとにかく、取りあえず触っても「ふははは! 馬鹿め! 油断しおったな!」と言うことは無い様子。
一先ず安心し、俺は鞘を右手に握った。
「ほら、じゃあ行くぞ」
《あーくすぐったかったわい。そうじゃ、普通に持てばいいんじゃよ。それじゃ頼むぞい》
「はいはい……」
バドのことは心配していないが、少女達を放置しすぎるのもどうかと思う。こいつの用も終わったようだし、早めに戻ろう。
俺達はその部屋を後にして皆の元へと戻ることにした。