7.再出発
「そういえば、ここはどこなんだ?」
スティアからスープを受け取りながら、気になっていたことを聞いてみる。
俺が気を失っている間にある程度進んだようだが、周囲には目印になり得るものがまるでない。ここがどこなのか、さっぱり分からなかった。
「貴方様がどこへ向かおうとしていたかまでは存じておりませんでしたから、ひとまず一番近い町へ向かおうかと思いまして。セントベルに向かっているところですわ」
「今はその途中ー」
スティアが説明すれば、ホシも退屈を紛らわせるように口を挟んだ。
セントベルは王都から東に馬を飛ばせば三日ほどの距離にある町だ。徒歩なら一週間くらいかかるだろう。
ここいらでは比較的大きく、王都への中継点として賑わう町だと、以前聞いたことがある。ただそれも昔の話。
セントベルは五年前、魔族の侵攻ルートにあったため侵略されてしまい、町としての機能をほぼ失ってしまっていた。
奪還後、王国の支援もあり現在進行形で復興中らしいが、しかしどこまで進んでいるのかは、俺も把握していなかった。
そのセントベルへ向かっていると二人は言う。
それならと、俺は記憶を掘り起こした。
「セントベルに行く途中に村が一つあったよな。なんて名前だったか?」
「確か、チサ村だったと思いますわ。ここからですと、早ければ明日の夕方には着くのではないかと」
「ふーむ……」
「貴方様?」
追っ手がかかるだろうと思っていた俺は、あまり大きくない町を経由し、最後に故郷へ戻ろうかと考えていた。しかし早速予定が狂ったらしい。
いや、もしかしたら王子のことだ。それを見越して、俺の考えているルートに追っ手を差し向ける可能性もある。
どうすべきか悩む。するとバドがパンを渡してきた。
頭を悩ませながら受け取り小さくちぎると、スープに浸して口に運ぶ。
うん、スープは干し肉と芋のスープか。普通だったら塩味の効き過ぎた干し肉のスープなんだろうが、バドが作っている干し肉の塩加減は料理に使うには絶妙だ。
程よい塩味と香草の香り、そして胡椒が利いていて美味い。
スープの味に満足しながら、俺はもう一口分パンをちぎり口に運ぼうとする。だが気付いてしまった俺は、その手をはたと止めた。
「……これは胡椒だよな。入れたのは誰だ?」
「わたくしですわ。お口に合いませんでしたでしょうか?」
「いや……美味い」
「それなら良かったですわ。道中ですとあまりお野菜を使えないのが残念ですが、今は致し方ありませんものね」
スティアは残念そうに言う。が、お野菜の話はどうでもいい。
なぜ胡椒がここにあるのか、というのが大きな問題だ。
胡椒はべらぼうに高い香辛料だ。まず下々の人間が使えるものではない。伯爵以上の高位貴族だとしても、日常的に使用するのは無理、といった価格のはずだ。
「この胡椒、どこから調達した?」
「気前の良い方がいらっしゃいまして、頂戴したのですわ」
「嘘だろ?」
「うふふっ」
「うふふじゃねぇよ」
スティアは小首をかしげて悪戯っぽく笑う。だが俺は誤魔化されんぞ。
俺はじっとりと見つめ続ける。するとスティアは茶目っ気を出し、ウインクをしてきた。
なんだよくそっ、可愛いじゃないの。
ずるいよなぁ全く。仮に俺がこんなことしても誰も騙されんと言うのに。むしろ縄を打たれる可能性まである。
どうせ王城から頂戴してきた物なんだろうが、もうここにある以上言っても詮無いことか。
こいつも言うつもりもなさそうだし、ため息一つで勘弁してやろう。
「あまり人前で使うなよ」
「もちろんですわ。これは貴方様のためにわたくしがご用意したものですからね」
どこから調達したのかは気にしないでおくとして。そんな高価なものを持っていると知られれば、面倒になること請け合いだ。
一応釘を刺すと、スティアも当然と頷いて返す。胡椒をかっぱらうなんて真似をしたが、スティアはこれでも常識がある方だから、多分大丈夫だろう。
そんな話をしていると、横で話を聞いていたバドが、ぴたりと食べる手を止めてしまった。
今の会話に良心が痛んだのだろうか。バドはあれでいて心配性だからありえる話だった。
もう持って来てしまったものはしょうがない。気にするなと手で促すと、バドは安心したように立ち上がる。そしてスープをおかわりしに行った。
もしかしたら、もう一杯食べようか悩んでいただけだったのか? 気にするだけ無駄だったかもしれない。
「えーちゃん、何か言いかけてなかった?」
「ん? あー、そうだな……。何だっけ」
忘れた。俺ももういいおっさんだ。
話がとっ散らかると、今まで何を話していたか忘れる事くらいある。
「もしかして、行こうと思ってたところと違ってた?」
「あ、そうだそうだ。そうだった。思い出した」
「ふーん。それ、何か問題あるの?」
悩んでいた理由をホシにずばり言い当てられ、声が漏れた。
どうして分かるのか不思議なもんだが、ホシはこういう奴なので気にするだけ無駄だ。
それよりも、進路を変更するかこのまま行くべきかが問題だ。
出奔する前にもどうすべきか悩んだが、どこを目指しても追っ手に見つかる可能性がある。結局のところ決め手などなかった。
と、ここで気づく。今ここにはホシがいたのだ。
こいつは直感が非常に鋭いため、思わぬ視点から参考になる答えを出してくれることがある。
なので悩んだとき、俺はホシに相談を持ち掛けることがよくあった。
試しに今回も、ホシに意見を聞いてみることにしよう。困った時のホシ頼みだ。
「王国から追っ手がくるかもしれないからな、あまり大きい町を目指すと足取りを追われやすいから避けようと思ってたんだが、お前はどう思う?」
「えーちゃんを追って誰かくるの?」
「いや、仮にも師団を預かる長だったからな、俺は。一応、王子には手紙を認めておいたが、黙って出奔したからな……。納得してもらえなければ追っ手がくる可能性がある」
「えーちゃんのことなんて誰も気にしないんじゃないのー?」
全く予想していなかった方向からえぐりこむような返答が来た。
確かにそうだけど。そうだけど……。
もうちょっとやんわり言って欲しかった。
「ちょ、ちょっとホシさん! 貴方様、大丈夫ですわ! きっと追っ手が来ます! それはもう山のように!」
「ホント!?」
「いや、それもどうかと思うが……」
スティアが慌ててフォローしてくれる。心配してくれるのはありがたい。でもフォローの仕方がおかしいだろう。
追っ手が来なかったら来なかったで、自分の貢献が無かったと言われているようでショックだが、そんなに来られても王子の頭が心配になる。
だからホシや。喜ぶんじゃあない。そこは喜ぶところじゃないから。
「山のように来るかはともかく、悩んでも仕方ないってのはあるな。ここでお前達と会ったのも縁かもしれないし、このままセントベルへ向かおうか」
「宜しいのですか?」
「ああ。今のセントベルなら何かしら仕事がありそうだしな。結局、金が稼げなければ旅を続けられなくなるし、それだったら初めから、そんな心配がなさそうな場所に行ったほうが良いかもしれん」
「分かりましたわ。それではセントベルへ参りましょう」
「おー! セントベルへ、レッツゴー!」
そうと決まれば話は早い。持っていたパンを全部スープに浸し、ひょいと口に放り込む。
モゴモゴと口を動かしていると、スティアがニコニコと手を出してきたので、空になった器を渡しておかわりを要求した。
よし、まずはセントベルへ行って、どうするかはそこから考えようか。こいつらと一緒だったら、出たとこ勝負というのも悪くないかもしれないしな。
鍋の周りで騒いでいる三人を見て、がらにも無くそんなことを思った自分を笑ってしまう。
兵を率いる長としては、場当たり的なんてものは致命的なんだけどな。
王都を出奔するときの暗澹とした気分は、いつの間にか消えていた。
変わりに今俺の胸にあるのは、この空のように晴れやかな気持ちだけだ。まさに再スタートに相応しい。
俺は立ち上がると腰に手を当て、体を伸ばしながら空を見上げる。
今までは、魔族だの貴族だの、山賊だの騎士だのと。なんだのかんだの面倒続きで、息が詰まるような思いばかりだった。
しかし今眼前に広がるのは、雲一つ無い青空だけだ。
ここからは王国軍の師団を預かる身ではなく、肩書きの無いただのエイクだ。
何がどうなるか全く見えないが、心機一転頑張ってみるとしようか。
「このスープはエイク様に飲んでもらうのですわ! 貴方達何杯目ですか! 少しは遠慮しなさいな!」
「あたしだってもっとスープ飲みたい!」
「ホシさんはもう十分飲みましたわ!」
「まだ成長期だもん!」
「嘘ですわ! もう二十歳過ぎてますでしょう!」
人の決意を蹴り飛ばすように、スープを奪い合う喧騒が周囲に響く。
普段と変わらないいつも通りの三人。俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。