67.森の愉快な仲間達
セントベルより一時間程西に歩いた森の中。その洞窟は木々に隠れるようにしてひっそりと存在していた。
まるで世の中の喧騒を避けるようにぽっかりと口を開けている洞窟。そこは大昔、多くの人間が出入りし、賑わっていたこともある鉱山だった。
ただしそれもわずかな間。見当が外れ鉱石などの目ぼしい物があまり取れなかったこの洞窟は、殆ど掘り進められることも無く廃坑になってしまう。
そしてそのことは今、ただの一人の記憶にも、記録にも残ってはいなかった。
かつては鉱山夫が出入りしていたであろうその洞窟が、では今どうなっているのかと言えば他でもない。セントベルを脅かすならず者達の身を隠す、絶好の隠れ家として占拠されている有様だった。
人間は近寄らず、魔物も少ない。まさに隠れ住むには絶好の条件である。
事実そのアジトには、最近までならず者以外の人間が立ち入ることは決してなかったのだ。
そのため彼らも油断していたのだろう。今日もまた、一人の闖入者も入り込むことはないだろう、と。
絶対無い、などと言うことは、この世に絶対無いと言うのに。
慣れと言うものは恐ろしいもの。そのおかげで彼らのアジトの中は今、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていた。
「散々引っ掻き回してくれやがったなテメェ」
一人の男が闖入者の前へ一歩踏み出す。彼の名はマリウス。現時点での、盗賊団のトップだ。
彼の後ろには二十人以上の盗賊達が控えており、その一番前にはナンバーツーの男、アドルも立っていた。
闖入者は一人の少女――ユーリを背に、壁際へとじりじりと下がっていく。
ここは洞窟の最奥。かなり開けた場所で、かつては多くの人間が採掘していたであろう場所だ。
だがそんな広い空間でも、取り囲まれては逃げ場もない。足が止まった闖入者を見て、マリウスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あちこちちょこまか逃げ回りやがって……。だがまぁ、こうなっちまえばもう逃げ場はねぇ。大人しくしな」
マリウスが剣の切っ先を向けると、闖入者――ガザは悔しげに歯噛みした。
「しかしまぁこうも美味しい話が舞い込むたぁ、ついてるな。そう思わねぇか? アドル」
「……そうですね。魔族なんて売ったら、どれだけ高値が付くか」
マリウスは目の前のガザを見て愉快そうに笑う。だが台詞とは裏腹に、アドルにはそんな余裕は全く無かった。
相手はあの魔族だ。アドルは魔族を見るのは初めてだったが、王国軍と激しく戦火を交えたことは当然耳にしていた。
また、魔族の脅威も当然知っていたため、そんな相手がいつ牙をむいて来るか、彼は気が気ではなかった。
油断無く腰に帯びた剣へと手を伸ばしてはいる。だがアドルの手には尋常で無いほどに汗が滲み、冷や汗が滝のように背を流れていた。
そんな彼の様子に気が付いたのだろう。マリウスはそれを鼻で笑い飛ばしながら、剣先でガザの脇腹を指し示す。そこには包帯が巻かれていたが、赤いものがじくじくと滲んでいるのが見えた。
「馬鹿野郎。見ろ、あいつは手負いだろうが。それにこの風の勇者マリウス様もいるんだぜ? 何をビビッてやがる。俺は今まで何匹もの魔族を殺してきたんだ。いいカモだぜ」
マリウスはそう嘲笑する。だがそれでも、盗賊達の固くなった空気を払拭するような効果は得られなかった。
それが面白くなかったのだろう。マリウスは苛立ち紛れに舌打ちをすると、ガザに対して剣を構える。
「見てろ腰抜け共。魔族なんてなぁ――俺様の前じゃ相手にもならねぇんだよッ!」
気合と共に一足飛びに迫るマリウス。一方のガザもそれを迎え撃つように飛び出した。
「シィッ!」
上段から振り下ろされた剣をガザは身をひねってかわす。それが面白くなかったのか、マリウスは肩眉をピクリと動かすと、次々とガザに切りつけ始めた。
次々と容赦なく繰り出される攻撃。ガザもすばやい体さばきで辛うじてかわし続ける。
しかし避けるのが精一杯なガザは、完全にかわしきれなかった斬撃によって体に傷が徐々に付いていく。そしてついには太腿をザクリと斬られ、体重を支えきれずグラリと体が流れてしまった。
「オラッ!」
「ぐあぁぁっ!」
それを見逃すことなく、マリウスはガザの負傷した脇腹へと容赦なく回し蹴りを浴びせた。
治りきっていない傷口を抉るような衝撃。ガザは苦悶の声をあげながら地面を転がり、土を舐めた。
「おじちゃんっ!」
「そこに、いろっ……!」
駆け寄ろうとしたユーリを声で制し、ガザはまたよろよろと立ち上がる。
激しい動きとマリウスの攻撃によって、既に脇腹の傷口はぱっくりと開いている。包帯はどくどくと溢れる血で真っ赤に染まっていた。
「はっ! 見たかオイ! こいつが手も足も出ずに転がされる様を! 勇者が魔族なんぞに負けるかよ!」
「おおお……っ!」
対するマリウスは上機嫌で、部下へと演説よろしく鼻高々に自賛する。
マリウスの力に感嘆し、アドル達盗賊団が期待のこもった声を上げ始めると、マリウスはその反応にさらに機嫌を良くし、目の前のガザの存在など忘れたようにペラペラと自慢話を始めた。
マリウスは目の前の魔族など、自分の相手にはならないと完全に高を括っていた。
だが、もしマリウスが慎重な男であり、油断せずガザを数でもって倒そうと考える者であれば、もうガザは敵の手に落ち捕まっていたことだろう。
マリウスの油断。それはガザにとって一筋の光明となった。
仮にもガザは軍の中隊長を務めたこともある者だ。戦局の流れを見る目は、この目の前の勇者を名乗る男よりはずっと養われていた。
自分が生き残る道はこれより他無い。時折どこからか自分の耳に届く声に意識を向け、彼はそう腹を決める。
「ハーッハッハッハッ!」
そして、まるでマリウスの愉悦に浸った感情を小馬鹿にするように、ガザは高笑いをした。
「……何が可笑しい?」
急に笑い出したガザを苛立たしげに横目でにらむマリウス。アドル達盗賊団も、ガザの様子に高揚した雰囲気を一斉に引っ込め、緊張した面持ちで彼を見た。
「何が可笑しい、だと? クックック……これが笑わずにいられるか」
「何だと?」
「この程度の実力で勇者などと、笑わせてくれる。勇者を僭称していると自供しているようなものだ!」
「テメェ……。死にてぇのか」
「俺は事実を言ったまでだ。貴様程度の実力の勇者など、いはしないとな。もしそれが嘘偽りのないことだと言うのなら……この世の人間殆どが勇者になれるわ! この俺だってな! ハーッハッハッハッ! ハーッハッハッハッ!!」
ガザの笑い声が洞窟全体に反響し、痛いほど鼓膜を震わせる。マリウスは怒りで真っ白になった頭でしばし立ち尽くし、その笑い声を聞いていた。そして――
「テメェェェェェッ!!」
絶叫にも近い叫び声をあげながら、ガザへと飛び掛かって行った。
「ハッハッハ! 勇者よりも盗賊団の頭のようがよっぽど似合っているぞ!」
「黙れ! 黙れ! 黙れェェッ!」
先ほどの様子とは一点、やたらめったらに切りかかってくるマリウス。その様子は、青筋を立てた形相と相まって鬼気迫るものがあった。
その迫力に、後ろに控えている盗賊団の顔も強張っていたほどだ。マリウスの様子はまるで理性を失った獣のようであり、ただ事ではなかった。
あらん限りの殺意をぶつけてくるマリウス。
しかし完全に激昂しているせいか、その剣は先ほどとは違い、まるで剣筋が立っていない出鱈目な剣さばきに変わってもいた。ガザはこれに希望を見出す。
(これなら……っ!)
思い通りに動かない体に鞭をうち、剣の腹を拳打で打ち据え軌道をそらす。次々に繰り出される攻撃も大振りのために対処は容易かった。
マリウスが予想以上に上手く挑発に乗ってくれたことをガザはほくそ笑んだ。
また、彼がどうやら部下に慕われていないという状況も功を奏していた。
激昂するマリウスを諌める部下はおらず、皆恐ろしいものを見るような目をこちらに向けているだけで、加勢しようという者は一人もいなかったのだ。
「どこ見てやがるテメェェッ!」
「フッ……。あまりにも貴様が弱すぎるんで、貴様の部下のほうが楽しめるかと品定めしていたところだ!」
「ガァァァァッ!」
まるで魔物の様に吼えると、マリウスはさらに激しく剣を振り回してくる。それににガザは挑発を繰り返し、マリウスの動きを乱しながらその攻撃をかわしていった。
攻め一辺倒のマリウスと守りを固めるガザ。傍から見ても、すぐに決着がつくようには見えない攻防。その均衡は容易には崩れないと、そこにいる誰もがそう思っていた。
事実、その攻防は十分ほどの間続くことになる。しかしその十分の間にガザは相対する相手の異様さに徐々に気づいていった。
(こいつ……まだ体力が続くのか!?)
マリウスは激昂しながら滅茶苦茶に剣を振るっていたが、その体力は一向に衰えを見せることがなかったのだ。
一方のガザは、負傷していた傷口は開き、血が流れるに従い体力もどんどんと失われていく。何よりまだ病み上がりの体には、その負担は想像以上に重かった。
未だ体力の衰えないマリウスと、既に出涸らしに等しいガザ。異常なまでの体力の差が、ガザの策の破綻を彼に突き付けていた。
「いい加減死ねやッ!」
力の差を技の差で覆していたガザ。しかし均衡は嘘のように一気に崩れた。
馬鹿の一つ覚えのような大振り。しかし力が入らず、反応が遅れてしまう。
ガザの防御をすり抜けた一撃は、彼の体を思い切り打ち据えた。
「ぐっは!」
「オラァッ!」
ガクリと片膝を付いたガザの頭を、マリウスは間髪いれずに蹴り飛ばす。
拮抗の敗れる鈍い音が部屋に響き、ガザはゴロゴロと地面を転がった。
「ぐ……く……」
「テメェ……それで済むと思うなよ。さんざん俺をコケにしてくれたんだ。俺が間違いなく勇者だって事を、その体に教えてやる」
地面に這いつくばった彼の元へと、マリウスは一歩踏み出す。だが、そこで何か思いついたかのように歩みを止めると、彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。そうか。俺が勇者だって事を分からせりゃいいわけだよな。クッハハ! 簡単なことじゃねぇか! ……存分に見せてやるよ。この俺の力の一端をな。この俺が正真正銘、風の勇者だって事をなぁ!」
不可解な宣言をするマリウスに、ガザは不穏なものを感じた。ゾクリと肌が粟立ち、全身の毛が逆立つ。
(この野郎、どこかおかしい。なぜあんなにもでたらめに剣を振り回し続けて、息すら上がっていねぇ? まさか。まさかとは思うが、もし本当にこいつが勇者だとしたら――)
目の前の男の不気味さに体を起そうとするガザ。だが、無情にも時間は止まってくれなかった。
「風の精霊シルフよ! 我が呼び声に応じ、狂気に悶える者に安息を! 生に苛まれる者に甘美なる死を! 今、堕ちた愚者に悠久の静穏なる日々を与え賜えッ!」
膨大な魔力がマリウスの体から溢れ、その部屋を満たしていく。
それは生者を奈落へと誘う甘い囁き。希望を絶望へと変える悪魔の嘲笑。
「”死神の狂乱”ッ!!」
マリウスが詠唱を終えると、どこからか風が吹き始め――そして狂い出した。
”死神の狂乱”。荒れ狂う風が巻き起こす狂乱が、全てを切り裂く刃と化す、風の上級魔法。
『うわぁぁぁっ!!』
「きゃあぁぁっ!!」
部屋の中にいた者達は皆、荒れ狂う突風になぎ倒され、そのまま地面に打ち付けられた。
ゴウゴウという風音が部屋を満たし、激しい突風が我が物顔で周囲を蹂躙する。
ユーリも盗賊達も、敵も味方も関係なく、浮き上がりそうになる体を必死で地面にへばりつかせ、恐怖と共にひたすらに耐え続けた。
他人の様子になど気遣う余裕は微塵もなかった。突如吹き荒れた突風に抗うのに必死で、それ以上何も考えられなかった。
だからこそ、突風が止み、自分が無事であることに安堵した。そして顔を上げ、その目で見た光景に理解が及ばず、ユーリは声を上げることも出来なかった。
血の海に横たわるガザの様子を見て、ただただ絶句するしかなかったのだ。
「ハッハッハッハ! ハァーッハッハッハ! どうだ! 見たか! 風の勇者の力を! これが俺の力だ! 勇者の力だ!! 魔族め! 思い知ったか! 魔族みてぇなクソ共が、勇者様に敵うかよぉッ!」
地面に伏せたままの盗賊たちには目もくれず、マリウスはピクリとも動かないガザの前で高笑いする。その狂気染みた様子に、震えだす盗賊達すら現れた。
マリウスはまるで何かに取り憑かれたかのように哄笑しながら、動かないガザの体を思いきり蹴飛ばした。
ゴロゴロと地面を転がったガザの体はユーリの目の前で止まったが、しかし再び動き出すことはなかった。
地面を血がべっとりと赤く濡らしている。ユーリの体はがくがくと震え、大粒の涙が両目から零れた。
狂気の元凶は壊れたように笑っている。彼以外の人間達は皆、この狂気がもうここで終わって欲しいと願っていた。
だが彼らの願いは届かない。誰の耳にも、心にも。
――ここが終わりではない。ここが”始まり”なのだから。
「オルァァァッ!! 盗賊共はここかァァァッ!!」
突如として部屋に恫喝するような声が響く。皆が動転し、目を見開いて何事かと一斉にそちらを向く。
だがしかし、誰一人として声を発しなかった。さもあらん、そこには世にも奇妙な人間のような何かが出口を塞ぐように立っていたのだ。
「な、なんだテメェらは!?」
先ほどまで高笑いをしていたマリウスでさえ、その様子にうろたえている様子だった。
当然といえば当然だろう。そこにはタヌキ、キツネ、チビウサギ、そして妙に筋肉質なエプロンをかけたウシの顔をした四人組が堂々と立っていたのだから。
「俺達が誰かだって? 俺達はな――」
タヌキ頭の人間のような何かが一歩前へ踏み出して名乗りを上げる。
「通りすがりの……森の愉快な仲間達よッ!!」
さあ、狂気の宴の始まりだ。