66.先手の行方②
《大将! 大変だ! ガザ様が!》
クルティーヌへ向かう途中、俺の耳にデュポの焦った様子の声が届く。
まったく、今度は何だ!?
「どうした!?」
バドが全力で走るため、俺とリリは付いて行くだけでも大変だ。荒い息を吐きつつも辛うじて離されていない俺はまだマシだが、リリの方は徐々に離され、後方にどんどん遠ざかっていく。
だが俺達はリリを待たず、全力で大通りを駆ける。
リリのそばには、遅れる彼女を気遣ってホシが並走している。必要ならホシにまた持ち上げて貰えばいいだけだ。
今はただクルティーヌへ急ぐことを優先していた。
必死で走っているため小声で話す余裕も無い俺は、上がる息を抑えてデュポへと返事をする。このリリとの間に空いた距離は幸いだった。おかげで声を抑えなくてすむ。
《ガザ様が盗賊のアジトに入って行っちまった!》
「……なんだと?」
デュポの言葉にスティアが苛立たしげに反応する。
だがちょっと待て。話の前後関係が全く理解できない。
「ちょっと待て、話が分からん! オーリ、そうなった理由を説明してくれ!」
《承知した》
興奮して要領を得ないデュポは置いておいて、俺はオーリへと説明を求めた。
《先ほど連中が麻袋を担いで中へと入って行く姿を確認した。恐らく誰かをさらってきたのだと思う。だが、それを見たガザ様は何かを感じたのか、俺達を待機させたまま奴らを追って中へと入って行ってしまったんだ》
「それを止めるのが貴様らの役目だろう!」
《……すまない。言い訳になるが、止める間も無かった》
「スティア、よせ! 今はそんな場合じゃないだろ!」
口調が素に戻っているスティアをたしなめ、話を進めるようオーリに促す。だが彼らもガザのその行動に困惑しているらしく、なぜなのか全く分からない様子だった。
ガザには何か思い当たることがあったのかもしれないが、本人がいなければこちらも理由を知る術が無い。とりあえず今は急ごうと言う判断しかできなかった。
「バドさん! 皆さん!」
クルティーヌの近くまで走ってくると、店の前でシェルトさんが立っているのが見えた。
彼女も気づいたようでこちらへと大声を上げる。その声色に焦りを含んでいることに気づいた俺は、周囲を見渡し、心臓が跳ね上がるのを確かに感じた。
「――ユーリちゃんは!?」
いつもシェルトさんの近くにいるユーリちゃんがいない。
嫌な予感を振り切るように声が大きくなる。しかし返ってきた言葉は、不幸にも予想を裏切るものではなかった。
「それが……最近皆さんがいらっしゃらないから、ユーリが寂しがって……。ホシちゃんを迎えに行く! って一人で出て行ったきり戻ってこなくて……!」
シェルトさんは何が起きているのか理解できず、おろおろとうろたえるばかりだった。
どうやら俺達が立ち寄らないようにしていた配慮が仇になってしまったようだ。
バドがいるからと安心していたが、彼がクルティーヌを守れるのは店にいる間だけだ。彼女達が店から出てしまうと、そこはもうバドの手の届く範囲ではなくなってしまう。
責任を感じてバドが深々と腰を折る。だがこれはバドのせいじゃないだろう。俺は彼に首を振って返す。
シェルトさんに危険を伝えていたが、しかし子供なんてそんなもの。ユーリちゃんが一人で出歩く可能性を考慮していなかった俺の責任だ。
自分の浅慮を後悔するが、事が起こってしまった以上もう遅かった。
「えーちゃん!」
渋い顔をする俺に、リリと一緒に追いついてきたホシが声を掛けてくる。珍しくその声には怒気をはらんでいる。
顔を見れば眉も吊り上っていた。悩んでいる暇は無いとでも言いたいのだろう。
今はまず迅速な行動あるのみか。ホシの叱責に気持ちを切り替えると、彼女に小さく頷いて返し、皆にすばやく指示を飛ばす。
「シャドウ装備を! バド、急いで盾だけ持って来い!」
バドは頷いてすぐさま店に駆け込んで行く。その間に、影からポイポイと飛び出してくる武具を俺達は空中で受け取り、迅速に装備を整え始めた。通りに人がいなくて助かった。
しかしこうなるともう魔導戦車もぶっつけ本番だな。少し不安が残るがやるしかない。
「あの、一体何が……? ユーリは皆さんのところへ行ったんじゃないんですか?」
シェルトさんが震える声で問い質してくる。その顔には不安がありありと浮かんでいた。
だが今は一刻を争う。ここで騒ぎを大きくして良いことは何もない。
俺はシェルトさんの不安を少しでも落ち着かせようと、少しおどけて肩をすくめて見せる。
「ええ、ちょっと俺達の別の仲間のところに行ったみたいなんで。何、すぐ連れて帰ってきます。心配いりませんよ。シェルトさんは中で待っていて下さい」
カリン情報には盗賊の息がかかっている衛兵がいるとあった。ここで騒ぎすぎて衛兵が出張ってくると非常に不味い。
そいつらに嗅ぎつけられてしまうと、最悪盗賊と衛兵の挟み撃ちになる可能性がある。衛兵に悟られないよう今は慎重に行動する必要があった。
しかし意外と役に立ったなカリン情報! やはり情報は力なり、だ。
シェルトさんはやはり不安そうな顔をしていた。誤魔化すのはやはり無理があるか。
しかし彼女は少しして、俺に強いまなざしを向けた。
「分かりました。ユーリを……お願いします」
そう言いつつ、だが後ろ髪を引かれるようにしながらも、シェルトさんは店の中へと戻っていった。
俺の言うことが嘘だと察しているだろうに。強い人だ。
シェルトさんの信頼に応えるためにも、ユーリちゃんは絶対に助け出さなければな。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
装備を整え終えた俺の耳に、膝に手をつき、肩で息をするリリの荒い呼吸が聞こえてくる。
宿舎からクルティーヌまで走ってきての、この疲れようだ。恐らくこのペースで走ったら、彼女は盗賊のアジトまでは持たないだろう。
心苦しくはあるが今は時間が惜しい。彼女はここに置いていくより他無いか。
リリを見ながら考えていると、彼女も視線を感じてか顔を上げる。俺を見るその瞳は仄かに黄金に輝き、力強く俺を真っ直ぐに捕らえていた。
その夜空に映える月のような輝きに魅せられてしまったのか。俺の口から、ここに残ってくれと言う言葉がなかなか出てきてくれなかった。
この二週間ほどの間、リリとは仲間として一緒に行動してきた。だから俺には、彼女の胸に仄かに宿るその思いが、はっきりと理解できていた。
俺達を仲間として信頼してくれていること。そして自分も仲間の一員として扱って貰いたいという気持ち。そんないじらしい思いがリリの胸の中にはあった。
追っ手がいることを黙っていたときに物分りのいい彼女が珍しく拗ねたのは、そういう気持ちがあったからこそだろう。
リリの純粋さを微笑ましく思うのと同時に、そんな彼女に名前すら隠しているということに罪悪感を覚えていた。しかし白龍姫に合うことを目的としている彼女には、それを明かすことなど到底出来はしなかった。
しかし、だ。青龍族の中での立場が良くないというのに、その使命を懸命に果たそうとする健気さや、感情の裏表無く俺達と接してくれるという純粋さ。そして彼女のいじらしさにいつの間にか絆され、俺はいつしかジレンマを感じるようになってしまっていた。
この三日間、魔導戦車を楽しそうに作っていたリリを思い出す。
出来ればその初お目見えには彼女も同行して欲しかった。そして皆で完成を喜びたいと、そう思っていたのだ。
魔導戦車を作ることになったのは成り行きだったが、しかし皆で力を合わせて作ったからこそ、それが彼女の希望を少しでも叶えてやれることになるだろうと、そう願っていたからだ。
リリの気持ちに応えてやりたいと思えばこそ、今、彼女を置いていくことはできない。
急がなければならないと言うのに、俺はその一言が口から出せないまま、リリの眼をただ見つめていた。
「カーテニアさん、行って下さい」
そんな葛藤を見透かされたのだろうか。リリは困ったように笑った。
そして息を整えるように一つ息をつくと、彼女は俺の前に立つ。
「私では皆さんについていけません。……今はユーリちゃんが心配です。すぐに行ってあげて下さい」
リリははっきりとその意思を口にする。その目は力強く黄金色に輝いていた。
「――分かった」
「大丈夫ですよね?」
「任せろ。こっちにゃ化けモンが揃い踏みだ。負ける要素がねぇ」
「化け物って……。ウィンディアさん達可哀想ですね」
俺の冗談にリリがくすりと笑った。やはりリリは笑っているほうが良く似合う。
先ほど悔しそうな顔が一瞬見えたような気がしたが……見なかったことにしよう。
「シャドウ、例のブツをリリに」
彼女がここに残ってくれるなら頼みたいことがある。俺の言葉にシャドウがにゅるりと手を伸ばし、リリにあるものを手渡した。
「これって」
「リリが考案した例の奴だ。緊急事態に使ってくれ。ああ、使う場合は気をつけろよ? 分かってると思うが――」
『魔力を込めたら五秒でドカン!』
俺とリリの声が見事に重なる。どちらとも無く、俺達はくすりと笑いあう。
「もしかしたらまたここが襲われるかもしれない。リリはシェルトさんを守ってくれ。俺達も安心して戦える」
「はい、分かりました」
「衛兵にも気をつけてくれ。もしかしたら盗賊の仲間かもしれん。いざとなったら逃げるのも手だ。リリの水魔法なら簡単だろ?」
リリは俺の言葉にこくりと首を縦に振る。
後顧の憂いをリリが断ってくれるなら、俺達は目の前の盗賊たちに集中できる。リリにはすまないことになったが、正直ありがたかった。
「貴方様、準備が出来たようですわ」
「分かった」
スティアの声に後ろを振り向くと、バドが盾を持って掛け出てくるのが見えた。スティアもホシも準備が終わっている。
そりゃいいんだが、バドはエプロンつけたままなのか。ま、まああれもバドの戦闘服みたいなもんだしな。気にしないでおくか。
「皆さん、気をつけて」
「リリさんもお気をつけて」
「行ってくるね!」
スティアとホシがリリへと声をかける。バドもリリに対して握りこぶしを作り応えていた。
「リリ」
「はい」
「ここは任せた」
「はい!」
リリの肩に手を置いてから、俺はスティア達へ向き直り軽く目を閉じる。
呼吸を落ち着かせ意識を集中すると、まるで熱されて赤々と輝く鉄のように、粘りのある液体状のものが体をぐるぐると渦巻くような感覚を覚える。
その粘りのある液体のようなのもの――精が体を満たしていくにつれ、徐々に体が活性化されていく。体がまるで羽根のように軽くなるのを感じた。
俺は目を見開きスティア、ホシ、バドの顔を見る。彼らも準備は出来ているぞと、揃って力強く頷いた。
――ここからは、紛うことなく全力だ。
「行くぞッ!!」
『了解!』
俺達は掛け声を一つ上げると、敵を掃討すべく勢いよく地を蹴った。