64.災厄の予兆
カリンを捕縛した日から一夜明け翌日。俺達四人は朝食を取り終え、部屋へと帰ってきた。
皆部屋に入りながら帰宅の挨拶を交わすが、当然部屋には誰の姿もない。部屋はしんと静まり返り、俺達の挨拶が虚しく響くだけだ。
当然返事など帰ってくるはずは無い。
と思いきや――
「おかえりなさい。どうでした?」
上のほうから女の声が返ってくる。すわ不審者か、と思えばそうではない。
この声は天井裏にかくまっているカリンのものだ。日中、部屋にいられると誰の目に付くか分からないため、こうして身を隠して貰っているのだ。
「普通だったー」
「ふ、普通!? え!? 美味しくありませんでした!?」
ホシの感想にカリンが戸惑う。しかしリリやスティアも続いて普通だったと返すと、カリンの困惑がさらに増した。
この普通というのは、まあ大した話ではない。
昨日、盗賊の一味であるカリンを捕縛した俺達は、念のため事が終わるまで、クルティーヌに行かないことに決めていた。
だが食事はどこかで取らなければいけない。じゃあどこへ行くかという話となったところ、カリンがお勧めの店があるということで、今朝はそこに行ってみたのだ。
だが俺達は今までずっと、食事と言えばクルティーヌばかりだった。
そう、俺達の舌はすでに、クルティーヌが基準になってしまっていたのだ。
確かに行ってみた店は、食事の盛り付け方だけでなく、食器やテーブルなどの調度品に関しても、大衆向けの食事処ながら非常に気を使っていると感じることができるものだった。
店内は非常に混雑しており、かなり繁盛していることも伺えた。カリンの言うとおり、人気があるのは間違いではないのだろう。
だが肝心要の食事の美味さに関してどうかと言えばだ。
メニューは少ないし、出される食事も野菜を煮込んだスープとパンと言ったものが大半。しかしそれでも、野菜の旨みがしっかり出ている煮込みと、ふんわりと柔らかく小麦の風味豊かなパンは相性が非常に良く、飽きを感じさせない美味さがクルティーヌにはあった。
味についてだけなら、クルティーヌのほうが完全に勝っていると断言できるものだったのだ。
どちらの店もこの町で購入できる素材を使っているのに、なぜそう味に差が出るのかと言えば、それは当然バドの指導の賜物だ。人族より長い寿命を持つバドが、長い時間をかけて研鑽してきた料理の腕は伊達ではない。
しかしなぜ彼がそんなに料理に卓越しているのか。それには実は深い理由があった。
バドには、長い間人族に恐れられ、森の中でたった独り、身を隠すようにして暮らしていたという過去がある。
食材や調味料などを入手するのも難しい森の中、彼はそこで調達できる食材のみで美味しい料理を作ることが出来ないか、日々研究し続けてきたらしい。
それは自分のためかと思いきや、違う。
どうも、誰かに美味い料理を振舞うことが出来れば、それを通じて他人に受け入れて貰えるのではないか、と考えていたらしいのだ。
今思えばまあバドらしくはあるなと言った感はある。
だがそれを知った当時は、あまりの健気さに唖然としたものだった。
つまりそんなバドが……俺達と共に行動するようになっても研究に余念の無かったあのバドが、その結果を惜しみなくシェルトさんに指導しているわけであるからして。
美味さにおいての差は、当然の結果としか言い様がなかったわけである。
さて。まあそんなわけで皆の感想が一様に”普通”だったのだが、今それは置いておこう。
とりあえず店から持ち帰った分をカリンに渡してしまおうと、俺はシャドウに声をかける。すると足元から影が上へと伸びあがり、天井板の隙間からスルリと天井裏へ入っていった。
俺達はもう見慣れたものだが、リリはまだ三度目だからか気になるらしい。まるで「ほへー」と言う声が聞こえそうなほど、その様子を口を半開きにして見上げていた。
ちなみにその一度目は、カリンを屋根裏にかくまった時だ。
なおどうやって天井裏にカリンを押し込んだのかはお手軽簡単。彼女を影の中に入れ、シャドウが天井裏に伸びあがり、そこでカリンを出して貰うだけ。まるで瞬間移動のようだ。
移動させられた当事者のカリンも非常に驚いていた。まあそのせいで梁に強かに頭をぶつけ、痛みにしばらく呻いていたが。
なお天井裏は流石に汚かったようだが、そこまで面倒を見切れないので、掃除はカリンに任せた。だから二度目はシャドウに掃除用具を渡してもらった時だ。
そうして屋根裏へと潜んだカリンだったが、光が全く差し込まず暗くて怖いと、当初は半泣きだった。そのため”輝光”の魔法石を仕込んであるランプは今、彼女の手元にある。
暗くなれば俺達も部屋に戻るし、俺達がいればカリンも天井裏から降りて来れる。だから彼女にランプを渡しているという点については全く問題はない。
「えー……? 美味しいけどなー?」
シャドウがにゅるると戻ってくると、もう食べ始めたらしく、天井裏からカリンの不思議そうな声が届いた。
「今度、クルティーヌへ行ってみると宜しいですわよ。メニューはそう多くありませんけれど、そちらの方が美味しいですから」
「本当ですか? あの、ウィンディアさん達がよく行っていたパン屋ですよね?」
「ええ、食事も出来ますし、是非行ってみて下さいな」
「はい!」
この前カリンもクルティーヌのパンを食べたはずだが、聞いてみるとあの時は緊張していて味が全く分からなかったらしい。さりげなくスティアが宣伝を開始すると、大変良い返事が返ってきた。
こうしてクルティーヌはリピーターが増え、ますます繁盛していくのであった。
とっぴんぱらりのぷぅ。
「さて、と――」
早速始まった世間話を尻目に、俺はテーブルに着くとメモ帳を広げ、早速やるべきことを整理し始める。
まずは戦車の作成を急がなければならない。簡単なものなら急ピッチでやれば三日でおおよそ仕上がるだろう。ギルドの練習場も押さえているし、作業場所についても問題ない。
ただ、どういった魔法陣を組み込むかが問題だ。材料が木になるため、まず火魔法は駄目だ。戦車が丸焼けになってしまう。
そうすると、土、風、水の魔法の中から、魔法陣が壊れにくい補助魔法のみを基本的に選択することになる。
また、最初は有用なものをいくつか適当に選ぶつもりだったが、スティアから相乗効果のある補助魔法を選んだほうが良いのでは、という提案があったため、それを意識した方向に切り替えることにもしていた。
他にも眉唾だが風の勇者がいるという情報もあったため、一応風魔法の対策をしておくつもりだ。魔法陣は詠唱無しで魔法を発動できるのが強みだから、こと防御に関しては心強い味方になってくれるはずだ。
「カーテニアさん。それで、どうするつもりなんですか?」
思考の渦にはまりつつある俺に、リリが正面に座りながら声をかけてくる。
「まずは戦車だな。何とか一対多でも効果に期待ができるものにしたい。あと、風の勇者の話があるから風魔法の対策は必須だな」
「風の勇者……ですか」
メモ帳に顔を向けたまま、自分の思考を整理するように話す。すると引っかかるものがあったらしく、ポツリとリリが呟いた。
「盗賊の中に勇者様がいると言うのは、私は何かの間違いだと思っているんですけど……。カーテニアさんが言っていた、”災厄の予兆”、でしたか? なんだか、私の持つ勇者様のイメージとはかけ離れていて、上手く飲み込めないんですよね」
その眉間にはシワが寄っていた。
そりゃ盗賊の中に勇者がいるなんて笑い話にもならないのは分かる。きっと風魔法が得意な盗賊がうそぶいているだけなんだろう。
ただ、”災厄の予兆”については……勇者と災厄が結びつくってのは、勇者に対しての輝かしいイメージもあり、確かになかなか考え付かないかもしれない。
俺はメモ帳から顔を上げ、持っていた魔導ペンを置いた。
「リリも知ってると思うが。基本的に勇者ってのは、火、水、土、風の四属性のうち、それぞれの属性から一人ずつ……最大で四人がこの世にいると言われているな。言い伝えでは、それぞれの属性を司る神に選ばれた者が勇者になるとか」
俺の説明にリリはこくりと頷く。
「それって凄く光栄なことですよね。だって、神様ですよ? 神様に選ばれたってことは、それだけその方が素晴らしい人間だと、天に認められたと言うことでもあるんですから」
「まぁ普通、そう思うよな。だから勇者が盗賊してるなんてのは、俺もリリの言う通り嘘だと思ってるよ。ただな――」
力説するリリに苦笑を返すと机の上で手を組んだ。
こっからはちょっと真面目な話だ。
「今確認されている勇者は土の勇者のみだ。火の勇者も四十年くらい前にいたっていう記録が残っているが、ただそれ以降消息不明だそうだ。水と風に関しては存在自体が長い間確認されて無いらしい。つまり本当に風の勇者がいるのであれば、この国に二人の勇者がいることになる」
「え……? カーテニアさん、どうして――?」
”詳しく知っているのか”。その問いを、俺は手で遮った。
「勇者ってのはどういう存在だと思う?」
「え? それは……希望、でしょうか?」
「人間に希望を与える存在か。まぁ、そうだな。でも、その希望ってのは一体どこから来るんだろうな。何もないところから降って湧くわけでもあるまいし」
リリを見据えながら、俺は淡々と話を続ける。
「俺も割と最近知ったばかりの話なんだが。リリ、パンドラの箱って知ってるか?」
「パンドラの箱?」
「神が争いばかりする人間に罰を与えるため地上に持ち込まれた、絶対に開けてはならない箱のこと、でしたわよね」
首をかしげたリリに変わって、スティアが俺の隣に座りながら答える。
「中にはありとあらゆる災厄が詰められているのですが、好奇心に駆られたパンドラと言う人間がその箱を開けてしまい、災厄が箱から飛び出すのです。それに慌てたパンドラが急いでふたを閉めたので、希望だけが箱の中に残ったという……そんな話ですわ」
「な、なんだか怖いというか、不思議な話ですね」
リリは眉間にしわを寄せながら、スティアの話に相槌を打った。
よく覚えてるなスティアは。正直そこまで詳しくは俺も覚えていなかった。
「そうだな。でも俺は思うんだ。なんで災厄を詰めた箱の中にわざわざ希望なんて入っていたのかってな。俺はひねくれてるからさ、その希望って奴も、実は災厄の一部だったんじゃないか、なんて思うわけだ」
冗談めかして俺は言う。だがリリは口を一文字に結んだままだった。
「希望なんて、平和な時には誰も気にも留めないもんだ。逆に言えば、それが必要だって事はつまり、これから何か良くないことが起こるってことでもある。神の御業を行使する者――勇者なんて言う人知を超えた英傑でなければ解決できないような災厄が、近い未来にな」
リリの喉がごくりと動くのが見えた。
「おおよそ二年前に土の勇者が現れたんだが、それ以降何か大きな危機があったという話は聞いてない。もし今回、風の勇者も同じ脅威に立ち向かうために現れたのだとしたら……。勇者二人を合わせないと解決できない脅威ってのは、一体なんだろうな? 俺にはスケールがでか過ぎて想像もつかねぇよ」
不安を感じてか瞳が揺れているリリから目線を外し、俺は手を頭の後ろで組み、背もたれに体を預ける。
「それで”災厄の予兆”、ですか。確かに不敬だとは思いますけれど、的外れでもない、です、ね……」
自分の英雄像を悪し様に言われているからか、リリはどこか悲しそうな表情を浮かべ、歯切れの悪い返事を返した。
まあ勇者と言うと基本的に英雄だからな。憧れる人は多いと思うが、逆に勇者がいるからと陰鬱な気分になる人はいないだろう。
俺がこういう考え方をするようになったのは、軍に所属してからのことだった。
今から二年前。魔族と戦争をしているどころではない事態が王国内で発生した。土の勇者が確認されたのだ。
そのせいで、軍はもとより騎士団、王国の官僚、王家まで、上へ下への大騒ぎになった。
俺やスティアがパンドラの箱の話を知ったのもそんなときだ。
過去、勇者が対峙した災いがどんなものだったかを部下に調べさせている際に、かつて、とある勇者がそんな話をしたという記録があった、と報告があがってきたのだ。
その報告には、神話に関わる可能性があるという考察もあったとか、そんな内容も書いてあったが、どうでもいい話だと俺はあまり気に留めなかった。
ただ、なぜかその妙な話だけが記憶に残ってしまったのだ。まるで勇者そのものが、その箱に残った希望のようだと。
結局土の勇者に関してはどうなったかと言えばだ。
幸運にも、と言っていいのか。土の勇者はまだ騎士どころか、一般兵にまで簡単に打ち負かされるほどの力しかなかった。
まだ戦争を止めるわけにもいかなかった王国はこれ幸いと、災厄が起こるまでは猶予があるだろうと手前勝手な判断をした。
勇者については経過を見ると言う話で棚上げしたのだ。そして戦争は続けられることになり、今に至るというわけだ。
勇者についての会話が終わると、部屋がしんと静まり返る。
あまり楽しい話題ではなかった。ここから楽しく話しましょってのも無理な話だ。
俺達の間に沈黙が降りる。そんな中、何を思ったのか、俺のそばにちょこちょことホシがやってきた。
「でもさー。あたし達にはそれ、今関係なくない?」
「ホシさん、それを言ってはおしまいですわ」
そんなの関係ねぇとばかりにあっけらかんと言い放ち、その空気を全力でぶっ飛ばしやがった。本当に自由だな、こいつは。
まあ言っていることは全然間違っていない。勇者のことは今どうでもいい。本題へと意識を戻そう。
「パンはパン屋って言うしな! 俺達はまず盗賊退治だ。勇者は置いておく! そもそも俺達ゃ勇者の関係者ですらないしな! 悩んでもしゃーない!」
「しゃーないしゃーない!」
俺がそう言って笑うと、ホシもまたニーッと白い歯を見せて笑った。
スティアは苦笑いをしている。一方リリは完全に置いてけぼりで、急に変わった空気について行けず、ポカンと口を開けて固まっていた。まあしばらく放っておこう。
さて、まずは戦車のパーツ作りからだ。これはホシの協力が不可欠になるため、その辺りの話をしておくか。魔法陣を組み込む部分の相談もしておきたいしな。
早速ホシと戦車に関しての話を始めると、意外にもリリがこちらへと身を乗り出してきた。その口元には笑みも浮かべている。
おっ、思ったよりも立ち直りが早かったな。
「魔法陣についてなんですけど、私にちょっと案がありまして!」
「おっ、いいな! よし、リリッ! その案を聞かせて貰おう!」
ちなみにリリのこの意見は非常に興味深いものだった。そして議論が白熱した結果、いつの間にか舟をこいでいるホシを担ぎながら練習場に駆け込んだのは、数時間が経った昼過ぎのことであった。