61.尋問開始②
その少女が落ち着いたのは昼も過ぎた頃だった。
まだ念のために体の方は縄を解いていないが、足の方を解いてやったため今は床にぺたりと座り込んでいる。
随分と怖がらせてしまったらしく、少女は先ほどからずっと、自分をなだめてくれたスティアのそばにピッタリと寄り添っている。
スティアが離れようとすると人生の終わりとでも言うような顔をするので、スティアにはそのままでいてもらうことにした。
スティア自身は相手が人族ということもあってか、あまり良い顔をしていなかったが、また泣きじゃくられでもしたら話どころではなくなってしまう。しばらく我慢してもらうしかない。
「さて。それじゃ、そろそろいいか?」
その少女が落ち着いてきた頃を見計らい声をかける。俺はしばらく前から、彼女の目の前であぐらをかいて座ったままだ。
落ち着いてはきたものの、俺が話しかけるとがたがたと震えだすため、今の今までまともに話ができていない。ちなみにこの問いかけも、もう五回目だった。
「…………はい」
随分時間を置いてから、その少女はぽつりと呟く。ただ視線はこちらを向いておらず、先ほどからずっと、自分の足元近くの床をじっと見つめていた。
「どこ向いてるのー?」
「っ!?」
と、突然その床にズサーッとホシが滑り込んできて、少女の体がびくりと跳ねた。
「お前は向こうに行ってろ」
「ありゃーっ」
小動物のようにホシを両脇から持ち上げて、ポイとリリへと渡す。リリにキャッチされたホシはベッドの上へと連行されて行った。
そんな様子を、何事かと目を丸くして見ていた少女。ホシがベットにポテンと座るまで見届けた少女は、はっと気を取り直し、慌てたようにまた床へと視線を移していた。
さて、ホシのおかげで緊張がさらに緩んでくれたようだ。こういうときホシの存在は非常にありがたい。
ベッドの上にちょこんと腰掛けてこちらに笑顔を見せるホシへ、俺はこっそりと親指を立てて称賛の意を返した。
「邪魔が入ったが、まず確認だ。君は盗賊じゃないな?」
「……はい」
俺の問いに先ほどよりも早く返答があった。まだうつむきながらではあるが、声量も少しだけ大きくなり、聞き取りやすくなっている。ホシの癒し効果抜群じゃあないか。
「じゃあ君は一体なんなんだ? 何で盗賊に手を貸してる? 理由があるなら教えてくれ」
だが。そう聞くや否や、やっと落ち着いてきた様子がまた変わり、可哀想なくらいぶるぶると震え始めた。
何か言えない事情があるらしい。この様子では聞き出すまでに時間がかかりそうだ。
視線でスティアにフォローを頼む。嫌そうな顔をされてしまったが、しかし今この状況を打開できるのはスティアをおいて他にいないと思う。
俺はスティアを見つめ続ける。すると彼女は諦めたように眉を寄せて目を閉じ、そして少女の方へ顔を向けた。
「大丈夫ですわよ。まず、貴方のお名前を教えて下さいます?」
「……カリン」
やはりスティアからの質問だと大丈夫のようだ。このまま続けて欲しいと小さく頷く。
スティアはまた一瞬渋い顔を見せたが、カリンと名乗った少女に質問を続けてくれた。
「ではカリンさん。貴方は冒険者なんですの?」
「……いいえ。私は、セントベルに住んでる……ただの、町民」
ぼそぼそとではあるが、スティアの質問にしっかりと答えていくカリン。
やっぱり、ただの一般人だったか……。
あの怯えようから、殺気を向けられることに慣れていないと思ったが、当たりだった。
あのまま脅し続けたらどうなっていたことだろう。あそこで止めて正解だったと胸をなで下ろした。
「では、なぜその貴方が盗賊の真似事を?」
「そ、それは……」
やっと答え始めたカリン。だがスティアが俺と同様の質問をすると、やはりそこで口を閉ざしてしまった。これは骨が折れるな。
恐らく、この質問の答えが重要な話になってくるのだろう。これをまず何としても答えて貰いたい。俺を狙った理由はとりあえず後回しだ。
カリンの不安を和らげるため、当初の予定通り俺は彼女へと魔力を流していく。こういう時こそ≪感覚共有≫の出番だ。
このまま時間をかけてしまうと、カリンを捕らえた意味がない。
先ほどの頑なな様子も気になるし、ここは徹底的に行く。
≪感覚共有≫をポツリと唱え、カリンと感情を共有させる。彼女はビクリと反応したが、何が起こったのか戸惑っているようで、目が泳いでいた。
「まあいい。だが、こっちの聞きたいことを全て話してもらうまでは、君をここから解放するわけにはいかないんだ。こっちも襲われているもんでな。このまま、この事態を放って置くわけにもいかない。分かるな?」
「……はい」
言い聞かせるようにゆっくりと話すと、カリンもそれは分かっていたようで、コクリと頷く。その後何を思ったか、カリンがチラリとこちらを向いたので軽く笑ってやったところ、慌ててまた視線を落とされてしまった。
この感情を共有するやり方は、お人よしであったり、感受性の高い人間には特に良く効く。この子もその部類だったのなら、少しすれば効果が表れるはずだろう。
今の反応が少ししてどう変わるか、だな。なるべくならいい結果が見たいものだが。
「さって。とりあえず腹も減ったし、またクルティーヌでも行くか?」
「え、えぇ? いいんですか?」
俺は尻に付いた埃を払いながら立ち上がる。それを聞いたリリは困惑した声を上げながら、ちらちらとカリンの方へ視線を向けた。
≪感覚共有≫をかけた今、効果が出るまで少し時間を置く必要がある。となれば、昼食もとっていないし、今のうちに腹ごなしをしておくのがいい。
美味い食事は心が穏やかになるし、満腹になれば不安や警戒が薄れ、口が軽くなるかもしれない。
何より、俺自身がストレスを感じない環境に身を置かないといけないのだ。腹が減って効果を落としていたら何の意味もない。
リリはそれでいいのか戸惑いの表情を浮かべている。
だがこういう時こそ物事を深刻に考えすぎず、何事もポジティブにってな。
「腹がすいてりゃ落ち着きもしないだろ。昼食もまだだし丁度良い。だろ?」
「まあ……そうかも知れませんが……」
「ってなわけだから、俺とリリで適当に買ってくる。ウィンディアとアンソニーは留守番頼んだ!」
そう言いながら、俺は焦るリリの背中をぐいぐいと部屋から押し出した。
「えっ? あ、貴方様!? ちょっとっ!」
「いってらっしゃーい」
スティアの焦ったような声とは裏腹に、ホシの間延びしたような声が後ろから聞こえてくる。
スティアは最後まで何かしら言っていたが、手を振ってドアを閉めてしまうと、それも全く聞こえなくなった。
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「ウィンディアさん、怒ってるんじゃないですか?」
スプーンを片手に持ちながら、リリは向かいに座った俺へと声をかけてくる。その顔には、残してきた面子が心配だとはっきり書いてあった。
「大丈夫だろ。なんだかんだ言って面倒見がいいしな、あいつは」
「でもなんだか嫌そうでしたよ?」
「相手が人族だからだよ」
「あぁ……。まあ、そうかも知れませんが」
何でもない事のように言い、俺はスープを口へと運ぶ。ちょっと渋い顔をしたリリだったが、俺にならってか同じようにスプーンを動かした。
今日は豆のスープだ。一週間ほど前に出された漢のスープはどこへやら。豆にはえぐみが全くなく、甘さすら感じられるほどだ。さらに食感もホクホクとしていて非常に美味い。
昼食の時間は少し過ぎてしまっていたが、それでもクルティーヌには人がまばらに入っている。食事用のテーブルも、俺達以外にもう一席、三人の客で埋まっていた。
店内に入ったときユーリちゃんが言っていたが、これでもお客さんが大分さばけた後だったらしい。
最近は昼食時になると、三つあるテーブルが殆ど空かないのだそうだ。繁盛しているようで何よりだ。
「カーテニアさんは心配じゃないんですか?」
「ん? 何が?」
「ウィンディアさんのことですよ」
「いや……別に? 何でだ?」
「えぇ……? だって、ウィンディアさんあんなに嫌そうにしていたじゃないですか」
リリはそう言いながらパンを一口かじる。すると軽く眉を寄せていた顔がたちどころに緩み、「あ、これも美味しい」と嬉しそうな声を口から漏らした。
ちょっと笑ってしまうと、リリはむっとした顔をしたが、俺は悪くない。
リリが今頬張っているパンは新作のパンらしく、厚めにスライスされた肉に少し酸味のあるソースがたっぷりとかけられたものだ。
さわやかな風味のソースが、厚い肉から出てくる脂をくどく感じさせない。肉とソースの相性が抜群に良く、これまた非常に美味かった。
どうやらバドの張り切りようは今もなお衰えていないみたいだ。あいつの引き出しは半端ではないから、その気さえ続けばまだまだ新作が出てくることだろう。
「まあ確かに嫌そうにはしていたけど。でも、今はあいつにしか任せられないしな」
「カリンさんのことですか?」
「ああ。あの子、ウィンディアに引っ付いてたじゃないか。それに今あの子が一番警戒しているのは俺なんだから、俺があの部屋にい続けるのも良くないだろ。俺がいなくなれば少しは落ち着くだろうし、もしかしたらその間にぽろっと話すかもよ?」
「うーん……。そう上手くいけばいいですけど」
楽観的な俺とは対照的に、リリは眉の間に皺を寄せた。
「でも、ウィンディアさんだけにって、事情を話すかもしれませんよ?」
「いやそんなもん、後でウィンディアから聞けばいいだろ」
俺がこともなげにそう言うと、リリはびっくりしたのか目を丸くした。
優しいというか甘いと言うか。そこで驚いてしまうのがリリらしい。
まあ龍人族がそういう、約束事は守る、っていう考えの種族だってのもあるだろうが。
「当然だろう? こっちは理由も分からず襲われてるんだぞ?」
「そうかも知れませんが……」
「今回何事もなく済んだから良かったものの、もしかしたら誰かがやられてたかもしれない。それに連中が諦めなければ、こんな事態にまた巻き込まれる可能性もあるんだ。ここで同情から手を抜く、なんてのは絶対にやっちゃ駄目だ。仲間の命がかかってくるかも知れないんだからな」
今回は俺が上手いこと対処できたため何も起こらなかったが、今後もそう上手くいくとも限らないのだ。
リリは優しすぎるから、先ほどのカリンの様子を見て同情のほうが先行したのだろう。だがそれとこれとは別の話で、切り分けて考えなければ痛い目を見るのはこちらだ。
相手は盗賊。何でもありの連中なのだから、決して侮ってはいけない。
同じ盗賊である俺は、それをよく知っていた。
「命。……そう、ですね。確かに、その通りです」
リリも俺との会話で思い直したのか、かみ締めるようにそう呟くと、急に真面目な顔をし始めた。
だが俺はと言うと、それどころではない。パンをリスのようにもぐもぐと咀嚼しながら真剣な顔をするリリがどうにも可笑しくて、我慢できずに噴き出してしまった。
顔の上半分しか引き締まってないんだもの。我慢しろってのが無理な話だ。
不思議そうな顔をしたリリに謝りながら弁明すると、リリの頬がカッと朱に染まる。
「ははは! まあ、リリはそのままでいてくれ」
「もうっ! からかわないで下さい!」
百面相よろしく表情をころころと変えるリリがどうにも可笑しくて、笑いをかみ殺していると、
「もぉ~っ!」
とリリは抗議の声をあげ、さらに顔を赤く染めた。