60.尋問開始①
「……すみませんでした。皆さんがそこまで考えて下さっているなんて思いもしなくって。ごめんなさい」
眉を八の字にしてリリがぺこりと頭を下げた。謝る必要なんてないと思うが、何かと律儀な彼女のことだ。下げずにはいられないのだろう。
「確かに私はその……。人間を、殺したことはないです。すみません……」
しょぼんと肩を落としながらリリは言う。だがそんなものは謝る必要がない事だ。
むしろそうあるべきだろう。
気に病む必要があるどころか、胸を張ってもいいくらいだ。
「いや、その経験があること自体褒められるようなもんじゃないから、そこは気にしなくていい。問題はこれからどうするかってことだ。場合によってはもしかしたら……」
そう言い淀むと、俺が言わんとした事を理解できたリリも緊張した眼差しを向ける。
きっと今まで直面したことの無かった事態に、その胸中には不安が渦巻いていることだろう。彼女は真一文字にその口を結んでいた。
まあ何はともあれ、まずは状況を把握してからだ。俺は気を取り直し足元へ視線を向けた。
「まずは捕らえてきたこいつを尋問するとしよう。――ああ、何。酷いことはするつもりは無いから大丈夫だ」
”尋問”という単語に反応したリリがびくりと肩を震わせる。どういうものを想像したか知らないが、そこは安心してくれて問題ない。
俺の場合、肉体的に痛めつけるようなものはする必要がないからな。
俺の≪感覚共有≫は相手と自分の感情を共有することができるが、これは共有する感情の取捨選択がある程度可能だ。
具体的に言えば、敵意だけや、好意だけ、といった風に、感情を選択して共有することができるのだ。
なお、常にオートで発生している様子の≪感覚共有≫の方は、なぜかそういうことが出来ない。つまり、相手の「このおっさんウザイんだよ!」みたいな感情はシャットアウトすることはできないのである!
……地味に傷つくのである。
さて、この厄介な≪感覚共有≫。それを俺は、相手の思考や行動を読み取る助けとして使うことが多い。
だが今回のような場合、逆にこちらの感情が相手に伝わって”しまう”ことを利用する方法がかなり役に立つ。
口を割らない相手を信用させるためには、まずその警戒を解いてやらないことにはどうしようもない。
そんな相手にどうするかと言えば。自宅でくつろいでいるような、穏やかな感情を相手と共有してやるのだ。つまり緊張を無理やりほぐしてやるというわけだな。
精神的な酩酊状態と言ったら良いかもしれない。そうすると翌日には、大抵が素直に情報を吐いてくれることが多かった。
ただこれには少々難点もある。感情を共有するという都合上、魔法を行使する俺自身がリラックスしていないといけない、という点だ。
だからこの手を使う時、酒を飲みまくってベロベロに酔ってみたり、童心に帰って気の赴くまま馬鹿騒ぎしたりと、まあ色んなことをやったものだ。
そんな俺に白い目を向ける連中の多い事といったらない。まあ状況を考えれば当然の話なんだが。
しかし、あれでもちゃんと仕事をしてたんですよ私は! ……と、一度でいいから言ってみたかった。
さて話が逸れたが。つまるところ≪感覚共有≫があれば痛めつけるような真似をする必要は一切ない、ということだ。リリがしているような心配は一切無用だ。
とにかく捕えた盗賊を出して、お話をしてみようじゃあないか。
「縄で縛ったうえ目隠しと猿轡をしている状態だから暴れることは無いと思うが、一応気をつけてくれ。じゃあ窓を――あ、ウィンディアすまん」
「いえいえ。今ランプも点けますわ」
外から見えないよう、窓のカーテンをさっと閉めてくれたスティアに礼を言う。
彼女は返事をしながらランプの場所へ向かい、明かりを点けた。
日光が遮られて薄暗くなった部屋が明るくなる。俺は皆の顔を一通り見回してから、シャドウへと足で合図を送った。
俺の影がぶるりと震え、部屋の中央へとぐにゃりと伸びる。そしてそこから一人の女がずぶずぶと沸きあがるように姿を現した。
「よし。じゃあまず目隠しを取るか。どれ」
「貴方様。それはわたくしが」
目隠しへと手を伸ばそうとしたところ、スティアがそれを手で制した。彼女は俺の代わりに床に膝を突くと、その結び目に手を伸ばす。
「なんですのこの縛り方は……。ったくもぅ……これだから――」
どうも縛り方が気に入らなかったようで、スティアは小さく舌打ちをする。縛り方で誰がやったかすぐに分かったのもあるだろう。忌々しそうにブツブツと小さく文句を言っていた。
だが文句を垂れつつも、スティアは手際よくしゅるしゅると解いていく。程なくしてはらりと目隠しが外され、隠れていた顔が露になった。
俺達はそいつの顔を覗き込む。そこには思ったよりも幼い顔があった。
布が外されれてもなお、そいつはしっかりと目を閉じていた。ぎゅっと閉じられたその目は、まるで現実を受け入れることを頑なに拒否しているかのようだ。
その必死さすら感じられる様子に、声をかけるのを躊躇してしまう。他の三人も同じように感じたのか、誰も喋らずに黙っていた。
部屋には五人もいると言うのに、不自然にもシンと静まり返る。
それを不思議に思ったのだろうか。頑なに閉じていたその目が、恐る恐るといった様子でゆっくりと開いていった。
姿を見せたのは不安そうに揺れる藍色の瞳。その藍色はきょろりとこちらを向いた途端、強烈な怯えの色に染まった。
「……これから猿轡も解く。だがもし騒ぎ立てるようなことがあれば……分かってるな?」
黙っていても仕方がない。低い声を出しながら膝を突き顔を寄せると、そいつはコクコクと何度も激しく頷いた。
この様子ならわざわざ≪感覚共有≫を使う必要もなさそうだ。
俺はスティアへ頷いて見せる。するとスティアも小さく頷き、すぐに猿轡にも手を伸ばした。
その女――まだ十四か五くらいの少女に見える――は猿轡が解かれると、まるで空気を吸いに水面から上がったように、口を開けて息を深く吸っていた。
さて。かなり怯えていてこちらの要求には素直に答えそうではあるが、盗賊であれば今、小賢しい策でも練っている最中だろう。念のためもう一押ししておこう。
俺は懐に忍ばせておいたあるものへと手を伸ばす。
「こちらの言うことに素直に答えれば危害は加えない。だがもし少しでも口をつぐんだり、謀るようなことがあれば……これだ」
コトリ、とその目の前に一つの瓶を置くと、少女の目がそちらにきょろりと向く。
だがこれが何か分からないのだろう。瓶へと向いたその視線を外し、これが何か問うような視線を俺へと向けた。
「俺達を尾行していたなら知っているだろう? ……こいつは毒だ」
毒、と聞いた瞬間、その少女の目が大きく見開かれる。もともと怯えて血の気が無かった少女の顔が、更にさあっと青褪めた。
俺達がアーススパイダーを狩っていたことは、盗賊の一味なら知っているはずだ。
少女もこれが本物であると確信したのだろう。その目からボロボロと止めどなく涙が溢れ出し、見る間に床を塗らした。
「た、助けて、下さい……! お、お願い……します……! 助けて……っ!」
ガタガタと全身が震え、カチカチと歯が音を鳴らす。拍子抜けするくらいあっけなかったが、脅しの効果は十分すぎるほどあったようだ。
この毒をどう使うのか、説明する間もなかったからな。
本来ならほくそ笑むところだ。だが。
この尋常でない怯えように、俺は強い違和感を覚えてしまった。
この子からは、怯え以外の感情が全く伝わってこない。俺の予想に反して、何かを画策するような素振りがまったくと言って良いほど感じられない。
……もしかしなくても、ちょっと早まったかもしれない。
後悔してももはや遅いが、もう少し様子を見てからにすれば良かった。
「カ、カーテニアさん。あの――」
「あーっ! 止めだ止めっ!」
「へっ?」
少女のあまりの怯えように見かねたのか、リリが口を挟もうとする。それは俺が投げ出したのとまったくの同時だった。
あまりの俺の変わりようにリリが変な声を出したが、もうそれどころじゃない。
「こいつは盗賊じゃねぇ! こんな肝の据わってない盗賊なんぞいるか! 自分が無法者だっていう覚悟が全然無ぇ! くそっ!」
俺はどかりとその場で胡坐をかき、後ろめたさを感じてガシガシと頭を掻いた。
盗賊をやっている奴なんてのは、一言犯罪者だなんて言えば簡単だが、実際色々な理由を抱えている場合が多い。
だがそこにどんな理由があろうとも、自分が世間的に見て悪人なのだということを、大なり小なり心のどこかで理解しているものだ。
自分自身を盗賊だと否定していても、だ。
だから、どうしたって盗賊として生きる知恵や判断力が身につくし、自然と行動もそれらしくなる。その是非に関わらず、そういうものなのだ。
しかしだ。目の前の少女からはそんな狡猾さといった……盗賊らしさが、毛の先ほども全く感じられなかった。
もし盗賊だったなら、一旦殊勝な態度を示しつつ、何とか相手を煙に巻く方法を考えることだろう。
しかし目の前のこの少女は怯え命乞いをするばかり。きっと頭の中は真っ白になっているはずだ。
これが演技だというなら大したものだ。盗賊を止めて役者にでもなったほうがいい。
「お前冒険者か? それともまさかただの一般人か? 少なくとも盗賊じゃないだろう?」
毒を懐へとしまい込み、代わりに手巾を出して、涙でべしょべしょの顔に押し付けた。
ぐしぐしと拭いてやるが、その少女は俺の行動に思考が追いついていないらしく、ポロポロと涙を流しながら口を半開きにして呆然としている。
「あーあ。えーちゃんがまた女の子泣かせたー」
「またって何だ、またって! 人聞きが悪すぎるぞ!」
ホシが横から変なことを言い出した。
反論すると、ホシは指を折って数え始める。
「だって、ゆーりちゃんでしょー? ゆーりちゃんのお母さんでしょー? いーりゃでしょー? りりちんでしょー? あとだんめる!」
「いや全部俺のせいじゃないだろ!? 不可抗力だっ! ってかダンメルは男だろうが! 数に入れるな!」
「わ、私は泣いてませんよ!?」
「えー? 泣いてたよ? あのね――」
「ちょっ……! アンソニーさん! もう黙っていて下さい!」
さっきまでの緊迫した雰囲気はどこへやら、急に部屋の中が騒がしくなる。
「大丈夫ですわ。きっとカーテニア様が助けて下さいますわよ。あの方、ああ見えて非常におせっかいなんですの。まあ……そこが素敵なんですけれど、ね?」
俺達が言い争いをしている間に、スティアがなにやらぼそぼそと呟きながら、縛られたままの少女の頭を優しくなで始める。
しばらくすると、その少女は顔をくしゃくしゃにして、しゃくりあげながらまた泣き始めた。