59.捕獲作戦
「アンソニー!」
「ほいさっさ!」
俺が声を張り上げると、ホシも元気良く声を上げる。
「ほいっと!」
「え――ひゃあぁぁっ!?」
そしてホシは無遠慮にリリのお尻をひょいと頭上に持ち上げた。
たまらずリリが声を上げるが、そんなものはお構いなし。むしろリリのこの声に、後ろの連中もすぐ事態を把握できるだろうから一石二鳥だ。
困惑や驚愕混じりの声を上げるリリに耳を一切貸さず、俺達は十字路に向かって一斉に走り出した。
「俺は右だ!」
「わたくしは左ですわ~」
「それじゃああたしは真っ直ぐ~」
「ひゃあああああっ!?」
若干楽しそうな声を上げる二人と十字路で散会し、俺達は散り散りになって走り出した。
これには後ろの連中はこれには随分慌てたようだ。狭い路地に反響して、後ろからバタバタと走り出した足音がよく聞こえた。
いくら相手にばれたからと言っても、尾行なんだから足音立てちゃあ駄目だろうに。この行動だけで、連中の力量が知れるというものだ。
(さてどうなるか……)
これで連中の狙いが少しは分かるだろう。俺達の中の誰かを狙っているならそっちへ行くだろうし、俺達全員を狙っているなら散り散りになるはずだからな。
形勢が悪いと見て引き返すならば、それはそれでいい。
スティアには連中の後方に回り込むよう頼んでいる。引いたところを、俺とホシで背後を付けば一網打尽だ。
向こうがどう行動しようとこちらが有利な展開は崩れないという筋書きだった。
まあ連中がどう行動するにせよ、この路地まで付いてきたのが運の尽きだということだ。
俺は十字路から十分な距離を確保したところで駆け足程度にスピードを落とし、連中がどう来るか後ろの様子に注意していた。
しかしここで一番予想外の展開が発生する。
「えっ……俺の追っ手、多すぎじゃね……!?」
意外や意外、十字路に踏み込んだ連中は迷わず全員、俺の方へと向かってきたのだ。
普通こういうときは、抵抗されにくいように男より女を狙うものだろう。さらうなら女子供、と言うのは定石中の定石だ。山賊的に。
それがなんで一人しかいない男を全員が狙うのか。と言うことは、考えにくいが初めから俺狙いだったのだろうか。正直理解に苦しむ。
実のところ、俺だけは絶対にないと考えていたのだ。異常事態に驚きを隠せない。
まさかこれが昔流行ったオヤジ狩りというものか。オヤジと言うだけで、かくも人生は生きづらいものになるのか。涙がちょちょぎれるわ。
《にゃはははは! えーちゃんモッテモテ!》
《流石ですわ! 有象無象にも貴方様の素晴らしさが分かるんですわ! もっとやれですわ!》
「好き勝手言ってんじゃねぇぞお前ら!」
《ひゃぁぁあっ! アンソニーさん! 降ろして下さいぃぃぃ!》
≪感覚共有≫を介してスティアとホシの声、そしてリリの叫び声が聞こえてくる。やはり向こうには一人も向かわなかったようだ。
理解はできないが、やはり俺だけが狙われている状況に間違いないらしい。
わけわからんが、現実を受け止めよう。
連中の強硬なおっさん狙いに動揺しながらも、気持ちを切り替え、路地を真っ直ぐにひたすら走る。
連中も諦めることは無く、その距離を詰めようと必死に猛追してきた。尾行が露見した今、捕らえてしまおうと言うのだろう。
(だがそう簡単に行くかな?)
自分達が路地に誘い込まれたとも思わないのだろうか? その浅慮にニヤリと笑う。
目の前に見えてきた十字路に足を踏み入れると、俺は急に進行方向を変え左の路地へと飛び込んでいく。これで連中の目から俺の姿は見えなくなったことだろう。
さてここからはちょっと急ぎだ。
俺は走りながら体内の精を練り始めた。
「シャドウ! 縄をくれ!」
俺の言葉に、足元から縄を持った黒い手がにゅっと生えてくる。
「オーリ! コルツ! デュポ! そっちに一人送るから目隠しと猿轡を頼む!」
《む……! 了解》
《分かった》
《ガッテン!》
魔族達のいい返事を聞きながら縄を受け取る。そして今度は、走りながら詠唱を始めた。
「風の精霊シルフよ! 我が呼び声に応じ、天空を舞う雄風を我が身に! 大地に縛られし因果を、その大いなる導きにより断ち切り賜え! ”飛翔の風翼”ッ!」
風の中級魔法、”飛翔の風翼”を詠唱すると、体からまるで体重が抜けたような感覚を覚える。俺は即座に足を地面に叩きつけた。
体内で練り上げられた精で活性化された肉体は、”飛翔の風翼”の魔法の力で、勢いよく空へと舞い上がった。
精というのは精技として攻撃や防御にも使える他に、練ったまま体内に留めれば身体能力を向上させるという効果もある。
俺の拙い制御の”飛翔の風翼”では、飛翔どころか一メートルくらい浮き上がる程度が精々だ。しかし跳び上がる力を加えてやればそれなりに上昇することはできる。
まあ跳び上がった後、滞空するわけでもなく、緩やかに落ちていくだけなのが悲しいが、それはそれ。
精で活性化した体なら、家くらいなら軽々飛び越えられる。これが案外役に立つのだ。
五メートルほど跳び上がった俺は、すばやく家の屋根へと跳び移る。
それと時を同じくして、追っ手達がその路地へとなだれ込んで来た。
「……どこへ行った!? いないぞ!?」
「落ち着け! 騒ぐな!」
「探せ! この辺りにいるはずだ!」
屋根からこっそりと見下ろすと、先頭に三人の男と、後ろに二人の女の姿が見えた。
いずれも冒険者風の出で立ちで、ローブ姿だがフードは被っていない。ようは顔が丸見えだ。
キョロキョロと周囲の様子を伺っているが、まさか屋根の上にいるとは思うまい。ふふふ。
(俺達に絡んできた奴らとは違うな)
とは言えそうゆっくりもしていられない。以前イーリャの店の前で絡んできた連中とは違うことをさっと確認すると、俺はカサカサと屋根を伝って連中の後ろまで移動する。
顔が違うということは、こいつらは”風の刃”の連中ではなく、連中と付き合いのある盗賊と言うことなのかもしれない。
まあその関係は、これから存分に吐いてもらうことにしよう。
都合よく、連中の一番後ろには若い女が一人いる。俺は彼女を獲物と断定した。
キョロキョロと周囲に視線を迷わせる連中の死角をついて、俺は”飛翔の風翼”の魔法を頼りに屋根から静かに飛び降りた。
「はいよっと、ご苦労さん!」
「えっ――」
俺は女の後ろに着地するや否や、あっという間に捕縛してシャドウに回収してもらった。
一瞬のうちに縛り上げられたその女はわずかな言葉だけをその場に残し、水の中に飛び込んだように、とぷんと影へ姿を消した。
山賊心得その一 ―― ターゲットの捕獲は迅速に。
「なっ! こいつっ!?」
「いつの間に!?」
「やあこんにちは! こいつはプレゼントだ受け取りな糞野郎共!」
やつらが振り向くより早く、俺は後方へ飛び退りながら懐からあるものを取り出す。そして魔力を込めて放り投げた。
「” 惑いの霧”!」
唱えると同時に、それに仕込んでいた魔法陣から白い霧がぶわりと発生する。
たちどころに路地全体が白い霧に覆われ、連中の姿も全く見えなくなった。
「な、なんだこりゃあ!」
「ハハハ! これはアーススパーイダーの毒霧だ! 吸い込んだら最後だぞ! 気を付けな!」
嘘です。流石にそんな危険な物は町中で使いません。俺はTPOをわきまえた山賊なんです。関係の無い方々に迷惑を掛けるような真似はしちゃあいけません。
山賊心得その二 ―― 嘘、ハッタリは積極的に。
とは言っても百パーセント嘘というわけじゃない。この霧にアーススパイダーの毒が入っているのは事実だ。
アーススパイダーの毒は即効性がある麻痺毒。体に入った時点で手足が痺れ始め、最終的に歩くことができなくなる。
だが、そもそもが相手を麻痺させる毒であり、大量に取り込めば話は別だが、命に影響がある毒じゃないのだ。
それに今俺が使った道具は、効果範囲を広げる代わりに、効果がかなり弱まっている。ただ追っ手をまくため。それだけの道具で、命を奪うほどの効果などないのだ。
安心安全の山賊印。感謝して欲しいものだ。
なお今回のハッタリは上手く効いてくれたようだ。霧の向こう側にいる追っ手たちは、後方に逃げるか、霧を突破してこちらへ向かってくるか躊躇して足踏みしている。
そして一瞬でも警戒させ動きを止めてしまえば、こちらの思う壺だ。
「毒消しを用意するんだな――じゃあなっ!」
山賊心得その三 ―― ずらかる時は鮮やかに。
俺は踵を返すと一目散に走り出す。その場を離れて少ししてから、意を決したのか霧の中から連中が転げ出てくるのが目の端に映ったが、結局のところ俺を追いかけてくる者は一人もいなかった。
俺は念のため路地を縫うように走りながら、上々の結果にほくそ笑む。
「連中をまいた。宿舎で合流するぞ」
《あいあい!》
《承知しましたわ!》
《何なんですか! 一体何なんですか! もおぉぉぉっ!》
≪感覚共有≫から、一人だけ除け者にされ、状況がまったく把握できていないリリの憤慨する声が聞こえてくる。
まるで地団太を踏んでいるようなその声色につい苦笑しながら、俺は路地を走り続けた。
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「皆戻ってるか? ――うっ!?」
あれから俺は路地を走り抜け、十分ほど後に宿舎へと戻ってきた。大通りに出なかったのは、また尾行が付いたら面倒だからだ。
その甲斐あってか再び尾行が付くことはなく、無事にこうして戻って来ることができた。
他の三人も問題なく戻れたようで、ただ一人絡まれることになった俺が最後だったのだが。
「……どういうことか説明してもらえますよね?」
俺の前に立つリリから発せられる重圧が、なぜだか普段まとっている雰囲気からは想像できないほど大きい。俺は気圧されてしまい知らず知らず一歩後退してしまう。
「早く説明して下さい。私が穏やかでいられるのも、そう長くないですよ?」
「わ、分かった。ちゃんと説明するから」
両手で落ち着くようになだめると、彼女から発せられる重圧が多少和らいだ気がした。
この体に絡みつくような独特の重圧感と、捕食者に睨まれているようなあの鋭い眼光。そして圧倒的な威圧をこの身に受けるのは久々だ。
やはりリリも龍人族なんだなと改めて思い出し、安堵の息がこぼれた。
「この二人からもう聞いているかもしれないが。少し前にイーリャの店の前で絡まれたことがあったろう?」
「はい、覚えています」
「あの日から、俺達が森に出る度に何者かに尾行されていた、ってのは気づいてたか?」
「……いいえ」
俺の問いに、リリはふるふると首を横に振った。
そんなリリに俺は一つ一つ説明する。
森に出るたびに尾行が付いたため、森に出るのをやめたこと。
連中の情報を集めている間は、面倒事を起こしたくなかったこと。
そして先ほど、武具屋を出たところで尾行が付いたことに気づき、いいチャンスだと先に仕掛けることにしたこと。
「ちなみに連中は俺だけを狙って追って来たから、理由は知らんが狙いは多分俺だ。で、その理由を聞くために追って来た連中のうち一人をさっき捕まえて来たってわけだ」
そう言って俺は足先の裏で床をトントンと軽く叩いた。リリにも意図が通じたようで、ぐにゃりと歪んだ俺の影を見て、それについての疑問は口にしなかった。
「でも、それならどうして私には教えてくれなかったんですか?」
「そうだな……それはすまん。ただ、ウィンディアやアンソニーを責めないでやってくれ。リリに言うなと言ったのは俺だ」
そう、スティアとホシを口止めしたのは俺だった。だがこれにはちゃんと理由があった。
「そうですか。……なら、どうして私だけ除け者にしたのか教えて下さい」
そう言ってリリは口を尖らせる。先ほどの様子を見て怒っているなと思ったのだが、どうやらこれは怒りもあるが、それ以上に拗ねているらしい。
自分だけ仲間外れにされたのが、どうやらいたく気に入らないご様子である。
最初、冒険者ギルドで出会ったときのイメージは、大人びた少女という感じだったリリ。
しかし彼女と行動するうちに、こういう子供っぽいところが少々散見され始めた。たぶんこっちが素なんだろう。可愛いものだ。
気圧されていた気持ちが、口を尖らせる彼女の真意に気づき和らいでいく。
どう説明するか少し迷っていると、リリの口がどんどんと尖り始める。
焦った俺はもう率直に言ってしまうことにした。
「あのな。連中はちゃんとした装備で、森に入って俺達を尾行していたんだぞ?」
「それは分かります。それが何ですか?」
「もしそれで事を構えることになったら、連中はその武器を間違いなく抜くだろう。そうなったら、リリは戦えるか?」
「……え?」
「人間と本気で戦えるか、と言ったんだ。最悪人が死ぬかもしれない。殺すことになるかもしれない。そんなことになってもリリは大丈夫か?」
相手が殺しにかかってくる以上、こちらも人死になど当然、といった態度でなければいけない。
何となく巻き込みたくなくてここまで黙っていたが、もうそんな気遣いは意味をなくしてしまった。
単刀直入に聞けば、リリは時間が止まったかのように硬直してしまう。やはり今までそんなことをした経験が無いのだろう。考えたこともないのかも知れない。
完全に固まってしまった彼女を、俺は真剣に見つめる。彼女の龍眼は先ほどまでの威勢を完全に失い、戸惑うように震えていた。
戦いに身を置いている以上、これは誰もが直面する、避けることのできない大きな壁だ。これを乗り越えられず、良心の呵責にさいなまれて脱落して行った者は数え切れない。
だが、それは恥ずかしいことでも何でもない。むしろ人として当然の感覚だと思う。
人間を殺すというのは、それだけ罪の意識が心に重く圧し掛かる行為だ。
戸惑うのも無理はなかった。
「リリはそういう経験は無いだろうと思っていたからな。だからそれ自体に関わることのないように、あえて言うのを避けたんだ。気を悪くさせたらすまなかった」
硬直しているリリにそう弁明する。
「申し訳ありませんでしたわ」
「ごめんねりりちん」
それに合わせて、スティアとホシも一緒になって謝ってくれる。
仲間外れなんてとんでもねぇな。リリにもきっとそれが伝わったはずだ。