56.魔法陣講座
適当な店で晩飯を取り終えた俺達は、かすかな明るさすら失いつつある中、宿舎の部屋に戻ってきた。
早速備品であるランプに魔力を流す。するとランプはすぐに煌々と輝き、周囲を明るく照らし始めた。
魔石式のランプは高級品だ。流石高ランク冒険者向けの宿舎と言うべきか。
部屋に入ると、皆は早速思い思いの行動を取り始めた。
スティアは部屋のすみを陣取り、武器の手入れをし始める。それにひきかえホシはと言えば、ベッドに飛び込み、丸く膨らんだお腹を天井に向けて、すぐに寝息を立て始めた。自由である。
さて。では残る俺とリリは何をしているのかと言うと。
俺達はテーブルに向かい合って座り、議論――というより、魔法陣についての講義のようなことをしていた。
というのも、だ。戦車に関しては明日にして、今日はもうさっさと寝てしまおうと思っていたのだが、意外なことに、リリがそれ以降も俺に質問を投げかけてきたのだ。
戦車に関してというよりは、魔法陣に好奇心を刺激されたらしい。
目を輝かせてあれやこれやと質問を投げかけてくる彼女は、非常に生き生きとしていた。
こうなってくると俺だって悪い気もしない。彼女の勢いにつられて熱が入ってしまったのは、誰にも責められまい。
「じゃあ自分が使える魔法しか、魔法陣として定着できないんですか?」
「現実問題そうなるな。魔法陣を書くだけなら誰でもできるが、定着するために流す魔力の制御方法が、実際に魔法を発動するときと同じなんだ。だから例えば、水の上級魔法を発動できる魔法陣を書いたとしても、その魔法が使えない俺には定着は出来ないな」
「それでも、何度も練習すればそのうちに成功できるようになるんじゃないですか?」
「んー……その練習は正直お勧めできない」
「え? それはどうしてですか?」
俺が注意を促すように指を立てると、リリは不思議そうな顔を返す。
「魔法陣の定着に失敗すると、魔法陣に込めた魔力が暴発することもあるからだ」
「えぇ……? ちなみに、どうなるんですか?」
「何が起きるか分からん。以前それをやらかした……というより、あれはわざとやったと思ってるんだが、その馬鹿共がな。風魔法の魔法陣を暴発させたことがあったんだが――」
そう、これは王都で研究していたときの話。
エルフ達が風の上級魔法、”死神の狂乱”の魔法陣を作ってわざと暴発させる、という事件があった。
暴発したらどうなるか確認してみたい、という好奇心からだったらしい。気持ちはまあ俺にも分からなくはない。
しかしなぜ基礎魔法から試さなかったのか、なぜその魔法を選択したのか、色々と突っ込みたい部分が多すぎた。
何か騒がしいと思って駆けつけてみれば、研究所の一室が半壊。さらに一面真っ赤な血の海となっていたのだ。
暴発した魔法で切り刻まれたり、瓦礫に埋もれてしまったエルフ達がその辺りにごろごろ転がっていて、まさに死屍累々。
人的被害は暴発させた魔法陣から考えれば小さかったが、それでも、腕や足が無くなった大勢のエルフ達が地に転がり呻く有様で、目を覆いたくなるほどの惨状となっていた。
駆け付けたエルフの女王ヴェティペールも、最初は顔を青くしていた。だが事の顛末を聞くとそれはもうカンカンに怒り、白い肌を真っ赤に染めていた。
普段余裕たっぷりの彼女が、「はぁぁっ!?」とかでかい声を出してたもんな。
ダストボックスにぶち込まれていた時より怒っていたと思う。間違いない。
ちなみにだが。腕や足を失ったエルフ達は、翌日元通りに治って皆ピンピンしていた。血が足りないせいか青白い顔をしていたが、「あれはびっくりしたねー」なんて談笑すらしていた。
そんなあまりにものんきな姿に、エルフってトカゲの親戚なのか? と、俺は本気で考え込んでしまったほどだ。
後で、エルフに伝わる秘薬を使ったおかげで何とか手足を繋げる事ができたのだ、と疲れ気味のヴェティペールに聞いたが、人族がエルフと本当に分かり合えるのかと、あの時ほど不安に思ったことは無い。
なお後日、そのエルフ達に監視がついたことは言うまでもない。
「――ってな事があってな、あれは肝を冷やしたよ」
苦笑しながらそう説明すると、リリの顔色がだんだん青白くなっていくのが分かった。
ちょっと脅しすぎただろうか?
「まあ、それは極端な一例だな。そんな馬鹿なことさえしなければ、危険なことにはならないさ。水魔法の定着に失敗したら場合なら、水鉄砲を食らって服が濡れるくらいなもんだ」
「あ、ああ、そうですか。いえ、魔法陣ってそんなに危険なものなのかと思ってしまって」
定着するときに魔法陣に注ぎ込む魔力に従って、暴発するときの威力は高まる。下級以下であれば危険はないと伝えると、リリはホッと息を漏らした。
「貴方様、あまり脅かすのは趣味がよろしくないと思いますわよ?」
会話には参加していなかったものの、武器を手入れしていたスティアが、手を動かしながらこちらを向いて口を挟んだ。
「リリが魔法陣に興味があるみたいだったからな。危険があることを知らずに一人で作ったりすると不味いだろ? あらかじめ知っておけば、いくらなんでもエルフ達と同じ轍を踏むことはないだろうと思ってな」
「それはそうですけれど。いささか刺激が強すぎるのでは?」
言われてみれば確かに、リリはまだ魔法陣の”ま”の字も知らないのだ。
もう少し軽い例をあげればよかったかもしれないな。
「あー、確かに脅かしすぎたか。すまん」
「い、いえ、大丈夫ですよ。ただ、少し興味があるからと言って、予備知識なしでやっていいものじゃない、ということは十分分かりました。はい」
頬をぽりぽりとかき、ばつの悪そうな顔を見せるリリ。もしかして、後で試してみようとか思っていたんだろうか?
いぶかしむ視線を送ると、スイと視線をそらされてしまった。
やってみたいなら教えるから、一人ではやらないでくれ。心から頼む。
俺がそう言うと、リリははにかみながら素直に頷いた。
……本当に頼むぞ? 信じるからな?
「でも、これってどういう仕組みなんですか? 必要な量の魔力さえ流せば、魔法が使えない人も魔法が使えるんですよね?」
「んー、そうだなぁ……。ウィンディア、ちょっといいか?」
「はい?」
ナイフの手入れにまた戻っていたスティアに声をかけると、彼女はそれを降ろしながらこちらを向いた。
「ウィンディアが魔法を使うとき、精霊にどう働きかけているかをちょっと教えて欲しいんだ」
「え? それなら貴方様もご存知でしょう?」
「まあそうなんだが。魔法に関してはお前のほうが絶対説明が上手いだろ? 人に教えるのは上手かったもんな、ウィンディアは。なあ、ちょっと頼むよ」
「ま、まあ……構いませんけれど」
少しおだてつつ頼むと、悪い気もしなかったのか快諾してくれた。ちょろいぞ。
スティアはナイフをしまうとすぐに立ち上がり、俺の隣の椅子を引いてそこへと座る。
「基本的な魔法の使い方をご説明すれば宜しいのですか?」
「ああ、それで頼む」
そこまで聞くと、スティアはリリへと向き直った。
「それでは……」
そう前置きを入れてから、彼女は説明へと入る。
のは良いんだが。
「何だそれ?」
「うふふ、雰囲気ですわ」
スティアはどこからか銀の片眼鏡を取り出し、スチャッと左目にかけたのだ。
雰囲気って何だよ。それ、必要か?
「では簡単に説明しますわね」
俺の疑問には答えることなく、スティアはリリに説明を始めた。
「リリさんもご存知かと思いますが。わたくし達は自分自身が持つ魔力を放出し、精霊の供物として捧げることで、超常現象……つまり、魔法を発動させておりますわ」
「はい。私もその認識で間違いないです」
リリの同意に満足したのかスティアも頷く。
「ですが、魔力をただ放出するだけでは、火、水、土、風の四大精霊のうち、どの精霊に捧げているのか、またその魔力をどのようにして使って欲しいのかが精霊には分かりませんので、基本的には何も起こりません。魔法を使いたいのであれば、各精霊が好む魔力の練り上げと詠唱によって、こちらの意思を精霊に伝える必要がありますわ」
そうそう、そんな感じだ。肉が好きな精霊には肉を、果物が好きな精霊には果物をやる必要があると言うことだな。
俺もリリと同じように、スティアの説明にふんふんと頷く。
「ただ感覚が分かってくると、詠唱で行っていた精霊へのアプローチの一部分を、魔力の練り上げ方で補うことができるようになりますわ。それが短縮詠唱と呼ばれるものですわね」
そうそう。果物が好きな精霊に何か適当な果物をやるのではなく、リンゴだったり、レモンだったり、特定の果実をやるということだ。そうすると、
「おっ、リンゴだったら”浄化”だな!」
と、精霊側が判断してくれるってわけだ。スティアの説明は分かりやすいなぁ。
「でもそうすると、魔法の制御が難しくなるんですよね」
「そうですわね。本来詠唱で精霊へ働きかけていた部分を魔力の制御で行うことになりますので、どうしても難しくなりますわ。放出する前の魔力の練り方次第になりますから、働きかける精霊とどこまで心を通わせられるかにかかっている、と言っても良いかと思いますわ」
そこまで説明するとスティアがこちらを向き、片眼鏡をサッと片付けた。
結局何だったんだそれは。
「ごくごく基礎的な部分を簡単に説明致しましたが、こんなところでよろしかったでしょうか? ご所望でしたらもう少し続けますが」
「ん、ありがとうウィンディア。もう十分だ。分かりやすかったよ、助かった」
彼女の言う通り、基礎の部分の説明はまだまだあるが、だがそこまで行くと魔法陣の講座が魔法の講座に変わってしまう。
スティアに礼を言い、今度は俺が説明を引き継ぐ。
「つまりだ。人間の社会に当てはめて言うと、魔力がお金で詠唱が口約束みたいなもんだな」
「……貴方様、身も蓋もありませんわ」
「あ、あはは……」
なんだか反応が微妙だな。だがそんなことは気にせず、詠唱したときと、魔法陣を使ったときの魔法の使い方について、比較しながら説明を続けた。
「詠唱が口約束だったら、魔法陣は何だっていうと、まあ契約書だな。契約書ってのは依頼者と請負人の了承があって初めて契約書として成り立つだろ? これが定着の作業にあたるんだ。でも、何か気に入らない理由があって請負人――精霊だな。に拒否されれば失敗。つまり、魔法陣に込めた魔力が暴発するってわけだ。これは人間風に言えば、多分ガーッと怒りながら契約書をビリビリに破る感じか?」
「気に入らないって……例えば何ですか?」
「契約内容に見合わない魔力を流したとか、そういう感じかな。魔力が少なすぎたとか、逆に多すぎたとか、風魔法の魔法陣なのに水魔法用の魔力を流したとか」
単純に契約者が気に入らない、ってことで失敗することはないと思う。イケメンの方が成功しやすいとか聞いたことないし。
精霊に、「お前の顔が気に入らない」何て言われてもどうすりゃいいんだよ。泣くしかねぇ。
「ああ、そう言う……。何だか精霊さんの神秘的なイメージが凄く無くなっちゃいましたが、説明はよく分かりました」
なぜか凄く納得いかないような顔をしながらも、リリは深く頷いた。
「それでだな。詠唱の場合は口約束だから、魔法を使う度にどういう内容で契約するか話し合って、合意出来たら金を払うわけだ。けど魔法陣の場合だと契約書があるから、金を払うだけで誰でも契約を行使できるんだ」
「貴方様……。言い方が……」
スティアが渋い顔をするが、でも説明としてはあっていると思う。
ただ、この説明だけを聞けば魔法陣にメリットしかないように思えるが、実際はそんなことはない。
詠唱の魔法はその都度の契約になる。なので、精霊もこちらの要望には意外と柔軟に応えてくれる。
しかし魔法陣の場合そうはいかない。一旦決まった契約の内容が魔法陣という形で残るので、融通が利かないのだ。
「やっぱり、便利なばかりじゃないんですね……」
眉間にしわをよせながらリリがつぶやく。
「魔法陣を使うか詠唱を使うかは、メリットとデメリットをどう活かしどう補うかによるな。ただ魔法陣の持つデメリットってのが実は大きすぎてなぁ。それが、魔法陣が戦闘向けではないと言われてる理由なんだが……」
この、精霊が柔軟に対応してくれない、という短所が、魔法陣の使用を難しくしている致命的な理由だった。
「でも今回、カーテニアさんはその戦車に使おうとしているんですよね?」
「だな。リリは、魔法陣が戦闘向けでないとされる理由が何だか分かるか?」
俺の質問に、また眉を寄せるリリ。しばらく右上のほうを見ていたリリだったが、考えがまとまったのかこちらへと視線が戻る。
「たぶんですけど。魔法陣って、魔法を放つ場所を意図的に決められないんじゃないですか?」
「おおっ」
まさか言い当てられると思わなかった。俺が声を上げると、リリはちょっと自慢気な顔を見せた。
リリの言う通り、魔法陣で魔法を使う場合、”必ず魔法陣の正面から魔法が発現する”、というルールがあった。
これは実戦では明確な弱点となる。魔法がどう飛んでくるか見切られやすいのだ。
詠唱での魔法だったら、指先、手の平はもとより、頭の上、つま先、なんなら尻からでも魔法が撃てる。魔力をどこから放出するかで決められるからだ。
ちなみに、風魔法で”そよ風”という微風を起こすだけの基礎魔法があるが、昔それを宴会の時に尻から出して「尻ブリーズ!」と騒いでいたらスティアに情けないと泣かれたことがある。
酒の力って恐ろしいなあ。
「あと付け加えれば、魔法陣に詳しい人間が敵側にいれば、見ただけでどんな魔法が飛んでくるか分かるから、対策の隙を与えることになるな。そうなると、放つ魔法によっては最悪使い物にならなくなる」
「なるほど。確かに、それは厳しいですね」
リリは頭の中で反芻するように何度も頷く。
だが、それだけでは致命的、とまでは言えない。魔法陣が消耗品とまで言われる理由はここからだった。
「もう一つが、少しでも損傷すると魔法陣が機能しなくなるってことだ。例えば木の板に魔法陣を書いたとする。それで火の魔法を発動したらどうなる?」
「……木の板が燃えて魔法陣が壊れる、でしょうか」
当然そうなる。魔法陣はかなりデリケートで、少しでも欠損すると全く作動しなくなるという欠点があった。
さらに魔法陣を使用した場合、発現する魔法による差異はあるが、魔法陣に衝撃が加わり負荷がかかってしまう。その衝撃で魔法陣にヒビでも入れば最後、ただのゴミと化すのだ。
これが”魔法陣は消耗品”と言われる大きな理由だった。
「それに、外部からの攻撃にも備えなければいけない。となると、それなりの強度と備えが必要になってくるわけだな」
魔法陣を書く素材にミスリル合金を使おうとして断られた話をすると、リリに呆れたような、凄く納得のいったような、そんな顔をされた。
ミスリルなんて金より貴重な高級品だからな。まあ、当然と言えば当然の反応だ。
とりあえずの説明を終え、俺は息をついた。と、何を思いついたのかリリの表情がぱぁっと明るくなる。
「あ! 魔法陣の上に、それを保護するものを置いたりしてみたらどうですか? 例えば、魔法陣を書いた木の板の上に鉄の板を置いてみるとか!」
こうして積極的に案を口にすると言うのは非常にいいな。話をしていてこちらも楽しい。
ただ、リリの着眼点は悪くないと思うが、それについてはもう実践済みだった。
結果から言えば惨敗。魔法陣を保護する物を色々な素材で検証してみたのだが、全て駄目だったのだ。
布のような薄い素材でも発動しなくなるため、全くもってわけが分からなかった。
俺が頭をかきながら説明すると、リリも「むーん……」と、低い声で唸り声を上げた。
理由が分かりさえすればやりようはあるのかもしれないが、なにせ精霊が相手だからなぁ。言葉が通じないどころか意思の疎通ができないから、なぜ駄目なのか確認する術がない。
「今までの話を聞いていると、カーテニアさんがどんな戦車を作ろうとしているのか全く分からないんですが……。使い捨てのものなんですか?」
渋い顔でそう言い放ったリリ。だが俺はリリの質問には答えず、逆に質問を返した。
「一つ質問だ。クルティーヌに贈った配膳ワゴンに、魔法陣を書いただろう? あれ、どこに魔法陣が書かれてたか覚えてるか?」
リリはきょとんとした顔をしたが、すぐに俺の質問に答える。
「え? ええ。もちろん覚えてますよ。台の裏に魔法陣を書いてましたよね? ――あれ? 台の……裏? 表じゃない」
そう。食事を置くのは表側。だから汚れるのはそちらの面だ。
なので普通なら、表面に魔法陣を書くのが正解なのだ。
だが今回俺が魔法陣を書いたのは、表ではなく裏。しかし魔法は裏面ではなく、表面に発動していた。
リリは自分の言った言葉に疑問を覚え、俺を見る。
だが俺は勿体つけるように、ニヤリと口角を上げて返した。