50.水大蛇のローブ
次の日は、皆と相談して休みということにした。薬草の採集依頼がなんだかんだあって、かなりの儲けになったためだ。まあそういう日があっても良いだろう。
だが、俺達は居候の身だ。ただのんべんだらりというわけにもいかない。
なのでシェルトさんの手伝いでもしようかと思っていたのだが。
「では! 武具屋へ行きませんか!?」
スティアがそんなことを言い出したのだ。
「武具屋? ……ああ、あの皮か?」
「そうですわ!」
手に入れたアクアサーペントの皮。あれを受け取った時に、スティアは俺のローブを仕立てるとかなんとか言い始めたのだ。
俺の装備は胸部を金属で覆った革鎧に鋼のグリーブという姿。つまり軽装だ。
これには色々な武器を使うことがあるため、あまり重装にしたくないという思惑があった。
例をあげれば、昨日森で使っていた弓だ。もし俺がバドのような重装だったなら、弓など使えなかっただろう。
俺はシャドウという相棒のサポートがあって、どんな時でも武器を交換できる。その優位性を最大限に生かすためにあえて軽装にしているのだ。
だが、俺が軽装であることを、スティアはずっと気に入らなかったらしい。
そんなときに手に入れたアクアサーペントの皮。これを俺の防具として使い、防御力を高めようという計画らしい。
正直そんなことにこんな貴重なものを使おうという気は全く起こらなかったが、スティアが妙に乗り気なため断りづらい。
なあなあにしていた俺だったが、しかしスティアの中ではもう決定事項になっていたらしく、急にうきうきとし始めてしまった。
どうやら止める時期を見誤ったらしい。大人しく諦めよう。
俺のローブを作るのか。そう諦め半分に考えていたところ、一つ思いついたことがある。それならついでに、ホシの分も作ってはどうだろうか。
というのも、だ。ホシはどうしてか、防具の類を付けることを非常に嫌がるのだ。だからホシは俺以上に軽装だった。
昔はローブすら嫌がったホシだったが、雨を降った時などは着せなければならない。なので頑張って言い聞かせた結果、今は嫌そうながら渋々着るようにはなっていた。
ローブを新調するとか言って、上手い事のせられないだろうか。
俺が顎を撫でながらホシを見ると、目が合った。
「――あっ。ゆーりちゃんと遊んでくる!」
ホシは言うが早いか部屋から逃げだして行ってしまった。
こちらが声をかける暇も全く無かった。もしかしたら意図を悟られてしまったかもしれない。直感だけは鋭いからなぁアイツは。
「それでは行きましょうか、貴方様」
するりと俺の手を掴むとスティアは町へと歩き出す。俺はしかたなく、彼女に引っ張られるままクルティーヌを後にした。
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随分張り切っているスティアの様子から急ぎ足になるかと思いきや、大通りを並んで歩く彼女の歩調は非常にゆっくりとしたものだった。
ただそれでいて何かを探すような素振りは無く、俺と手をつなぎ上機嫌で歩く様子は、まるで散歩を楽しんでいるだけのようにも見える。
まあ発案はスティアなのだし全面的に任せようと、俺もただ彼女の隣を歩調を合わせて歩いていた。
ただ、大通りと言っても人の姿は全く無く、まるで俺達の貸切のような状態だ。
この通りには何かの商店であることを伺わせる店舗が立ち並んでいるが、そのどれもが半壊状態であり、客はおろか店主もおらず、寂しげに佇んだままだった。
(セントベルが負った傷はこれほどまでに深い、か)
以前なら、恐らくこの通りは商店街として賑わっていたのだろう。だがそれも、今はもう想像の中でしか知るすべはない。
クルティーヌや町の玄関口である門の周辺も、損傷は少なくなかった。だがこうして町の中央に来ると、この町で激しい市街戦が繰り広げられたのだということがよく分かった。
それほどまでに、この通りの景観は酷いものだった。
ギルド周辺の様子を思い出してもそうだ。次第に復興されていくにしても、まだまだ数年はかかりそうに思えた。
(ここで暮らしていくのは辛いものがありそうだ)
いつまでも傷が癒えないのは視覚的にも辛いはずだろう。あの親子のことを思い出しながら、逃げずに立ち向かおうとするその強さに敬意を抱く。
幸いクルティーヌはこの商店町から少し外れた位置にあったためか損傷が少なく、もう営業できている。軌道に乗りさえすれば心配することも無いだろう。問題はどうやって軌道に乗せるか、なのだが。
「貴方様、もう少し先ですわ」
「ん? ああ」
町の様子を見ながら考え込んでいると、スティアが声をかけてくる。彼女はまるで少女のように笑いながら、機嫌良さそうに、俺の手を握る左手に少し力を込めた。
昔もこんなことがあったなと、手から感じる温かさにふと昔のことを思い出す。
「そういや……」
「え?」
「王都にいたときもこうして歩いたことがあったなぁ」
昔を懐かしんでそう言っただけだったのだが、スティアはそれに少し真剣な顔をして返した。
「やっぱり、王都にいたかったのですか?」
「んあ?」
「王都にいれば貴方様はきっと、何の不自由も無かったはずでしょう? いえ、勿論貴方様を悪く言う不届き者はいたでしょうけれど。でもそんなものは、わたくしがどうとでも致しましたわ」
いきなりな質問に変な声が出たが、スティアはそれに構わず口を動かす。
「貴方様を慕う者も大勢おりましたわ。今なんかよりもずっと良い生活ができたはずですもの。後悔しておられるのでしょう?」
「何を言い出すかと思えば……」
俺の心情を慮ってか声を落とすスティアに、俺は鼻で笑って返す。
「確かに王都には長くいただけあって出奔するときは思うところがあったさ。でもまあ、そうしなきゃ魔族達も助けられなかったし、それに――」
「それに?」
「お前達が来てくれたからな。もうそんなもんどうでも良くなったわ」
「あ、貴方様ぁ……っ!」
「それに俺は元々山賊だぞ? あんなところは肩身が狭くてしょうがねぇよ。今は確かに先行きに不安があるが、でもその代わり柵なんてものが何も無いしな。楽なもんさ」
感激したように目を見開くスティアに笑って返しながら、安心させるように手を強く握る。するとスティアはどこか悲しそうに、しかし穏やかに笑った。
俺はそれに寂しさを覚えたが、そんな気持ちを誤魔化しつつ、彼女を促して足をまた動かし始めた。
(いつか折り合いがつけばいいが)
一年と少し前。俺とスティアの間で、ある出来事があった。
それ以来、俺達の関係はずっとこんな感じだ。彼女もそれを望んでいるようで、俺がつっけんどんに突き放すのに、安堵する様子すら見せていた。
きっとあの時の返事を引きずっているのだろう。依然として俺達の間にあるその溝は埋まらないままだった。
(こんなおっさんの何処がいいんだか知らないけどな)
スティアは悪食なのかもしれない。蓼食う虫も好き好き、なんて言葉もあるしな。
大声を出して、「貴方様! この葉っぱ美味しいですわよ!」と俺を呼ぶ芋虫姿のスティアを想像してつい噴き出してしまった。
脈絡もなく急に笑い出した俺の顔を、彼女は不思議そうに見つめていた。
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大通りから少しはずれ路地に入ると、その店はすぐに姿を現した。大通りに面していない家屋はそこまで損傷していないものが多かったのだが、目の前のその店は火を放たれたような形跡があり、半壊とまでは行かなかったが営業しているかどうか怪しいくらいの様相だった。
どこかで見覚えがある気もするその店に、俺達は並んで近づいていく。
「ここ……か?」
「ええ、間違いありませんわ」
スティアがドアのノブに手をかけると、まるで悲鳴を上げるような音を立てて扉が開く――が、途中で止まった。
恐らく燃やされたことで歪み、建てつけが悪くなったのだろう。スティアも堅い扉に一瞬意外そうな顔をしたが、「フンッ!」と勇ましい声を上げて無理やりに開き、その扉を笑顔でくぐった。強い。
「悪いな、そのうちに直そうと思ってるんだが」
俺達が中へと足を踏み入れるとすぐに声がかかる。見るとカウンターに男一人が、椅子にもたれかかりながらこちらを見ていた。
「何か用か? 断っておくが取り置きは殆どねぇぞ。ここにあるので全部だ」
その初老の男が店の中を見回すようにぐるりと首を回す。つられて視線を巡らせると、オーソドックスな剣の類と革鎧がいくつかある程度で、それ以外は殆ど無いと言っても良い状態だった。
俺がまた視線をその男へと向けると、何処か不満そうに彼はふんっと鼻を鳴らした。
「材料が馬鹿みてぇに高くてな。流石に物がなけりゃお手上げよ」
「金が無いのか」
「ぐっ……! まぁ……そうとも言う」
店主と思われるその男は苦虫を噛み潰したような顔をする。
たぶん戦争の影響で、鉄の需要が高まっていたせいだろう。
「振ってみてもいいか?」
「好きにしろぃ」
半ばふてくされたような返事が来たが気にせずに、ぐるりと店内を見回す。そして最初に目についた、壁にかけられたロングソードに歩み寄って手に取った。
鞘から抜き少し重心を確かめた後、その場で何度か素振りをして見ると意外と悪くは無かった。
「いかがです?」
「悪くないな」
アクアサーペント戦でロングソードを駄目にしてしまったから丁度良い。
特に業物というわけでもないが、そんな高価なものを買っても無用の長物だ。俺にはこのくらいの、普通のものが手に馴染んで良いのである。
試しに少し精を流してみると、剣がすぐに白く淡く光り始める。なるほど、精の通りも悪くない。
粗悪品だと突っかかるような感じがあるが、ぬるりと剣全体に染み込んで行く感覚を覚え、俺は一つ頷いた。
他にもいくつかあるロングソードを手に取って見たが、結局最初のものが一番良かった。 俺は目を付けていたそれを手に取ると、カウンターへと置いた。
「そいつは小銀貨4枚だ」
若干高い気もするが、普通の鉄の剣ならこんなものだろう。
硬貨を取り出そうと懐へと手を突っ込んでいると、店主が椅子をきしませながらカウンターへ肘を置き、こちらへと身を乗り出した。
「そいつでいいのか?」
「ん?」
俺の顔を見る店主は何故か真剣な顔をしていたが、わけが分からない。
「……別にいいが?」
「……そうかい」
カウンターへ小銀貨4枚を置くと、店主はなんだか口惜しそうにしながらその硬貨を受け取った。
なんだろう。次に来る客が選ぶ物を誰かと賭けでもしていたのだろうか。それなら知ったこっちゃないが。
「では本題ですわ!」
訝しく思っていると、店内に漂った微妙な空気をスティアの快活な声が吹き飛ばした。
ダンッ! と勢い良くカウンターに両手を置くと、その勢いに気圧されたように店主がのけぞる。
「貴方には魔物の皮からローブを作って頂きますわ!」
「ロ、ローブだぁ?」
「そうですわ! シャドウ、お願いしますわね」
俺の足元にしゃがみ込むと、影にぼそぼそと話しかけながら手を突っ込むスティア。
シャドウも慣れたもので特に拒むことも無く、スティアの白い手はずぶりと影に沈む。しかしそれも束の間のことで、例の皮を掴んだ手が地上に引き上げられた。
「このアクアサーペントの皮を使ってローブを作って頂きますわ! できないとは言わせませんわよ!」
スティアは胸を張って皮を見せつけながらそう宣言する。
いや、言わせてもいいと思うが。できないなら仕方ないだろう。
「い、いや、できねぇとは言わねぇが……。ちょっと見せてみな」
困惑しながらも皮を受け取ると、先ほどまで渋面だった彼の表情は職人の顔つきに変わった。
拡大鏡まで持ち出し、息をするのも億劫というように真剣に品評していた彼は、暫くしてため息をつきながら顔を上げた。
「……どっからこんなもん持ってきやがった。アクアサーペントの皮は俺も初めてみるが、確かにこいつにはサーペント種の特徴がある。間違いねぇ。しかもまだなめしてねぇのにこの手触り。こいつは上物だ」
呆れたように店主が言う。だがその顔はどこか楽しそうにも見えた。
「ここから三日ぐらいのところにあるチサ村の近くに出たんだ。もしかしたらまたお目にかかるかもしれないぞ」
「こりゃ大仕事の匂いがするな」
ニヤリと不適に笑いながら手に持った皮を丁寧にカウンターへと置くと、店主は俺達へと向き直った。
「こいつでローブを作りたいって? 勿体ねぇ。俺なら革鎧を薦めるぜ。こいつの革鎧なら金貨5枚の仕上がりを保障する。手数料はそうだな、銀貨10枚ってところか」
自信満々にそういう店主。かなり腕に自身がありそうだ。
しかし金貨5枚の革鎧か。革鎧にそこまで金をかけるという考えが今まで無かったから、そこまでする必要があるのか少々疑問だ。
ちらりと、それよりも高いだろう革鎧を装備しているスティアに視線を向ける。
「必要ありませんわ。わたくしの革鎧が何でできているか教えて差し上げましょうか?」
その言葉に眉をひそめた店主だったが、少しの間を置いて、突如がたりと騒々しく立ち上がった。
「おっ、おめぇ! その革鎧っ! も、もしかして……っ!?」
「ようやくお分かりになりました? アクアサーペントの革鎧なんて、必要ないのですわっ」
革鎧を見せびらかすように胸を張り、さらりと手で髪を払うスティア。
それを呆然と見つめる店主は、暫くしてから参ったという様子で、頭を掻きながらどかりと椅子に腰を下ろした。
「翼竜の革鎧なんて初めてお目にかかったぜ。そりゃ、アクアサーペントの革鎧はいらねぇなぁ……」
「ブーツも翼竜製なんですのよ」
「こりゃ参った。降参だ。俺が悪かった」
店主は呆れた表情を浮かべながら、自慢そうなスティアに諸手を挙げて見せた。
「なるほど、だからローブか。確かにそれなら選択肢としては悪くねぇか? この皮は蛇独特の柄模様も殆どねぇし鱗も目立ってねぇ。なめしてみねぇとまだ分からねぇが……普通の白いローブと見た目が変わらなくなりゃ悪目立ちもしねぇか……。あとは軽さが問題だが……」
皮の状態を見ながらぶつぶつとつぶやき始めた店主だったが、しばらく思考に耽った後、顔を上げてこちらを見る。
「で、あんたが装備するのか?」
「わたくしとこちらの方、二人分ですわ」
「おいおい、ちょっと待て。この皮は確かに上等だが大きさが足りねぇ。せっかく一枚もので仕立てられそうなのに、それじゃ別の素材との継ぎはぎになっちまうぞ」
スティアはその言葉を聞き、さらにもう一枚シャドウから取り出してみせる。
「まだ後三枚ありますの。なめし加工は全部お願いしますわ」
にこやかにそう返すスティアに、店主は魂が抜けたように天を仰いだ。