5.単純な理由
「王国のため尽くしてきた貴方様を排斥しようとするなんて、言語道断ですわ! そのような国でしたらわたくし、いえ、わたくし達も出て行きます! わたくし達はあの国や王子に尽くすためにあの場所にいたのではないのですから。……あ、貴方様のために、ですのに」
そこまで言うと彼女は俯いてしまう。この暗さでも、病的に白い肌が真っ赤に染まっているのが良く分かった。
隣のホシが満面の笑顔でこっちを見ており、非常にウザい。
バドは先ほどからずっとうんうんと頷きっぱなしだ。首から上以外全く動いていないため、言っては悪いが気味が悪い。
「そ、それに、ですね。貴方様がいない王都にあのまま留まっていたとしても、結局は出て行かざるを得ないと思うのですわ」
「そーそー。だってあたし達人族じゃないもんね。無理だと思うよー」
ホシはなんのことも無いように言うが、それを聞いたスティアの顔が、僅かに曇ったことを俺は見逃さなかった。
かつて英雄王ヴェインに敵対していた種族というのは、今日に至るまでずっと、人族に嫌悪感を抱き続けられてきた。
だから今回の戦争で王国側に味方をしたと言っても、なら過去のことは水に流して全面的に受け入れましょう! ――なんてことには絶対にならない。
三百年の長きに渡って、人族の敵だったと言い伝えられてきたのだ。当然の感覚だろう。
それだけに、今彼らを受け入れている王国にとっても、それが今後難しい問題となっていくのは間違いなかった。
ホシはともかく、スティアやバドはそれを身をもって体験している。
第三者の俺なんかよりも、よっぽど理解しているはずだった。
スティアは異様に白い肌もそうだが、明確にそれと分かるのは、その縦に細長い瞳孔だ。
これは正面から目を見ると誰でも分かる、人族との明らかな違いだった。
スティアは混血のヴァンパイア――ハーフヴァンパイアだ。
純血でないため故郷では煙たがられ、故郷を出ても人族との生活になじめず、非常に苦労していたそうだ。
だからか俺達と出会ったときは非常にキツイ性格で、言葉遣いも隔意を感じるかなり険しいものだった。
なお、瞳を見られないように長年注意して生活していた弊害で、初対面の人間と正面から向き合うのが未だに苦手だそうな。難儀なことだ。
ヴァンパイアはかつて魔王ディムヌスに加担し、英雄王ヴェインの敵勢力として人族と剣を交えた歴史がある。
それに加えて、ヴァンパイアは吸血人間であり、近づくと死ぬまで血を抜き取られると人族には言い伝えられている。
そんなこともあって、人族には非常に嫌悪されている種族だった。
以前これが事実なのかスティアに聞いてみたことがあるが、好き好んで血を吸うわけではないと言っていた。
むしろ、吸えるが不味いし、頼まれたとしても吸いたくもないらしい。
「貴様は、例えばどこぞのおっさんから血を飲みたいと思うか?」
と真顔で言われて、俺も妙に納得してしまった。
さて。ではなぜそんな話が人族に広まったのかという疑問だが。
スティアが言うには、他人の血に含まれた魔力を自分の魔力として吸収する能力がヴァンパイアにはあるらしい。
なので聖魔大戦の最中、そうして回復したところを見られ、それが伝聞で歪んで広まったのではないか、とのことだ。
ちなみに、ヴァンパイア達は今回の戦いではどちらにも組せず沈黙を保っていた。スティアとしては安堵したことだろう。
さて、次は俺を見上げているこいつ。ホシだ。
ホシはスティア以上に見分けがつかないが、前髪をぺろりと上げればようやく分かる。
髪の生え際、額の左右に一つずつ、小指の爪の半分ほどの長さだが、小さなツノが申し訳程度にちょこんと生えているのだ。
何の種族か本人に聞くと、明るく元気に「知らなーい!」と言われてしまうが、まあそんな特徴があるのだから、間違いなくオーガの子供だろう。
他にもオーガらしい特徴を持っていて、ホシは小柄な見た目からは想像が出来ないほどの、馬鹿力の持ち主だ。
今も小さな背中にメイスを背負っているが、それをまるで木の棒のように片手で軽々と振り回してくるのだから、たまったものではない。
その一撃は、盾で受けた人間を軽々と吹き飛ばす程。人の常軌を逸していた。
また、こんななりだが年も二十歳を超えていて、言動の幼さとは裏腹に、大人以上に頭が回ることもある。
これが年端もいかない少女に隊長を任せることのできた理由であった。
なお精神年齢は見ため通りだ。そこが難点っちゃ難点だった。
ちなみにオーガだが、彼らが人族と争った事例は聞いたことが無い。
我関せず、というよりたんに興味が無いのか、人族とは昔から不干渉を貫いている種族で、実物は俺も見たことがなかった。
だからホシがオーガというのも、未だに憶測の域を出ていないものだった。
そして最後。二メートル越えの巨漢、バド。
彼は見た目から予想される通り、ダークエルフだ。耳が長く突き出しているため、見た目ですぐに分かる。
肌の色も褐色で、明らかに人族ではなかった。
彼自身が説明できないため理由は良く分からないが、バドはまったく喋ることができないし、表情も常に真顔だ。
そのため周囲から気味悪がられ、人族だけでなく他の種族からも受け入れて貰えなかったらしい。
そんな彼が俺達と共にいるのは、ただの偶然だった。
以前王子軍として行軍しているときのこと。村の人間に、森の奥に変な生き物がいると相談を受けた俺達が、その頼みを受け森に入ったことで、奥で独り、ひっそりと暮らしていた彼と会うことになったのだ。
それ以降、彼はずっと俺達と共に行動するようになり、そして現在に至るわけだ。
彼の特異性について、最初のうちは良く分かってやれず不便な思いをさせてしまったが、どうも喋れないだけでなく文字も書けないようなのだ。
ただ、試しに文字を見せてみたところ、これはちゃんと理解できていた。
詳しくは分からないままだが、そういう呪いにでもかかっているのではないか、と言うことで根本的な理由は保留のままだった。
ちなみに。ダークエルフはかつて人族の敵に回ったが、今回は王子の尽力もあり、友軍としてその力を振るっていた。
というかダークエルフは俺が率いる第三師団に配属されていたため、俺もよく助けて貰ったものだった。
さて、ここで話を戻すが。
彼らが言うように、まだ人族と、それと異なる種族との間には、未だに深い溝があるのは確かだ。
しかしこれに関しては、彼らを受け入れると決めてから、王子が解決しようと尽力している問題でもある。
今はまだ難しいだろう。だがこれから徐々に良い方向に向かうと俺は思っている。
三人の心配も分かるが、俺は王子の苦心も知っている。だからこそ彼らの主張をそのまま受け入れようという気にはどうしてもなれなかった。
それに根無し草になる俺のこれからなんて、どうなるか全く分からないのだ。今ここで引き返せば、何食わぬ顔で王国軍に戻れるだろう。
一緒に行きたいという彼らに対し、俺は首を横に振る。
「確かに、今はまだお前達には厳しい環境かもしれない。だがな――?」
そう説得しようと話を始めた間際のこと。
「だがな禁止!」
「ぐふっ!?」
いきなり腹部に衝撃が走り、たまらず俺は地に膝を突いた。
「ちょっ!? ホシさん!?」
スティアの焦り声が頭上から聞こえる。そこでやっと気づいたが、どうやらホシに殴られたらしい。
いいパンチだ。俺に向けられたという一点を除けばな……! ぐふっ!
膝を突いた今になって、やっと腹部に激痛がやってくる。同時に脂汗がどっと流れ出した。
痛みを何とかしようと呼吸をしようとするが……やばい。息ができない。
スティアが慌てて膝を突き、俺の顔を覗き込んでくる。必死に呼吸をしようするが、自分の体は意思に反して全く反応しなかった。
「ちょっとホシさん!? エイク様に何をするんですか!?」
「だってー。えーちゃん面倒くさいんだもん」
「め、面倒くさいとはなんですか!? エイク様はわたくし達のことを考えて――!」
「そういうの、いらないんだよねー」
体を起こすこともできない俺の横で、何やら失礼なことをホシが言っている。
頭にきてなんとか顔を上げると、ホシは頭の後ろで両手を組んだまま、俺を見下ろしてニッと笑った。
「あたし達がえーちゃんと一緒にいたんだよ。それじゃ駄目なの?」
ホシの台詞に俺は目を見開いた。
俺の背中をさすっているスティアを見ると、彼女も不安げな表情ではあったが、小さく笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。バドも俺から視線を外さず、じっと見つめている。
激痛に苦悶する中、それに返す言葉を模索するも、結局の所何も出て来ない。
俺はただ沈黙するしかなかった。
俺は、俺の存在が王国軍内で体の良い攻撃の的になっていることを、嫌という程理解していた。
王国軍には多種多様の種族の人間がいるが、その中でも過去に人族と戦果を交えた歴史のある種族は、まだ人族との隔たりが非常に大きかった。
それを解決するには、もちろん人族を含むお互いの努力が不可欠ではあるが、それをしてもなお、ある程度の時間が必要だろうことは間違いなかった。
だというのに、だ。
俺が率いる第三師団には人族以外の種族ばかりが所属しており、そのことが問題を大きくする原因の一つになってしまっていた。
第三師団は元々、俺達山賊団だけで作られた小さな部隊だった。
しかしそこにスティアやバドと言った人族以外の人間が加わったことで、同じ立場の人間達が集まりやすかったのか森人族や龍人族らが加わり、そうして徐々に人数を増やし規模が大きくなって、今の第三師団という形になったのだ。
当時はそれを特になんとも思わなかった。しかしこれが今になって人族と異種族との軋轢を生む要因になるとは、誰が想像しただろう。
普通の感覚で考えれば、自分の所属している師団の長がよく扱われていないというのは、師団全体の士気に関わる問題になる。中には不満に思う者もいるだろう。
俺が冷遇されることで、部下の皆が不満を溜め込む。その不満が人族との対立を助長し、溝をより深くしていく。
なら、問題の核である俺自身がいなくなれば、その問題も次第に収束するのではないか。きっと俺がいなくても、王子なら上手くやってくれるだろう。
王子に後を託してあの場所を去る。
これが、俺が王国を出奔した本当の理由だった。
……ただ、そんなことはこいつらには関係の無い話だったようだ。
こいつらの中にあるものはそんな小難しい話じゃない。もっと単純で、誰にでも分かる簡単な理由。
そして、俺にはそれを嬉しく思う気持ちはあれど、拒絶する理由も、感情も、理屈も何も。そんなものは何一つ、持ち合わせてはいなかった。
「この……アホ」
なんとかひねり出した返答を一つ口にする。
そして次第に気が遠くなり、俺の視界は暗転した。
「あ、力入れすぎたかも」
「貴方様ーっ!?」
どこか遠くでそんなことを言われているような、そんな気がした。