42.薬草採集
セントベルから出て北を向くと、すぐその明媚な姿を見せるのが、王国の中央に鎮座し国土を横断するように連なるゼーベルク山脈だ。
門衛達に割符を貰い町から出た俺達は、散歩でもしたいような温かな日差しの中、北に広がる平原をゼーベルク山脈目指して真っ直ぐ進んでいく。そうして歩くこと一時間ほどで、山脈の麓に広がる大きな森が眼前に姿を現した。
この森は、ゼーベルク山脈に沿うようにして山裾に東西に広がっている、非常に広い範囲を占領している樹海である。実を言うと、チサ村の北側にあった森もその樹海の一部だった。
奥地に足を踏み入れれば高ランクの魔物がひしめく魔境だが、とは言え森から得られる財は無視できないほど大きい。
魔物の素材や稀有な植生。俺達が今回目的としている薬草もまた、群生地というのはこの森以外には殆ど見られず、その財のうちの一つ、というわけだった。
「ロナ、悪いが≪感覚共有≫を切るぞ」
《はい、分かりました》
特に何事もなく北東の森に辿り着いた俺達は、早速スティアを先頭に、ホシ、リリさん、俺の順番で足を踏み入れようとしていた。
リリさんの視界に入らないように注意し、小声でロナと会話をする。今魔族達と俺達に使っている≪感覚共有≫を切ってしまうためだ。
この森にアーススパイダーが生息しているとの話であるため、念のために≪感覚共有≫を使って対策をとりたいという理由があったからだ。
森の奥に入らなければ生息していない魔物らしいが、用心するに越したことはないのだ。
《すまん大将。後で少し時間をくれないか》
≪感覚共有≫を切ろうとすると、珍しくオーリが話しかけてきた。
しかしここで長話は不味い。後でな、と話を打ち切っていると、それと同時にリリさんがくるりとこちらを向いた。
「それでは行きますか?」
「ああ、ちょっと待って」
森に入る前に≪感覚共有≫を使ってこの辺りの様子を調べてみよう。
俺は前方の地面に向けて自分の魔力を浸透させるように広げていく。
「≪感覚共有≫!」
そこそこの範囲に広がったのを見計らい≪感覚共有≫を発動する。こうすると、土の中にいる生物に≪感覚共有≫がかかることになり、それらの情報が分かるのだ。
俺は周囲の感覚に意識を集中する。土の中で何かもごもごと動いている小さい反応が結構あるが、これは大きさからモグラかなにかの小動物だろう。
この周囲の地中には大きな反応はどうも無い様子。今のところアーススパイダーはこの前方三百メートル以内にはいないようだった。
「この辺りにはアーススパイダーはいないみたいだな。それじゃウィンディア、警戒を頼む」
「承知しましたわ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 分かるんですか!?」
俺達のやりとりにリリさんが目を丸くし、慌てた様子で話しかけてきた。
俺の≪感覚共有≫は五感を共有することができる支援魔法だ。他にも感情を共有することもできるが、今は関係ないので割愛する。
さて今俺が何をしたのかというと、地面の中にいる生物に触覚の共有をかけたのだ。土の中で身じろぎしている感覚を俺に伝えるようにしたわけだな。
これならアーススパイダーがいるかどうか簡単に知ることができる。
問題は魔法をかけた対象にほぼ間違いなくこちらを気取られることと、広範囲に魔法をかける必要があるため、俺の消費魔力が激しいという二点がある。
気取られることに関しては、アーススパイダーから離れた位置で≪感覚共有≫を使っているし、奴らはそもそも巣から動かないから問題はない。
だから問題になるのは魔力の消費についてのみだけだ。
情報を得た後にすぐ解除できるとは言え、これだけの範囲に魔法をかけるというのはやはり相当に魔力を使ってしまう。今の感覚からすると、十四、五回使うと魔力が底をつくだろう。
そう考えると、戦闘に魔法を使用できるほどの余裕が俺にはない。しかし今はリリさんという魔術師も加わっているため、魔法に関してはスティアとリリさんに完全に任せることができる。これは非常に助るところだった。
「俺の捜索範囲から外れたらまた声をかけるから、それまで進もう」
まだ納得できかねるのか躊躇いがちに頷くリリさんを促し、俺達は森の中へと足を踏み入れた。
------------------
「≪感覚共有≫!」
捜索範囲の外れ付近で、俺はまた≪感覚共有≫を前方三百メートルに対してかけ様子を探る。
これで六回目になるため、森の入り口から二キロメートル近くまで探ってみたことなるが、今のところアーススパイダーの反応は返ってきていない。やはり森の手前には生息していないらしい。
「薬草、生えてないねー」
「そうですねぇ……」
きょろきょろと周囲を伺いながら呟いたホシの独り言に、リリさんが律儀に反応して返した。
警戒をスティアに任せて俺達三人は薬草探しに勤しんでいるのだが、見渡す限りそれらしきものは全く生えておらず、早速躓いてしまっていた。
薬草の収集なんてそんなに難しいものではないと考えていたのだが、少々甘かったかもしれない。
遠くで何かが動いたような気がして、そちらに目を向ける。すると、木々の間からホーンラビットが立ち上がり、こちらを向いている姿があった。
俺と目が合ってしまったせいか、ホーンラビットはすぐに背を向け、あっという間に森の奥へと走り去って行く。
「収集依頼が沢山あるようだから、森の入り口付近のものは粗方取られたのかもしれないな」
白い背中と丸い尻尾を見送りながら誰ともなしに声をかけると、三人が同時にこちらを振り向いた。
皆が皆、「どうする?」とでも言いたげな顔をしている。
「まあ、もう少し奥に行ってみよう。まだアーススパイダーもいないみたいだし。ウィンディアはどうだ?」
「今のところ、あまり魔物の気配はありませんわね」
そう答えながらスティアは近くの木をちらりと見る。
俺もつられてそちらを見ると、両腕で抱えるくらいの太めの芋虫がよじよじと、木の幹をゆっくり登っていく所だった。
「それじゃ行こう。警戒を頼む」
「承知しましたわ」
俺達はまたスティアの先導のもと森の奥へと足を進める。
今のところ魔物との交戦は無いため順調に進めているが、森に入ってからもうそろそろ一時間が経とうとしている頃合いだ。
もう森の入り口とは言えなくなる距離まで来ているのだから、その点も注意しなければならない。
久々に弓を使うため、すばやく射掛けられるかちょっと心配だ。
後ろ手に矢筒の位置を確かめると、矢羽根が柔らかい感触を指に返した。その反応に少し安堵し気を引き締めなおしていた、そんな時だった。
「皆さん、警戒を」
スティアの右手が上がり警戒が促される。険を帯びた声色に、危険が近くに迫っていると察し、俺はすぐにリリさんの前へ飛び出し、目で彼女に合図する。
リリさんもそれで気付き、わたわたとしながらもすぐに後方へと下がる。まだ慣れてないから反応が遅いのは仕方が無い。
そのために俺がフォローに入っているのだし、徐々に慣れていけば問題なしだ。
「前方から何か来ますわ! ホ――アンソニーさんっ!」
「おっけー!」
ホシはスティアの声にメイスと”手盾”を構えると、すぐさま彼女の前に陣取る。
一呼吸程置いた後、それらが眼前に姿を現した。
「ファングボア!」
二匹のファングボアが猛スピードでこちらへ迫ってくるのが見えた。
まるで親の敵とでも言わんばかりに、わき目も振らずにこちらへ猛然と突進して来る。
ホシはそれを見て油断無く盾を構えるが――
「あれっ?」
二匹のファングボアはホシの脇をそのまま素通りする。さらにその後ろに居たスティアの脇まですり抜けると、俺とリリさんの方へと一直線に突進してきた。
「えっ!? あ、ちょっ!? み、水の精霊よ――!」
予想外の行動に、リリさんはあわあわと慌てながら詠唱を開始する。二メートルを優に超える巨体が猛スピードで迫ってくるのだ、焦るのは分かる。
――が、俺はこれに待ったをかけた。
「リリさん詠唱ストップ!」
「阻む者を――は!? えっ!?」
俺はリリさんの傍まで一足飛びで駆け寄ると、くるりと反転しながら彼女を背にして短剣を逆手で引き抜く。
向いた先ではもう目前までファングボア達が迫ってきており、俺の両脇から一斉に飛び掛って来た。俺は油断なく短剣を構えると、深く腰を落としそれを迎え撃つ。
あわや突撃される――!
……かと思いきや。そんな俺には目もくれず、ファングボア達は俺達すらも素通りしてさっさと逃げて行ってしまった。
俺は一つため息をつくと、抜いた短剣を鞘へと戻した。
リリさんには説明する暇も無かったが、ファングボア達は俺達を襲うために飛び出してきたわけじゃない。何者かから逃げてきたのだ。
感情を薄っすらと感じられる俺には、ファングボア達の焦りと恐怖が伝わってきたのだ。あそこまで恐慌状態になっていれば、俺達になど目もくれないはずだ。
さてここで問題は、ファングボア達が何から逃げ出してきたのか、ということなんだが。
「な、何が? ――っ!?」
慌てふためくリリさんの言葉は最後まで続かなかった。
俺や彼女の疑問に答えるかのように、先ほどのファングボアよりも大きな魔物が二匹、その後を追って姿を現したのだ。
「なるほど、ワイルドベアか」
『ガァァァァッ!!』
地面を揺らしながら現れたワイルドベア達は、俺達を見つけると威嚇するように後ろ足で立ち上がり、森中に響き渡りそうなほどけたたましく吼えた。
ビリビリと、肌でも感じられるほどの荒々しい重圧は、北東の森の頂点に君臨することを証明するかのようだ。
その大きさはかなりのもので、奴らの目の前にいるちっこいホシと比べると、体躯が三倍以上は違っているように見えた。
「こりゃ連携の確認は無理そうかな……」
予想以上の大物に俺は弓を持ち直すと、矢を一本矢筒から引き抜きながら、誰にともなくそう独り言ちた。