4.闇討ち②
「貴方様、痛いですわ……」
「うぅ~っ。痛い~……」
頭に鉄拳を喰らったスティアとホシは、頭を抑えその場でうずくまっていた。
バドにも同様に喰らわせようかと思ったが、しかしフルフェイスヘルム越しでは流石に無理だ。
彼だけは勘弁してやろう――と思いきや。何を思ったかバドはヘルムを脱ぎ、頭をこちらに差し出してきた。
随分潔いことだ。その態度に免じ、とりあえずポコンと軽く叩くだけにしておいた。
「はぁ……」
先ほどまでの緊張感が瞬く間に霧散していく。それに溜息を吐きながら、俺は外套のフードを脱いだ。
「で? お前ら、何でここにいた?」
「それは勿論! エイク様親衛隊だからで――あ、いひゃい! いひゃいですひゃ!」
わけの分からんことを言うのはこの口か。懲りない様子に右頬を引っ張ってやると、スティアは涙目で俺に抗議する。
バタバタと暴れるため手を離すと、彼女は頬をさすりながら批難するように俺を見た。
彼女はスティア・フェルディール。親衛隊が何かは知らんが、これでも第三師団の第一部隊、その隊長を任せていた人物だ。つまり俺の元部下の一人である。
腰ほどまである長い銀髪と、まるでルビーのような赤い目が特徴の女で、すらりとした細身の体と長い銀髪とが相まってその美しさを際立たせている。
だが頬と頭をさすりながら涙目で唸っている今の姿は、残念極まりないものだった。
俺は彼女に視線で説明を促す。スティアはまだ涙目で唸っていたが、しかしこちらを見ながらやっと話を始めた。
「貴方様が王都を出て行くと聞いて、ここでお待ちしていたのですわ。それなのにいきなりこの仕打ちはあんまりですわ! わたくしとしては、『ああ! スティアッ! 俺のことを待っていてくれるなんて! 感激したぞ!』『ああ、貴方様っ!』……っとこんな感じで、熱い抱擁を期待しておりましたのに。そ、それに、その、その先まであったりなんかしちゃったりとか……! ひゃーっ! うへへへへっ!」
何だコイツ。一人でもだえ始めた。
まあスティアのことは今はどうでもいい。それよりも、だ。
俺は彼女が言った台詞に動揺を隠せなかった。抱擁がどうとかのほうではない。俺が王都を出ることを聞いて、というところにだ。
俺は誰にも知られないように計画をしたのだ。だが、俺が出奔することを知っている者がどこかにいたのだろうか。
もし筒抜けであったのなら、もう追っ手が放たれている可能性が高い。ならこの計画はすでに、破綻していると言っても良かった。
不安になるようなことを言い出した張本人は、俺の様子など目に入らないようで、自分の世界に陶酔し、両手を頬に当ててクネクネしている。
だがまあ、こんなのはいつものことだ。特に気にもせず、俺は会話を続けた。
「おいスティア。俺が出奔するって話、一体誰から聞いた?」
「うへ? ……んんっ! こほん。わたくしはホシさんからお聞きしましたわ」
正気に戻ったスティアはそう言って、頭をさする少女を指差した。
彼女はホシ。見た目ちっこい少女であるが、これでも第三師団の第三部隊隊長を任せていた人物で、スティア同様俺の元部下であった。
緋色の髪を首の辺りで切りそろえている、髪と同じ色のくりっとした目が非常に可愛らしい少女だ。
身長も俺より頭二つ分ほど小さく子供にしか見えないが、実のところこれでも二十歳を超えている、割と年を食っている少女なのである。
顔を向けるとホシと目が合う。するとホシは、にぱっと屈託の無い笑顔を返した。
まるで邪気のない笑顔だ。だがなぜかイラッとした俺は、笑顔のお返しに、その頬を両手で挟んでムニムニと潰してやった。
「ホシ、その話どこから聞いた?」
「ん? 誰にも聞いてないよ?」
「誰にも聞かないでどうして分かるんだよ!」
「えーちゃんのことなら大体分かるよ! んーっと、雰囲気とかで!」
顔を潰されながらホシは元気に答えてくれた。つまり、俺の行動からなんとなく想像がついたホシが、この二人に相談したせいでこんな事態になったらしい。
俺はがっくりと頭を垂れ、ホシの頬を潰していた手を離した。
普通なら「そんなもん雰囲気で分かるか!」と言いたいところなのだが、こいつだとあり得る話だから困る。
気づかれないように注意はしていた。が、ホシの方が一枚上手だったようだ。
納得してしまった自分と理由に脱力したせいか、大きなため息が一つ漏れた。
ホシは俺との付き合いが非常に長く、実は山賊時代からの仲間だったりする。
そのため俺もよく知っているが、こいつは昔から、勘が異常なまでに鋭い性質だった。
役に立つことも多いが、逆に先回りされて困惑することも多いのが難点だ。
しかも自分勝手に思うがままに行動するものだから、こちらが振り回されることも多かった。
そう。今回のように、だ。
恨めしい視線をホシに向ける。すると彼女は白い歯を見せて、ニーッと笑った。
うん、いい笑顔だ。ちくしょう。
「その話、この二人以外に誰かにしたか? ビリビリコンビには?」
「あーちゃんとくくちん? ううん、してない」
「スティアは?」
「しておりませんわ」
スティアとホシは揃ってふるふると首を横に振った。あの二人もいるのかと不安になったが、どうやら杞憂だったようでひとまず胸を撫で下ろす。
ビリビリコンビとは、第三師団の第四と第五の隊長のことだ。
異名にどちらも雷に関する言葉が入っているためビリビリコンビと呼んでいるが、特にコンビを組んでいるわけではない。
なぜ安心したかと言えば話は単純で、第五部隊の隊長ククウルはトラブルメーカーのため、こういった場合に連れて行きたくないし、第四部隊の隊長アゼルノは俺がいなくなった後の混乱を上手く鎮め、第三師団の皆をまとめ上げることができるだろうと期待していたためだ。
念のため、俺は真ん中に直立不動で立っている彼にも問うように目を向ける。
だが彼もまた他の二人と同様に、ふるふると首を横に振った。
彼はバド。こちらも同じく俺の部下だった男で、第三師団の第二部隊隊長を任せていた人物である。
褐色の肌に短く切った白髪が特徴的な大柄な男で、男でも二度見するほど端正な顔つきをしている。そう、俗に言うイケメンという奴だ。
だがそれよりも目立つのが、全身を覆う真っ黒なプレートアーマーだろう。
色もそうだが、優男然とした顔に似合わない重厚な鎧を装備しているため、非常にアンバランスに見えるのだ。
だがしかし何を隠そう、彼は首から下が鋼のように鍛え抜かれた筋肉で覆われている超絶筋肉男なのである。
彼の場合、人間というか、もう筋肉だった。
ちなみに。彼のことをバドと呼んでいるが、これは本名ではない。
理由は知らないが、彼は言葉を一切喋ることができないらしかった。
なので便宜上俺が仮の名前をつけたのだが、意外と気に入っているようだった。
喋ることができないのだから、今回のことは誰かに伝えようもないのだが、しかし念には念を入れておく。
というのも最近、彼は喋ることができない代わりに、ボディーランゲージで意思の疎通をしようと工夫しているからだ。
今も表情を崩さず真顔のままだが、何か伝えようとさっきからクネクネと妙な動きをしている。正直ちょっと不気味で怖い。
「しゃどちんに聞いてみればいーんじゃない?」
「ん? あー、うん、そうか? まぁ一応聞いておくか。シャドウ、他に気づいた奴はいそうか?」
ホシに言われ、念のためにと下を向く。そして俺が声をかければ、突如足元から黒いものが脛の辺りまでニュッとせり上がってきた。
そのウニョウニョと蠢く黒いものは、次第に人間の手のような形になっていく。そして俺の質問を否定するように、その手を何度か軽く左右に振った。
どうやら知っていたのは本当にこの三人だけらしい。
危惧していた事態でないことを知り、俺は一先ず胸を撫で下ろした。
今俺の影から出てきたのが、俺の頼れる相棒、シャドウだ。
彼は――と言っても性別など分からないが――見ての通り人間ではない。どうもナイトストーカーという魔物らしかった。
文献には、”意思を持たず、いるかどうかもよくわからない陽炎のような魔物で、何かの影に潜んでいることがある”……などと書いてあったが、それ以上生態が良く分かっていない奇妙な魔物らしい。
それがいつの間にか俺の影の中に潜り込んでおり、今に至るわけである。
彼は俺を宿主と思っているのか、俺の頼みを素直に聞いてくれる。そのため、良く分からない生物なのだが愛着が沸いてしまって、安直ではあるがシャドウと名前をつけてそのまま好きなようにさせている。
意外なことに彼の戦闘能力は非常に高く、弱い俺にとっては非常にありがたい存在となっていた。
シャドウは俺の質問に答えた後、そのまま地面にとぷんと沈む。
その場には元々何も無かったかのように、俺の影だけが残った。
「で、一応確認だが、何でここで待ち伏せしていたんだ?」
俺は顔を上げる。
するとスティアは明らかに不機嫌そうな表情になった。
「貴方様、いけずです。聞かずとも分かっておいででしょうに」
「すーちゃん。えーちゃんはね、分かっててもこうやって聞くの。ね!」
「ええ、分かっていますとも。エイク様のことは、このわたくしもよぉーーっく存じております。ですから、いけずだと申し上げたのですわ」
ホシが俺に同意を求めるように聞けば、スティアもむっとした顔を崩さず首を縦に振る。
横でバドも同様にうんうんと頷いていた。
「でもな、王都にいればお前達だって安泰だろ? 今までの功績があるし、仲間も多い。後ろ指を指される謂れもないし、そうだとしても気にする必要も無いだろうが?」
「貴方様のように、ですか? じょぉーーだんっ! じゃありませんわっ!」
「せんわー!」
不機嫌そうに言うスティアに、ホシがにっこにこで続く。スティアは不愉快だと書いてある表情のまま一歩踏み出し、俺の目の前で立ち止まった。
俺を見つめるスティアの表情は明らかに怒っているものだ。にも関わらず、俺の目にはどこか、泣きそうな顔にも見えてしまった。
どうにも居心地が悪くなった俺は、それを直視することができず、最後には目を背けてしまった。