343.向かうべき場所
昨日はあれから何だかんだあって、結局村長の家に一泊させてもらった。
朝発とうとする俺達に、村長一家は「本当にありがとうございましたっ!!」と深々と頭を下げ、村を出るまで見送っていた。
全く、人を始末しておいて感謝されるとか世も末である。
何ともいえない気持ちが胸に湧く。が、同時に帰ってきた実感もあった。
妙な気分に、街道を歩きつつ頭をがりがり掻いていると、そんな俺をいぶかしんでか、隣を歩いていた美女が俺へ声を掛けて来た。
「貴方様、どうかなさいました?」
白いローブから零れる美しい銀髪をさらりと流し、こちらを見るのはスティアだ。闇夜族特有のルビーのような赤い目が、俺を不思議そうに捉えている。
俺は彼女へ肩をすくめつつ、今の心境を口にした。
「人をブッ殺しといてああも感謝されるとか、どうにも変な感じがしてな」
「あのような連中は始末されて当然では? 生かしておくこと事態が社会の損失かと。貴方様が気になさるような事ではありませんわ」
「おーおー、怖ぇ怖ぇ」
人族嫌いのスティアらしい。つんと澄まして手厳しい言葉を放つ彼女に、俺は思わず笑ってしまった。
「あの人達喜んでたから良いじゃん。て言うかえーちゃん、何気にしてるの?」
すると今度は俺の少し前を歩いていたホシがくるりと振り返る。緋色の髪がふわりと揺れて、くりくりの両目が俺を見た。
「……はっ。平和ボケしたかもな。俺らしくもねぇ」
「平和ボケ? ずっと戦争してたのに?」
「それはそれ。これはこれだ」
確かに俺は五年近くの間、王国軍の第三師団長として、そしてホシ達はその大隊長として魔族と戦ってきた。
その間戦いは絶えずあったが、しかしそれは国と言う大きな規模の戦いであり、こんな治安の悪い領の、先程のようないざこざとは全く別のものである。
だが見た目少女、実際ニ十を超えるオーガ族の二十超歳児には、そんな理屈はどうやら難しかったようだ。よく分からないという顔で、こてりと小首を傾げてしまう。
そんな彼女の頭にポンと手を置いたのは、隣を歩くバドだった。
ダークエルフのバドはなんの理由からか話す事ができず、表情も常に真顔である。また、彼の見た目は二メートルを超す巨躯に全身を覆う発達した筋肉と、かなり厳ついものであった。
更に今は黒の全身鎧を着ている事もあり、相当威圧感がある。しかし彼の見せる仕草を見たならば、彼の人となりはすぐに察せるだろう。
ホシもバドを見上げてにへへと笑う。そんなホシの頭を撫ぜるバドは、顔こそ感情の伺えない真顔ながら、手つきは非常に優しいものだった。
和んだ空気にふっと鼻から息を吐きだして、俺は腰に両手を当てた。
「この辺はまだ領の外れすぎて俺達の縄張りじゃねぇからな、あんなバカも出るか。あの村の連中も奴らを俺達にけしかけやがったし、もうちょい気ぃつけて行くか」
「そーだぞ、えーちゃん」
「うるせー」
鼻をぎゅっとつまんでやれば、ホシは「むあー」と声を出す。これにスティアはころころと、口に手を当て笑っていた。
王都から出発して早四か月。俺達はやっと目指していた俺の故郷、オーレンドルフ領へ辿り着いた。
オーレンドルフ領は王国きっての貧しい領である。そのため昨日のような、力に物を言わせて他者から搾取するようなゴロツキが嫌という程のさばっており、出会わない日の方が珍しいくらいの治安の悪い所だった。
まあ俺もかつてはそのゴロツキの中の一人だったため、その是非をどうこう言うつもりはないが。
だが、この人死にがごく身近にある雰囲気はあまりにも故郷独特のもので。
それを俺は今どうしてか、少し異質に感じてしまっていた。
昨日、俺達はあの名も無い村で、適当な場所を借り、そこで一晩過ごそうと思っていた。ところが村人の一人がわざわざ話しかけてきて、村長の家なら泊まれるかもと、俺達に言って来たのだ。
なので俺は珍しいなと思いつつも、その村長の家に行ってみたのだが。結局ゴロツキと鉢合わせてあの様である。
よくよく考えれば、こんな貧しい村で、俺達のような身元の分からない者達を村の人間が歓迎するはずが無い。
つまり村の連中は俺達とゴロツキを鉢合わせさせて、潰し合わせようとしたのである。全く油断も隙も無いとはこの事だ。
五年前だったら俺もその思惑に気付いただろう。だがそれに気づかずほいほいと村人の思惑に乗ってしまったという事はつまり、俺もいつの間にか王都にかぶれてしまったようである。
かつて羨んでいた華やかな都市、王都。そんな場所にいつの間にか馴染み、故郷を異質に感じた自分がどうにも妙で、変な気分だ。
まああの村長一家を助ける事もできたし、俺達の名を騙るバカも始末できたため、そう悪い結果にはならなかったが。
とは言え、この悪い意味でも良い意味でも人間が逞しい領の空気は、非常に独特だ。早く元の感覚に戻した方がいいだろうな。
あの村長一家が始末した男達の身ぐるみを剥がし始めた時、一瞬ぎょっとしてしまったし。この領じゃそんなもん当然だってのにな。やれやれだ。
「貴方様、そう言えばこの先、どこへ向かうおつもりですの?」
そんな事を思っていると、スティアがこちらに目を向ける。バドもうんうんと頷いており、俺は頭に手をやった。
「あれ、言ってなかったか。まずは当然――」
「あたし達のアジト! だよね!」
俺が答えようとすれば、バッと元気に手を上げたのはホシだった。
「バカっ、でかい声出すんじゃねぇ。誰かが聞いてたらどうすんだっ」
「誰もいないよーだ!」
でかい声を出した事を注意するが、ホシはべーっと舌を出して憎まれ口を叩く。
全く、いつまでも子供で困るぜ。誰かが聞いているかどうかでなく、そもそも大声出して言う事じゃねぇってんだよ。
俺はホシの鼻先をピンと人差し指で弾いた後、またスティアに顔を向ける。
「こっから東に行くと俺達のアジトがある。他に寄るべき場所もないしな、まずは真っすぐそこに向かうつもりだ」
天秤山賊団のアジトは、このオーレンドルフ領のやや北西にある。そこにある理由は、この領の北西部にある、王国南部と北部をつなげるトンネルにあった。
トンネルの近くにアジトを構える事で、そこを通る商人から通行料として物資を頂くわけだ。この貧しい領に行商で来る商人などまずいないが、北へ抜けようとする者は少なくない。そのためそこを抑えるのが一番だったのだ。
まあ他にも、オーレンドルフ領の中央、ガレハにも近いという理由もあるにはあったがな。
「分かってると思うが、他言無用だぜ」
「勿論、承知しておりますわ」
スティアがウインクしながら人差し指を唇に添えれば、バドも両手で口を塞ぎ、こくこくと大げさに頷いた。
「ガザ、お前らも頼むぜ。何があるか分からんから、一応な」
俺は目を落としながら言う。そこには俺の影があるだけだが、しかし返事はどこからか、確かに俺の耳に返って来る。
《分かった。絶対に言わないと誓おう。お前達も、いいな?》
《勿論です! 絶対に、誰にも言いません!》
《当然だな。俺も、誰に何をされようと口は絶対に割らん》
《俺もだぜ! ま、言う相手もいねぇけどな!》
《大将はそういう事言ってるんじゃないでしょ……》
それは俺の影の中に匿う、魔族ら五人であった。
ガザが他の皆を促せば、ロナ、オーリ、デュポ、コルツの順で返事がある。かと思えば俺の影も、任せろとでも言うようにぶるりと震えた。
俺の影に住み着く謎生物であるシャドウ。魔族達は正確に言えば、彼が中に入れて匿っている状態だった。
だがシャドウの生態は謎に包まれている。この前彼が闇の精霊であると判明したものの、精霊という生物がどんな生態なのか謎なため、結局彼が謎生物である事は何も変わらないままだった。
「お父様とノエルは聞こえていないようですわね……」
と、そこで困ったように言うのはスティアだ。シャドウの中には他にも、スティアの父親であるレイグラムさんとノエルが住んでいる。
だが彼らは昼夜逆転の闇夜族だ。今の時間は寝ている時間のため、彼らから返事は当然無かった。
「まだ寝てるんだろ。ま、後で言っておけば良いさ」
「貴方様、申しわけありません……」
「気にすんな。あの二人がべらべら喋り回る姿なんざ想像できねぇし、後で言っとけばいいだろ」
「では、わたくしが責任をもって伝えておきますわねっ」
適当で良いと流した俺に、スティアが妙に真剣な顔つきで言うものだから、俺は思わず噴き出しそうになってしまった。
スティアの親父さんは闇夜族の中でも、かつて夜王とまで呼ばれた男である。そしてノエルはそんな彼に三百年以上付き従って来た、歴戦の護衛――今はメイドをやっているが――であった。
昔の立場、そして積み重ねて来た年齢もあって、彼らが不用意にべらべら喋り回る人間には思えない。だと言うのに実の娘であるスティアがこうも神妙なのが、俺の目には非常に滑稽に映ったのだ。
スティアは最近まで父親と不仲だった。だがそれには理由あっての事で、それが分かって以降、父と娘の関係は傍目にも非常に良好だった。だというのにだ。
娘が今見せるのはこのなんとも妙に気負った反応である。俺の息子娘達なら、「あのバカ親父には後できつく言っておくよ!」と軽く笑い飛ばすぐらいしそうなもんだというのにだ。
気安さゼロ。きっと普通の親子としての関係を築けるのには、まだまだ時間が必要なんだろうな。
まあ任せておいて不都合はないし、面白いから放っておこう。これも親子の関係改善の一つになるだろうし、野暮な事は言うまいて。
「そんじゃ頼むわ。親父さんとノエルによく言って聞かせておいてくれよ」
「任せておいて下さいまし!」
まるで子供を躾けるように冗談めかして言えば、スティアはふんと鼻から息を吐きだして、両手をぐっと握りしめる。
俺はついに我慢ができず、ブッと噴き出してしまうのだった。




