37.生命の秘薬
冒険者ギルドを出た俺達は、クルティーヌに戻る前に一つの商店へと立ち寄っていた。
ドアを開けると来店を知らせるベルがカランコロンと店内に明るく響き、俺達を歓迎する。しかし中に入った俺達を迎えたのは、非常に辛気臭い様子の女だった。
彼女は正面のカウンターに座り、気だるそうに頬杖をついている。さらに俺達が入店したにも関わらず、ちらりと視線を向けただけで声をかけても来ない。
それどころかツイと視線を反らし、深々と溜息を吐いてすらいた。
「なんだか陰気な店ですわね」
その様子が気に入らなかったからか、特に声を落とすことなくポツリとスティアが言い放つ。
その声が聞こえたからだろう。店員は外した視線をまたこちらへと向け、じろりとこちらを睨め付けた。
俺達がここに立ち寄ったのは他でもない、生命の秘薬を探していたからだ。
ガザの様子は小康状態ではあるものの、まだ予断を許さない状態だ。彼を救うと決めた以上、できることはしてやりたかった。
冒険者ギルドでグッチに薬を扱っている店を聞いたところ、ギルドの近くにあるこの商店がお勧めだと紹介されたので来てみたが、しかし見たところ繁盛しているようにも見えない。
大丈夫かと言う不安が頭をよぎる。だが、まあ無ければまた別の店を探すだけだな。
まずは聞くだけ聞いてみようかと、カウンターへと近づいたときだった。
「傷薬なら無いわよ」
一歩踏み出したところで、不意に向こうから声がかかる。不機嫌さを隠すつもりも無いその声に、踏み出した足が止まった。
「傷薬?」
「そうよ、傷薬。あんた達冒険者よね? 大方傷薬を探してるんでしょうけど、うちは品切れ。他を当たって頂戴」
店員は面白くなさそうにしっしっと片手で追いやるような仕草をした。
「ちょっと貴方、いくらなんでも失礼じゃありませんこと?」
その様子にスティアは眉を寄せるが、店員は何処吹く風といった様子だ。大儀そうにため息を一つつくと、半身を引いて後ろの棚を指差した。
「見なさい。傷薬の棚はどれも空なの。傷薬はぜーんぶ売り切れ! こっちに売れるものなんて無いのよ!」
最初は気だるそうにしていたが店員だったが、事情を話しているうちに段々と腹が立ってきたのか声が荒くなっていく。何が何やら知らないが、随分腹に据えかねているみたいだ。
ただどうも勘違いしているようだが、俺達は傷薬なんて買いに来ていない。八つ当たりもいいところだ。
黙って聞いてやる義理も無いため、ヒートアップしてきた店員を軽く手で制した。
「そりゃご愁傷様だがちょーっと待った。俺達は傷薬を買いに来たんじゃないぞ?」
「じゃあ何よ! 言っておくけど解毒薬も気付け薬もなし! もちろん他の薬だって在庫ゼロよ! ふんっ!」
カウンターを両手で叩くと、彼女は文句あるかと言うようにそう捲し立てた。
その勢いには感心するが、冒険者なんて気の荒い奴もいるだろうに、それで店をやっていけるのだろうか?
見知らぬ客にいきなり突っかかるなんて若気の至りだろうかと、他人のことながらちょっと心配になってしまった。
「生命の秘薬も無いのか?」
「そうよ! 生命の秘薬だって無いわよ! ――って、え?」
「じゃあしょうがないな。他を当たるか……」
「貴方様、早く参りましょう?」
不機嫌そうなスティアに促され、なきゃ仕方ないと踵を返そうとしたところ、
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
と、後ろから慌てたような声がかかった。
今度は何だと振り向けば、何やら慌てた様子でカウンターから身を乗り出している店員の姿が見えた。
「生命の秘薬!? 生命の秘薬ってあの生命の秘薬!?」
「あの生命の秘薬がどの生命の秘薬か知らないが……生命の秘薬は生命の秘薬だろ?」
「ちょ、ちょっと待って! 今探してくる! あれ店の奥にあるから!」
「え? いや、等級とか――ああもういねぇや……」
どの等級があるか聞こうとそちらに向き直るも、それを聞くことも無く彼女はドタバタと慌てた様子で店の奥へと引っ込んで行った。
あるなら確かに買いたいが、一等級の生命の秘薬なんて金貨が軽くブッ飛ぶものを持ってこられても買えないぞ?
「何なんですの、あの店員……」
「さあ……」
俺が知りたいよ。困惑しきりだ。
「棚の中、なーんにもない! 全部空っぽ!」
そんな俺達の様子をよそに、ホシがちょこちょことカウンターまで駆け寄り、カウンター越しに棚を見ながら指差した。
確かにカウンターの奥にある棚には何も乗っておらずガランとしている。上から下まで綺麗に空っぽだ。本来ならあそこに売り物の薬が並んでいたんだろうか?
空っぽの棚を遠慮なく眺めていると、また店の奥からドタバタと物音が聞こえ、店員が転がるように戻ってきた。
「あ、あった! ありました! あったんですよ! ほらこれ! 生命の秘薬! はい! 私! 売る! 貴方達に生命の秘薬!」
「ちょっと貴方……もう少し落ち着きなさいな」
急に片言になった店員にスティアは呆れ顔だ。うん、多分俺も同じような顔をしていると思う。
店員は頬を上気させながらも手に持った瓶を二つカウンターへと丁寧に置くと、椅子へと座り、息を整えるように胸に手を当てた。
「はあーっ……。すいません。久しぶりに薬を買ってもらえそうだったので、ちょっと焦ってしまって。近頃は冒険者には薬がないって文句ばっかり言われるし、収入も無くて、一日一食で我慢してたんですよー……とほほ……」
店員は半泣きで鼻をすすりながら肩を落とす。彼女が最初から喧嘩腰だったのは、冒険者とのいざこざが原因だったようだ。
ただ、そんなものは売り物があれば解決する問題じゃないんだろうか。
「そりゃ薬が無きゃ収入が無いのも当たり前だろう? 何で無いんだ?」
「――それを聞いちゃいますか?」
急にずいっと寄せられた顔にたじろいでしいまい、半歩後ずさる。すかさずスティアがその間に割って入り店員を睨みつけたため、彼女もその眼光に驚いたのかうっと身を引いた。
それ、さっきギルドでグッチにされたときにして欲しかったなぁ……。
「何故なんだ? 話したいなら聞くが」
「え、ええと、そうですね。あっと、その前にこれを済ませましょうか」
店員はそう言ってカウンターに置かれた二つの瓶に視線を移した。
「今うちに置いてある生命の秘薬はこれだけです。四等級と三等級が一つずつですね」
そう言いながら彼女は手で指し示す。その二つの瓶にはどちらも瑠璃色の液体が八割ほど入れられており、栓はきちんと固く封をされていた。
四等級と言われた方は、三等級よりも若干淡い色合いをしていて、三等級よりも希釈されているものだということが目で見ても分かる。
「いくらだ?」
「四等級が金貨4枚、三等級が金貨8枚です」
「高っ!? 金貨4枚!? 四等級じゃせいぜい3枚ってところだろ!?」
相場よりもかなり高い値段に、俺はつい声を上げてしまった。
生命の秘薬とは、傷を癒すだけの傷薬とは違い、傷だけでなく生命力や気力、魔力といった、人間の生命活動に必要な全てを回復すると言われている、まさに秘薬の一つだ。
神霊樹と呼ばれる、高い魔力を帯びた樹木からしか採取できない葉を使って作られるその薬は、神霊樹の希少性も相まって非常に高額だった。
しかし効果はその金額を裏切らない。二等級以上の生命の秘薬を使えば、切られた腕や足すら繋ぐことができると言う。
だからか、一等級の生命の秘薬なら欠損した身体も復元するという与太話もあるくらいだった。
ちなみに生命の秘薬の等級は一等級から五等級まであり、神霊樹の葉から生成される原液をどれだけ希釈しているかによって区分されている。
なお原液は劇薬だ。触れるだけなら問題ないが、そのまま飲むと死ぬそうだ。
なので人間が薬として飲めるのは一等級が限度。それ以上濃いものを飲むと命の保証はないとのことだ。
なんで俺がこんなことを知っているかといえば、軍にいた時にエルフ達に教えて貰ったからだ。当然、作り方までは教えて貰えなかったが。
こういう治療薬の作り方は通常、一子相伝の秘術。簡単に教えてもらえるなら薬師なんて世の中から淘汰されてしまう。軽々しく誰かに教えられるようなものじゃない。
だから生命の秘薬が高いと言うのは一般常識だ。なのだが、この価格は高すぎる。
「実はこの町、薬なんかの物資が殆ど入ってこないんですよね……。高いのは確かにそうなんですが、この町では適正価格ですよ。ぼったくりじゃないです」
店員はそう眉尻を下げて言う。残念そうな様子から本当のことなんだろう。
となると、無くなる前にこのどちらかをここで買うのがよさそうに思えるが。
俺は財布を懐から取り出し所持金を確認してみる。指を入れて数えてみると、そこには金貨1枚、銀貨1枚、小銀貨6枚と小銅貨17枚入っていた。
……金貨1枚ちょっと、というところか。安いとか安くないとか以前に、三等級どころか四等級の相場にも全然届いていなかった。
アクアサーペントの素材を売った金に期待して後日また来ようかとも思うが、ただ、その間に誰かに購入されてしまうと不味いな。……仕方が無いか。
俺はスティアを手で呼んだ。何やら察した様子のスティアがにこやかに近寄ってくるのがちょっと悔しい。
「すーちゃん、お金貸して?」
「……貴方様、それは構いませんが……。それは、申し訳ありませんがちょっと頂けませんわ……」
可愛らしく言ってみたところ、スティアにしては珍しく渋い顔を見せた。ちょっとショック。
はてさてお願い自体は受け入れてくれたようで、スティアも自分の財布の中身を確認してくれた。本当にありがたい。スティアはしっかりしているから、恐らくそれなりに持っているだろう。
もしかしから金貨がぽんと出てくるかもしれないな。いずれ借りた金はちゃんと返そう。
期待を込めてスティアを見ていると、財布の中を確認し終わったスティアと目がばっちりと合った。と思ったら目を逸らされた。なにゆえ?
「銀貨1枚とちょっと……ですわ……」
「……駄目じゃん」
「――っ!?」
俺の言葉にがっくりと膝を突くスティア。
二人足しても全然届いてない。俺も駄目だけど、スティアはもっと駄目だった。
駄目駄目コンビだな。ははは。
……いや、笑いごっちゃねぇ。どうすんべ。
「貴方様……女には……色々とお金が必要なんですわ……」
「分かった分かった。さてどうするかな……」
「真面目に聞いてくださいまし!」
「分かったって」
「絶対分かってない奴ですわ! 貴方様~っ! 見捨てないで下さいまし!」
「分かったからまとわりつくな! 鬱陶しい!」
半泣きでまとわりついてきたスティア。だが今それどころじゃねぇんだよ。
「えーちゃんえーちゃん」
「いい加減離れろって! はぁ……。なんだ? ホシ」
「これ使って!」
引っ付いてくるスティアをなんとか無理やり引っぺがし、ホシに目を向ける。そこには両手を突き出して、俺に何かを見せているホシの姿があった。
よく見るとホシの両手には、豚さんの顔のがま口がちんまりと乗っていた。
このがま口は軍に入ってから、初めて貰った給料を持て余し、ポケットにじゃらじゃらと入れていたのを見かねて、俺がホシに買ってやった奴だ。
まだ持っていたのか。良く見ると使い古されてもうボロボロだな。あとで繕ってやるか。
ホシは昔から服もぼろぼろにしていたし、裁縫なんて俺にはお手の物だ。
「いいのか?」
「うん! いいよ!」
「ん~……。じゃあ、ちょっとだけな?」
にこにこと差し出された豚さんのがま口に手を伸ばす。ホシが子供ではないのは理解しているのだが、普段の言動と行動から、どうにも幼いという印象が抜けない。
子供のお金に手を着けるというのはちょっと抵抗があるため、貰ったふりをしておいて、気持ちだけ貰うことにしよう。
この可愛らしい豚さんのがま口からお金を抜くと言うのも、何とも罪悪感を煽るしな。
まあホシのことだからそんなに持ってもいないだろう。受け取ったがま口も思った通りで、硬貨が数枚しか入っていないような軽さだった。
手の中のがま口を見ていると、これを貰ったホシが凄く喜んで、がま口片手に屋台へ買いに走っていたなぁなんてことを思い出した。
なんだか微笑ましい気持ちになりながら、俺はがま口の口を開けた。
「――!?」
がま口を開けた途端、金色の光が漏れる。慌ててがま口を閉じてからホシの顔を見ると、いつものように白い歯を見せてニーッと笑っていた。
俺はもう一度、今度はゆっくりとがま口を開き、中を覗いてみた。
果たしてそこにあったのものは。
「ホ、ホシ……。これ、どうした?」
「んー? 銀貨が一杯になって邪魔になってきたから、交換して貰った!」
「そ、そうか……」
そのがま口の中には、金貨4枚と小銀貨が2枚、ちょこんと入っていた。
金貨4枚もあれば、王都でも平民街の結構良い場所に家を建てられるくらいの価値がある。
しかし、ホシはこんなにお金を溜めていたんだな。俺達とは違って……。
俺はスティアの方へ顔を向けた。スティアも感情を読み取れない、何とも言いづらい表情で俺を見ていた。
しかし今、俺達の心はこれ以上なく一つになっていたはずだ。
駄目な大人二人、子供から貯金の大切さを学ぶ――と。