幕間.帝都にて ティナの謁見②
ティナの願いは皇帝に聞き届けられなかった。だがティナは奴隷解放のため、それだけのために戦い続けてきたのだ。
本来なら何不自由なく優雅な暮らしができるはずの侯爵令嬢が、血と泥臭い冒険者となって八年も。
ティナはそれ以外望みはなしと、皇帝から目を逸らさない。皇帝もそんな彼女の思いの強さに折れてか、玉座に体を預けながら抱えた理由を説明し始めた。
「できんと言ったのには深い理由がある。奴隷制度はこの帝国という国全域に多大な影響を及ぼしているのだ。これを廃止するとなれば、帝国はたちまち乱世の炎に再び焼かれる事になるだろう。これは儂の妄想ではなく、十中八九起きるであろう未来だ」
奴隷制度と言うものは、力無い者が不当に身分を落とされ、あらゆる人権を強制的に剥奪される非道なものという認識が強い。しかし元々は犯罪者や捕虜、支払い能力が無くなった債務者などを、罪を償うため、もしくは金銭を稼ぐためなどの理由によって強制的に労働力とする制度であり、そこに人を虐げる意思は持たなかったのだ。
それがどういった問題となるかという事だが。今帝国の保有している奴隷の殆どが、犯罪者や捕虜といった者達であると言う事だ。
彼らは帝国に対して良い感情を持っていない者が大半だ。これらを解放してしまえば、樹立三十年という未だ盤石でない若い国は、大きく秩序を乱されるだろう。
帝国のあちこちには、未だ独立国家を謳い反帝国を掲げる勢力が存在する。そんな状況で奴隷の解放をしてしまえばどうなるか。
それら奴隷を取り込んだ勢力が一気に力を増し、内戦になるという流れは、予想ができる未来であった。
謁見の間にいる貴族達も分かっているのだろう、一体何を言い出すのかという目でティナを見る者も多かった。
だがそんな事はティナも分かっていた。彼女もまた侯爵令嬢である。帝国の抱える事情など、最初から理解していたのだ。
「私がお願いしたいのは、奴隷制度の廃止ではありません。――違法奴隷の解放です。また可能なら、違法奴隷を扱った者達の処罰もお願いしたく存じます」
その言葉を聞き、皇帝の眉がぴくりと動いた。違法奴隷。それはその名の通り、違法な手続きを踏んで不当に奴隷に落とされた者達の総称だった。
奴隷となるには、基本的に本人の意志あっての事でなければならない、と帝国ではされている。先に上げた犯罪者や捕虜も国が指定する強制労働を行うか、それとも奴隷落ちするか。捕虜の場合にはこれに身代金を払うかの選択肢も含めて、これらのいずれかを選択するという事でその名目を一応だが保っている。
だが違法奴隷とは、その本人の了解がない状態で奴隷落ちさせられた者を指す。その方法は脅迫であったり、強制であったり、誘拐であったり詐欺であったりと様々だが、いずれも帝国では認められていない存在だ。
しかしまだ国として盤石でない帝国では人的および金銭的な余裕が全くなく、取り締まる事が出来ていないのが現状となる。
そのため皇帝の返答は、当然否かと思われた。
「――よかろう。その望み、叶える事とする!」
だが皇帝は殆ど悩むことなく、そう声高らかに宣言したのだ。
謁見の間は俄かにざわざわと貴族達の動揺に包まれる。当然だろう、違法奴隷の取り締まりと解放など、予算がいくらかかるか分からないのだ。
それなら他に優先すべきことが山程ある。そんな彼らの気持ちを代弁するように、第一皇子サルバドールが「恐れながら」と口にした。
「そのような事を仰られて宜しいのですか、陛下。すると言って簡単に解決できる問題ではございませんよ」
「良い。あの馬鹿者のせいで、王国との間がこじれる事になったのだ。今は王国にかまけている時でないと言うのにな。違法奴隷の多くは王国民であろう。これを機に違法奴隷を扱う者らを一斉検挙し、保護した者達を王国に返してやれば良い。向こうも終戦すれば復興に人手が欲しかろう」
「しかし陛下、我々にはそのために動かせる部隊がございません。雇うにしても王国に賠償金を支払った今、すぐに用意できるだけのものが――」
「馬鹿者、ジャスティーナ嬢の前でそのような事を口にする奴があるかっ! 資金などまずは適当に工面しておいて、検挙した連中の貯め込んだものを没収すれば良い! こちらの膿を出せる! 王国との関係も良くなる! 良い事づくめであろうが!」
決まりだ! と声を上げる皇帝に、サルバドールは「御意に」と頭を下げた。
これに顔を青くする貴族も多かったが、皇帝はそ知らぬふりをした。息子と言い合いをした皇帝だが、実のところもう調べはついていたのである。これはサルバドールも承知の内だった。
つまりこれは父子二人の貴族へ向けたパフォーマンスだったのだ。
先の帝国軍が王国へ進軍した件であるが、これは実のところ皇帝の意思ではなく、彼の息子である軍の将軍、次男の第三皇子が画策したものであった。
皇帝が崩御した後、次の皇帝は第一皇子のサルバドールとなる。これを不服とした第三皇子が自らの力を誇示しようと皇帝の命と偽って、軍部を動かし王国落としを実行したのだ。
しかし皇帝が息を吹き返した後、彼の命で撤退命令の早馬を飛ばし、現地にて第三皇子および側近らの関係者計二十名を拘束。結果帝国軍は王国軍とぶつかり合う寸前で、軍を引く事ができたのである。
皇帝は生粋の武人である。故に、宣戦布告なしに攻め込むという不作法を良しとしなかった。
加えて勝手に軍を動かした事、そして皇帝の命と偽った事は重く受け止められ、第三皇子は子を残せない処理をされると共に両足の腱を断たれ、生涯幽閉される事となった。
そうして帝国内部は事を治めたが、しかし対外的には終わらない。王国が抱く帝国への印象を悪化させた事は、無視のできない事態だったのだ。
帝国は散発的に起こる反帝国勢力に手を焼き、王国を相手にしている暇はない。聖女を迎え、魔王を打ち取らんと勢いに乗る今の王国なら尚更だ。
となれば王国の印象をどうにか良くしておく必要がある。そうして帝室は策をいくつか考えていたのだが、その中に優先度は低いながらも違法奴隷の問題もあった。
そう、皇帝は以前から違法奴隷の問題に目を付けていたのだ。
そしてこの謁見の前に娘のためにと申し出て来たコンラッドの援護射撃により、それが現実となった形であったのだ。
この城に招かれた高位貴族のうち違法奴隷に積極的だった者の多くは、これ以降城から出る事は叶わないだろう。
政治的にも絡んだその意図。しかしそれを知らないティナは、かねてより夢見ていた事が現実となった事に、感動に打ち震えていた。
「あ……ありがたく存じます! 皇帝陛下っ!」
「良い良い、全てお主の働きによるものだ! 戦果をあげた者には相応しい報酬を与えるのが帝国の習わし! 胸を張るが良い、帝国が誇る偉大なる勇士ジャスティーナよ!」
「――はっ!」
からからと豪快に笑う皇帝に、ティナは深々と頭を下げた。
ようやっと自分の夢を果たす事が叶った。恩人との約束も果たす事ができた。彼女は胸に込み上げるものに抗うのに必死であって。
ここから更に皇帝に話を振られるとは、全く予想していなかった。
「だが、そうだな。時にジャスティーナよ。この違法奴隷の件についてだが、お主、協力する気は無いか?」
「――は?」
「違法奴隷を解放するにしても、今すぐにというわけにもいかん。良からぬ事を陰でコソコソと行っている連中だ、己の逃げ道はある程度用意しているであろう。逃がさぬためには迅速かつ一斉に検挙する必要がある」
だが、と皇帝は眉間にしわを寄せる。
「先程このサルバドールが口にした通り、帝国にはそのための人手が不足しているのだ。約束したとはいえ相応の時間がかかる事が予想される。その間にも違法奴隷は数を増やすであろう……お主もそれは望むところではあるまい?」
「無論にございます」
きっぱりと肯定したティナに、皇帝は小さく頷いた。
「一人でも多くの有望な人材が必要だ。ではどうするか、と考えたが……確かロンベルク侯爵家は違法奴隷を保護しておったな? 兵士としての訓練をつけた者もいるであろう?」
「は。今は共にはおりませんが、私の護衛もまたそうでございます」
「おう、そうであったな! 此度献上した物も、その者の尽力あっての事と聞いておる! その者にも無論褒美を取らせるから心配する必要はないぞ」
「ありがたく存じます。彼も大いに喜ぶ事でしょう」
ティナの護衛であるステフは、王国から攫われて奴隷落ちした違法奴隷である。皇帝は当初、彼も謁見の間に招くつもりであった。だが多くの貴族から奴隷を拝謁させるのは帝室の品位を落とすと反発され、サルバドールにも宥められ、渋々諦めたのだ。
これが当初彼の機嫌が良くなかった理由の一因となっていたのだが、今の皇帝はそんな事も忘れたほど上機嫌に弁舌を振るっていた。
「でな、ジャスティーナよ。儂は此度の件、違法奴隷解放およびそれに関わった者らの一斉検挙のための部隊――特務隊を新設しようと思う。その気があれば、お主をその隊長に任命したい」
「と、特務隊ですか!?」
「そうだ。隊長の地位は帝国騎士団長と同格。人員は違法奴隷解放に強い希望を持つ者であれば立場は一切不問。違法奴隷でも構わん。いや、むしろそう言った者達の方が適任かもしれん」
皇帝はそう言った後ティナを見据える。そこには真摯な眼差しだけがあった。
「どうだ、お主の力を貸してはくれんか」
つまり皇帝は、ティナの故郷ロンベルクで保護した違法奴隷達を率い、仲間達を解放してはどうだと提案してきたのだ。
名前も、家族も、帰る場所も、人としての未来すらも不当に奪われた違法奴隷達。ロンベルクで保護している者の中にも辛い過去がある者達は非常に多い。
ティナが特務隊に加わるとなれば、声を上げてくれる者は多いはずだった。
(まったく、食えないお人だ)
ティナは内心そう思った。皇帝はティナに時間を短縮するためと言ったが、実際は人材を集めるための人権費などを節約する心算なのだろう。
ティナの望みを叶えるため、ティナを最大限利用する。皇帝の考えは分かっていたが、しかし、だからと言って否やは無かった。
「その任務、是非拝命したく存じます」
「打てば響くとはこの事よ! ジャスティーナよ、今この時よりお主は皇帝直属、特務隊隊長を名乗るが良い!」
「はっ!」
皇帝直下の新設部隊だ、違法奴隷を扱う事も相まって、色々と障害も予想される。しかし今のティナにはそんな否定的な思いよりも、夢へ向かい始めた事の喜びが遥かに勝っていた。
ティナは夢を切り開くため、皇帝に頭を下げる。だがそれに続いて上がった声に、ティナは困惑する事となる。
「ではジャスティーナ嬢および護衛のステフ殿両名は、我ら帝室からランクS冒険者となるようギルドに圧りょ――いえ。推薦をしておきますね」
「……は?」
そんな事を言い始めたのはサルバドールだ。彼は眼鏡のブリッジに指を当てながら、当然のように口にした。
「特務隊の特別顧問として、第八皇子のイグナシオをつける。頭の痛い話だが、イグナシオはあれから王国の第三師団長とやらに随分熱を上げておってな……どうにも最近腑抜けておる。だが王国のためとなるならば、すなわちそれは第三師団長の覚えも良くなると言う事。となればあ奴は強力な手駒になろう。上手く使ってやってくれ」
「は!?」
皇帝もまたその後に、とんでもない事を決定事項と口にする。第八皇子のイグナシオは、今は亡き第二皇女の子である。つまり皇帝にとって孫だ。
まだ成人前の皇子だが大変に利発であり、皇帝も大変に可愛がっているとティナは聞いた事があった。
(ん? いや待て)
が、そんな事は些細な情報だった。
(イグナシオ皇子殿下が第三師団長に熱を上げているだと? 殿下がエイク殿にお熱? ――な!? な、ななななななっ!?)
あらぬ想像をしてしまい、かっと頬が熱くなるティナ。それを知ってか知らずか、皇帝はがははと哄笑するのだった。
ティナの願いであった違法奴隷解放の夢は、こうして一歩を踏み出した。
ティナは更に奴隷解放に向け、邁進し続けるのだろう。
だがしかし。この時のティナは、皇帝に面倒臭い事態を体よく任せられた事に想像が及んでいなかった。
彼女がそれに気付いたのはこの謁見の間を退室し、皇帝が私的に礼が言いたいと招かれた、王宮のとある一室での事だった。
「君があの第三師団長と一緒にいたっていうジャスティーナ嬢!? 僕が第八皇子のイグナシオさ、よろしくね! 早速だけど、彼って恋人とかいるのかな!? 知っていたら教えてくれないかい!?」
「え、ええ……?」
中世的で端正な顔つきの第八皇子に怒涛のように詰め寄られたティナは、ちらりと見た皇帝が目を逸らすのを見て、その時初めてイグナシオがかなり面倒な事になっていると察したのである。
だがその時はもう後に引くには遅すぎて、皇帝に丸投げされた事態を受け取るより他なかったのだ。
「僕はね、初めて彼と出会った時、彼に射殺さんばかりの双眸を向けられて、ハートを打ち抜かれてしまったのさ! あの時を思い出すと胸がどきどきして、もう張り裂けそうなんだよ! ああ、こんな事を言うのは何だか照れちゃうな! あはは……で、どうなんだい!? もったいぶらないで教えて欲しいな!」
これが利発という噂の第八皇子なのか。全くその片鱗を感じないのだが、と思うティナの笑顔は引きつっていた。
だがその日以来第八皇子は何かと言って、ティナに絡んでくるようになる。
これがその日以降ティナを悩ませる一番の問題となるのだが。
「ティナ、エイク様宛てに手紙を送ろうと思うんだけど、どんな内容を書けばいいと思う? 彼ってどんな事が好きなのかな? 知っていたら教えて欲しいんだ!」
(手紙? ああ、それは良い案……あ、いや待て。もしかするとエイク殿は今頃既に、王都を出てしまっているのでは……?)
彼女はその問題を解決する手段を全く持ち合わせておらず、嬉しそうに語るイグナシオを前にして、頭を抱える以外にできる事は何もなかったのであった。