幕間.帝都にて ティナの謁見①
一話にまとめるつもりが長くなってしまったので二話に分けます。
後半は後程。
時は今より遡る事八か月。帝国の中心都市であるアレサ・レナ。その中央にそびえる若き城、帝城ストルッツァーにてその日、帝国の高位貴族らを集めた謁見の儀が粛々と行われた。
謁見の間には侯爵以上の貴族が左右に列を成し、来たる人物を待っていた。だがどの人物も長く続いた戦乱の世を生き抜いてきた、一癖も二癖もある強者ばかりだ。その眼光は鋭く、まるで威圧するかのようである。
更に謁見の間の最奥には二つの玉座が並んでおり、向かって左には皇帝が座し、その左には第一皇子が両手を後ろで組んで凛と立っている。
正面右の玉座は空席となっているが、その右には第四皇女――帝国は性別関係なく数字が増える。王国式であれば彼女は第二皇女、次女である――も深いスリットが入ったタイトなドレスを着て、笑みを浮かべて並んでいる。
彼らにそんな気はないのだろう。しかし貴い身分の者がこうして並んでいる様子もまた、独特の威圧感を放っている。
謁見の間は奇妙な緊迫感で埋め尽くされていた。そんな時に謁見の間の扉が重厚な音を立てて開けば、貴族達の視線は更に強いものに変貌し、その緊迫感は一層増した。
もし平凡な者であれば、その場で腰を抜かしていたかもしれない。だが謁見の間に現れた人物はまるでそれをそよ風の如く受け流し、鎧を鳴らしながら玉座へと、足取り確かに真っすぐ向かって行く。
その人物にとって、この程度の威圧は大したものでは無かった。何せ彼女はこれ以上の重圧を、あの場所――世界樹で、嫌と言う程味わったのだ。ただの人が放つ威圧など、今更堪えるはずも無い。
彼女は後ろで結い上げた黒髪を揺らしながら堂々と正面の玉座へと進み、少し手前で足を止めると片膝を折って頭を下げる。そんな彼女の様子を玉座から見下ろすのは、皇帝レオカディオ・レナ・ルルレイア一世である。
彼は当初、厳しい顔つきでそこに座っていた。
御年六十五の皇帝レオカディオはすでに高年期に入っており、老人と言っても差し支えない年齢であった。
だが筋骨隆々とした肉体と、白髪交じりのダークブラウンの髪を後ろに流した姿は、まるで獅子を思わせるような威圧感を放っており、年齢をまるで感じさせない。
初対面の人間なら威圧されて然るべき風貌の偉丈夫である。彼自身それを自覚している。だから今回謁見の間に来る人物がどんな傑物かと期待した後に、女と聞いて彼は少々がっかりしていたのだ。
女は大概自分を見ると委縮するため面白くない。そんな理由から彼はこの謁見にはあまり期待できないと、そう思っていたのであるが。
彼女が周囲を気にする様子もなく歩いて来ると、皇帝は様子を一変させた。
頭を下げる彼女を見下ろしていると、ふつふつと興味が湧いて来る。
玉座に片肘を突く皇帝は、いつしか面白そうに口を歪めていた。その様子はまるでおもちゃを見つけた子供のようでもあった。
「堅苦しいのは好かん。面を上げよ」
「はっ」
顔を上げた女性の瞳を見て、皇帝は心の内で感嘆した。その輝きは戦場でも殆ど見る事が叶わない、類稀な戦士のそれであったからだ。
「お主がコンラッドの娘、ジャスティーナか。此度の件、大儀であった――と言いたいところだが。どうしたその恰好は?」
色々と聞いてみたい事があった。しかし皇帝はまず、彼女――ティナの恰好を指摘した。
コンラッドの娘と言う事は、 ロンベルク侯爵の娘。すなわち侯爵令嬢という事である。だと言うのに彼女は着飾ったドレス姿ではない。かっちりとしたパンツスタイルの服装に胴体鎧を装備するという、冒険者さながらの恰好であったのだ。
むろんレオカディオは彼女が冒険者である事は知っている。だが侯爵令嬢がまさかその出で立ちで謁見の間に出てくるとは、全く想像していなかった。
皇帝の口調には可笑しさありありと滲んでいる。しかしティナは真面目腐った表情で、彼にこう理由を話したのだ。
「私は侯爵の娘としてではなく、冒険者としての成果を今回、陛下に献上致しました。ですのでこの恰好が一番相応しいと考えた次第です」
侯爵令嬢ではなく、帝国貴族ですらもなく、あくまでも冒険者として立身し立てた功績である。
ティナのその言い分に、皇帝はもう堪え切る事ができなかった。
「ぶわっはっはっは! コンラッド、お前の娘、面白いな!」
「困った愛娘にございます、陛下」
「うむ、お前が愛娘と言うのも分かる! 男児にも劣らぬ気骨を持つ、大層な女傑ぶりだ。儂は気に入ったぞ!」
膝掛をバシバシ叩いて笑う皇帝に、他の貴族と共に整列していたコンラッドが苦笑いを浮かべながら軽く頭を下げる。それすら可笑しいとでも言うように大笑いをした皇帝は、ぐっと身を乗り出した。
「ジャスティーナ嬢よ、どうだろう。儂の家臣にならんか? 今なら騎士団長の身分をやるぞ? 伯爵の位もやろう、悪い条件ではあるまい?」
そして皇帝は段取りの何もかもをすっ飛ばし、突然ティナの勧誘を始めたのだ。
帝国の皇帝は元々とある地方の騎馬民族の出身であり、そこから勢力を伸ばし帝国全土を治めた経緯を持つ男である。
そのためか武勇を尊び自由を愛する性格であり、気に入った者には友好的に、逆に気に入らない者には冷たい態度を隠さない、中々に困った自由人であった。
だがよくそんな態度をとるため周囲も慣れたもの。早速宰相が静かな声で諫めにかかった。
「陛下。その前に、ジャスティーナ嬢にお伝えすべき事があるのではございませんか」
「おおっ、そうであった! いやいやすまんな!」
「は、はぁ……」
がははと謝る皇帝に、ティナは困惑交じりに返事をした。巷では皇帝とは武勇を尊ぶ武人気質で、大層威厳のある人物だという話であったが。
ティナは相手をちらと見る。目の前でがははと笑うその男は、豪快そうで、それでいていい加減そうで。そんな姿はつい最近一緒にいた、自分の恩人をどこか思い出させた。
「ジャスティーナ嬢、礼を言う! お主のおかげで儂は命を拾った! 戦場で戦い続けて幾星霜、誰相手にも引かなかった儂だが、まさか己自身に負けようとは思わなかったわ! がっはっは!」
皇帝は愉快そうに哄笑しながら話す。こんな調子の皇帝だが話によれば、マンドレイクをこの帝都に運び込んだ二か月前、彼はもう病により虫の息だったそうだ。
目の前の頑健そうな男からは到底想像できない事だ。これもあの世界樹の奇跡なのかと思うも、ティナは自分が献上した物がジジイ顔の謎野菜であっただけに、あまり信じられない気持ちで皇帝の言葉を聞いていた。
「笑いごとではありませんよ、陛下。これを機に酒はお控え下さい」
と、そこで声を上げたのは皇帝の隣に立つ壮年の人物だった。
第一皇子サルバドールである。
「馬鹿者! 酒のない人生など馬のない騎馬民族と同じだ! 酒は飲む! 己にも負けぬ! 皇帝などになり最近はたるんどったからな、今後は鍛錬にも力を入れる事にした! これで文句はあるまい!」
「どうか執務にも力を入れて下さい……」
「断る! なっはっはっは!」
頭が痛むように額を抑えるサルバドール。彼もまた父親のレオカディオに似た偉丈夫であったが、顔には分厚いレンズの眼鏡をかけており、ティナは今の会話でその理由を何となく察する事ができた。
不憫な第一皇子に同情していると、会話はまた本筋へ戻って来る。
「あのマンドレイクと言う物。あの見た目だ、初めは疑ったが……もう死ぬも同然の身だったためどうにでもなれと食したところ、もうこの通りよ! これ以上ない程に活力がみなぎっておる! 後百年は生きられるわ!」
ニヤリと笑った皇帝だが、だがそこで少し真面目な顔となった。
「皇后もお主には感謝しておった。だが儂の看病であれもかなり疲弊しておってな、お主の顔を見たいと言ってはいたのだが、この場には出られなんだ。後で茶会に招待する故、その時にでもゆっくりあれと話をしてやって欲しい。頼めるか?」
ティナは皇帝の右に置かれた空の玉座を見る。皇后が不在なのはそういう意味だったかと納得したティナは、すぐさま彼へ首肯した。
「はっ。私のような者であれば、いつでも」
「うむ、良い返事だ! では頼んだぞ!」
皇帝は愉快そうに会話を続けている。謁見の間に満ちていた威圧感も程よく解れ、今はもう殆ど感じられない程だった。
そのためティナが張っていた気も徐々に少し緩み始めていたのだが、
「時にジャスティーナよ」
突然皇帝の様子が変貌したのだ。彼は浮かべていた笑みをたちまち消すと、氷のような真顔でティナを真っすぐに見据えたのだ。
「あの薬、一体どこで手に入れた? 答えよ」
皇帝は笑わない。口をぴったりと閉ざして彼女の瞳を凝視している。
皇帝からは殺気も闘気も感じない。だがその感情が失せたような表情には、空恐ろしい何かがあるように思えてならなかった。
先程まで賑やかだった謁見の間が、凍り付いたかのように静まり返っていた。
もしティナがただのランクB冒険者だったなら、皇帝の放つ圧に屈したかもしれない。だが彼女は体験したのだ。ランクS冒険者ですら体験した事のない、世界樹での死と隣り合わせの戦場を。
それは二十年以上戦場で武器を振るって来た皇帝の経験に勝るとも劣らない。
故に、彼女は一歩も引く事無く、皇帝の目を真正面から見返していた。
「恐れ入りますが、お答えできません」
「何だと?」
「お答えできませんと申しました。私には果たさねばならぬ契りがございます」
「この儂の命でもか」
「首を差し出せと申されましても、お答えする事はできません」
皇帝とティナの視線がぶつかり合う。他の貴族達は――ティナの実の父親のコンラッドですら――固唾を飲んで結末を見守る事しかできずにいた。
ティナが口を割るか、はたまた血が流れるか。そのどちらかしかないと皆が思い始める中で、
「父上。お戯れはその辺りで」
その冷戦を鎮めたのは、第四皇女のロベルティナであった。
「その件、ジャスティーナ様には絶対に聞いてはならぬとお伝えしたはずですが、もうお忘れになったのですか?」
彼女の声は氷のように冷たかった。そればかりか実の父である皇帝へ注がれるその眼差しは、それ以上に凍てついていた。
公の場で陛下とあえて言わなかった事もまた、暗に父を下げる意味を孕んでいた。
あえて言語化するならば、「クソ親父、恩人に何しとるんじゃ殺すぞ」が意訳となるだろうか。
もう三十七になる娘であるが、皇帝にとっては可愛い末娘である。その愛しい存在に見下げ果てた目を向けられて、皇帝は途端に慌て始めた。
「いや、だってなぁ、コンラッドの奴が『娘は絶対に口を割りませんよ』などと自信満々に言うではないか。なら少しばかり試してみても良いと思わんか?」
「全く思いません。付き合わされるジャスティーナ様の身にもなって下さいませ。それに、こちらは礼を言う立場なのですよ。そのように試す真似をするなど失礼千万。権力に胡坐をかく行為はお父様が一番嫌う所でございましょう」
「ぐぬ……。で、あるな……」
「王国の聖女様から詮索無用の文もあったでしょう。聖皇教会とも対立するおつもりですか? そのような腹積もりでしたら、わたくしにも少々考えがございますが? 父上」
「もう良いっ! 分かった、分かった!」
淡々と言葉を紡ぐ姿がロベルティナの怒りの激しさを如実に表している。皇帝はついに降参したように声を荒げると、すまなそうにティナに目を向けた。
「済まぬ。コンラッドの奴があまりに娘を自慢するものでな、少し構ってみたくなったのだ。先ほどのは全く本気ではない。許してくれるかジャスティーナ嬢」
「……はっ」
皇帝にしょぼくれた犬のような目を向けられて、一体何と言えば良いのだ。ティナはとりあえずそう言って、頭を下げておく事にした。
「申しわけありませんジャスティーナ様。陛下には後でわたくしが必ず! 言い聞かせておきますから。どうかお許し下さいませ」
「い、いえ。気にしてはおりませんので……」
妙に威圧感のある第四皇女にも本当に済まなそうに言われるが、そう思うなら初めからしないでくれとも言えない。
殊勝な態度を取るしかないティナ。だが皇帝はこれに大変満足したようだった。
「武勇に優れ、器も大きく、そして何より約束を違えぬ義に溢れた気高き精神。この様な未来有望な勇士がいるとは、帝国も安泰だ! ジャスティーナよ、此度の働き実にあっぱれ! 褒美を取らせる! 遠慮せず何でも言ってみるが良い!」
その言葉に、ティナの胸がどくんと跳ねた。
皇帝は武勲を立てたものに過分ともいえる褒美を取らせる事があると言う。その噂を信じ、冒険者として戦い続けて八年。
感慨深いものがあった。一瞬これは現実では無いのかとすら思った。
ティナは一度深く息を吸い込んで、大きく息を吐きだした。そして拳を強く握りしめてから、玉座に座る男へと、自分の望みを口にした。
「――奴隷の解放をお願いしたく存じます」
ざわり、と謁見の間がどよめいた。
皇帝の顔からも笑みが消えた。だがそうなるだろうと分かっていたティナは、怯むことなく皇帝の目を真っすぐに見続ける。
息がつまるような空気の中、最初に口を開いたのは皇帝だった。
「何でも言えと言ったのは儂だ。だが、それはできん」
それはティナの願いを両断する、拒絶の言葉であった。